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2022年2月25日 (金)

古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のヘビは竜~

前回の続き。

(「明日香の亀石と三輪の神 ① ~亀石の伝承~」)

 

明日香の川原の「亀石」。
「大和川川床開削」の場所にあった「亀瀬岩」から繋がりました。

もしかすると同じ伝承では?
wikiにもちらっとありましたね。

では、どう繋がるのか。

明日香の亀石の伝承には、「当麻のへび」と「川原のなまず」が登場します。



<当麻のへび>

奈良で「へび」と言えば大神神社の御祭神。
蛇神と言われています。
彼は大物主神であり、饒速日命。
また、蛇は「ナーガ」に繋がります。
(「ナガスネヒコ ~宿禰の初め~」の記事)

ナガスネヒコは、彼自身の事。
「ナーガ」は、長いの語源です。


でも「当麻」のへび?
当麻と言うと、二上山の東の麓(奈良盆地の西側)
三輪の反対です。(三輪は奈良盆地の東側)


でも、ここにありました。
同じ伝承が。

長尾神社」です。

奈良県歴史資源データベース「いかすなら」のサイトを参照しました。

「ヘビとなまずの争い」
もう書かなくていいくらい、明日香の亀石とまったく同じ伝承です。
なので、明日香の亀石にあった「当麻のヘビ」は、「当麻の長尾神社のヘビ」です。

また「ヘビと竜」の伝承があります。
要約しますが、詳細は下記サイトでお願いします。
(「奈良県歴史資源データベース「いかすなら」より要約)


「蛇の尾っぽ」

三輪明神が蛇の頭で、当社がその蛇の尾っぽ。
その長い蛇の先がここまで来ていたので、「長尾神社」になった。

「竜の尾っぽ」
また別の伝承。
大和に竜が住んでた。
竜王宮(大和高田)が竜の頭で、長尾神社がその尾という伝説。。
また、竜王宮が大蛇の胴体で、大神神社ー竜王宮ー長尾神社が大蛇の化身であるという伝説。


これらから分かる事。

☆「当麻のへび」は、この長尾神社の御祭神。
☆三輪明神(大神神社の大物主神)は「蛇神であり竜神」。
☆大神神社ー竜王宮ー長尾神社の御祭神は同じ。

同じ竜(蛇)の体なのですから、三社の神は同じです。

<三社の神>

「長尾神社」の御祭神は、天照大神、豊受大神。
水光姫命、白雲別命(二柱も同神?)
摂社に厳島神社(市杵島姫命)配祀・天児屋根命)

長尾神社」wikiより


「竜王宮」は(石園座多久虫玉神社・いそのにますたくむしたま)。
御祭神は、建玉依比古命、建玉依比賣命。
豊玉比古命、豊比賣命。
建玉依比古命とは、鴨玉比古命のこと。
(賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社土師尾社、日吉大社の摂社・樹下若宮に祀られる)

石園座多久虫玉神社」wikiより

「大神神社」の御祭神は、大物主神(饒速日命)。
摂社に、御炊社の御膳津神(豊受大神)、市杵島姫命神社の市杵島姫命など(御炊屋姫)。

上記の神社は、一匹の長い竜(蛇)の同体。
つまり、同じ神。
(摂社の神も同じ二柱の神)


この伝承は、三社の御祭神が同じであることを示唆しているのです。
(石(いそ)は、石上の石)


上の記事に書いた通りです。
また、豊玉比古命、豊比賣命。
この神は、下記の回にありました。

「山幸彦海幸彦」の伝承に登場する神。
また、そこから、彼らは「饒速日命と御炊屋姫」だとたどり着いています。



☆まとめます。

「当麻のへび」と「川原のなまず」の伝承。
*二つの場所の伝承は同じことを示唆。
                   ↓
「当麻の長尾神社」と「明日香の川原の亀石」の伝承は同じ。
                   ↓
長尾神社の伝承から「三社の神は同神」
*「長尾神社の御祭神」と「竜王宮」と「三輪の御祭神は同じ」

                    ↓

「当麻のへび」は、三輪の大物主神。

 

<当麻のへびが勝った>

では、亀石の伝承の先が見えてきます。

「当麻のヘビ」が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。

これは「当麻のへび」が、奈良湖の水を干上がらせたということ。
当麻のへびは、三輪山の大物主神なので、
「三輪の神(大物主神)が、奈良湖の水を干上がらせた」ことを示しています。

奈良湖は、「亀の瀬」の「大和川床開削」により、水位が減ります。

つまり「亀の瀬」の大和川川床開削をしたのは、三輪の神、大物主神である饒速日命。

(「饒速日命を求めて ⓽ ~天鳥船の時代 後編」)

ここに繋がりました。

やはり、奈良湖の水を引くという治水工事から、「潮の満ち引きを操る」という「潮干珠、潮満珠」の伝承が作られたのです。

また、「龍王宮」の、豊玉比古命、豊比賣命は、「潮干珠、潮満珠」を授けた神であり、彼ら自身。
かの神が持つ「二つの玉」は、同じ玉を持つ、饒速日命と高良神、住吉神、山幸彦、大国主神も同神であることを示唆しています。

(「神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝~」)

「明日香の亀石」から、柏原市の「亀の瀬」の「亀瀬岩」へと繋がりました。
明日香の亀石が、饒速日命に繋がるとは~!

では、やはり、饒速日命が奈良湖の水を引いたのですね。

Screenshot_202202251316572 まさにこんな感じ。

 

そこから饒速日命の「十種神宝」の二つの玉の伝承になり、彼から派生した神が「同じ玉」を持つ伝承になった。
おそらく、彼らは「水を引く」こと以外にも、様々なことをしている。
だから「十種神宝」なのでしょう。(様々な力がある)


では、明日香の「亀石」は、柏原市の「亀瀬岩」のオマージュ。

三輪の神が奈良湖の水を引いた。
そこへ「繋げる」ためのもの。

だから、あんなに大きく、誰がみても「亀」であるように造られていたのか。
おそらくですが、明日香の亀石は「三つの社」が創建されて以降に造られたのでしょう。


<三輪の神はヘビであり、竜>

これらの伝承から、気になっていたことが解けそうです。
何故、三輪の神がヘビ神とされたか。


三輪山の神は、大物主であり、饒速日命です。(*1)
彼がヘビ神?

  「大和に竜が住んでいた」と長尾神社の伝承。
明らかに大国主神、饒速日命のことです。

彼は、当時の名は「竜」ではなかったのでしょうか。
これは推測ですが。

想像上の生き物「竜」を説明する時、「蛇に似ていて、大きくて巨大なもの」と言いませんか?
また「蛇の王だ」とか。

長尾神社の伝承では「ヘビ」とし、別の話として「竜」とあります。
その内容は同じもの。

神話や伝承の「別の伝承として」は、得てして「同じ話、人」のことが多いのです。
ならば、「竜という名から、へび神とされた」とは言えないでしょうか。

ナガスネヒコも彼ならば、後の世で考えられたものでしょう。

長尾神社などの「竜」は、後に竜の知識が入ってきてから、付け足されたのだと思われます。


*1)大物主神は、饒速日命であることは間違いありません。
神話では、神武天皇は「饒速日命と御炊屋」姫の子と夫婦であり、
別の伝承では「大物主神と櫛玉姫」の子と夫婦です。
(「神の鉾10~皇祖神と神武天皇~」)

神話は、全てが事実ではないですが、核心に触れるところには事実を告げています。


神話や伝承の「別の伝承として」

神功皇后もそう書かれてありましたね。
別の伝承では「卑弥呼」とされている、と。

彼らの当時の名は、
饒速日命は「竜」。

神功皇后は「卑弥呼(またはそれに近い名)」。

まとめ

☆神功皇后が魏志倭人伝の卑弥呼ならば、AD200年頃。
☆彼女は倭国騒乱の後に擁立された者。
☆奈良湖の水はこの頃、「引かれ」た(唐古遺跡の状況から)
☆「湖の水を引いたのは」三輪山の神、饒速日命。

 

饒速日命はAD200年前後の者であり、卑弥呼と時代が重なるのです。
彼女が神功皇后なら、彼女も。

また、彼らは「八幡の神」で繋がっています。

饒速日命は住吉神であり、八幡の神。
神功皇后は、八幡神(応神天皇)の母とされている。
(応神天皇は、父子、一緒くたになってるかも)

その卑弥呼は、饒速日命の后、御炊屋姫。

饒速日命と神功皇后は、同じ時代なんですよ。
後に変えられた。

その証が、「ここ」にもありました。

 

「大和川開削」
もう一つ繋がります。

 

(つづく)

2022年2月20日 (日)

明日香の亀石と三輪の神 ① ~亀石の伝承~

神功皇后と饒速日命。
彼らの偉業が「潮干球、潮満珠」という玉の力として、伝わっている。

それは、大和の奈良湖の水を引いた「大和川川床開削」と、福岡那珂川の「裂田溝(さくたのうなで)」。

(「饒速日命を求めて ⓽ ~天鳥船の時代 後編~」)

(「神の鉾 9 ~時代*大国主神と玉の力~])

上の記事の続きになります。

 

今だからこそ、繋がったことがありました。
自分の記憶などと照らし合わせて記します。

下の画像が私が最初に見た「古代の奈良の前世」の時代の奈良湖。
薄い青の周辺がその範囲。

卑弥呼として伝わっているのが彼女ならば、AD200年前後です。

画像は「古代で遊ぼ」のサイトから。

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/index.html

Narako05

時系列として、
倭国騒乱

 饒速日命が大和へ移動。
御炊屋姫(卑弥呼)と夫婦になる。
上の状態から、「大和川川床開削」して、
濃い青の地点まで水を引かせる。(下と順番は不明)
乱が収まる。
邪馬台国の卑弥呼、擁立(魏志倭人伝)
奈良盆地を開拓。 周辺は湿地帯になり、稲作ができるようになる。(湿田から乾田へ)
「葦原の中津国」とは、この後のこと。
葦は、湿地帯に生える草の総称。

 

< 大和川川床開削 >

その地点が、下の画像の大阪柏原市の「亀の瀬」です。
画像は「古代で遊ぼ

Narako06

中央辺りに、「亀瀬岩」があります。

その辺り一帯が「亀の瀬」。

左斜め上に「三体崩壊?」とあります。
Narako04
画像は「古代で遊ぼ」すごく丁寧で詳細な説明です。サイトを直接ご覧ください!
その当時の様子を見事に再現!

 

「亀の瀬」

この辺りは、古来から地滑りが起こりやすい土地でした。

 

<山体崩壊>

以下のサイトからの引用です。

竜王社」(りゅうおうしゃ)大阪府柏原市-じゃらん旅行記

http://www.jalan.net/travel-journal/000068315/ 


数百万年前に「亀の瀬」北には火山があり、最低2回は噴火したと言われています。
1回目の溶岩や積した地層の上に2回目の噴火に伴う溶岩がのっています。
その溶岩の境目が非常に脆く、水分を含むと上の溶岩が滑り台のように滑ってしまいます。
亀の瀬には昔から亀岩と呼ばれる巨石があり、この亀石が動くと、地すべりが起こって大和川がふさがれ、大和に洪水が起こるという伝承があります。

そこは何度も地滑りを起こす地帯であり、その度に、大和に洪水が起きていたのです。

「亀石が動くと、大和に洪水が起きる」という伝承、実際は反対なんですね。

 

柏原市のサイトの「亀の瀬こぼればなし(2)」に、

亀岩が動いて地滑りを起こすのではなく、地滑りが起こると亀石や周りの地形がうごいてしまう」(上記サイト引用)
とあります。

んん??

奈良の人ならこれとよく似た話をよくご存知です。
うちも小さい時に、そこへ行く度に何度も聞かされました。
「明日香の亀石」です。

 

<明日香の亀石>

明日香の亀石には有名な伝承がありました。

あの石が西を向くと奈良盆地が沼地になるのです。
Kane01

画像はwiki「亀石」より

Wikipedia「亀石」でその伝承を詳しく。

奈良盆地一体が湖であった頃、対岸の当麻のヘビと川原のなまずの争いの結果前者が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。
これをあわれに思った村人たちは、「亀石」を造って供養したという。
亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。
そして、現在は南西を向いているが、当麻の方向の西を向いた時、奈良盆地は一円泥の海と化すと伝えられている。
実際に亀の背地滑り地区の調査で、古代には地滑りで大和川がせき止められ、亀の背かなり上流まで湖状になっていたことがある。

この亀石がある地は「川原」。

「川原のなまず」とは、この「亀石」のある地帯のこと。
では、「当麻のへび」は何を意味する?

 

(つづく)

 

2022年2月 6日 (日)

神の鉾 10 終章 ~皇祖神と神武天皇~

「二つの珠」を持つ神は、もう一柱おられます。
山幸彦です。

山幸彦の「潮満珠と潮干珠」。
そのお守りは、大阪の住吉大社にありました。

境内の「玉の井」には潮満珠が沈められていると言われています。

(「神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝(改訂版)」)


なぜ、そこにあるのか。
住吉の神(饒速日命)が、山幸彦だからです。
彼らは、同じ「二つの珠」を持つ同神でした。

< 山幸彦 >

山幸彦(火遠理命)の別名は、彦火火出見命。
冨士浅間神社の相殿にも祀られています。

彼が「二つの珠」を授かったのは、海の底にいた海神の娘、豊玉姫。(*1)
また、彼女と夫婦です。
(参考サイト  御祭神 | 東口本宮 冨士浅間神社)

https://higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp/saijin

こちらの御祭神は
木花咲耶姫命(*2)
相殿に大己貴命と彦火火出見命。


同じ社に祀られる神は同じ。
天照(饒速日命)神と豊受(御炊屋姫)神の夫婦神は、必ず一緒に祀られている。

ことから、

大己貴命=饒速日命=彦火火出見命=天照大神
木花咲耶姫命=御炊屋姫=豊受姫
*この「山幸彦海幸彦神話」、後に重要になります。

(*1について)
まったく同じ玉が登場する神楽があります。
「山幸彦海幸彦」の話とは、それぞれ神名が違います。

福岡の「磯羅舞」では、海神から「二つの玉」を授かるのは豊姫。

Kagura15

(那珂川*伏見神社の磯羅舞)

他に磯羅神、神功皇后、武内宿禰などが登場します。
磯羅舞は下記に記述。

(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~(改訂版)

(「伏見神社・祇園祭 ~磯良舞~」)

これは、山幸彦の話は「彼ら」であることを示しているのです。

 

< 諱(いみな) >

彦火火出見命と同じ諱を持つ者がいました。

神武天皇
最初の天皇です。

諱が同じ・・・同じ者なのでは?
そうするとすべて繋がります。

ならば、「神武天皇」も「潮満珠、潮引珠」を所有していたことになる。
神武天皇さえ、饒速日命、なのでは?



< 神話と高良玉垂宮神秘書 >

神話では、彦火火出見命は、神武天皇と祖父(山幸彦・火遠命)の名です。
山幸彦(潮満珠、潮引珠を持つ彦火火出見命、后が豊玉姫
 ↓

鵜萱草不合(ウガヤフキアエズ)命后が玉依姫(豊玉姫の姉)
 ↓
神武天皇彦火火出見命、后が媛蹈鞴五十鈴媛

この媛蹈鞴五十鈴媛(*3)
その父が大物主神、母が玉櫛媛。
これは、饒速日命と御炊屋姫。
神話では、饒速日命が神武天皇に娘を嫁がせたとあります。
(なので、大物主神=饒速日命は間違いない)

この三柱の后の「親」同じではないか?

整理してみました(色分けしてます)。

☆山幸彦(火遠理命・彦火火出見命)の后は、豊玉姫。
豊玉姫の
父 海神(大綿津見神)
母 不詳


ウガヤフキアエズの后は、玉依姫(豊玉姫の姉)。
玉依姫の
父 海神(大綿津見神)
母 不詳


神武天皇の后は、媛蹈鞴五十鈴媛。
媛蹈鞴五十鈴媛の
父 大物主神=饒速日命
母 玉櫛姫=御炊屋姫

☆大物主神は、饒速日命綿津見神(綿津見神も同じ)=住吉神。
また、玉櫛姫は、御炊屋姫玉依姫豊玉姫(豊比咩)


*玉依姫と豊玉姫の名

☆玉依姫の名は、神の魂の依り代、巫女のこと。
神功皇后も玉依姫。
神功皇后を祀る宝満山(竈門神社)には、玉依比姫も祀られています。
神功皇后=玉依姫。

☆豊比咩命は高良大社の拝殿内にも祀られている。
豊比咩命=神功皇后(夫婦神は一緒に祀られる)
豊比咩命の別名は、豊玉姫。

 

以前、周辺の社や伝承から、同じ神だと考察しています。

(「竈門神社 ~神功皇后と鬼退治②~」)アメブロの「銀の月 金の星」開きます)

神功皇后=玉依姫=豊比咩命=豊玉姫(上の記事に詳細)
(豊国の名は、豊比咩命、また豊受大神から)

この図、この記事に書きました。

(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~(改訂版)」)


では、三柱の后は同一人物である。
(トヨ姫の存在は他にいるかも知れない。一緒くたになってるか)

山幸彦と饒速日命は「二つの玉」を持っている=同神。
山幸彦と神武天皇は、同じ諱。

饒速日命は、住吉神=海神=大綿津見神
后は同一人物。

以上から、
山幸彦=彦火火出見命神武天皇=潮満珠潮引珠の珠を持つ=住吉神=海神=饒速日命


< 高良玉垂宮神秘書 >

では、神秘書にあった「住吉三神」は、同神ではないか?

ウガヤフキアエズ(住吉大明神)が住吉三神の父。
長男が表筒男であり、日神。
次男が中筒男であり、初代天皇の神武(イワレビコ)。
三男が底筒男であり、高良大菩薩であり、月神の垂迹。

(参考サイト 綾杉るなさんのブログ「ひもろぎ逍遥」)

☆底筒男神は高良神=月神=住吉神=饒速日命。
神功皇后と夫婦。
☆中筒男神が、神武天皇。
☆表筒男神は日神。
豊玉姫と夫婦。(神功皇后の妹)。



では、分かったことと合わせます。

☆住吉三神は、実際は一柱であり、饒速日命。
ということは、上記の日神、神武天皇、月神(高良神・饒速日命)は同じ者。
(饒速日命は、日月の神である)

☆それぞれの后とされる神功皇后、豊姫は、饒速日命の后である御炊屋姫。

☆神秘書では、ウガヤフキアエズの子(の一人が)が、中筒男神(神武天皇)。
神話では、ウガヤフキアエズの子が、神武天皇。


住吉神は一柱なので、住吉三神=神武天皇。
住吉三神=饒速日命だから、
住吉三神=神武天皇=饒速日命。


神武天皇さえ、饒速日命でした。
こうすると、話が矛盾してないんですね。

「神の鉾」の最初の頃、「神武天皇の時代であることを表している」のだと思っていました。
でも同神であるから、そこにあった。

「高良玉垂宮神秘書」は、解読書のようです。

 

*私には神武天皇も、長髄彦という存在も、心当たりが全くないのです。
後の創作だと思われます。

 

<*2と*3の木花咲耶姫 と媛蹈鞴五十鈴媛について>

☆木花咲耶姫 

木花咲耶姫は、三島神社にも祀られています。
また、別名に身島姫があります。

「三島神」は、奈良では布留神である饒速日命。
福岡では高良神である住吉神。
これらの神は同じです。
その后、御炊屋姫の別名に三島溝樴(みしまみぞくい)姫がある。(夫婦神は対の名になる)

 

また、木花咲耶姫の子に火照命、火明命。
これは天火明命である、饒速日命。
また、天火明命は話により、親が違ったりします。

 

☆媛蹈鞴五十鈴媛

大三輪神の子であり、事代主神と三島溝樴姫(玉櫛姫)の子ともされます。

溝咋神社 Wikiより)  


大三輪神は饒速日命であり、事代主神です。
(三島溝樴姫=玉櫛姫=御炊屋姫)

また、神武天皇が饒速日命ならば、その后、媛蹈鞴五十鈴媛は御炊屋姫。
三島溝咋は、別名、賀茂建角(かもたけつぬ)命。
後で分かりますが、賀茂、鴨、の神も、饒速日命なのです。


神の親等(しんとう)を、鵜呑みにしてはいけないのです。

そのほとんどが、「彼ら」を、別の神(名)に変えたものなのですから。
元は饒速日命と御炊屋姫である、天照神と豊受大神。

「彼ら」は、地方に散らばったそれぞれの一族の名や、土地、職業の神として名を替えられています。
神話は、その「それぞれの彼ら」を、余すことなく、色んな位置に配置してるのです。

 

神話の中に、皇祖神(饒速日命)から派生した神名を盛り込んだという感じなのでしょうか。
親、兄弟、祖先、みな、名を替えた彼らなのです。


三島の神は、大和では布留神、石上神宮の神(饒速日命)
筑紫(福岡)では、高良(住吉)神(饒速日命)
両神とも同じなのですから、同じ三島。

その后、御炊屋姫も三島溝樴姫。
三島の名を持ちます。


御炊屋姫の前世を持つ、私の名は三島。
前世が本当なら、神の力を感じさるを得ない。

「神話、伝承は、預言書でもある」
私の持論です。

            *

住吉の神は饒速日命。
以前、瞑想の中で彼と邂逅しました。

(「現人神社の神との邂逅」)

その時に着ていた服を調べて、新嘗祭と結びつきます。 

  新嘗祭は、冬至の頃、オリオン座の動きと共に行われる。  

.  三つ星オリオン座が神格化したのが、 住吉神。
  オリオン座は住吉神を意味する。

 

石上神宮でも同じ日、「魂振り神事」が行われます。
そこから、住吉神が饒速日命であり、天照大神であると分かりました。


「久しぶり」

と笑った彼。
なぜ、ここの神様が久しぶりと言うのかと思いましたが。

本当に行き付いてしまうとは。

 

かれが饒速日命ならば。

前の世で会っていたのかもしれません。

 

現人の神は、国の大事の時、人として姿を現す。
それも「予言」なのかもしれません。

彼らが現れる時は、国の大事の時なのです。

 

*

これで、今まで、疑問だったことの多くが解消されると思います。

西暦200年頃の「邪馬台国の卑弥呼」の時代。
それが彼らの生きていた時であり、御炊屋姫は「卑弥呼」です。

なぜ、福岡の神社の伝承で、神功皇后の時代が200年頃とされているか。

<< 卑弥呼が神功皇后だから >>

理由はこの一つしかありません。
こちらの古くから続く社は、彼らの真の姿を承知しています。
(少なくとも、そう比定された時は)
卑弥呼の時代が200年頃だから、神功皇后もその時代とされたのです。

 

人伝に聞きましたが、筥崎宮の宮司さんは、「真の道」をご存知でした。
それはこの地が「神話の地」であることもご存知だということ。
 

揺るぎないことは、今でも受け継がれているようです。

 

 

 

2022年2月 1日 (火)

神の鉾 9 ~時代*大国主神と玉の力~

< 時代 >

 饒速日命と神功皇后。

二人の時代はどう重なるのか。

                      

☆「高良大社」や「香椎宮」、筑紫にある多くの社の伝承では、神功皇后を「卑弥呼」の時代に比定しています。

200年頃、神功皇后が筑紫に来たと。

☆魏志倭人伝では、230年に卑弥呼に親魏倭王の印を送ったとあります。
卑弥呼の宗女とされているのは「イヨ、またはトヨ」。
彼女の妹が「豊玉姫」とされていることも重なります。
(豊玉姫は、彼女と伝承が一緒くた(または同一)にされている)

卑弥呼の時代。

この国の初めの時。

では、饒速日命の「時代」もその時ではないのか?

 

そうすると、

卑弥呼、神功皇后、饒速日命の時代が重なります。


☆私の前世名(魂の名?)は、卑弥果。
饒速日命の后、御炊屋姫であった時もその名。
魏志倭人伝の「卑弥呼」は、彼女のことなのでは。
(夫はいないなど、変えられて伝わっているのか)

 

< 古代奈良の湖 >

以前、饒速日命の時代について、考察しました。
「古代奈良」の前世では、奈良盆地には巨大な湖があったのです。
あの状態から、分かることは無いかと。

(「饒速日命を求めて ⑧ ~天ノ鳥船の時代 前編~」)

(「饒速日命を求めて ⓽ ~天ノ鳥船の時代 後編~」)

 

それを視た時、耳成山の近くまで水がありました。
下の地図の薄い青が、その時見た状態に似てます。

しかし、彼女は大雨か何かで増えた水かさを心配していたのです。

年々水かさが増えると。

また、「彼」が来た後、開墾した記憶があります。
饒速日たちが湖を湿地帯に変えた・・・水を引かせたと。

これに似た話を見つけたのです。

E080e77ea19c21ed40a5f43e9b34ad6e1-1

古代で遊ぼ」より。
http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/index.html

それが、上記地図の左側の真ん中にある「大和川河床開削」。

上記サイトにこうあります。

*********

ここを開削すれば、水が大阪側へ流れる。
弥生時代に九州から奈良に到達した農耕民である弥生人がこれに気づかぬはずがない。
(中略)

(今から2000年前頃にはあったという)唐古遺跡。
唐古・鍵遺跡の環濠は弥生中期後半に洪水で埋まり、その後復旧した様子がある。
全国規模の異常気象であれば、各地で農耕不振となって倭国争乱のきっかけとなった可能性もある。

「古代で遊ぼ」より要約
(このサイトは素晴らしいです!当時の状況を見事に再現!)

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以下、「饒速日命を求めて  ⑨」より

「倭国争乱」は邪馬台国の卑弥呼擁立の少し前の話。
この倭国争乱を鎮めたのが、九州から来た農耕民である彼らの「大和川開削」に当たるのだと思います。

ならば、私が見た「巨大な奈良湖」は饒速日が来る前の状態。

巨大な古代奈良湖
   ↓
饒速日たちが九州から移動して、「大和川開削」。
奈良湖の水を引かせる。
   ↓
*1の状態になった。(濃い青の範囲)
(  湖の周辺は湿地帯になっており、稲を育てていた)


  というのが時系列なのかもしれません。

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「彼ら」にはその技術がありました。

福岡の那珂川には古代出雲族が携わった形跡がある「一の堰」があります。
裂田溝(日本最古の水路)も水利施設です。

伝承では、神功皇后と武内宿禰(住吉神か)が土地の人が造ったとされてます。

Screenshot_202202011648342 (裂田溝・さくたのうなで) 彼らにはその技術があったのです。
「彼ら」が饒速日命だからこそ、那珂川と大和にその形跡があるのだと思われます。

 

「倭国争乱の後」、卑弥呼は擁立されます。

この湖の状態の時、「アマノトリフネが現れて饒速日命」と会ったのなら・・・。

饒速日命は「西暦200年前後の人」ということになります。

*倭国騒乱
          ↓

*大和川の開削(饒速日命たち)
          ↓

*倭国騒乱を鎮めたきっかけになった。
          ↓

*邪馬台国、卑弥呼擁立

であるなら、


*「倭国騒乱を鎮めた」のが饒速日命→後の天照大神
その后が御炊屋姫→後の豊受大神(女神の天照)


卑弥呼は、御炊屋姫ということになる。
時代が重なり、場所も同じ。
夫、饒速日命が倭国の騒乱を鎮めた。
ならば、彼女が「卑弥呼」で間違いないのでは?

卑弥呼」が天照大神の夫婦神、豊受大神。
市杵島姫命であり、瀬織津姫。
女神、天照。

「豊姫」も彼女のことなのかもしれません。


饒速日命が住吉神であり、御炊屋姫が神功皇后ならば、この時代ということになります。
少なくとも、筑紫の神社の伝承は、神功皇后を「200年頃」としている。

「彼女」が御炊屋姫であり、神功皇后だと確信できるのは、ずっと後のことでした。

 

 < 二つの玉の力  >

大和盆地にあった巨大な湖(奈良湖)。
大和川の「蓋が開き」、水がざあーっと一気に引いていく。

陸地が現れる。

その映像と共に浮かんだのは、これでした。

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出雲大社にある「大国主神」の像です。

 

あ!これが玉の力か!

これは「干珠満珠」「潮満玉 潮干玉」の”玉の力”、そのものでは?

その二つの玉は、彼の偉業を象徴していたのです。


水の満ち引きを操るという月神。

高良神であり、住吉神。
住吉の神は、海神。
そして、饒速日命。

彼らはみな、水を操る「二つの玉」を持つという伝承があります。
同神であるが故です。
(「神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝~」)


巨大湖の水を引くという大事業。
大地を広げ、争いの種を消したのです。

本当にあったとしたら、伝承に残りませんか?
人々が、後世に伝えていくはずです。

水を操った人たちがいた、と。

ならば、神として祀られるのでは?
大和の大いなる三輪山の神として。

大和を開拓したからこそ、三輪山に祀られたのです。

饒速日命は、十種神宝を所有しています。
住吉神、高良神、月神。
みな「干珠、満珠」という水を操る玉を持つ者。

彼らは同じ者であり、三輪山の神、大物主神。

三輪山の神が彼であるからこそ、奈良湖の水を引いたのは彼であるのです。

だからこそ、そんな神話ができたのです。
事実、大和にはその痕跡があります。


また、饒速日命は三輪山の大物主神であり、その荒魂は大国主神でした。
その大国主神にも「幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)」の珠があります。
海から現れたというその珠は、彼を導きます。


大和の巨大湖の水が引く映像と共に浮かんだ、出雲大社の多大国主神の像。
それは、二つの事柄の神が、同じであることを示していました。

「彼ら」が同じ神だからこそ、「伝承の元」は同じなのです。 伝承や神話に散らばる同じ「アイテム」
そうそう、こんな物があるわけないんですよ。
みんな同じ物です。 ということは、扱う人も同じ者。

(「大国主神の幸魂奇魂」)


大国主神の名は、「大いなる国を造った」ことを示しています。

国土を開拓し、国を平かにした。


神の鉾   1」にありました。

大国主神は、国平神ともされています。

            *

 

応神天皇が言った
「国平(大国主)の鉾は倭に遷す」


国平(大国主)神、高良玉垂の神は、饒速日命。

彼が鉾を遷す「倭」とは、筑紫のことかもしれません。

彼、饒速日命は、大和の後に、再び筑紫に戻ったのです。
御炊屋姫と共に。

その先の神話が、神功皇后と住吉神。
その後、那珂川の一の堰、裂田溝を共に造ったのです。


なぜ、大和の後に再び筑紫に行ったのか。

それはまた別のお話で。


        *

本来、ここで終わりにするはずでしたが、繋がったことがありました。

「二つの珠」

もう一柱の神が所有していました。
彼も同神です。


( つづく )

 

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