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2022年2月 1日 (火)

神の鉾 9 ~時代*大国主神と玉の力~

< 時代 >

 饒速日命と神功皇后。

二人の時代はどう重なるのか。

                      

☆「高良大社」や「香椎宮」、筑紫にある多くの社の伝承では、神功皇后を「卑弥呼」の時代に比定しています。

200年頃、神功皇后が筑紫に来たと。

☆魏志倭人伝では、230年に卑弥呼に親魏倭王の印を送ったとあります。
卑弥呼の宗女とされているのは「イヨ、またはトヨ」。
彼女の妹が「豊玉姫」とされていることも重なります。
(豊玉姫は、彼女と伝承が一緒くた(または同一)にされている)

卑弥呼の時代。

この国の初めの時。

では、饒速日命の「時代」もその時ではないのか?

 

そうすると、

卑弥呼、神功皇后、饒速日命の時代が重なります。


☆私の前世名(魂の名?)は、卑弥果。
饒速日命の后、御炊屋姫であった時もその名。
魏志倭人伝の「卑弥呼」は、彼女のことなのでは。
(夫はいないなど、変えられて伝わっているのか)

 

< 古代奈良の湖 >

以前、饒速日命の時代について、考察しました。
「古代奈良」の前世では、奈良盆地には巨大な湖があったのです。
あの状態から、分かることは無いかと。

(「饒速日命を求めて ⑧ ~天ノ鳥船の時代 前編~」)

(「饒速日命を求めて ⓽ ~天ノ鳥船の時代 後編~」)

 

それを視た時、耳成山の近くまで水がありました。
下の地図の薄い青が、その時見た状態に似てます。

しかし、彼女は大雨か何かで増えた水かさを心配していたのです。

年々水かさが増えると。

また、「彼」が来た後、開墾した記憶があります。
饒速日たちが湖を湿地帯に変えた・・・水を引かせたと。

これに似た話を見つけたのです。

E080e77ea19c21ed40a5f43e9b34ad6e1-1

古代で遊ぼ」より。
http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/index.html

それが、上記地図の左側の真ん中にある「大和川河床開削」。

上記サイトにこうあります。

*********

ここを開削すれば、水が大阪側へ流れる。
弥生時代に九州から奈良に到達した農耕民である弥生人がこれに気づかぬはずがない。
(中略)

(今から2000年前頃にはあったという)唐古遺跡。
唐古・鍵遺跡の環濠は弥生中期後半に洪水で埋まり、その後復旧した様子がある。
全国規模の異常気象であれば、各地で農耕不振となって倭国争乱のきっかけとなった可能性もある。

「古代で遊ぼ」より要約
(このサイトは素晴らしいです!当時の状況を見事に再現!)

 *******

以下、「饒速日命を求めて  ⑨」より

「倭国争乱」は邪馬台国の卑弥呼擁立の少し前の話。
この倭国争乱を鎮めたのが、九州から来た農耕民である彼らの「大和川開削」に当たるのだと思います。

ならば、私が見た「巨大な奈良湖」は饒速日が来る前の状態。

巨大な古代奈良湖
   ↓
饒速日たちが九州から移動して、「大和川開削」。
奈良湖の水を引かせる。
   ↓
*1の状態になった。(濃い青の範囲)
(  湖の周辺は湿地帯になっており、稲を育てていた)


  というのが時系列なのかもしれません。

 ******

「彼ら」にはその技術がありました。

福岡の那珂川には古代出雲族が携わった形跡がある「一の堰」があります。
裂田溝(日本最古の水路)も水利施設です。

伝承では、神功皇后と武内宿禰(住吉神か)が土地の人が造ったとされてます。

Screenshot_202202011648342 (裂田溝・さくたのうなで) 彼らにはその技術があったのです。
「彼ら」が饒速日命だからこそ、那珂川と大和にその形跡があるのだと思われます。

 

「倭国争乱の後」、卑弥呼は擁立されます。

この湖の状態の時、「アマノトリフネが現れて饒速日命」と会ったのなら・・・。

饒速日命は「西暦200年前後の人」ということになります。

*倭国騒乱
          ↓

*大和川の開削(饒速日命たち)
          ↓

*倭国騒乱を鎮めたきっかけになった。
          ↓

*邪馬台国、卑弥呼擁立

であるなら、


*「倭国騒乱を鎮めた」のが饒速日命→後の天照大神
その后が御炊屋姫→後の豊受大神(女神の天照)


卑弥呼は、御炊屋姫ということになる。
時代が重なり、場所も同じ。
夫、饒速日命が倭国の騒乱を鎮めた。
ならば、彼女が「卑弥呼」で間違いないのでは?

卑弥呼」が天照大神の夫婦神、豊受大神。
市杵島姫命であり、瀬織津姫。
女神、天照。

「豊姫」も彼女のことなのかもしれません。


饒速日命が住吉神であり、御炊屋姫が神功皇后ならば、この時代ということになります。
少なくとも、筑紫の神社の伝承は、神功皇后を「200年頃」としている。

「彼女」が御炊屋姫であり、神功皇后だと確信できるのは、ずっと後のことでした。

 

 < 二つの玉の力  >

大和盆地にあった巨大な湖(奈良湖)。
大和川の「蓋が開き」、水がざあーっと一気に引いていく。

陸地が現れる。

その映像と共に浮かんだのは、これでした。

Dsc_1762_20210117134101-1


出雲大社にある「大国主神」の像です。

 

あ!これが玉の力か!

これは「干珠満珠」「潮満玉 潮干玉」の”玉の力”、そのものでは?

その二つの玉は、彼の偉業を象徴していたのです。


水の満ち引きを操るという月神。

高良神であり、住吉神。
住吉の神は、海神。
そして、饒速日命。

彼らはみな、水を操る「二つの玉」を持つという伝承があります。
同神であるが故です。
(「神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝~」)


巨大湖の水を引くという大事業。
大地を広げ、争いの種を消したのです。

本当にあったとしたら、伝承に残りませんか?
人々が、後世に伝えていくはずです。

水を操った人たちがいた、と。

ならば、神として祀られるのでは?
大和の大いなる三輪山の神として。

大和を開拓したからこそ、三輪山に祀られたのです。

饒速日命は、十種神宝を所有しています。
住吉神、高良神、月神。
みな「干珠、満珠」という水を操る玉を持つ者。

彼らは同じ者であり、三輪山の神、大物主神。

三輪山の神が彼であるからこそ、奈良湖の水を引いたのは彼であるのです。

だからこそ、そんな神話ができたのです。
事実、大和にはその痕跡があります。


また、饒速日命は三輪山の大物主神であり、その荒魂は大国主神でした。
その大国主神にも「幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)」の珠があります。
海から現れたというその珠は、彼を導きます。


大和の巨大湖の水が引く映像と共に浮かんだ、出雲大社の多大国主神の像。
それは、二つの事柄の神が、同じであることを示していました。

「彼ら」が同じ神だからこそ、「伝承の元」は同じなのです。 伝承や神話に散らばる同じ「アイテム」
そうそう、こんな物があるわけないんですよ。
みんな同じ物です。 ということは、扱う人も同じ者。

(「大国主神の幸魂奇魂」)


大国主神の名は、「大いなる国を造った」ことを示しています。

国土を開拓し、国を平かにした。


神の鉾   1」にありました。

大国主神は、国平神ともされています。

            *

 

応神天皇が言った
「国平(大国主)の鉾は倭に遷す」


国平(大国主)神、高良玉垂の神は、饒速日命。

彼が鉾を遷す「倭」とは、筑紫のことかもしれません。

彼、饒速日命は、大和の後に、再び筑紫に戻ったのです。
御炊屋姫と共に。

その先の神話が、神功皇后と住吉神。
その後、那珂川の一の堰、裂田溝を共に造ったのです。


なぜ、大和の後に再び筑紫に行ったのか。

それはまた別のお話で。


        *

本来、ここで終わりにするはずでしたが、繋がったことがありました。

「二つの珠」

もう一柱の神が所有していました。
彼も同神です。


( つづく )

 

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