明日香の亀石と三輪の神 ① ~亀石の伝承~
神功皇后と饒速日命。
彼らの偉業が「潮干球、潮満珠」という玉の力として、伝わっている。
それは、大和の奈良湖の水を引いた「大和川川床開削」と、福岡那珂川の「裂田溝(さくたのうなで)」。
(「饒速日命を求めて ⓽ ~天鳥船の時代 後編~」)
(「神の鉾 9 ~時代*大国主神と玉の力~])
上の記事の続きになります。
今だからこそ、繋がったことがありました。
自分の記憶などと照らし合わせて記します。
下の画像が私が最初に見た「古代の奈良の前世」の時代の奈良湖。
薄い青の周辺がその範囲。
卑弥呼として伝わっているのが彼女ならば、AD200年前後です。
画像は「古代で遊ぼ」のサイトから。
http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/index.html
時系列として、
倭国騒乱
饒速日命が大和へ移動。
御炊屋姫(卑弥呼)と夫婦になる。
上の状態から、「大和川川床開削」して、
濃い青の地点まで水を引かせる。(下と順番は不明)
乱が収まる。
邪馬台国の卑弥呼、擁立(魏志倭人伝)。
奈良盆地を開拓。 周辺は湿地帯になり、稲作ができるようになる。(湿田から乾田へ)
「葦原の中津国」とは、この後のこと。
葦は、湿地帯に生える草の総称。
< 大和川川床開削 >
その地点が、下の画像の大阪柏原市の「亀の瀬」です。
画像は「古代で遊ぼ」
中央辺りに、「亀瀬岩」があります。
その当時の様子を見事に再現!
「亀の瀬」
この辺りは、古来から地滑りが起こりやすい土地でした。
<山体崩壊>
以下のサイトからの引用です。
「竜王社」(りゅうおうしゃ)大阪府柏原市-じゃらん旅行記
http://www.jalan.net/travel-journal/000068315/
数百万年前に「亀の瀬」北には火山があり、最低2回は噴火したと言われています。
1回目の溶岩や積した地層の上に2回目の噴火に伴う溶岩がのっています。
その溶岩の境目が非常に脆く、水分を含むと上の溶岩が滑り台のように滑ってしまいます。
亀の瀬には昔から亀岩と呼ばれる巨石があり、この亀石が動くと、地すべりが起こって大和川がふさがれ、大和に洪水が起こるという伝承があります。
そこは何度も地滑りを起こす地帯であり、その度に、大和に洪水が起きていたのです。
「亀石が動くと、大和に洪水が起きる」という伝承、実際は反対なんですね。
柏原市のサイトの「亀の瀬こぼればなし(2)」に、
「亀岩が動いて地滑りを起こすのではなく、地滑りが起こると亀石や周りの地形がうごいてしまう」(上記サイト引用)
とあります。
んん??
奈良の人ならこれとよく似た話をよくご存知です。うちも小さい時に、そこへ行く度に何度も聞かされました。
「明日香の亀石」です。
<明日香の亀石>
明日香の亀石には有名な伝承がありました。
あの石が西を向くと奈良盆地が沼地になるのです。
画像はwiki「亀石」より
Wikipedia「亀石」でその伝承を詳しく。
奈良盆地一体が湖であった頃、対岸の当麻のヘビと川原のなまずの争いの結果前者が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。
これをあわれに思った村人たちは、「亀石」を造って供養したという。
亀石は最初は北を向いていたが、次に東を向いたという。
そして、現在は南西を向いているが、当麻の方向の西を向いた時、奈良盆地は一円泥の海と化すと伝えられている。
実際に亀の背地滑り地区の調査で、古代には地滑りで大和川がせき止められ、亀の背かなり上流まで湖状になっていたことがある。
この亀石がある地は「川原」。
「川原のなまず」とは、この「亀石」のある地帯のこと。では、「当麻のへび」は何を意味する?
(つづく)
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