古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のヘビは竜~
前回の続き。
明日香の川原の「亀石」。
「大和川川床開削」の場所にあった「亀瀬岩」から繋がりました。
もしかすると同じ伝承では?
wikiにもちらっとありましたね。
では、どう繋がるのか。
明日香の亀石の伝承には、「当麻のへび」と「川原のなまず」が登場します。
<当麻のへび>
奈良で「へび」と言えば大神神社の御祭神。
蛇神と言われています。
彼は大物主神であり、饒速日命。
また、蛇は「ナーガ」に繋がります。
(「ナガスネヒコ ~宿禰の初め~」の記事)
ナガスネヒコは、彼自身の事。
「ナーガ」は、長いの語源です。
でも「当麻」のへび?
当麻と言うと、二上山の東の麓(奈良盆地の西側)
三輪の反対です。(三輪は奈良盆地の東側)
でも、ここにありました。
同じ伝承が。
「長尾神社」です。
奈良県歴史資源データベース「いかすなら」のサイトを参照しました。
「ヘビとなまずの争い」
もう書かなくていいくらい、明日香の亀石とまったく同じ伝承です。
なので、明日香の亀石にあった「当麻のヘビ」は、「当麻の長尾神社のヘビ」です。
また「ヘビと竜」の伝承があります。
要約しますが、詳細は下記サイトでお願いします。
(「奈良県歴史資源データベース「いかすなら」より要約)
「蛇の尾っぽ」
三輪明神が蛇の頭で、当社がその蛇の尾っぽ。
その長い蛇の先がここまで来ていたので、「長尾神社」になった。
「竜の尾っぽ」
また別の伝承。
大和に竜が住んでた。
竜王宮(大和高田)が竜の頭で、長尾神社がその尾という伝説。。
また、竜王宮が大蛇の胴体で、大神神社ー竜王宮ー長尾神社が大蛇の化身であるという伝説。
これらから分かる事。
☆「当麻のへび」は、この長尾神社の御祭神。
☆三輪明神(大神神社の大物主神)は「蛇神であり竜神」。
☆大神神社ー竜王宮ー長尾神社の御祭神は同じ。
同じ竜(蛇)の体なのですから、三社の神は同じです。
<三社の神>
「長尾神社」の御祭神は、天照大神、豊受大神。
水光姫命、白雲別命(二柱も同神?)
摂社に厳島神社(市杵島姫命)配祀・天児屋根命)
「長尾神社」wikiより
「竜王宮」は(石園座多久虫玉神社・いそのにますたくむしたま)。
御祭神は、建玉依比古命、建玉依比賣命。
豊玉比古命、豊比賣命。
建玉依比古命とは、鴨玉比古命のこと。
(賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社土師尾社、日吉大社の摂社・樹下若宮に祀られる)
「石園座多久虫玉神社」wikiより
「大神神社」の御祭神は、大物主神(饒速日命)。
摂社に、御炊社の御膳津神(豊受大神)、市杵島姫命神社の市杵島姫命など(御炊屋姫)。
上記の神社は、一匹の長い竜(蛇)の同体。
つまり、同じ神。
(摂社の神も同じ二柱の神)
この伝承は、三社の御祭神が同じであることを示唆しているのです。
(石(いそ)は、石上の石)
上の記事に書いた通りです。
また、豊玉比古命、豊比賣命。
この神は、下記の回にありました。
「山幸彦海幸彦」の伝承に登場する神。
また、そこから、彼らは「饒速日命と御炊屋姫」だとたどり着いています。
☆まとめます。
「当麻のへび」と「川原のなまず」の伝承。
*二つの場所の伝承は同じことを示唆。
↓
「当麻の長尾神社」と「明日香の川原の亀石」の伝承は同じ。
↓
長尾神社の伝承から「三社の神は同神」
*「長尾神社の御祭神」と「竜王宮」と「三輪の御祭神は同じ」
↓
「当麻のへび」は、三輪の大物主神。
<当麻のへびが勝った>
では、亀石の伝承の先が見えてきます。
「当麻のヘビ」が勝ち、水を吸い取られた結果、干上がってしまい、湖のカメはみんな死んでしまった。
これは「当麻のへび」が、奈良湖の水を干上がらせたということ。
当麻のへびは、三輪山の大物主神なので、
「三輪の神(大物主神)が、奈良湖の水を干上がらせた」ことを示しています。
奈良湖は、「亀の瀬」の「大和川床開削」により、水位が減ります。
つまり「亀の瀬」の大和川川床開削をしたのは、三輪の神、大物主神である饒速日命。
ここに繋がりました。
やはり、奈良湖の水を引くという治水工事から、「潮の満ち引きを操る」という「潮干珠、潮満珠」の伝承が作られたのです。
また、「龍王宮」の、豊玉比古命、豊比賣命は、「潮干珠、潮満珠」を授けた神であり、彼ら自身。
かの神が持つ「二つの玉」は、同じ玉を持つ、饒速日命と高良神、住吉神、山幸彦、大国主神も同神であることを示唆しています。
「明日香の亀石」から、柏原市の「亀の瀬」の「亀瀬岩」へと繋がりました。
明日香の亀石が、饒速日命に繋がるとは~!
では、やはり、饒速日命が奈良湖の水を引いたのですね。
そこから饒速日命の「十種神宝」の二つの玉の伝承になり、彼から派生した神が「同じ玉」を持つ伝承になった。
おそらく、彼らは「水を引く」こと以外にも、様々なことをしている。
だから「十種神宝」なのでしょう。(様々な力がある)
では、明日香の「亀石」は、柏原市の「亀瀬岩」のオマージュ。
三輪の神が奈良湖の水を引いた。
そこへ「繋げる」ためのもの。
だから、あんなに大きく、誰がみても「亀」であるように造られていたのか。
おそらくですが、明日香の亀石は「三つの社」が創建されて以降に造られたのでしょう。
<三輪の神はヘビであり、竜>
これらの伝承から、気になっていたことが解けそうです。
何故、三輪の神がヘビ神とされたか。
三輪山の神は、大物主であり、饒速日命です。(*1)
彼がヘビ神?
「大和に竜が住んでいた」と長尾神社の伝承。
明らかに大国主神、饒速日命のことです。
彼は、当時の名は「竜」ではなかったのでしょうか。
これは推測ですが。
想像上の生き物「竜」を説明する時、「蛇に似ていて、大きくて巨大なもの」と言いませんか?
また「蛇の王だ」とか。
長尾神社の伝承では「ヘビ」とし、別の話として「竜」とあります。
その内容は同じもの。
神話や伝承の「別の伝承として」は、得てして「同じ話、人」のことが多いのです。
ならば、「竜という名から、へび神とされた」とは言えないでしょうか。
ナガスネヒコも彼ならば、後の世で考えられたものでしょう。
長尾神社などの「竜」は、後に竜の知識が入ってきてから、付け足されたのだと思われます。
*1)大物主神は、饒速日命であることは間違いありません。
神話では、神武天皇は「饒速日命と御炊屋」姫の子と夫婦であり、
別の伝承では「大物主神と櫛玉姫」の子と夫婦です。
(「神の鉾10~皇祖神と神武天皇~」)
神話は、全てが事実ではないですが、核心に触れるところには事実を告げています。
神話や伝承の「別の伝承として」
神功皇后もそう書かれてありましたね。
別の伝承では「卑弥呼」とされている、と。
彼らの当時の名は、
饒速日命は「竜」。
神功皇后は「卑弥呼(またはそれに近い名)」。
まとめ
☆神功皇后が魏志倭人伝の卑弥呼ならば、AD200年頃。
☆彼女は倭国騒乱の後に擁立された者。
☆奈良湖の水はこの頃、「引かれ」た(唐古遺跡の状況から)
☆「湖の水を引いたのは」三輪山の神、饒速日命。
饒速日命はAD200年前後の者であり、卑弥呼と時代が重なるのです。
彼女が神功皇后なら、彼女も。
また、彼らは「八幡の神」で繋がっています。
饒速日命は住吉神であり、八幡の神。
神功皇后は、八幡神(応神天皇)の母とされている。
(応神天皇は、父子、一緒くたになってるかも)
その卑弥呼は、饒速日命の后、御炊屋姫。
饒速日命と神功皇后は、同じ時代なんですよ。
後に変えられた。
その証が、「ここ」にもありました。
「大和川開削」
もう一つ繋がります。
(つづく)
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