神の鉾 10 終章 ~皇祖神と神武天皇~
「二つの珠」を持つ神は、もう一柱おられます。
山幸彦です。
山幸彦の「潮満珠と潮干珠」。
そのお守りは、大阪の住吉大社にありました。
境内の「玉の井」には潮満珠が沈められていると言われています。
なぜ、そこにあるのか。
住吉の神(饒速日命)が、山幸彦だからです。
彼らは、同じ「二つの珠」を持つ同神でした。
< 山幸彦 >
山幸彦(火遠理命)の別名は、彦火火出見命。
冨士浅間神社の相殿にも祀られています。
彼が「二つの珠」を授かったのは、海の底にいた海神の娘、豊玉姫。(*1)
また、彼女と夫婦です。
(参考サイト 御祭神 | 東口本宮 冨士浅間神社)
https://higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp/saijin
こちらの御祭神は
木花咲耶姫命(*2)
相殿に大己貴命と彦火火出見命。
同じ社に祀られる神は同じ。
天照(饒速日命)神と豊受(御炊屋姫)神の夫婦神は、必ず一緒に祀られている。
ことから、
大己貴命=饒速日命=彦火火出見命=天照大神
木花咲耶姫命=御炊屋姫=豊受姫
*この「山幸彦海幸彦神話」、後に重要になります。
(*1について)
まったく同じ玉が登場する神楽があります。
「山幸彦海幸彦」の話とは、それぞれ神名が違います。
福岡の「磯羅舞」では、海神から「二つの玉」を授かるのは豊姫。
他に磯羅神、神功皇后、武内宿禰などが登場します。
磯羅舞は下記に記述。
これは、山幸彦の話は「彼ら」であることを示しているのです。
< 諱(いみな) >
彦火火出見命と同じ諱を持つ者がいました。
神武天皇
最初の天皇です。
諱が同じ・・・同じ者なのでは?
そうするとすべて繋がります。
ならば、「神武天皇」も「潮満珠、潮引珠」を所有していたことになる。
神武天皇さえ、饒速日命、なのでは?
< 神話と高良玉垂宮神秘書 >
神話では、彦火火出見命は、神武天皇と祖父(山幸彦・火遠命)の名です。
山幸彦(潮満珠、潮引珠を持つ)=彦火火出見命、后が豊玉姫。
↓
鵜萱草不合(ウガヤフキアエズ)命、后が玉依姫(豊玉姫の姉)。
↓
神武天皇=彦火火出見命、后が媛蹈鞴五十鈴媛。
この媛蹈鞴五十鈴媛(*3)
その父が大物主神、母が玉櫛媛。
これは、饒速日命と御炊屋姫。
神話では、饒速日命が神武天皇に娘を嫁がせたとあります。
(なので、大物主神=饒速日命は間違いない)
この三柱の后の「親」同じではないか?
整理してみました(色分けしてます)。
☆山幸彦(火遠理命・彦火火出見命)の后は、豊玉姫。
豊玉姫の
父 海神(大綿津見神)
母 不詳
ウガヤフキアエズの后は、玉依姫(豊玉姫の姉)。
玉依姫の
父 海神(大綿津見神)
母 不詳
神武天皇の后は、媛蹈鞴五十鈴媛。
媛蹈鞴五十鈴媛の
父 大物主神=饒速日命
母 玉櫛姫=御炊屋姫
☆大物主神は、饒速日命=大綿津見神(綿津見神も同じ)=住吉神。
また、玉櫛姫は、御炊屋姫=玉依姫=豊玉姫(豊比咩)。
*玉依姫と豊玉姫の名
☆玉依姫の名は、神の魂の依り代、巫女のこと。
神功皇后も玉依姫。
神功皇后を祀る宝満山(竈門神社)には、玉依比姫も祀られています。
神功皇后=玉依姫。
☆豊比咩命は高良大社の拝殿内にも祀られている。
豊比咩命=神功皇后(夫婦神は一緒に祀られる)
豊比咩命の別名は、豊玉姫。
以前、周辺の社や伝承から、同じ神だと考察しています。
(「竈門神社 ~神功皇后と鬼退治②~」)アメブロの「銀の月 金の星」開きます)
神功皇后=玉依姫=豊比咩命=豊玉姫(上の記事に詳細)
(豊国の名は、豊比咩命、また豊受大神から)
この図、この記事に書きました。
では、三柱の后は同一人物である。
(トヨ姫の存在は他にいるかも知れない。一緒くたになってるか)
山幸彦と饒速日命は「二つの玉」を持っている=同神。
山幸彦と神武天皇は、同じ諱。
饒速日命は、住吉神=海神=大綿津見神
后は同一人物。
以上から、
山幸彦=彦火火出見命=神武天皇=潮満珠潮引珠の珠を持つ=住吉神=海神=饒速日命
< 高良玉垂宮神秘書 >
では、神秘書にあった「住吉三神」は、同神ではないか?
ウガヤフキアエズ(住吉大明神)が住吉三神の父。
長男が表筒男であり、日神。
次男が中筒男であり、初代天皇の神武(イワレビコ)。
三男が底筒男であり、高良大菩薩であり、月神の垂迹。
(参考サイト 綾杉るなさんのブログ「ひもろぎ逍遥」)
☆底筒男神は高良神=月神=住吉神=饒速日命。
神功皇后と夫婦。
☆中筒男神が、神武天皇。
☆表筒男神は日神。
豊玉姫と夫婦。(神功皇后の妹)。
では、分かったことと合わせます。
☆住吉三神は、実際は一柱であり、饒速日命。
ということは、上記の日神、神武天皇、月神(高良神・饒速日命)は同じ者。
(饒速日命は、日月の神である)
☆それぞれの后とされる神功皇后、豊姫は、饒速日命の后である御炊屋姫。
☆神秘書では、ウガヤフキアエズの子(の一人が)が、中筒男神(神武天皇)。
神話では、ウガヤフキアエズの子が、神武天皇。
住吉神は一柱なので、住吉三神=神武天皇。
住吉三神=饒速日命だから、
住吉三神=神武天皇=饒速日命。
神武天皇さえ、饒速日命でした。
こうすると、話が矛盾してないんですね。
「神の鉾」の最初の頃、「神武天皇の時代であることを表している」のだと思っていました。
でも同神であるから、そこにあった。
「高良玉垂宮神秘書」は、解読書のようです。
*私には神武天皇も、長髄彦という存在も、心当たりが全くないのです。
後の創作だと思われます。
<*2と*3の木花咲耶姫 と媛蹈鞴五十鈴媛について>
☆木花咲耶姫
木花咲耶姫は、三島神社にも祀られています。
また、別名に身島姫があります。
「三島神」は、奈良では布留神である饒速日命。
福岡では高良神である住吉神。
これらの神は同じです。
その后、御炊屋姫の別名に三島溝樴(みしまみぞくい)姫がある。(夫婦神は対の名になる)
また、木花咲耶姫の子に火照命、火明命。
これは天火明命である、饒速日命。
また、天火明命は話により、親が違ったりします。
☆媛蹈鞴五十鈴媛
大三輪神の子であり、事代主神と三島溝樴姫(玉櫛姫)の子ともされます。
大三輪神は饒速日命であり、事代主神です。
(三島溝樴姫=玉櫛姫=御炊屋姫)
また、神武天皇が饒速日命ならば、その后、媛蹈鞴五十鈴媛は御炊屋姫。
三島溝咋は、別名、賀茂建角(かもたけつぬ)命。
後で分かりますが、賀茂、鴨、の神も、饒速日命なのです。
神の親等(しんとう)を、鵜呑みにしてはいけないのです。
そのほとんどが、「彼ら」を、別の神(名)に変えたものなのですから。
元は饒速日命と御炊屋姫である、天照神と豊受大神。
「彼ら」は、地方に散らばったそれぞれの一族の名や、土地、職業の神として名を替えられています。
神話は、その「それぞれの彼ら」を、余すことなく、色んな位置に配置してるのです。
神話の中に、皇祖神(饒速日命)から派生した神名を盛り込んだという感じなのでしょうか。
親、兄弟、祖先、みな、名を替えた彼らなのです。
三島の神は、大和では布留神、石上神宮の神(饒速日命)
筑紫(福岡)では、高良(住吉)神(饒速日命)
両神とも同じなのですから、同じ三島。
その后、御炊屋姫も三島溝樴姫。
三島の名を持ちます。
御炊屋姫の前世を持つ、私の名は三島。
前世が本当なら、神の力を感じさるを得ない。
「神話、伝承は、預言書でもある」
私の持論です。
*
住吉の神は饒速日命。
以前、瞑想の中で彼と邂逅しました。
(「現人神社の神との邂逅」)
その時に着ていた服を調べて、新嘗祭と結びつきます。
新嘗祭は、冬至の頃、オリオン座の動きと共に行われる。
. 三つ星オリオン座が神格化したのが、 住吉神。
オリオン座は住吉神を意味する。
石上神宮でも同じ日、「魂振り神事」が行われます。
そこから、住吉神が饒速日命であり、天照大神であると分かりました。
「久しぶり」
と笑った彼。
なぜ、ここの神様が久しぶりと言うのかと思いましたが。
本当に行き付いてしまうとは。
かれが饒速日命ならば。
前の世で会っていたのかもしれません。
現人の神は、国の大事の時、人として姿を現す。
それも「予言」なのかもしれません。
彼らが現れる時は、国の大事の時なのです。
*
これで、今まで、疑問だったことの多くが解消されると思います。
西暦200年頃の「邪馬台国の卑弥呼」の時代。
それが彼らの生きていた時であり、御炊屋姫は「卑弥呼」です。
なぜ、福岡の神社の伝承で、神功皇后の時代が200年頃とされているか。
<< 卑弥呼が神功皇后だから >>
理由はこの一つしかありません。
こちらの古くから続く社は、彼らの真の姿を承知しています。
(少なくとも、そう比定された時は)
卑弥呼の時代が200年頃だから、神功皇后もその時代とされたのです。
人伝に聞きましたが、筥崎宮の宮司さんは、「真の道」をご存知でした。
それはこの地が「神話の地」であることもご存知だということ。
揺るぎないことは、今でも受け継がれているようです。
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