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2022年3月30日 (水)

筑紫島の四つの面 3 ~建日別・熊襲の正体~

< 建日別 >

筑紫島は身一つにして、面が四つあり。

その一つが、建日別です。
そこは熊襲の国でした。


面が四つある筑紫島の時代。

高良神と神功皇后の時代です。
なぜなら、白日神、豊日神は二人を表しているからです。

(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~」)

Kaimen02

海面上昇シュミレーションシステム 
自分が推測するAD200年頃の筑紫平野の状態)

彼らは熊襲と対峙していました。

まさに、古事記に記されていた「熊襲」です。
この地域に本拠地がありました。

< 熊襲とは >

それは、神功皇后の伝承の中にあります。

彼らが退治したと言う羽白熊鷲(はじろくまわし)。
それが、熊襲の”一つ(一種類)”なのです。
大根地神社の伝承にも、羽白熊襲(はじろくまそ)と記されてます。

(「二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)~」)

「高良玉垂宮神秘書」の中で、それと対峙していたのは、神功皇后と高良神。
また、その羽白熊鷲は、「イルヰ」だとありました。
空を飛び、人を襲い攫(さら)う。

それは、まつろわぬ豪族ではありません。
人ではないもの。
異類です。

神功皇后は、この辺りで度々、神に祈ってます。

時には神を召喚し(大根地山)、
時には神から弓を授かり、退治に至る。

「神はヒトゴトに関与しない」

それは、人では無かったのです。

 

< 鬼夜 >


高良の神を祀る神社に、それを示す祭りがありました。
大善寺玉垂宮では、鬼夜という、日本三大火祭りがあります。

御祭神は、高良玉垂大菩薩(藤大臣)、八幡大神、住吉大神。(彼らは同一神です)

毎年、正月七日に行われる、
「祭神が妖怪退治をした有様を示すもの」
大善寺玉垂宮HPより)

相手は桜桃沈輪(ゆすらちんりん)。
それも熊襲の一つであり、イルヰです。
*火を使う祭りであるから、人ではないと思っていたのですが、神社にはそのまま伝わっているようです。

*神社などの伝承ではこの二柱は、必ずどちらかしか描かれていません。
藤大臣は高良神の「神秘書」での表記です。
そこには彼女もいたはずです。


<建日別の地>

 

そこには神功皇后の羽白熊鷲退治の伝承が集中的にありました。
(高良神は安曇磯良や、住吉神、武内宿禰、藤大臣などと名前を変え、伝承の中で、共に戦っています。)

下の紫の丸で囲った地域です。

Kaimen07

図2(地図はGooglemap)

1 建日向豊久士比泥別
2 豊日別
3 建日別
4 白日別
また、それが熊襲であるからこそ、この地が建日別になるのです。

 

< 冷水峠 >

まず、豊日別と建日別の境。
冷水峠。
「二つの伝承」にあった、したくらつくしの坂です。
図2の冷水峠とある、黒丸の地点です。  
(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

神功皇后は、その側の大根地山に天神地神を招き、助力を得たとされます
羽白熊鷲という熊襲を退治する為でした。


< 古処山 >


羽白熊鷲。

その本拠地拠が、朝倉の秋月の古処山(下の図の10)にあったとされます。
また、馬見山(下の図の11)の北側にも神功皇后が進軍し、羽白熊鷲を退治したという伝承がある。


図1の古処山を中心に地図に表しました。
5が冷水峠。

Kaimen08

図3(地図はGooglemap)

1 天照神社(饒速日命が天照国照彦天火明櫛玉饒速日の名で祀られる)
2 笠置山(饒速日命が降臨した山)
3 大分(だいぶ)八幡宮(神功皇后が三韓征伐の後、軍を解体し、大分かれをした地)

4 大根地山(神功皇后が山頂で、天神地神を降臨させた)←羽白熊鷲を退治する助けになる。
5 冷水峠(羽白熊襲(命尽くし神)がでたシタクラツクシ坂)
6 砥上岳(三韓征伐の後、ここで剣を砥ぎ、山頂に登り、武御雷神を祀った)
7 松峡八幡宮(羽白熊鷲の征伐の時に立ち寄った)
8 大己貴神社(三韓征伐の時に兵が集まらないので、ここで大己貴神に願った)
9 目配山(神功皇后が山頂に登り、秋月の様子を見た(目を配った))
10    古処山(羽白熊鷲の拠点とされる)
11 馬見山
12 宇麻見神社(物部の神社)

13 射手引神社(秋月に出た物と同じものがここに出て、神功皇后が退治したという。)

熊襲=羽白熊鷲であり、ここに本拠地があったから、ここが建日別なのです。
さらに、それを退治したという神功皇后が、「建日別」に関わる証にもなります。

これを見たら、ここしかないと誰もが思うはずです。

 熊襲国が建日別。

古事記の表記は、それだけが後の世に伝わったのでしょう。

 

*************************************

*ここでは、余談になりますが。

私自身、三韓征伐は、無かったと思ってます。
その伝承は、羽白熊鷲と一緒くたになってると思われます。(三韓征伐は後の創作か)

上の三韓征伐に関わるものも、熊襲の伝承です。

6の砥上岳の麓の池で、神功皇后の軍は三韓征伐の前に剣を砥いだとされます。
その後、頂上へ登り、武御雷神を祀っています。

香椎宮(伝承では)から南下し、わざわざこの地に来て、三韓征伐の為に剣を砥ぐのは不自然です。
その距離28キロ、時速4キロで7時間。
剣を砥いだのは、秋月(古処山)にいた羽白熊鷲退治の為であるのです。

また、8の大己貴命神社では、新羅討伐(三韓征伐)の折に、兵が集まらなかった為、神に祈ったとされてます。
しかし目の前に、熊襲の本拠地があります。

それは、三韓征伐の為では無く、熊襲征伐の為であることは明白です。

 


( つづく )

 

2022年3月16日 (水)

筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~

 ☆< 白日別の地 >

そこには「白日別神」である、高良神がおられる高良大社があります。

Kaimen01_20220316204301

図1(海面上昇シュミレーションシステム

(自分が推定した)AD200年頃の筑紫平野)

Koura_20220316204501

 

高良大社から見える景色です。
正面は脊振山系がある、建日向豊久士比泥別。(理由は後に)

Koura02


こちらがもう少し奥(東)に行った、高良山の山頂から見た景色。
霞んでますが、豊日別と建日別(説明は後に)が見えます。
当時は、この間にも海がありました。

 

「古代史の謎」関 裕二氏の言われる、「軍事的にも一番重要な拠点」。

それは、この立地故です。


< 白日別の神 >

「白日別」は、筑紫神社の案内板にありました。

(「二つの伝承 4 筑紫神社 ~ちくしの神・福岡県筑紫野市~)

筑紫の神は、日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命という説があり、断定できていないと。

その白日別神も五十猛命も、高良神です。
「筑紫の神」という、土地の名を背負う神は、その地で一番強い影響力を持つ神。
(命尽くし神を退治した方の神)

筑後国一之宮の神は、高良神。
また「白日別」におられる神なのだから、白日別=高良神なのです。

高良のご祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神。
皆、同じ神です。

さらに、ここから、神社のご祭神には同じ神が、別の神名として祭られている(のが多い)ことも分かります。      

また、「白日」の名は、彼が天照大神ならば、通じるものがあります。


☆< 豊日別の地と神 >

豊日別の豊は、豊姫を表します。
彼女は、豊受大神である神功皇后です。

しかし、今の豊国の地の認識は、豊前、豊後のあった場所。
福岡県東部の一部と大分県。

豊前豊後「リンク先はwiki」)


ここから分かることがあります。

その両方にある一之宮に祀られる神は、神功皇后です。
*豊前一の宮は、宇佐神宮。
*豊後一の宮は、「西寒多神社」「柞原八幡宮」。「全国一宮巡拝(豊後一宮)より」

彼女が豊姫であり、豊受大神であるのは間違いありません。

(「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~(改訂版))

 

しかし、図1にあるように、豊日別はそちらの方ではありません。

この豊日別の地には、豊姫(神功皇后)の伝承が宇佐神宮よりも先にあります。
*宗像大社、香椎宮、大分(だいぶ)八幡宮など。

後に、彼らが宇佐神宮に移った(または、後に社が建てられた)時に、そちらが豊国になったと考えられます。

「四つの面」はあくまでも「筑紫国」。

この高良大社から見える「面」のことを表しています。

ならば、こう考えるのが自然ではないか。
 またそれは、彼女が豊姫であるということも、示唆しています。

 

< 豊姫 >

その名は、高良大社にもありました。

(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~(改訂版))

大社の本殿内に、豊比咩社の摂社あり。

高良神が白日別であり、豊姫(豊比咩)が豊日別の神。
彼らは、共に祀られていました。

その豊姫は、神功皇后。
高良玉垂宮神秘書や、大阪の住吉大社の伝承通りです。
*高良神は、神宮皇后と夫婦。
*住吉神は、神功皇后と夫婦。

それは、高良神が住吉神と同神であるからです。

高良神が住吉神であり、饒速日命。

これは、こちらに書きました。

神功皇后が豊姫であり、豊受大神。

天照大神は、饒速日命。
高良神=饒速日命です。

では、彼女は饒速日命の后である御炊屋姫で間違いないようです。

(「御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味~「儺の国の星」の炊屋星~」)

 

全てが彼らに繋がる。
彼らであるから、繋がるのです。

 

次は、建日別です。

 

 

( つづく )

 

今回、繋がりすぎて鳥肌が立ったのはうちだけ?^^;

 




2022年3月13日 (日)

筑紫島の四つの面 1 ~高良神は白日別~

筑後国一之宮、高良大社に祀られる神は「高良神」。

筑紫神であり、白日別神は、かの神のこと。


白日別。

それは、古事記に記載されている「筑紫島」の一つの「面」の名です。

(下記に記載)
筑紫島には文字通り四つの面がありました。
それは、彼らを明かす鍵にもなります。

************************************************

高良大社の前方にはこんな風景が広がっています。

Koura

後に記事をあげる「古代史の謎」の著者、関 裕二氏はこの立地故に、ここが彼らの城になったと書かれていました。

「「古代史の謎」 7 ~邪馬台国~」


遠くに見えるのは、脊振山系(その向こうに那珂川市(儺の国))。
「彼ら」の時代は、その間に海がありました。

今の標高8m付近が海岸線だったのです。

海岸線で塩を作っていたという、福岡市南区の塩原(しおばる)の標高です。


以下が、海面上昇シュミレーションシステムによる、
現在(左)と、AD200年頃(右・海面標高8m)の海岸の位置です。

南西が有明海(筑紫平野)で、その上の北西が玄界灘(博多湾)。

Kaimen01

 図1

これに、川を水色の線で加え、今の地図に合わせます。

Tikushiumi01

図2(地図はGooglemap)

「儺の国の星」で、真鍋大覚氏は、太宰府の針摺(はりずり)が海峡であったと記しています。
上の地図で太宰府市と書かれている下辺りになります。

玄界灘と有明海は繋がり、それぞれの山塊は島に見えます。
脊振のある方は古来、「蓬莱島」と呼ばれていました。(「儺の国の星」より)

下記がWikipediaの「筑紫国」です(一部)。

Screenshot_202203131110572
古事記には、こうあります。

筑紫島は身一つにして、面が四つあり。
筑紫国が「白日別」。
豊国が「豊日別」。
肥国が「建日向豊久士比泥別」。
熊曾国が「建日別」。


ここから、考察したことをいくつか。

☆筑紫島が九州では無いのです。
筑紫はあくまでもこの一帯のこと。
(筑紫島が九州であると認識されたのは、おそらくもっと後の時代)

☆島が四つあるとは言ってない。
筑紫島に面が四つ」です。

☆国の名は、古事記編纂の頃の地形からの推測(思い込み)ではないのか。

この地名、今(と、古事記が編纂された頃)の感覚で考えると分かりません。
当時の地形と川を当てはめてみます。

これが四つの顔を持つという「筑紫島」の姿。

Kaimen02

図3 (画像は海面上昇シュミレーションシステム

それらは、島ではなく、「四つの面」。
そこに立てば(多分、高良大社辺りから見れば)、「四つの面」に見えるはずです。

上の図の青い線は、左から御笠川。
穂波川。
筑後川。

筑後川沿いに、日田街道があります。

wikiの「前者4国は日田街道などで繋がっていると思われる」は、ある意味当たってます。
(注 穂波川が流れる直方平野に関して。
図3は、今の標高の8mの位置で考察した海岸線。当時はもう少し南まで海があったと思われます)


次は、四つのそれぞれの「面」について。
それぞれの考察です。


( つづく )

 

 

 

2022年3月 4日 (金)

古代*奈良湖と裂田溝 ③ ~豊受大神~

続きです。

(「古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のヘビは竜^」)

この図を見て、最初に気になったのが「二つの八幡神社」でした。

Screenshot_202203022128232

 

画像は「古代で遊ぼ」のサイトからお借りしています。

 http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/index.html

「亀の瀬」の側に大和川を挟むようにあります。

現代でも大工事の後、その場所には記念碑が置かれます。
それはその人への労いであり、感謝の表明でもある。
それが大変であった、古代なら尚更です。

この「二つの八幡神社」も、それを表しているのではと?
つまり、この水利工事をしたのは、「八幡神」とされるもの。

「峠八幡神社」と「藤井八幡神社」。
御祭神は八幡神。

周辺には数多くの八幡神社がありました。
(藤井八幡は、元はもう少し西にあったそう)

ここの開削をしたのは、三輪山の神、饒速日命です。
本来ならば、彼を祀る神社があるはずでした。

しかし、彼は後に名を変えられています。

それは、かの神が八幡神でもあることを示しています。
彼の名の一つが「八幡神」と言うべきか。

彼は住吉神であり、神功皇后と夫婦です。
神功皇后の御子は、応神天皇であり、八幡神。

八幡神は、御子の応神天皇であり、饒速日命。(親子、一緒くたの伝承になっている)

饒速日命に繋がるのです。

 

<裂田溝(さくたのうなで)>

「亀石」からもう一つ繋がることがありました。

 福岡那珂川市の「裂田溝(さくたのうなで)」。
上記に書いた「神功皇后」が指揮して造ったと言われる水利施設があります。

ここに「亀島」があるのです。

Screenshot_202203022128402

(裂田溝)

日本書紀にもある、「日本最古」の水路。
古代の水路が今まで残り、活用されてるのはここだけだとか。
Screenshot_202203022128522

「亀島」はここ、裂田神社の側にありました。
正確には跡ですね。
手前の岩です。
ここは神功皇后が、武内宿禰に祈らせると雷がなり、大岩を砕いたとされる箇所です。
彼は雷の神、武御雷神です。
(武内宿禰も住吉神、饒速日命)

(「神の鉾 4 ~天照の分御魂(わけみたま)~(改訂版)」)

案内板です。

Screenshot_202203022129032 Screenshot_202203022129132

中央辺りに、「現在地」とあるのが亀島の場所。
Screenshot_202203022129262

案内板のアップです。
武内宿禰が祈ると雷が岩を砕いたという箇所はこの「亀島」。
Screenshot_202203022129382

中央の少し盛り上がっている場所全体が亀島です。

Screenshot_202203022129502 案内板にある調査当時のようす。
Screenshot_202203040950272

亀島のすぐ横に、裂田(さくた)神社があります。 
御祭神は神功皇后ですが、開化天皇も共にする説があります。

彼女らは一柱で祀られることは無いので、必ずもう一柱がおられるはずです。
それが開化天皇とされる者でしたら、彼も饒速日命。

開化天皇は、国を開いた=大国主神。饒速日命です。
彼らは名を替え、何度も神話に登場しています。

那珂川には高良神が若い頃に住んでいたという猫嶺岳があります。

(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良の神)の生誕地」)

Screenshot_202203040950342

裂田神社がモニュメント。
工事の記念碑。

必ず側にあるものなのです。

福岡の那珂川には現人神社があり、彼は住吉の神。
神功皇后と夫婦であった者。


住吉神は饒速日命であり、
神功皇后は、彼の后の御炊屋姫。

彼らが、この「裂田溝(さくたのうなで)」を土地の人と造り上げたのです。

「彼ら」にはその技術がありました。
それが「干珠満珠」「十種神宝」の力として伝わっているのです。


また、奈良の「亀の瀬」にあった「亀岩」。
その側の「八幡神社」。

それは、「八幡の神とされる者」がその工事を指揮したことを意味しています。

元々、そこには別の名であったのかもしれません。
後の世に、彼、饒速日命が八幡の神ともされた時に、変えられたのでしょう。


裂田溝の先には那珂川があり、その取水口の側に「伏見神社」があります。

Screenshot_202203040950422

岩戸神楽や磯羅舞が奉舞される社。
御祭神は「淀姫」また、豊姫。
神功皇后の妹ともされています。

ここには白なまずの絵が掲げられています。
なまずが「神功皇后が三韓征伐の折りに、船を先導した」と伝わっているからです。

また、磯羅舞の中では、豊姫が「二つの玉」を海神から授かります。

この時、海の底には白なまずに乗っていったという話や、
淀姫が白なまずの姿をしていたとか、白なまずが神の使いとも言われています。


なまずに乗って海の底へ?
良く似た話がありました。

あれは亀でしたが。
浦島太郎の話です。
籠神社の縁起に繋がります。

(「古代史の謎 8 ~籠と亀*神の乗り物~」)

(丹後一宮籠神社縁起)
*塩土老翁は、羽衣を盗んだ老翁。
  豊受大神が天女。籠に乗って光っていた。

この豊受大神の籠が、籠神社の「籠」。
山幸彦を籠に乗せて海神宮に導いたこと。

ここから、「彼ら」に繋がっていきました。


*塩土老翁は、住吉神=饒速日命、籠神社の御祭神、天火明命です。
豊受大神は、籠神社の御祭神でもあります。

豊受大神は、饒速日命の后、御炊屋姫。

豊姫は豊受大神でもあります。
(豊姫は他にもいたかもしれないが、伝承は一緒くたになっている)


なまずも、亀も彼らの「乗り物の姿」を表しているのかもしれません。

「海の底へ行ける水が入らない籠」
「空を飛ぶ光る籠」
それが彼らを祀る「籠神社」の名の由来です。

それが、ある伝承では「亀」であり、「なまず」。
また、それらは後に「神の使い」として、彼らを祀る者たちの守り神ともされます。


亀、なまず。
奈良の「亀の瀬」の伝承にもありました。
彼らが同じならば、偶然ではありません。

彼らは、大和と筑紫、その両方にいたのです。
ここ那珂川は、な国、「な」は古語で、成す、為す、「完全な」という意味。
神の国を意味します。

また、やまとの語源は、大陸から伝わった言葉で、神の国の意。
「なら」と後に名づけられたのは、偶然ではありません。
*「ら」は光、神という意。

「な国」も「やまと国」も「なら」も同じ意味です。

魏志倭人伝の邪馬台国。
それは、「彼ら」がいた場所を示し、その両方であるのです。

向こうに伝わっていたのは、大和の方でしょう。
場所を明かすわけにはいかなかったからです。


裂田神社にはこんな案内板が数年前にできました。
裂田溝の物語です。
一部を要約。あとは写真を拡大してください。

*下記の伝承にもありますが、岩を裂く雷を落とす神事をしたのは、武内宿禰です。
武内宿禰は、饒速日命。
彼は、武甕槌(武御雷神)でもあります。
(武内宿禰は他にいたかもしれない。人物が一緒くたになってる可能性もある)

************************************************

神功皇后は三韓征伐の時、安徳村へ来て、旅の無事と勝利を祈り、那珂川から船出した。
無事に帰った皇后は、神々へのお礼の為に、現人神社にお参りした。
現人の神にお米を捧げる為に、神田を開く。
「新しく神の田をつくるには、水を引かねばならん!そのためのみぞを造る大工事をするぞ!」

神功皇后の掛け声で集まった村人は、これで美味しい米が食べられると、手に手にくわやすきを持って集まった。

Screenshot_202203040950552

ところが安徳台の辺りまで来た時に、大きな岩が行く手をふさいだ。
ここまで死にものぐるいで掘ってきたみぞを、あきらめるしかないのかと皆がっかりした。

そのとき、神功皇后は、武内宿禰という身分の高い家来に命令して、みぞをとおしてくれるよう、神がみにいのりをささげた。

(*神々に祈りを捧げ、雷を落としたのは、神功皇后ではなく、武内宿禰なんですよ。神功記でも)

雷がとどろき、岩を裂いた。

Screenshot_202203040951062

(これほどの固い岩。
くわでもすきでも歯が立たないような、そんな岩を砕いてしまった。
それは本当に「雷」だったのか。)

Screenshot_202203040951132

岩が砕け、人々は手を取り合って喜び、またいっしょうけんめい掘り進みました。
今光村まで掘り進んで、遂に平野に那珂川の水を引くことができるようになった。

豊かな水田に生まれ変わり、何千もの人がおいしいお米を食べられるようになった。
人々は米作りにはげみ、村には、豊かに実った稲穂で、村は黄金色にそまりました。

それから千六百年(*)もの長い間、那珂川町の七つの村、山田、安徳、東隈、仲(ちゅう・現人神社がある)、五郎丸、松木、今光をうるおし続けています。

(*神功皇后が歴史ではその頃とされるから。うなでの造られた正確な時期は不明)

あなたがいつも食べているご飯も、裂田溝から引いた水でつくられたものなのです。

Screenshot_202203040951192
うなでは、土地の人の悲願でもあったのです。

日本で一番古い、現存する水路。
翡翠が飛ぶほど美しい水路。

土地の人が大切に守り、何千年も受け継がれてきたのです。
11月になると、「裂田溝ライトアップ」もあって、祭りが開かれます。

Screenshot_202203040951232
私は、あの「七つの村(今は地区名)」の中に、住んでいて、ここのお米を毎日食べています。
世界一美味しい!

この光景を初めて見た時、嬉しくて涙が止まらなかった。
未来が視えていた彼女。

この光景と同じものを時を超えて視ている。
そう、感じたのです。

もしも彼女が私だったら、こんな奇跡的なことは無い。
そう思えるほどの強い体験でした。

護り次いで来た人がいて、今がある。
ここに、私がいることの奇跡。
それは、私の力ではない。

 

そうか。
豊受の名の意味が分かった。
豊とは、祈り。
繋いできた願い。

それを受ける者。

そして。
彼に繋げるのが、豊受の名の意味。

 

 

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