筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~
☆< 白日別の地 >
そこには「白日別神」である、高良神が祀られる高良大社がある。
図1(海面上昇シュミレーションシステム
AD200年頃の筑紫平野)
高良大社から見える景色。
正面は脊振山系がある、建日向豊久士比泥別。(理由は後に)
こちらがもう少し奥(東)に行った、高良山の山頂から見た景色。
霞んでますが、豊日別と建日別(説明は後に)が見える。
当時は、この間にも海があった。
「古代史の謎」関 裕二氏の言われる、「軍事的にも一番重要な拠点」。
それは、この立地ゆえ。
< 白日別の神 >
「白日別」は、筑紫神社の由緒書にあった。
(「二つの伝承 4 筑紫神社 ~ちくしの神・福岡県筑紫野市~)
「筑紫の神は、日別神(しらひわけのかみ)・五十猛命という説があり、断定できていない」とある。
筑紫神社と荒穂神社の伝承から、五十猛と高良神と神功皇后へと繋がっていた。
荒穂神の五十猛は高良神。
大根地山の神功皇后。
筑紫神社にもある筑後国風土記の甕依姫。
同じく白日別は筑紫の国魂(筑紫神)。
筑後国一之宮の神の高良神。
すべて同じ話であり、同じ二柱なのである。
筑紫の元、「命尽くし神」を退治したのが、筑紫神である高良神、神功皇后であった。
高良のご祭神は高良玉垂命、八幡大神、住吉大神。
皆、同神。
☆神社のご祭神には同じ神が、別の神名として祭られている(のが多い)。
「白日」の名は、彼が天照大神=饒速日であるからか。
☆< 豊日別の地と神 >
白日別は高良神。
では、豊日別はそれと対になるもの。
高良大社の本殿には豊姫が合祀されている。
これが豊日別。
高良の伝承では、彼の后は神功皇后。
豊姫が神功皇后なのである。
后以外は共に祀らない。
しかし、今の豊国の地の認識は、豊前、豊後のあった場所。
福岡県東部の一部と大分県。
ここから分かることがある。
その両方にある一之宮に祀られる神は、神功皇后と宗像神
*豊前一の宮は、宇佐神宮。
*豊後一の宮は、「西寒多神社」「柞原八幡宮」。「全国一宮巡拝(豊後一宮)より」
彼女は豊姫であり、豊受大神である。
高良神は饒速日であった。
彼の后は御炊屋姫。
市杵島姫命であり、宗像神、豊受大神でもある。
ゆえに、その后の神功皇后が豊姫であり、宗像神というのは符合する。
(☆→女神*天照とは まとめ)アメブロの記事
後に、宇佐神宮に移った(または、後に社が建てられた)時に、そちらが豊国になったと考えられる。
神秘書には「宗廟が高良大社から宇佐へ移った」とある)
(☆→高良玉垂宮神秘書 3 ~筑後国一之宮の高良大社~)アメブロの記事
「四つの面」はあくまでも「筑紫国」。
この高良大社から見える「面」のことを表している。
白日別が高良神であり、饒速日。
豊日別が宗像神であり、神功皇后=御炊屋姫=市杵島姫命。
二人は夫婦なのだ。
*饒速日と御炊屋姫
*御炊屋姫は瀬織津姫。
(「御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味~「儺の国の星」の炊屋星~」)
二柱の異類退治が、彼らが「祓いの神」住吉と瀬織津姫の名の所以である。
(☆→楯崎神社*瀬織津姫と住吉神)
次は、建日別。
( つづく )
今回、繋がりすぎて鳥肌が立ったのはうちだけ?^^;
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