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2022年3月13日 (日)

筑紫島の四つの面 1 ~高良神は白日別~(改訂)

*分かりやすく、後の記事も合わせて改訂。

筑後国一之宮、高良大社に祀られる神は「高良神」。

筑紫神であり、白日別神は、かの神のこと。


白日別。

それは、古事記に記載されている「筑紫島」の一つの「面」の名。

(下記に記載)
筑紫島には文字通り四つの面があった。
それは、彼らを明かす鍵にもなる。

************************************************

高良大社の前方にはこんな風景が広がっている。

Koura

後に記事をあげる「古代史の謎」の著者、関 裕二氏はこの立地故に、ここが彼らの城になったと書かれていた。

「「古代史の謎」 7 ~邪馬台国~」

 

遠くに見えるのは、脊振山系(その向こうに那珂川市(儺の国))。
「彼ら」の時代は、その間に海があった。

今よりも海面が3~4m高かったのだ。

しかし当時からの堆積物などにより、今の標高5m一辺りが当時の海面と推測。(*1)

Screenshot_202303222124132

図1 海面標高5m
海面上昇シュミレーションシステムより

これに、川を水色の線で加え、今の地図に合わせる。

Tikushiumi01図2(地図はGooglemap)

「儺の国の星」で、真鍋大覚氏は、太宰府の針摺(はりずり)が海峡であったと記していた。
上の地図で太宰府市と書かれている下辺り。

玄界灘と有明海は繋がり、それぞれの山塊は島に見える。
脊振のある方は古来、「天原」「蓬莱島」と呼ばれていた。(「儺の国の星」より)

☆→筑紫島と四つの面*玄界灘と有明海は繋がっていた


後の記事の「竺紫と筑紫」。
竺紫とはこの離れていた時代の「筑紫」を意味していた。

☆→竺紫と筑紫

 


下記がWikipediaの「筑紫国」(一部)。

Screenshot_202203131110572

筑紫島は身一つにして、面が四つあり。
筑紫国が「白日別」。
豊国が「豊日別」。
肥国が「建日向豊久士比泥別」。
熊曾国が「建日別」。


ここから、考察したことをいくつか。

☆筑紫島が九州では無い。
(筑紫島が九州であると認識されたのは、おそらくもっと後の時代)

☆島が四つあるとは言ってない。
筑紫島に面が四つ」です。

この地名、今(と、古事記が編纂された頃)の感覚で考えると分からない。
当時の地形と川を当てはめてみる。

これが四つの顔を持つという「筑紫島」の姿。

Kaimen02

図3 (画像は海面上昇シュミレーションシステム

それらは、島ではなく、「四つの面」。
そこに立てば(多分、高良大社辺りから見れば)、「四つの面」に見えるはず。

上の図の青い線は、川。
建日別の上にあるのは筑後川。

筑後川沿いに、日田街道があります。
wikiの「前者4国は日田街道などで繋がっていると思われる」は、ある意味当たっている。


次は、四つのそれぞれの「面」について。
それぞれの考察。


( つづく )

*1
海岸線で塩を作っていたという、福岡市南区の塩原(しおばる)の標高が6~7m。(注*1)

山や川からの堆積物などあり、今の標高から当時の海岸線を推測するのは難しい。

例えば、福岡の片江は今の標高17mだが、名づけられる時期まで海岸線だと思われる。

(文化財総覧webgisから4mの位置からも遺跡が出ている箇所がある。島として出ていたか)

 

ここではみやま市の瀬高が5mよりも上にあるので、5mを採用した。(そこまでが当時の3~4mの範囲と推測)

地名の意味は「海の瀬が高い時にその位置まで来た」ということだ。

さらに、内陸は幾筋もの川や海の満ち引きで、深いところまで湿地帯だった可能性もある。

イメージ的にはこのようだったと思われる。

「筑紫島の四つの面」の趣旨は変わらないので。


*2 穂波川
実際は夜須高原から流れ、冷水峠手前で筑豊の方へ流れている。
冷水峠からは山家(やまや)川が現れる。
厳密に言うと峠を「分けて」いない。
が、これが「よどみ」になり、命尽くし神が現れた原因であったと思う。

 

 

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