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2022年4月17日 (日)

筑紫島の四つの面 番外編 ~徐福と蓬莱島と邪馬台国~

(「筑紫島の四つの面 終章 6 ~筑紫の日向~) の続き。

「儺の国の星」に記されていた「蓬莱島」。
それは脊振山系のことと、ありました。
意味するものは、神仙の住む国です。

ここには、あの徐福さんが来ていた伝承のある山があります。
それが金立山(きんりゅうざん)。 

Jyohuku01

(図1 地図はGooglemap 脊振山系)
 

上の図の建日向豊久士比泥別が、脊振山系を含む地域。
紫色の線が、背振山系縦走路。(山頂を繋いだ山道。全部歩いた!)
(糸島の十坊山~脊振山~基山まで70キロ)

金立山は、脊振山系の南にある霊山です。

見えるお山は正現岳。
その向こう(奥)が金立山。

Jyohuku02

 

不老不死の霊薬を求め「蓬莱島」にやって来た徐福さん。
辿り着いたのはこのお山。

その薬草はここに生える「フロフキ」とされてます。

不老不死!フロフキ!だじゃれかい!爆  笑
って、皆思ってたのですが^^;

詳しくは以下のサイトへ。(フロフキの画像もあります)
*フロフキはこっちの名称で、カンアオイのことです。
佐賀市観光協会 ~不老不死を求めた浪漫の旅人~」)

 

彼は蓬莱島を求めて来たのでした。
まさに、この地のことです。

彼が来たから蓬莱島になったのか。
(後の人がそう呼んだのか)
「神仙がいるから」と元々、蓬莱島の名だったのか。

来日したのは、今から約2200年前。
高良神(饒速日命・AD200年頃と推定)の400年前です。

徐福さんの話を初めて聞いた時、「ここが蓬莱島?まっさか~!」と思っていたのですが。
「筑紫島の四つの面」を書いている時に、彼らと繋がったのです。

*******************

< 金立山 >
 

つい最近、登っていました。
上宮は立派な石造り。
上の写真の中腹に見える白いものです。
一枚岩からできていると言われてます。

Jyohuku03

途中には、摩崖仏の「吹上観音」さまがいはり。
美しい。

Jyohuku04

 

Jyohuku05

下から長い階段を上がってくると「正規稲荷神社」があります。
 この山、登山道がいくつもあり、複雑なのです。

山ナビのGPSなしでは、歩くのは無理です。
あっても迷いました。(友達と行ったのでゆっくり)

Jyohuku06かなりの遭難者が出てるとか。ルート多過ぎ!^^;

Jyohuku07

上のは、九州の登山雑誌「noboro(のぼろ)」の地図です。(うちの愛読書)
上宮は金立山山頂に近いところにあります。ま~複雑!
(でも、迷路みたいで楽しかった)
破線全部がルートであり、正規ルートです。

この地図の一番下に徐福長寿館があります。(薬草や花などが見られる)

*********************
 

< 徐福さんと吉野ヶ里 >
 

一番上の図1の16は吉野ヶ里遺跡です。
金立山から、8.6キロしか離れていません。

徐福さんは、童子や大陸の者を引き連れていました。
この地に残った彼らが、吉野ヶ里の地に住んだ可能性は大いにあります。

彼らは、大陸での知識を持っています。

そこで吉野ヶ里の「銅鏡」を思い出しました。
制作体験でレプリカを作れるのです。(下のは自分が作った物)

Jyohuku08

 

詳しくは、リンク先へ。

刻まれてある文字にはこうありました。

”久 不 相 見、 長 毋 相 忘”

(ひさしくあいまみえず、ながくあいわするるなからんことを)
長く会わなくても、お互いを忘れないようにしましょう。

リンク先に詳しく書いてますが、漢字で書かれています。

これは、甕棺の蓋の上、頭の方に貼り付けてあったそうです。
死者に向けての最後のはなむけの言葉。

意味を理解して、気持ちを込めて使っている。

そう感じました。

ただ、銅鏡が伝わって来て、使ったわけではない。
漢字や意味を、何故知っていたのか。


その時の違和感がようやく腑に落ちました。
彼らは、徐福の子孫らだ。 

饒速日命達に協力していたのも彼らだ、と。



< 饒速日命の十種神宝と干珠満珠 >

饒速日命は、大国主神。


別名、国平神、根子神の名は、国土を平にし、国の根っこを造った者だからです。
猿田彦神や、歳神、稲荷神の名は、新しい稲作の技術を広め、稲を作りやすくした為。
(奈良盆地の奈良湖でのような湿田を、水利工事をして乾田にしたなど)

彼らには卓越した技術がありました。
日本各地で植樹をしたり、水利や治水の工事もしています。

中国の言葉で、「水を制するものは、国を制する」があります。
まさに、水を制した彼ら。

それが「干珠満珠」の伝承になっているのです。
また、様々な功績から、十種神宝の力として伝わっているのです。

(「饒速日命を求めて ⓽ ~天の鳥船の時代 後編~」)
(「大国主の幸魂奇魂」)
 

☆奈良盆地(やまと)の巨大湖(奈良湖)の水を、大物主神として引いた。
(「古代*奈良湖と裂田溝 ① ~亀石の伝承~」)
(「古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のへびは竜~」)

☆福岡の那珂川の水路、裂田溝(さくたのうなで)を、武内宿禰として神功皇后と共に造った。
(「古代*奈良湖と裂田溝 ③ ~豊受大神~」)

☆那珂川では高良神として、猫嶺城に住み、那珂川の水の管理をしていた。
夏はせき止め、田畑を潤していた。(ローカルな話ですみません)
 

(私が知るところではこれだけですが、全国にはまだあるかもしれない。
彼ら(名を替えられた彼ら)の名で、伝わっていると思う。)

彼一人の力ではできません。

ここ「建日向豊久士比泥別」は、蓬莱島です。

徐福さん、饒速日命、高良神、神功皇后、御炊屋姫(日甕・ひみか・卑弥呼)、弁財天、市杵島姫命、豊姫など、
すべての伝承が、ここで繋がっていると感じられました。

徐福さんも、確かにここに居たのです。
 

< 邪馬台国 >

「儺国(なこく)」の「な」は、神の住むところという意味があります。
奇しくも蓬莱島の意味と同じ。

「奈良」の「な」と同じ意味です。
*ならの「ら」は、古語で神、光を表す。
磯良神の「ら」と同じ。
磯良(イソラ・高良)神=磯神(いそのかみ)=石上(いそのかみ)神宮の神=布留神=饒速日命。


その両方にいた「饒速日命と御炊屋姫」。
彼らのいた場所が「な」の国であり、もう一つの名が「やまと」。
「やまと」も、また、「神の国」を表します。

「奴国(儺国)」も「やまと(神の国)」であるのです。

魏志倭人伝の邪馬台国(やまと)は、その両方であると断言できます。
奴国(儺国)まで正規の行程。

それ以降は、うやむやにしたのだと思われます。
場所を隠すためです。
他国に知られるのはまずいと思うのではないでしょうか。

私なら、そうします。

 

もう一つ、このシリーズを書いて気づいたことがありました。

 

( つづく )

 

2022年4月10日 (日)

筑紫島の四つの面 終章 6 ~筑紫の日向~

(「筑紫島の四つの面 5 ~標高8m・饒速日命と神功皇后の伝承地~)

 のつづき

☆まとめ

筑紫島の四つの面。

それは、海面標高が今の4mほどであった時代の北部九州を表す。
時代は、住吉神(饒速日命)と神功皇后(御炊屋姫)が活躍していた時。
彼女が卑弥呼でもあるので、AD200年頃。

☆白日別が高良神(饒速日命)、白日から天照大神を表す。
☆豊日別が豊姫(神功皇后)、豊から豊受大神を表す。
(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~」)

☆建日別は、「熊襲」を表す。
羽白熊鷲の本拠地があった。
その熊襲とは、神功皇后と高良神が対峙していた。(高良玉垂宮神秘書)
それぞれの神社には、神功皇后と住吉神等の名が連ねる。

*退治した地には、退治した者が祀られる=退治したのは、神功皇后と住吉神。
(「筑紫島の四つの面 3 ~建日別・熊襲の正体~」)

☆建日向豊久士比泥別は、豊(豊姫)と櫛(櫛玉饒速日命)の意味。
脊振には、神功皇后が祀った市杵島姫命と、毘沙門天(高良神の本地とされる)がある。
「二龍が背を振う」は、この二柱のこと。

 

神話の筑紫の日向の「くしふる岳」は、脊振山であり、奇振岳=櫛布留岳であり、饒速日命を表す。
その地にある「儺の国(那珂川)」には、住吉の元宮の現人神社、日吉の元宮、禊の地の地名と地形がある。

すべて、饒速日命である。
(「筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~」)

 

これら、すべてが彼らに繋がっていました。

「筑紫島の四つの面」を表す時代は、神功皇后と高良(住吉)神が関わります。
「四つの面」それぞれの名は、彼らであり、
その一つ建日別の「熊襲」とは、神功皇后達が対峙していました。

高良玉垂宮神秘書では、それが神功皇后と高良神(住吉神)と伝えています。

 

また「筑紫島の四つの面」の姿を見せる「海面標高8m」には、彼らの伝承地がある。(大善寺玉垂宮)
彼らは、四つの面の「豊と久士(白日)」の豊姫と櫛玉饒速日命。

「四つの面」の地は、天照大神と豊受大神である彼らの神話の舞台です。(今までの考察から)


彼らこそ、その神話の「主人公」であることが分かります。



筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原

それは、筑紫島の面の一つ、「建日向豊久士比泥別」にある「儺の国」の地を表しています。

魏志倭人伝の奴国はここであり、「儺の国」は、神の国、やまとと同じ意味です。
かの本の「邪馬台国」は、まぎれもなくここです。(次の回で)


また、ここは「蓬莱島」とも呼ばれていました。

徐福が求めた神仙の国です。

これは次の回で。

 

( つづく )

 

2022年4月 4日 (月)

筑紫島の四つの面 5 ~饒速日命と神功皇后の伝承地~

改訂してます。

筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~」のつづき。

 

< 饒速日命と神功皇后の伝承地 >

 

「筑紫島の四つの面」は、饒速日命と神功皇后を示していました。

彼らは名を替えられ、祀られていたのです。

*饒速日命=住吉神=高良神=白日別=筑紫神=磯良神=石上(いそのかみ)=大物主神=天照大神 他

*神功皇后=豊姫=豊日別=市杵島姫命=瀬織津姫=弁財天=御炊屋姫=豊受大神 他
(豊受大神は御炊神とも言う)

この地での、数々の神話との符合は、彼らがここに存在した証です。
(他の地にはこれだけの整合性はありません)

 

また、その時期をAD200年頃としてるのは、神功皇后が魏志倭人伝の卑弥呼でもあるからです。

 

<標高4m>

彼らの時代の海岸線は、今よりも4mほど上がっています。
そこには、彼らの伝承がありました。

下の地図の数字が、それに関係する主な社。

青く塗ってあるのは、「当時の海」。
その境が標高4mです。(訂正してます。志登神社が標高4mほどでした)

Kaimen10

図1  地図はGoogle map

AD200年頃の北部九州の様子
標高は国土通産省 国土地理院HPを参照

1 高良大社(山の上)
2 香椎宮15.8m
3 儺の国(那珂川市)海岸線より奥。

  現人神社(住吉の元宮)などがある。

4 筑紫神社  (筑紫神の伝承・白日別が御祭神)52.1m
5 横隈隼鷹神社 (神功皇后の伝承)23m
6 御勢大霊石神社 (神功皇后の伝承)16.2m
7 媛社神社(七夕神社) (天火明命と織姫が御祭神)10.9m
8 姫古曽神社 (高良神、住吉神、市杵島姫命などが御祭神)13.9m(丘の上にある)
9 水天宮*水天宮の総本山(御祭神、天御中主神、安徳天皇)10.4m
 (天御中主神も饒速日命。ここは岬になり、重要な地であった)

10 伊勢天照御祖神社(大石神社) (饒速日命が御祭神)10.4m
11 大善寺玉垂宮 (高良神が御祭神。高良神の鬼征伐の伝承。神功皇后の伝承)8.3m
12 三島神社(三潴郡大木町蛭池)4.8m   
13 こうやの宮(磯上物部神社)←いそのかみもののべ神社!4.9m
14 黒崎玉垂神社(高良神と神功皇后が御祭神。UPしてなかった)30.7m
 (神功皇后が上陸した伝承あり。丘の上。「崎」はこの時代の様子の名)

15 風浪宮(御祭神 武内宿禰と神功皇后)3.9m
16 吉野ヶ里 8m
17 筥崎宮 3.8m
18 住吉神社 3m

総じて大体、4m前後の高さにあります。
(このうち、住吉大社は後の世に出来たはずです)


13のこうやの宮は邪馬台国の候補地とも言われています。

*磯上物部(いそのかみもののべ)神社の名からは、磯神と物部の深い繋がりが分かります。
磯神(いそのかみ)=高良神(安曇磯良神)=石上(いそのかみ)神宮の神

物部氏の祖神は饒速日命。
高良の地も物部の領地でした。



< 「三」と饒速日命と高良神と海岸線 >

また、この一帯には「三」のつく地名や神社が数多あります。
それが表すものがありました。

☆住吉三神。
☆三島神社の御祭神。
☆「三」のつく地名

☆住吉三神。
饒速日命は住吉三神であり、「三神」はオリオン座の三ツ星を表しています。

饒速日命の布留(ふる)も、住吉神も、星神の意味がある。(実際は、一柱)
その名に対応するのが、宗像三神。

夫婦神の名は対になる。

市杵島姫命(宗像三神)は、神功皇后に繋がっています。
(☆1 リンクを下記に掲載)

☆三島神社の御祭神。  

この辺りには三島神社が点在し、御祭神は高良神(住吉神)。
神功皇后が共に祀られる社もあります。

奈良の石上神宮の近くにも三島神社があり、布留の神が祀られています。

布留神=物部氏の祖神の饒速日命。

これらからも、布留神が饒速日命であり、高良神が饒速日命であることに繋がる。

 

☆「三」のつく地名。

「三」は、住吉神であり、高良神であり、饒速日命を表す。
以前、福岡の三のつく地名の神社などから考察してました。

その神社のある場所は、海岸線だと。

 上記のと重なりますが、アップします。

以下、抜粋。
************************************************

三笠三原御井三潴三池」の地名」 について(儺の国の星」に)                         
三島に関連すると思われる地名が書かれてありました。

                          (三笠の星 項)
博多湾から有明海まで南北に三笠三原御井三潴三池と揃った郡名が並ぶ。
これは、倭人伝の水行十日の解釈に発展した。
((太宰府の前の)針摺瀬戸(はりずりせと)、二日市水道があったという考え)

太宰府の北西にある四王寺山は昔は、潮路見山(しおじみやま)・或は四明山(しみょうざん)と言った。
麓の別院が安楽寺であり、今の天満宮。
今から千八百年の昔はここで北と南の潮目の満ち引きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられる。
筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語る。 (要約)


******************************************

三笠郡は、今の大野城市の大部分、筑紫野市の全域、太宰府の全域、
三原郡は、御原郡か。小郡市の大部分、三井郡大刀洗の大部分。
御井(みい)郡は、三井郡御井町辺り。高良大社の麓です。
三潴(みずま)郡は、三島神社のあった辺り。大善寺玉垂宮も。
三池郡は、大牟田市の全域(有明海に臨む)とみやま市の一部。

これらの中で、気になった場所に印をつけました。

Kaimen11

 (地図はGoogle mapより)

1の場所は、三笠郡と呼ばれた場所の、針摺(はりずり)。
 文中には、太宰府の前の針摺瀬戸。
 三笠には、三笠山とも呼ばれる宝満山あり。

上宮のご祭神は玉依媛、神功皇后、応神天皇。
2の御原には、物部氏が関わる、筑紫の飛鳥とも言われる宮がある。
 印は御勢大霊石神社 神功皇后の伝承があり。
3の御井には、高良大社。

    ご祭神が高良玉垂神、八幡大神、住吉神。
9には伊勢天照御祖神社(大石神社)
 ご祭神、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
4には、大善寺玉垂宮。ご祭神、高良玉垂神、
 この辺りも昔は三潴(みずま)。

5の三潴には、三島神社。
6には、風浪宮。
7には、こうやの宮。別名、磯上物部神社。
8の三池には、黒崎玉垂神社。
 (7と8は昔の三池。この周辺には特に玉垂神社が多い)

三笠三原御井三潴三池 には、
すべて高良の神か、神功皇后が関わります。(もともと多いのですが)
この地域が「玄海灘、有明海を結ぶ海」だったのでしょう。
古くからあるお社は、その海沿いにあるようです。
かの神は「海の神」でもありました。
それは当然なのかもしれません。

また、高良の神達の勢力圏が広かったことを意味します。
これが「九州王朝」と言われているものなのでしょう。

 (以上、要約。詳細は上記のリンクへ)

*********************************************************

この地域が「玄海灘、有明海を結ぶ海」

☆彼らの時代の海岸線は、今の標高4mほどの位置にある。
☆その標高の社に伝承がある、彼らはその時代。
☆「儺の国の星」はかなり、詳細で正確なことを連綿と受け継いで来られている。(☆2 下記にて補足説明)
☆高良大社の絵巻物、神秘書も、多くの事を「示唆」している。

 

以上、海面標高を4mに改定しています。

理由としては、糸島の志登神社が4m程の位置にあるからです。

弥生時代頃までは、海面の高さが今よりも高いことが分かっています。
縄文海進wiki

しかしながら、筑前国続風土記には、糸島の今津の後ろを通り西まで行けたという記述や、
儺の国の星には玄界灘と有明海が繋がり、福岡の針摺(はりすり)が海峡であったという記述、
福岡の塩原(海の側で塩を作っていた地)が、4~5mだとかなり離れていること、
などがあり、はっきりした海面標高は分かりません。

とりあえず、4mでも、あまり「筑紫島四つの面」の形(趣旨)は変わらないので、そのまま載せます。

 

 

( つづく )

次は「筑紫島と四つの面 終章 6 ~筑紫の日向~」へ。

 


☆1 市杵島姫命(宗像三神)と神功皇后のリンク

(「饒速日命を求めて ⑳ 終章 ~御炊屋姫と市杵島姫命と神功皇后~」)
(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~」)
(「御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味 ~「儺の国の星」の炊屋星~」)


以下、ココログの後の記事。関 裕二氏の「古代史の謎」を参考にしてます。

(「古代史の謎」 4 ~豊受大神は神功皇后~」)
(「古代史の謎」 5 ~住吉神と神功皇后 前編~」)
(「古代史の謎」 6 ~住吉神と神功皇后 後編~」)

 

☆2 「儺の国の星」について。

那珂川の伝承や伝わる星の名などを集めた那珂川市(当時は町)発行の本です。

初版は昭和57年。
香椎宮の宮司さんより、

「那珂川のような古き土地には、古来からの星の名が伝わっているはずだから」と言われて執筆された。
那珂川の広報に連載されていたものを集めたもの。

著者、真鍋大覚氏は物部氏の子孫。
遠くは鹿島の神官を代々されていた家系。
(鹿島神=物部氏の神=饒速日命に繋がる)

ここには、神功皇后の時代は201年~269年とある。
200年は、福岡の彼女の伝承地の社の全てにそう記されている。

それは、卑弥呼の時代に重なる。

 

2022年4月 1日 (金)

筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~

<建日向豊久士比泥別>

 

それは、脊振山系を含む一帯。
「たてひむかとよくじひねわけ」と読まれていますが、「たて ひむか とよ くし ひねわけ」です。

神話の「韓国に向かう筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)」とは、ここにある脊振山(せふりやま)山系のこと。

Kaimen12(海面上昇シュミレーションシステムより。
自分が推定するAD200年頃の北部九州「筑紫島」)

☆名の意味

建は、「勇猛な」
日向は、「日に向かう」(神々しい)
豊は、「ゆたか」。
久士は、「くし、奇なる」神秘的な力、霊威。
比は、日。
泥は、根(ね)であり、神という意。
(「伊勢(摂社)」)←(ことしろね(事代根)と聞こえ、そこから根の意味を知る。)

また、とよは豊姫。
くしは、櫛玉饒速日命を表します。

勇猛で、霊威のある日の神(豊と櫛の二柱)の、日に向かう豊かな国。

ここにある脊振山が、久士布流多気(くしふるたけ)です。

(「結びの山 10 ~脊振山~」)

 

< くしふる岳 >

「くしふる」は、奇振(くしふる)岳。
「くし」は、「奇(くし)」。

人間に不思議な奇跡をもたらすもの、神の力を感じられるものという意。
神秘的な力のある神が振った山。(神が降臨した意味)

また、ふるは、布留神を示す。

櫛布留(くしふる)岳。
櫛玉饒速日命の名、そのままです。

脊振には「二龍が背を振う山」との伝承もあります。(上記、リンク先)
二龍の一柱が饒速日命であり、もう一柱は神功皇后(御炊屋姫)。

Sehuri01(背振山山頂の脊振神社 上宮。
後ろはメロンドーム(自衛隊レーダー)

☆脊振の神

脊振山は、 山頂に市杵島姫命が祀られ、脊振辨財天とも言われてます。
神功皇后が祀ったとも言われていますが、市杵島姫命は彼女自身。

神功皇后は、彼の后、御炊屋姫でした。
また、卑弥呼(ひみか)でもあります。

神功皇后=市杵島姫命=弁財天=御炊屋姫=卑弥呼(ひみか)。

脊振の二龍とは、二柱の神。
饒速日命と御炊屋姫(神功皇后)。
彼らは、天照大神であり、豊受大神。

建日向豊久士比泥別と、「二龍が背を振う山」の伝承は、同じものを示していました。

二柱が祀られる山。
*建日向豊久士比泥別=豊姫と櫛玉饒速日命

山頂近くには、毘沙門天の祠もありました。
彼は高良大社では、高良神と習合されてます。
この二柱、名を変え、必ず一緒に祀られてます。
境内のどこに居られるか、探してみてください。
(市杵島姫命は弁財天なので、弁天池に祀られてることのある)

 

< 二柱の龍神 >


彼らはそれぞれ龍神としても祀られています。
二つのリンク先へ。

(「古代*奈良湖と裂田溝 2 ~三輪山のヘビは竜~」)

(「御炊屋姫を追って ⑥ ~八大龍王弁財天~厳島神社へ~」)

「二龍が背を振う」
この地に祀られているのがその二柱。

<筑紫の日向>

天孫が降臨したという「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気」。
それはこの「建日向豊久士比泥別」にある脊振(山系)。

高千穂は、稲穂を高く積んだようにの意。
今の日向という認識の宮崎ではありません。

建日向豊久士比泥別は、筑紫島にある四つの面の一つ。
彼らのいた地が筑紫島です。
そうでなければ、「身一つで面が四つ」の言葉が説明できないのです。
それは高良大社辺りから見た当時の様子であり、だからこそ、この地。

ならば、天孫降臨の地はそこにあります。

 

< 儺の国(奴国) >

 

奴国と、魏志倭人伝にある儺の国は、那珂川。

その地には、それを示すものがありました。
(詳細は下記、リンクへ)

☆真の道・・・「笠沙の岬まで真の道が通じていて(有真之道通笠紗之御前)」

(「結びの山 その11 ~天孫降臨~」)

☆「底津岩根」は安徳台。(神が住んだという)
☆「橘の小門の阿波岐原」の地形と名前。(イザナギ神の禊の地)
☆「岩戸」の地形と名前。

☆住吉の元宮である現人神社。
(「現人神社(住吉の元宮) ~福岡県那珂川市~」) 

イザナギの祓いで生まれた神。
それが住吉神である饒速日命。

☆高良神(住吉神)が若い頃にいたという猫城嶺。
(「那珂川は饒速日命(天照・住吉・高良神)の生誕地」)

☆神功皇后の伝承。
(「裂田神社と裂田溝(さくたのうなで)~」)

神功皇后が、「三韓征伐の時に助力を受けた神」に逢いに来て、その神の神田を造った。
助力を受けた神は、住吉神。
その地は、紛れもなく那珂川です。 

二柱の伝承が重なる地であり、神話はこの地を表しているのです。
なの国の「な」は、神の国という意味です。

 

< 標高8m >

博多、大阪の住吉大社の地は標高8m以下。
儺国にある現人神社(住吉の元宮)は、紛れもなく、それよりも昔に存在します。

今の標高8mが彼ら時代の海岸線。
それを示唆するものがありました。

 

つづきは、

(「筑紫島の四つの面 5 ~標高8m・饒速日命と神功皇后の伝承地~) へ

 

まとめて書いたらUPし忘れてました^^;

後で、日付変えて、4の後につけます。

 

( つづく )

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