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2022年4月 4日 (月)

筑紫島の四つの面 5 ~饒速日命と神功皇后の伝承地~

改訂してます。

筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~」のつづき。

 

< 饒速日命と神功皇后の伝承地 >

 

「筑紫島の四つの面」は、饒速日命と神功皇后を示していました。

彼らは名を替えられ、祀られていたのです。

*饒速日命=住吉神=高良神=白日別=筑紫神=磯良神=石上(いそのかみ)=大物主神=天照大神 他

*神功皇后=豊姫=豊日別=市杵島姫命=瀬織津姫=弁財天=御炊屋姫=豊受大神 他
(豊受大神は御炊神とも言う)

この地での、数々の神話との符合は、彼らがここに存在した証です。
(他の地にはこれだけの整合性はありません)

 

また、その時期をAD200年頃としてるのは、神功皇后が魏志倭人伝の卑弥呼でもあるからです。

 

<標高4m>

彼らの時代の海岸線は、今よりも4mほど上がっています。
そこには、彼らの伝承がありました。

下の地図の数字が、それに関係する主な社。

青く塗ってあるのは、「当時の海」。
その境が標高4mです。(訂正してます。志登神社が標高4mほどでした)

Kaimen10

図1  地図はGoogle map

AD200年頃の北部九州の様子
標高は国土通産省 国土地理院HPを参照

1 高良大社(山の上)
2 香椎宮15.8m
3 儺の国(那珂川市)海岸線より奥。

  現人神社(住吉の元宮)などがある。

4 筑紫神社  (筑紫神の伝承・白日別が御祭神)52.1m
5 横隈隼鷹神社 (神功皇后の伝承)23m
6 御勢大霊石神社 (神功皇后の伝承)16.2m
7 媛社神社(七夕神社) (天火明命と織姫が御祭神)10.9m
8 姫古曽神社 (高良神、住吉神、市杵島姫命などが御祭神)13.9m(丘の上にある)
9 水天宮*水天宮の総本山(御祭神、天御中主神、安徳天皇)10.4m
 (天御中主神も饒速日命。ここは岬になり、重要な地であった)

10 伊勢天照御祖神社(大石神社) (饒速日命が御祭神)10.4m
11 大善寺玉垂宮 (高良神が御祭神。高良神の鬼征伐の伝承。神功皇后の伝承)8.3m
12 三島神社(三潴郡大木町蛭池)4.8m   
13 こうやの宮(磯上物部神社)←いそのかみもののべ神社!4.9m
14 黒崎玉垂神社(高良神と神功皇后が御祭神。UPしてなかった)30.7m
 (神功皇后が上陸した伝承あり。丘の上。「崎」はこの時代の様子の名)

15 風浪宮(御祭神 武内宿禰と神功皇后)3.9m
16 吉野ヶ里 8m
17 筥崎宮 3.8m
18 住吉神社 3m

総じて大体、4m前後の高さにあります。
(このうち、住吉大社は後の世に出来たはずです)


13のこうやの宮は邪馬台国の候補地とも言われています。

*磯上物部(いそのかみもののべ)神社の名からは、磯神と物部の深い繋がりが分かります。
磯神(いそのかみ)=高良神(安曇磯良神)=石上(いそのかみ)神宮の神

物部氏の祖神は饒速日命。
高良の地も物部の領地でした。



< 「三」と饒速日命と高良神と海岸線 >

また、この一帯には「三」のつく地名や神社が数多あります。
それが表すものがありました。

☆住吉三神。
☆三島神社の御祭神。
☆「三」のつく地名

☆住吉三神。
饒速日命は住吉三神であり、「三神」はオリオン座の三ツ星を表しています。

饒速日命の布留(ふる)も、住吉神も、星神の意味がある。(実際は、一柱)
その名に対応するのが、宗像三神。

夫婦神の名は対になる。

市杵島姫命(宗像三神)は、神功皇后に繋がっています。
(☆1 リンクを下記に掲載)

☆三島神社の御祭神。  

この辺りには三島神社が点在し、御祭神は高良神(住吉神)。
神功皇后が共に祀られる社もあります。

奈良の石上神宮の近くにも三島神社があり、布留の神が祀られています。

布留神=物部氏の祖神の饒速日命。

これらからも、布留神が饒速日命であり、高良神が饒速日命であることに繋がる。

 

☆「三」のつく地名。

「三」は、住吉神であり、高良神であり、饒速日命を表す。
以前、福岡の三のつく地名の神社などから考察してました。

その神社のある場所は、海岸線だと。

 上記のと重なりますが、アップします。

以下、抜粋。
************************************************

三笠三原御井三潴三池」の地名」 について(儺の国の星」に)                         
三島に関連すると思われる地名が書かれてありました。

                          (三笠の星 項)
博多湾から有明海まで南北に三笠三原御井三潴三池と揃った郡名が並ぶ。
これは、倭人伝の水行十日の解釈に発展した。
((太宰府の前の)針摺瀬戸(はりずりせと)、二日市水道があったという考え)

太宰府の北西にある四王寺山は昔は、潮路見山(しおじみやま)・或は四明山(しみょうざん)と言った。
麓の別院が安楽寺であり、今の天満宮。
今から千八百年の昔はここで北と南の潮目の満ち引きをみる安楽人の望楼観亭があったと伝えられる。
筑後久留米高良大社の絵巻物がこれを語る。 (要約)


******************************************

三笠郡は、今の大野城市の大部分、筑紫野市の全域、太宰府の全域、
三原郡は、御原郡か。小郡市の大部分、三井郡大刀洗の大部分。
御井(みい)郡は、三井郡御井町辺り。高良大社の麓です。
三潴(みずま)郡は、三島神社のあった辺り。大善寺玉垂宮も。
三池郡は、大牟田市の全域(有明海に臨む)とみやま市の一部。

これらの中で、気になった場所に印をつけました。

Kaimen11

 (地図はGoogle mapより)

1の場所は、三笠郡と呼ばれた場所の、針摺(はりずり)。
 文中には、太宰府の前の針摺瀬戸。
 三笠には、三笠山とも呼ばれる宝満山あり。

上宮のご祭神は玉依媛、神功皇后、応神天皇。
2の御原には、物部氏が関わる、筑紫の飛鳥とも言われる宮がある。
 印は御勢大霊石神社 神功皇后の伝承があり。
3の御井には、高良大社。

    ご祭神が高良玉垂神、八幡大神、住吉神。
9には伊勢天照御祖神社(大石神社)
 ご祭神、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
4には、大善寺玉垂宮。ご祭神、高良玉垂神、
 この辺りも昔は三潴(みずま)。

5の三潴には、三島神社。
6には、風浪宮。
7には、こうやの宮。別名、磯上物部神社。
8の三池には、黒崎玉垂神社。
 (7と8は昔の三池。この周辺には特に玉垂神社が多い)

三笠三原御井三潴三池 には、
すべて高良の神か、神功皇后が関わります。(もともと多いのですが)
この地域が「玄海灘、有明海を結ぶ海」だったのでしょう。
古くからあるお社は、その海沿いにあるようです。
かの神は「海の神」でもありました。
それは当然なのかもしれません。

また、高良の神達の勢力圏が広かったことを意味します。
これが「九州王朝」と言われているものなのでしょう。

 (以上、要約。詳細は上記のリンクへ)

*********************************************************

この地域が「玄海灘、有明海を結ぶ海」

☆彼らの時代の海岸線は、今の標高4mほどの位置にある。
☆その標高の社に伝承がある、彼らはその時代。
☆「儺の国の星」はかなり、詳細で正確なことを連綿と受け継いで来られている。(☆2 下記にて補足説明)
☆高良大社の絵巻物、神秘書も、多くの事を「示唆」している。

 

以上、海面標高を4mに改定しています。

理由としては、糸島の志登神社が4m程の位置にあるからです。

弥生時代頃までは、海面の高さが今よりも高いことが分かっています。
縄文海進wiki

しかしながら、筑前国続風土記には、糸島の今津の後ろを通り西まで行けたという記述や、
儺の国の星には玄界灘と有明海が繋がり、福岡の針摺(はりすり)が海峡であったという記述、
福岡の塩原(海の側で塩を作っていた地)が、4~5mだとかなり離れていること、
などがあり、はっきりした海面標高は分かりません。

とりあえず、4mでも、あまり「筑紫島四つの面」の形(趣旨)は変わらないので、そのまま載せます。

 

 

( つづく )

次は「筑紫島と四つの面 終章 6 ~筑紫の日向~」へ。

 


☆1 市杵島姫命(宗像三神)と神功皇后のリンク

(「饒速日命を求めて ⑳ 終章 ~御炊屋姫と市杵島姫命と神功皇后~」)
(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~」)
(「御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味 ~「儺の国の星」の炊屋星~」)


以下、ココログの後の記事。関 裕二氏の「古代史の謎」を参考にしてます。

(「古代史の謎」 4 ~豊受大神は神功皇后~」)
(「古代史の謎」 5 ~住吉神と神功皇后 前編~」)
(「古代史の謎」 6 ~住吉神と神功皇后 後編~」)

 

☆2 「儺の国の星」について。

那珂川の伝承や伝わる星の名などを集めた那珂川市(当時は町)発行の本です。

初版は昭和57年。
香椎宮の宮司さんより、

「那珂川のような古き土地には、古来からの星の名が伝わっているはずだから」と言われて執筆された。
那珂川の広報に連載されていたものを集めたもの。

著者、真鍋大覚氏は物部氏の子孫。
遠くは鹿島の神官を代々されていた家系。
(鹿島神=物部氏の神=饒速日命に繋がる)

ここには、神功皇后の時代は201年~269年とある。
200年は、福岡の彼女の伝承地の社の全てにそう記されている。

それは、卑弥呼の時代に重なる。

 

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