筑紫島の四つの面 終章 6 ~筑紫の日向~
(「筑紫島の四つの面 5 ~標高8m・饒速日命と神功皇后の伝承地~)
のつづき
☆まとめ
筑紫島の四つの面。
それは、海面標高が今の4mほどであった時代の北部九州を表す。
時代は、住吉神(饒速日命)と神功皇后(御炊屋姫)が活躍していた時。
彼女が卑弥呼でもあるので、AD200年頃。
☆白日別が高良神(饒速日命)、白日から天照大神を表す。
☆豊日別が豊姫(神功皇后)、豊から豊受大神を表す。
(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~」)
☆建日別は、「熊襲」を表す。
羽白熊鷲の本拠地があった。
その熊襲とは、神功皇后と高良神が対峙していた。(高良玉垂宮神秘書)
それぞれの神社には、神功皇后と住吉神等の名が連ねる。
*退治した地には、退治した者が祀られる=退治したのは、神功皇后と住吉神。
(「筑紫島の四つの面 3 ~建日別・熊襲の正体~」)
☆建日向豊久士比泥別は、豊(豊姫)と櫛(櫛玉饒速日命)の意味。
脊振には、神功皇后が祀った市杵島姫命と、毘沙門天(高良神の本地とされる)がある。
「二龍が背を振う」は、この二柱のこと。
神話の筑紫の日向の「くしふる岳」は、脊振山であり、奇振岳=櫛布留岳であり、饒速日命を表す。
その地にある「儺の国(那珂川)」には、住吉の元宮の現人神社、日吉の元宮、禊の地の地名と地形がある。
すべて、饒速日命である。
(「筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~」)
これら、すべてが彼らに繋がっていました。
「筑紫島の四つの面」を表す時代は、神功皇后と高良(住吉)神が関わります。
「四つの面」それぞれの名は、彼らであり、
その一つ建日別の「熊襲」とは、神功皇后達が対峙していました。
高良玉垂宮神秘書では、それが神功皇后と高良神(住吉神)と伝えています。
また「筑紫島の四つの面」の姿を見せる「海面標高8m」には、彼らの伝承地がある。(大善寺玉垂宮)
彼らは、四つの面の「豊と久士(白日)」の豊姫と櫛玉饒速日命。
「四つの面」の地は、天照大神と豊受大神である彼らの神話の舞台です。(今までの考察から)
彼らこそ、その神話の「主人公」であることが分かります。
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原
それは、筑紫島の面の一つ、「建日向豊久士比泥別」にある「儺の国」の地を表しています。
魏志倭人伝の奴国はここであり、「儺の国」は、神の国、やまとと同じ意味です。
かの本の「邪馬台国」は、まぎれもなくここです。(次の回で)
また、ここは「蓬莱島」とも呼ばれていました。
徐福が求めた神仙の国です。
これは次の回で。
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