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« 筑紫島の四つの面 終章 6 ~筑紫の日向~ | トップページ | 神功皇后と宗像姫と瀬織津姫の伝承地*鼓島に触りたい »

2022年4月17日 (日)

筑紫島の四つの面 番外編 ~徐福と蓬莱島と邪馬台国~

(「筑紫島の四つの面 終章 6 ~筑紫の日向~) の続き。

「儺の国の星」に記されていた「蓬莱島」。
それは脊振山系のこと。
意味するものは、神仙の住む国。

ここには、あの徐福さんが来ていた伝承のある山がある。
(創作だとの説もあるが)

それが金立山(きんりゅうざん)。 

Jyohuku01

(図1 地図はGooglemap 脊振山系)
 

上の図の建日向豊久士比泥別が、脊振山系を含む地域。
紫色の線が、背振山系縦走路。(山頂を繋いだ山道。全部歩いた!)
(糸島の十坊山~脊振山~基山まで70キロ)

金立山は、脊振山系の南にある霊山。

見えるお山は正現岳。
その向こう(奥)が金立山。

Jyohuku02

 

不老不死の霊薬を求め「蓬莱島」にやって来た徐福さん。
辿り着いたのはこのお山。

その薬草はここに生える「フロフキ」とされてます。

不老不死!フロフキ!だじゃれかい!爆  笑
って、皆思ってたのだが^^;

詳しくは以下のサイトへ。(フロフキの画像もあります)
*フロフキはこっちの名称で、カンアオイのことです。
佐賀市観光協会 ~不老不死を求めた浪漫の旅人~」)

 

彼は蓬莱島を求めて来た。
まさに、この地のこと。

彼が来たから蓬莱島になったのか。
(後の人がそう呼んだのか)
「神仙がいるから」と元々、蓬莱島の名だったのか。

来日したのは、今から約2200年前。
高良神(饒速日命・AD200年頃と推定)の400年前。

徐福さんの話を初めて聞いた時、「ここが蓬莱島?まっさか~!」と思っていたのだが。
「筑紫島の四つの面」を書いている時に、彼らと繋がった。

*******************

< 金立山 >
 

つい最近、登っていた。
上宮は立派な石造り。
上の写真の中腹に見える白いもの。
一枚岩からできていると言われている。

Jyohuku03

途中には、摩崖仏の「吹上観音」さまがいはり。
美しい。

Jyohuku04

 

Jyohuku05

下から長い階段を上がってくると「正規稲荷神社」がある。
 この山、登山道がいくつもあり、複雑。

山ナビのGPSなしでは、歩くのは無理。
あっても迷った。(友達と行ったのでゆっくり)

Jyohuku06かなりの遭難者が出てるとか。ルート多過ぎ!^^;

Jyohuku07

上のは、九州の登山雑誌「noboro(のぼろ)」の地図です。(うちの愛読書)
上宮は金立山山頂に近いところにある。ま~複雑!
(でも、迷路みたいで楽しかった)
破線全部がルートであり、正規ルート。

この地図の一番下に徐福長寿館がある。(薬草や花などが見られる)

*********************
 

< 徐福さんと吉野ヶ里 >
 

一番上の図1の16は吉野ヶ里遺跡です。
金立山から、8.6キロしか離れていない。

徐福さんは、童子や大陸の者を引き連れていた。
この地に残った彼らが、吉野ヶ里の地に住んだ可能性は大いにある。

彼らは、大陸での知識を持っていた。

そこで吉野ヶ里の「銅鏡」を思い出した。
制作体験でレプリカを作れるのだ。(下のは自分が作った物)

Jyohuku08

 

詳しくは、リンク先へ。

刻まれてある文字にはこうあった。

”久 不 相 見、 長 毋 相 忘”

(ひさしくあいまみえず、ながくあいわするるなからんことを)
長く会わなくても、お互いを忘れないようにしましょう。

リンク先に詳しく書いてますが、漢字で書かれている。

これは、甕棺の蓋の上、頭の方に貼り付けてあったそう。
死者に向けての最後の手向けの言葉。

意味を理解して、気持ちを込めて使っている。

 

ただ、銅鏡が伝わって来て、使ったわけではない。
漢字や意味を、何故知っていたのか。


その時の違和感がようやく腑に落ちました。
彼らは、徐福の子孫らだ。 

饒速日命達に協力していたのも彼らだ、と。



< 饒速日命の十種神宝と干珠満珠 >

饒速日命は、大国主神。


別名、国平神、根子神の名は、国土を平にし、国の根っこを造った者だから。
猿田彦神や、歳神、稲荷神の名は、新しい稲作の技術を広め、稲を作りやすくした為。
(奈良盆地の奈良湖でのような湿田を、水利工事をして乾田にしたなど)

彼らには卓越した技術がありました。
日本各地で植樹をしたり、水利や治水の工事もしている。

中国の言葉で、「水を制するものは、国を制する」がある。
まさに、水を制した彼ら。

それが「干珠満珠」の伝承になっている。
また、様々な功績から、十種神宝の力として伝わっている。

(「饒速日命を求めて ⓽ ~天の鳥船の時代 後編~」)
(「大国主の幸魂奇魂」)
 

☆奈良盆地(やまと)の巨大湖(奈良湖)の水を、大物主神として引いた。
(「古代*奈良湖と裂田溝 ① ~亀石の伝承~」)
(「古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のへびは竜~」)

☆福岡の那珂川の水路、裂田溝(さくたのうなで)を、武内宿禰として神功皇后と共に造った。
(「古代*奈良湖と裂田溝 ③ ~豊受大神~」)

☆那珂川では高良神として、猫嶺城に住み、那珂川の水の管理をしていた。
夏はせき止め、田畑を潤していた。(ローカルな話ですみません)
 

(私が知るところではこれだけですが、全国にはまだあるかもしれない。
彼ら(名を替えられた彼ら)の名で、伝わっていると思う。)

彼一人の力ではできない。

ここ「建日向豊久士比泥別」は、蓬莱島。

徐福さん、饒速日命、高良神、神功皇后、御炊屋姫(日甕・ひみか・卑弥呼)、弁財天、市杵島姫命、豊姫など、
すべての伝承が、ここで繋がっていると感じられた。

 

< 邪馬台国 >

「儺国(なこく)」の「な」は、神の住むところという意味がある。
奇しくも蓬莱島の意味と同じ。

「奈良」の「な」と同じ意味。
*ならの「ら」は、古語で神、光を表す。
磯良神の「ら」と同じ。
磯良(イソラ・高良)神=磯神(いそのかみ)=石上(いそのかみ)神宮の神=布留神=饒速日命。


その両方にいた「饒速日命と御炊屋姫」。
彼らのいた場所が「な」の国であり、もう一つの名が「やまと」。
「やまと」も、また、「神の国」を表す。

「奴国(儺国)」も「やまと(神の国)」であるのだ。

魏志倭人伝の邪馬台国(やまと)は、その両方であると断言できる。
奴国(儺国)まで正規の行程。

それ以降は、うやむやにしたのだと思われる。
場所を隠すため。
他国に知られるのはまずいと思うのではないか。

自分なら、そうするだろう。

 

もう一つ、このシリーズを書いて気づいたことがあった。

 

( つづく )

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