神功皇后と宗像姫と瀬織津姫の伝承地*鼓島に触りたい
神功皇后の伝承地であった、福岡県福津市渡半島にある鼓島。
楯崎神社と波折神社にその伝承が残されていました。
(「楯崎神社 ~伝承の真実 その8~ 饒速日命と神功皇后 )
(「波折神社」)
半島の先、海にぽっかり浮かんでるのが鼓島。
ここへ来るのは3回目。
前の2回とも、途中で断念しています。
1年で一番水が引くこの日、時間をねらって再挑戦です。
楯崎神社から見た鼓島。
おおまかに二つの伝承がありました。
<楯崎神社>
大己貴命と宗像姫が、「夷の類」という狂暴な鬼神と戦った。
北の海に攻めてきて、人民を殺略した。
大己貴命と宗像姫は神軍を率いて、神の力を振るい、
楯を立て、(楯崎の由来)
鼓を鳴らし、(鼓島の名の由来)
夷賊を防御し、遂には滅ぼした。
その後の時代に神功皇后がこの地に訪れ、神社で三韓征伐の勝利を祈願した。
その時に船が着いたのが京泊の港。
<波折神社>
神功皇后の新羅を遠征して凱陣した時の事。
瀬織津大神、住吉大神、志賀大神の三神が鼓島に現れた。
神功皇后の船が着いたという京泊の海岸。
当時は、海岸線はもっと内側です。
今回は、ここから反時計回りで、鼓島に向かいます。
(前回は反対側から行った)
(少し行って、京泊の浜を振り返った所。
山で言ったら、かなりの岩稜帯です。)
近くにありながら、違う二つの神社の伝承。
それは、彼らが同神であったからです。
住吉大神、志賀大神、大己貴神は、饒速日命。
宗像姫(市杵島姫命)と瀬織津姫は、神功皇后でした。
二柱は天照大神と豊受大神です。
しばらく行くと昔の波止場に出ました。
ここまで釣り人が来ています。
4mはある高さの岩。
ロープがありました。
来てる人いるんですね!
鼓島が見えた!
近くまで行きます。
ここまでかー。
間に海が広がってます。
深そう!
鼓島、触りたかったー!(*」´□`)」
ほんとに鼓のようですね。
分かってはいましたけど、「神功皇后がここで三柱にあった」という伝承は、この島の特殊な形から作られた話なのでしょう。
それでも、二つの神社の伝承から、真実が見えてきます。
彼らは確かにこの地へ訪れていたのです。
「異類」と対峙する為です。
それが神功皇后の三韓征伐の話になったのでした。
戻ります!
潮が満ちたら、ここは確実に海の底。
振り返って撮った渡半島の先端。
戻ってる途中から撮った鼓島。
帰りは南側を通ります。
この箇所、前回来た時は通れませんでした
前回の写真。
時計回りで来て、ここで断念しています。
重箱石が見えてきました。
直径5mもあるほぼ正方形の岩。
巨石ファンが泣いて喜ぶ大きさ!(>▽<)
ここは、写真中央の崖を少し登り、ロープで降ります。
写真だといまいち大きさが分からない。
ちょっと離れたところから。
大きいんですよ。
楯崎神社の半島が見えました。
恋の浦の浜です。
下のゴールの場所です。
(渡半島は、昔、「恋の浦ガーデン」その前は野外美術館だったそうですが、今は閉鎖。入れなくなってます)
1 京泊の浜
反時計回りに行って、
2 古い波止場
鼓島が先端の先
3 重箱石
1周、1時間半か2時間くらいでした。
潮路表を見て、大潮で干潮の時間をご確認を。
万が一、怪我をして歩けなくなったら、潮が満ちてきます。
行かれるなら自己判断で。
山と違って、時間が来たら水が満ちて行くというドキドキがありました。
鼓島、触りたかったー(*ノ´□`)ノ
行ったあとで知ったのですが、干潮の時間って、場所によって違うそうです。
ってことは、まだ行けるやん!
触るのは無理っぽいけど。
また行きますΣd(≧∀≦*)
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