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2022年9月27日 (火)

祇園の神 19 ~ ⑥ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*神話の地~

前回の続きです。

(「祇園の神 18 ~⑤ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*真の道~」)

彼らの筑紫での異類退治。
それらが神話の元になっていました。

(以下、彼らとは饒速日命と御炊屋姫(みかしやひめ)、天照と豊受、住吉神と神功皇后・卑弥呼など*すべて同神)

 

神話の初めの方の神は、(ほぼすべて)名を変えた彼らです。
では、そこにある情景や背景は、すべて彼らが暮らしていたこの土地ということになります。
(彼らがいた大和も少し)

以下は、主なもの

1 筑紫島の四つの面(*1)

2 黄泉の国(黄泉の国)
イザナギ神、黄泉の者と対峙(彼らの異類退治)
黄泉の大岩を立てる(前回の黄泉の大岩)

3 イザナギ神の祓いの禊により神が生まれる(*2)
筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原
(黄泉から戻った地も高天原)

4 天照と須佐之男命(高天原)
誓約
須佐之男命の災厄
天の岩戸(「祇園の神 21」にて 多分)

5 豊玉彦(山幸彦)豊玉姫(竜宮)
龍神(竜宮)から玉をもらう

6 ニニギ命の天孫降臨(葦原の中津国)
筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)に天降る。
*「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、朝日の良く射し、夕日が良く照る国」とニニギ命はその地を褒めたたえています。

7 大国主神が須世理毘賣(すせりひめ)を妻として迎えた時

宇迦の山の山本に底津石根に太い宮柱を立て、宮殿を建てた

 

*************************

2 イザナギ神とイザナミ神の「黄泉の国」に関しては今までの考察へ。
彼らの異類退治の有様が元でした。
筑紫三山、熊野道祖神社の地がその結界を担っています。

4 の内、スサノオの災厄は、異類退治を彼らがしてたことを意味します。
2と同じ話であり同じ場所)

退治した者がされたモノの名になる=スサノオが退治した者であることを示唆。
スサノオは饒速日命。

誓約に関しては、以下の記事に詳細あります。
「神の交代」と「それぞれの同神」を示唆しています。

5 豊玉姫豊玉彦
京都の祇園祭の龍神は安曇磯良神(あんとんいそらかみ)。
安曇氏の神でもあり、福岡の志賀島にある志賀海神社(竜宮)の神。
神話で豊玉彦(山幸彦)が行ったという竜宮は「志賀海神社」を示す。
(龍神から玉をもらった=安曇磯良神が玉を持つ神)

祇園祭に登場する神、安曇磯良神、鹿島神、住吉神は同神。
住吉神は饒速日命(天照)であり、祇園祭のもう一柱の神功皇后は御炊屋姫(豊受大神)。

豊玉彦豊玉姫も彼ら自身。
(以下、詳細)

 

< 筑紫の日向 >


では、残ったうちの1 3 
これらも同じ場所です。

筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(イザナギ神の禊の地)

筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くしふるたけ)(ニニギ神の天孫降臨の地)

3は高天原、5は葦原の中津国でありながら、同じ筑紫の日向

もう一つ、日向がつく地があります。
1 「筑紫島の四つの面」の建日向豊久士比泥別(たてひむかとよくしひねわけ)
イザナギ神達が生み出した「中津国」の一つです。(*1)

図1 筑紫島の四つの面(北部九州)
海面上昇シュミレーションシステムより

ここが「筑紫の日向」
神話のニニギ命が天降ったのは、この地の久士布多気(くしふるたけ)です。

久士布流多気はここにある脊振山(せふりやま)のこと。

脊振山の由来は「二龍が常に出現し背を振るう」(背振神社蔵古書。「箸墓の歌」より)

その二龍とは山頂に祀られる市杵島姫命(弁財天・神功皇后、豊受)と毘沙門天である高良神(住吉・饒速日命、天照)を示します。

奇なるものが振る山、奇振る岳、櫛布留岳(くしふるたけ)。
櫛玉饒速日命、布留神である饒速日命のことです。

ニニギ命は同神なのですから、彼の由緒を示唆しているのです。

 

建日向豊久士比泥別とは、脊振山の二龍、豊と久士である彼らを表していました。
(*高千穂は、高く稲穂を積んだようなという意。脊振山系です)

(「脊振山の神々 後編 ~二柱の龍神」)アメブロの記事

この地は、「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じて」います。

図2 筑紫三山と真の道
地図はGoogle map



( つづく )

 

 

*1 筑紫島の四つの面
白日別は、筑後国一宮の高良大社の神である高良神(饒速日命、住吉神、天照)
豊日別は、宗像大社の神の市杵島姫命(御炊屋姫、神功皇后、豊受大神)
今の豊前豊後の一宮の神である神功皇后と宗像神(二柱は同神)。
建日別は、彼ら(神功皇后と住吉神)が対峙していた「熊襲」である羽白熊鷲の本拠地。
(**祇園祭は、彼らの「異類退治」の様を表す。)

では、もう一つ「建日向豊久士比泥別」は、彼らに深く関係するものであるはずです。
それが、ここ脊振山系を含む一帯。

 

*2 イザナギ神の祓いにより生まれた神。
天照、月読、須佐之男命は同神(イザナギも)。
後に、須佐之男命が天照と誓約をした時に誕生した神も、彼自身。

女神・天照の息からは、宗像三女神が生まれる。
彼女は、撞賢木厳御霊天疎向津姫命(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめのみこと)。
厳御霊は厳島の神である市杵島姫命であり宗像神。
向津は、神の妻を意味するもの。*3

彼女の夫神は天照国照彦天火明饒速日命。
男神・天照である饒速日命です。

 

天照と須佐之男命の持ち物を「交換する」のも、天照が入れ替わったこと(女神になった)を意味します。
(下記、詳細)


*3 向津姫
出雲大社の大国主神の摂社にあるのが御向社(みむかいしゃ)。
彼の后である大神大后(須世理比売命)が祀られる。
御向の名は、神の妻を意味するのです。

出雲大社の筑紫社の多紀理比売命は、宗像神(実際は一柱)
市杵島姫命。

大国主=大物主=饒速日命
須世理姫=宗像神=市杵島姫命=御炊屋姫

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 




2022年9月23日 (金)

祇園の神 18 ~ ⑤ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*真の道~

前回の続きです。

(「祇園の神 17 ⑤ ~神話と天照と卑弥呼と神功皇后*黄泉の大岩~」)

海からの異類の襲撃。

筑紫には、それと戦っていた彼らの足跡がありました。
(以下、彼らとは饒速日命と御炊屋姫、天照と豊受、住吉神と神功皇后など*すべて同神)

 

筑紫三山、熊野道祖神社はその結界です。
神社には神話の「黄泉の大岩」の元になった、くなど神が祀られます。
筑紫三山の海側の辺の真ん中にあり、当時の海岸線でもありました。

図1の2になります。

Iwato40_20220923054301

図1 筑紫三山と結界
地図はGoogle map

それを支えるように貫いているオレンジ色の線。
これが神話の天孫降臨にある「真の道」です。

「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、
 朝日のよく差す国、夕陽の照る国である。それでここはとてもよい国である」
(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國
 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)
(Wikipedia 「天孫降臨」より)

☆韓国に向かっては、大陸に向かっている様。(後の名称)

☆笠沙の岬
図1の1が笠沙の岬。(*1 注)
カサは古語で「貝が口を開けたような湾」(下記サイトより)

ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源)(リンク切れてる!)

サは古語で水辺に生える草の総称、つまり葦。(*2)
この地は古来、岬であり、葦津ヶ浦と呼ばれていました。
今は筥崎宮があります。

(博多のカタも意味が同じ。ハは美称。上記サイトより)

(「結びの山  11 ~天孫降臨~」) *下の記事に詳細)

 

☆真の道

図1の1~6は神社があります。

1は筥崎宮(笠沙の岬、葦津ヶ浦)
2は熊野道祖神社

3~6は那珂川市。(上の地図は古いので町になってる)
3天御中主神社
4現人神社(住吉の元宮)
5裂田神社(神功皇后の伝承地)
6日吉神社(日吉大社の元宮の一つ)

すべて御祭神は彼らを示します。

 

笠沙の岬へ通じる真の道

これは彼らが施したもの。
三山を用いて結界を張り、熊野道祖神社の地を神の力で支える。(*3)
筑紫三山と黄泉の大岩と真の道。
この様は偶然ではあり得ません。

 

神話では天孫、ニニギ命が天降った地とされます。
この地の様子を示唆したものなのです。

それは次回。

☆20 <ニニギの天孫降臨>

 

*飯盛山と若杉山に神を置いた(招いた)のは彼ら自身。
それで思い出しました。

少し脱線です。

********************************************

< 飯盛山と若杉山のイザナミとイザナギ >

以前、飯盛山へと流れる大きな光の帯を見ました。
人の想いや祈りが流れて行ってるのだと感じたのです。

<<人の想いや祈りは神を創る>>

そう熱田神宮で聞こえたことがあります。
山にはそれを集めるものがあり、神奈備(かんなび)と呼ばれるものがそうではないかと。
(山の上に神が降臨すると言われる理由です)
飯盛山はまさにそれでした。

実際に登って感じたのが「筑紫三山」の結界です。

では「イザナミ、イザナギ」とは、人の想いを集めるあの山の姿から名付けられたのではないか。

人の祈りを誘う山

誘い、そうして神が創られた。
それが「イザナミとイザナギ」です。

私でも見えるのですから、古代の人々はもっと日常的に見えていたと思われます。
その二柱の神話は、これらの山から創られたのです。

筑紫三山は、人の祈りを集めるお山。
この三山に祀られるのは、イザナギ神達と名を変えた彼ら。
では、祈りを誘う元・神を創る(仕掛け?)を施したのは彼らです。

あの力が神を創り、強力な結界の力となっているのです。

 

( つづく )


 

*1 葦津ヶ浦

現在の筥崎宮の場所は標高4m。
その地点程まで海があったのなら、葦津ヶ浦や岬であったというこの場所は、彼らの時代でも存在していたはずです。

筥崎宮は穂波にある大分(だいぶ)八幡宮神社から勧請されています。
神功皇后が三韓征伐から凱旋した折に、解散する兵に向け、大分かれ(おおわかれ)をしたという地。

筥崎宮よりも、東の山を越えた向こうの内陸にあります。

 

「笠沙の岬」である、この地に立つのは偶然ではありません。
人伝ですが、筥崎宮の宮司さんは「真の道」をご存知でした。

 

*2 サは葦。

*猿田彦のサルも古語で葦(湿地帯に生える草の総称)、または米。
サルタは那珂川や一部の地域で古代米(赤米)を意味します。

また、川などを堰き止め田畑に水を溜めて稲を作る農法(湿田)のことでもあります。

その農法を広めた人達が「さるた」と呼ばれるようになったのです。
(以下の記事)

 

奈良湖の水が引いたあと、これらの農法が広まりました。
それを指導した一人が大物主神である饒速日命。
彼が猿田彦でもあり、稲の神、稲荷神や宇迦之御霊、歳神である理由の一つです。

御炊屋姫は豊受大神であり、稲荷神、宇迦之御霊でもあります。
彼と共にそれを行った故です。

 

それ故に水を操る神ともされたのです。(以下の記事)
那珂川の裂田溝(さくたのみぞ)も神功皇后と武内宿禰が造ったとされます。

名を変えた彼らです。

 


*記事改訂しています。

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。




2022年9月18日 (日)

祇園の神 17 ~ ④ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*結界・黄泉の大岩~

前回の続きです。

(「祇園の神 16 ~③ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*筑紫での祓い~」)

 

< 高良神と神功皇后の異類退治(外海) >

異類は海からも来襲。
また、彼らは天日矛とアカル姫でもある為、朝鮮半島に行って戻っています。(*1 下記詳細)

この二つの話が一緒くたになり、「三韓征伐」となっているようです。


海からの異類を退治する話は、福岡の海岸線に多く残されています。
その中でも、波折神社と楯崎神社は、近くにありながら微妙に違う伝承と神々。
そこから彼らに繋がりました。

*特に、大己貴神は大神神社の大物主、饒速日命、天照。
宗像神は市杵島姫命、豊受、弁財天、御炊屋姫、女神・天照に繋がります。

(「波折神社*瀬織津姫と住吉神」)

 

これらを伝える神話での「三韓征伐」において、神功皇后の前に現れた神は、すべて彼らの同神です。

☆36の神功皇后の託宣

現れたのは同神。撞賢木厳御魂向津姫(女神・天照)、事代主、住吉三神。(*2)

また祇園祭において、住吉神と神功皇后は主役。
祇園の神、スサノオ命は彼でした。

ならば、神話の「高天原の災厄」は、彼を示すのです。
*災厄を鎮めたのが彼であることと、隠される理由との二つを掛けているのです。

スサノオが災厄の元=スサノオが災厄を止めた
スサノオは饒速日命(男神・天照)

災厄の元であるスサノオが高天原を追い出される
=災厄を止めた饒速日命(男神・天照)なのに、隠される存在となる

これが高天原の災厄の真相です。

  ☆2 <イザナギ黄泉で襲われる>
  ☆4 <イザナギの穢れの祓い>
  ☆14 <須佐之男命の大蛇退治>
  ☆32 <神武、ナガスネヒコによる抵抗にあう>
  ☆37 <神功皇后の熊襲退治>
  ☆38 <神功皇后の三韓征伐>
  ☆45 <高良神(住吉神)と神功皇后の熊襲退治>

 

記紀では、住吉神は神功皇后の「三韓征伐」の船の舳先の上に現れる。
高良の伝承では、住吉神と神功皇后が異類退治。
京都祇園祭は、住吉神、安曇磯良神、鹿島神と神功皇后の三韓征伐の凱旋風景。
高良大社、鹿島神宮の伝承では、安曇磯良神(高良神)は、住吉神、鹿島神、春日神、志賀神と同神。
高良大社、大阪住吉大社には、住吉神と神功皇后が夫婦。

それぞれの神社、祭りには、彼らの真実が伝わっています。
鹿、亀、また、境内にある岩など、それを示唆するものが存在します。

奈良の春日の鹿が神の使いであるのは、鹿が神の真の姿へと導くものであるからです。
春日神(武御雷神)=鹿島神=志賀神(鹿の島の神、安曇氏の神)=住吉神=安曇磯良神=高良神

ということは「神の真の姿」を知る必要があるということでは。

 

< 筑紫三山の封印 >

筑紫には海からの「異類」に対しても防御が施されました。

☆住吉神(饒速日命、大己貴神、天照)と神功皇后(御炊屋姫、宗像神、豊受神)が異類に対抗して、結界を置いた。
これが、神話の「黄泉の大岩(結界)を置く」。

図1の2の地点。

☆3 <イザナギの黄泉の大岩>

イザナギ神とイザナミ神は、この地に施された「祓いの結界」から創られた神です。

Iwato40図1 筑紫三山と黄泉の大岩と「真の道」
地図はGoogle map

A☆筑紫三山
三角に配置された山々。
そこに神事を施すと結界(守り)になります。

筑紫三山となる、飯盛山、若杉山、基山。
西の飯盛山の飯盛神社にはイザナミ神.。
東の若杉山の太祖宮にはイザナギ神。
南の基山の荒穂神社にはニニギ尊が祀られます。(皆彼らと同神)

*荒穂神社の五十猛命は、高良神であることが境内の石から分かる。
他に天照や神功皇后などの御祭神(*3 下記詳細))

その山頂には名を変えた彼らも祀られています。
それは、この結界を施したのが彼らであることを示します。

B☆「熊野道祖神社」(図1の2)
飯盛山と若杉山の真ん中の地点にあり、イザナギ神、久那斗(くなど)の神が祀られます。
道祖神は、外から来る魔・災いを防ぐ神。

くなどの神は、又の名を塞其黄泉大神(塞にいます黄泉大神)。
イザナギが、黄泉とこの世の境に置いたという大岩を象徴しているという神でした。

日本書紀では黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが投げた杖が化生した神。岐の神 wiki参照)

まさに、ここが黄泉の大岩。

C☆「真の道」
Bを後ろから支えるようにある、那珂川からつらぬく神社の道(神の道)です。(次回、記述)

三角の上の線は、ほぼ当時の海岸線です。
Bは塩原(海岸線で塩を作っていた)にあります。

Aの筑紫三山を用いて、異類から(今の)博多の街を守るように結界を張った。
Bの熊野道祖神社の場所に、結界の門を置く。(飯盛山と若杉山のほぼ中間地点)
Cの「真の道」で、神の力でそれを支えている構造です。

(神社は、彼らが神事を施した場所に、後に出来たと思われる)

 

神話ではこれがイザナギの黄泉への訪問(誘い)。
イザナミ神の誘い(いざなう・いざなわれる。故にイザナミ、イザナギ)により、黄泉の国へと入るイザナギ神。
黄泉の国で黄泉の者と対峙したイザナギ神は、地上との境に黄泉の大岩を立て、黄泉の者が入らないようにした。

 

何故、ここに結界を張ったか。
この地が重要な土地であったからです。

神話のイザナギが神が大岩を立てたのは、黄泉の国との境。
イザナギ神が戻ってきた地が「高天原」であったのです。

そこには、禊の地がありました。

 

 

( つづく )

 

 

******************************************

 

*1 天日矛とアカル姫

 

香春岳の麓に「現人神社」があります。
那珂川の現人神社と同じ名であり、調べたところ彼らにたどり着きました。
天日矛(アマノヒボコ)、又の名をツヌガアラシト。
日本出身のアカル姫を追って、大陸の半島からやってきた新羅の皇子とされます。

この皇子、応神天皇と名を変えます。
その場所が角賀であり、「敦賀(つるが)」の語源となりました。

「名を変える」は同神を表します。

(「もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~」)

(「もう一つの現人神社 3 辛国息長大姫大目命~」)

 

二柱は日本から一度、大陸へ渡り戻ったのです。
その話と外海の「異類退治」の話が一緒くたになり、「三韓征伐」となったのです。

 

*2 神功皇后の託宣で現れた三神。(「祇園の神 14」にも書きましたが)
撞賢木厳御魂向津姫、事代主、住吉三神の名。

神功皇后は撞賢木厳御魂向津姫(女神、天照。厳島の神、市杵島姫命)自身。
市杵島姫命は御炊屋姫であり、神功皇后と共にあった武内宿禰は住吉神と同神。

彼は饒速日命であるので、事代主神とも同神。
(高良の伝承ではこの場面無し。神功皇后と高良神(住吉神)が共に行動している)

 

*2 神功皇后と応神天皇

*応神天皇の出生が不自然(十月以上)なのは、仲哀天皇が存在しないからです。
*また、御子自体、その時には宿していないはずです。
*彼女は「三韓征伐」の戦勝の為の神事で福岡の各地の山を巡っていますが、身重ではあり得ません。(*後に)

彼女が登った山々の中でも浮嶽は、登山者の中でも有名な急登。
今でこそロープがありますが、斜面は砂地であり、つかんでも滑って宙に浮いて尻もちをつくくらい。

身重には絶対無理!(一度、登って確かめてみて!)

 

*3 筑紫三山の神

「筑紫三山」には、名を変えた彼らも祀られています。
飯盛神社には、イザナミ命、宝満神(玉依比女命)、八幡大神、中宮に五十猛命。
若杉山の太祖宮には、イザナギ命、天照皇大神 志賀大神 住吉大神、八幡大神 聖母大神 宝満大神
基山の荒穂神社には、瓊々杵尊、鴨大神、八幡大神、宝満大神、春日大明神、住吉大明神、五十猛命

 

宝満山の玉依姫は神功皇后(聖母大神)。

荒穂神社の五十猛命は、高良神(住吉神)。
*境内の石が高良大社の社の下に飛んで行ったという伝承がある。(同神を示唆)

住吉神、志賀神、春日大明神は同神。(高良玉垂宮神秘書)

高良神は饒速日命(物部の祖神)
饒速日命は賀茂大神と同神(三島溝杭神は賀茂大神)。

また、彼は天照大神。

 

神功皇后と住吉神は祇園の神です。
高良の伝承(高良神と神功皇后)と同じく、共に生きて行動していたのです。

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

2022年9月14日 (水)

祇園の神 16 ~ ③ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*筑紫での祓い~

前回の続きです。

(「祇園の神 15 ② ~神話と天照と卑弥呼と神功皇后*始まりは大和)」

神話は彼らの物語を、場面ごとに名を変えて表現していなした。

<高良神(住吉)と神功皇后の熊襲(異類)退治>

筑紫における彼らの熊襲退治(内陸側)

彼ら、饒速日命と御炊屋姫は、大和から北部九州へ。
彼女は市杵島姫命(弁財天)であり、その名は宗像の神を表します。
(「御炊屋姫を追って ⑩ 分御霊*廣瀬大社と豊受大神~」)

この地へ来てからの神話が、住吉神と神功皇后です。
様々に名を変え(大己貴神と宗像神など)、共に伝承にあります。(*1 下記注)

彼らの異類退治(祓い)の神話の一つが、前回の「筑紫島の四つの面」。
それぞれの地が彼らを由緒としています。

(神話の流れ☆数字は、「祇園の神 14」へ)

************************

まずは、彼らの「祓い」と神話の対比

1 筑紫で異類が暴れまわる

  ☆7 <須佐之男命による高天原の災厄>
  ☆46 <倭国騒乱>もこのことかも。
   ↓

2 彼らが筑紫へ移動(異類退治の為)

  ☆2 <イザナギ黄泉へ>
  ☆34 <神功皇后、筑紫へ>  
   ↓

3 異類退治

  ☆2 <イザナギ黄泉で襲われる>
  ☆4 <イザナギの穢れの祓い>
  ☆14 <須佐之男命の大蛇退治>
  ☆32 <神武、ナガスネヒコによる抵抗にあう>
  ☆37 <神功皇后の熊襲退治>
  ☆38 <神功皇后の三韓征伐>
  ☆45 <高良神(住吉神)と神功皇后の熊襲退治>

   ↓

4 退治をした後、結界を張る

  ☆3 <イザナギ黄泉の大岩>

 

 **************************

1 筑紫(北部九州)で異類が暴れまわる

筑紫に現れた異類の様子を表したものが、
☆7 須佐之男命による高天原の災厄。

「災厄」は異類である「命つくし神(筑紫神)など複数」によるもの。
*それは羽白熊鷲(はじろくまわし)・羽白熊襲(はじろくまそ)とも呼ばれています。

2 筑紫へ移動(異類退治の為)
筑紫で異類が暴れるようになったため、彼らは筑紫へ向かいます。

 

3 異類退治
それを退治したのは彼ら。
今の筑紫神は白日別のことであり、筑紫の国魂、高良大社の神を示す。
(高良神・住吉神・饒速日命)

退治した者が、退治されたモノの名になっています。(封印)

故に神話の「須佐之男命が災厄をばらまいた」は、
→「須佐之男命が災厄をばらまくものを退治した」ことになります。

☆須佐之男命が饒速日命であり、高良神なので、彼が災厄となる「筑紫神(命尽くし神)」を退治した。

☆32 <神武天皇、ナガスネヒコによる抵抗にあう>も、場所は違えど、これを意味してるのかもしれません。
また神武天皇は大和で土蜘蛛を退治しています。
彼も饒速日命であるので、それらは異類と対峙することを意味します。(大和にもいた)

 

< 祓いの神に関して >

前回の「筑紫島の四つの面」。
Kaimen22図1 筑紫島の四つの面
(海面上昇シュミレーションシステムより)

それらの地を分ける境の一つが、今の標高4mほど。
当時の海岸線でした。

Kaimen10_20220912054901

図2 AD200年頃の北部九州(筑紫)標高4m
地図はGooglemap

各地にある彼らの伝承地がそれよりも上にあります。

(「筑紫島四つの面 5 ~饒速日命と神功皇后の伝承地~」)

Jyohuku01_20220912055201

図3 筑紫島の四つの面の境目
地図はGooglemap
(図2 の真ん中あたりのアップ)

*白日別は高良神であり、住吉神(饒速日命)。
筑紫神でもあり、筑紫の国魂を示す。
筑紫の国魂は、筑後国一之宮の高良大社の御祭神、高良神(住吉神)のこと。図4の4(図3の1)
彼は饒速日命です。(高良は物部の地であり、祖神を祀る)

 

*豊日別は神功皇后(御炊屋姫)。
後の区分の豊国(豊前豊後)の一之宮(宇佐神宮など)の御祭神は神功皇后と宗像三神。
宗像三神が最初に祀られていたのは、宗像大社(豊日の地)。図4の2
宗像三神は一柱であり、市杵島姫命。
市杵島姫命は弁財天であり、御炊屋姫(饒速日命の后)。

住吉神と神功皇后は夫婦であり、異類を退治していた。(高良玉垂宮神秘書)
故に、神功皇后は御炊屋姫。
(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別神~」)

 

*建日向豊久士比泥別
(「筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~」)

*ネは古語で、神、光と言う意。読みは「ジ」ではなく、ネ。
(これは次回)

 

*建日別は熊襲。
それは神功皇后達が退治していた羽白熊鷲(羽白熊襲)を示す。

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図4 羽白熊襲の本拠地
地図はGooglemap

神話では建日別は熊襲の地とされます。
熊本あたりとされますが違います。

「熊襲の地」は古処山(秋月)。
そこに神功皇后が退治した羽白熊鷲(羽白熊襲)の本拠地がありました。
*それと対峙していたのが神功皇后と住吉神です。
彼らがその神話に関わるのです。
(「筑紫島の四つの面 3 ~建日別・熊襲の正体~」)

上の冷水峠が「シタクラツクシ坂」。

この地で五十猛神、白日別神、筑紫神、甕依姫、神功皇后の伝承が重なります。

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図5 冷水峠の位置
地図はGoogle map

図5は、図4の航空図。
<荒穂神社と筑紫神社に残る伝承から彼らへ>

☆1の基山の麓が荒穂神社。*基山の東で御祭神の五十猛命が荒ぶる神を退治。
ご祭神、五十猛命、住吉大神など。

☆2が筑紫神社と筑後風土記*命尽くす神(筑紫神)は、筑前と筑後の境のシタクラツクシ坂にいて甕依姫が鎮めた。
筑紫神(筑紫の御霊、白日別)、玉依姫(竈門神社から勧請)

☆3大根地山に神功皇后の伝承*(5が冷水峠、その側が大根地山)
羽白熊鷲を鎮める為に、神功皇后が山頂で神楽をして神を降ろした。
大根地神社には、天神七代、地神三代、雲閣稲荷大神(須佐之男命と大市姫)
(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

☆5が冷水峠

<シタクラツクシ坂は冷水峠> 

冷水峠を示す根拠  (上の地図の5)

☆冷水峠(大根地山の麓の青丸)は荒穂神社(図5の1の近く、基山の麓)から見て東(ほぼ)。(☆1)
☆筑前筑後の境の峠(「境の峠」と言えばここのみ。今の筑前筑後の境という意味ではない。)(☆2)
☆昔は長崎街道一の険しい道と言われていた。

*この周辺には、全部の条件が重なるのはここしかない。
(「二つの伝承 2 ~荒穂神社*佐賀県三養基郡~」)

☆冷水峠の側の大根地山には神功皇后の熊襲退治の伝承。(☆3)
「熊襲征伐の為、大根地山に神を召喚」

これらは同じ場所の同じ伝承。

では、同じ「荒ぶる神」を退治した話ならば、そこには「退治した神」を祀っているはずです。

筑紫神社の筑紫神は、命尽くした悪神を退治した、筑紫の国魂である高良神。

高良神は神功皇后と、それを退治しました。
それらの神社の神はすべて彼らです。(詳細は上記の記事)

*瓊瓊杵尊、住吉大神、春日大神、鴨大神(*、八幡大神、宝満大神(荒穂神社)
*筑紫神(筑紫の国魂、白日別)、玉依姫(竈門神社から勧請)(筑紫神社)
*宝満宮竈門神社の神は、玉依姫、神功皇后、八幡大神。

☆高良の伝承と鹿島の伝承には、
住吉神、鹿島神、鹿の島(志賀島)の神、春日神、安曇磯良神は同神。

☆筑紫神社の白日別は高神であり、
豊日別は神功皇后。

☆高良大社は、物部の領地であり、祖神、饒速日命を祀ったもの。

彼らは饒速日命と御炊屋姫でした。

(「神の系譜*豊受大神編 2 ~神功皇后と卑弥呼~」)アメブロの記事(まだこっちには書いてません) 


*荒穂神社の鴨大神について→(注*2)

*筑後風土記の甕依姫も神功皇后となります。


<大根地神社の稲荷神>

唯一、腑に落ちないのは、大根地神社の神。

雲閣稲荷大神として、須佐之男命と大市姫が後に合祀されています。

稲荷神はその二柱ではありません。

ですが、「祇園の神」が彼らであるならば、意味が通ります。
祇園の神は住吉神(春日神、安曇磯良神、八幡神)と神功皇后。
荒穂神社の神々と重なります。

彼らが饒速日命と御炊屋姫であるので、稲荷神と同神。
宇迦之御霊であり、豊受大神です。
(「御炊屋姫を追って ⑪ ~廣瀬と弁財天と女神の天照~」)

祇園の神、須佐之男命は饒速日命。
さらに彼が高良神。

神功皇后と共に異類である羽白熊鷲を退治したからこそ、大根地山に祀られていたのです。

*住吉神が饒速日命であり、彼らが夫婦ならば、仲哀天皇は架空の人物。

 


< 異類(熊襲)封印 >

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図5 封印された冷水峠
地図はGooglemap

上の図の1~7まで、神功皇后、高良神、及び別名が祀られている。
これを施したのは彼ら。(*3 )

7脊振山、6冷水峠、5柿木(神の気)
*後に言われる艮金神(北東の悪神)は饒速日命(実際は退治した方)
(「祓いの神 5 ~鬼門の神・艮金神~」)

この地の異類を封印した事の神話は、
☆3 <イザナギ神、黄泉の大岩>(他の場所もある。次回)

 

< カグツチ >

イザナギ神が黄泉へいく原因を造ったのはカグツチです。
イザナミ神は火の神カグツチを産んだ後亡くなっています。
カグツチ神は饒速日命。
退治した者が退治されたモノの名になることから、カグツチが災厄を退治した者。
神話においては災厄を待ち散らす方の名になる。
(災厄の原因を退治したという意味になる)

 

カグツチについて↓

(「射手引神社 1 ~神功皇后と高良神の熊襲退治~」)

*イザナギ(退治する者)が、退治されるモノがいる地へ行く過程が<イザナギ黄泉へ>

 

< 瀬織津姫 >

神話には少ししか登場しない瀬織津姫。
住吉神と共に「祓いの神」です。
彼女も饒速日命の后、御炊屋姫。
その名は豊受大神(御膳津神)も意味します。

(「御炊屋姫を追って 8 ~大神神社の御炊社の豊受大神~」)

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

******************************************

 

☆先の回で分かるとこは以下、飛ばしてください。

 

*1 饒速日命と御炊屋姫
彼らは天照と豊受、大己貴命と宗像姫、住吉神と神功皇后 他、神話の初めに出てくる神と同神
(*「祇園の神 14」の下記参照のこと。)

大己貴命は大神神社の神。
出雲大社の大国主神でもありますが、かの社に共に祀られる神の后とされる「筑紫社」も彼女です。
多紀理比売命(たぎりひめのみこと)とされますが宗像三神は一柱の神。
 名を変えられた大己貴命と宗像姫が筑紫で「異類」と戦う伝承は、出雲大社にも繋がります。

大社には大神の后として、大神大后人神社(御向社*大神の后)に須勢理比売命(すせりひめのみこと)が祀られます。
彼(饒速日命・住吉神)が「祇園の神」でもあるので、彼女(御炊屋姫・神功皇后)は須勢理比売命でもあります。
すせりひめの名は、天火明命(饒速日命)である山幸彦の別名、火酢芹命(ほすせりのみこと)との対の名。
御向社の名は、神に向かう者の名が后であることを表します。

女神天照である、撞賢木厳御霊天疎向津姫命(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめのみこと)の向津の名が、神本人ではなく、その后であることが分かります。

(*こんな風に社の名からも繋がっていくのです。御炊屋姫の名が御膳津神であり、豊受大神を意味することも大神神社の摂社、御炊社の名から知りました。→)

*祇園祭の神は、住吉神と神功皇后。
須佐之男命が住吉神、神功皇后がその后。


*2 鴨の神は、別名、三島溝杭であり、御炊屋姫の別名と同じ。
三島の島は、古語で星。オリオン座の三ツ星を意味します。
みぞくいは、御栄井で砂漠の中のオアシスの意味。(「儺の国の星」より)
それらは、住吉神を表します。
三島の神は、奈良の三島神社の布留大神であり、饒速日命。
鴨(賀茂など)神=住吉神=三島神=布留大神=饒速日命

 

*3 スピ的なことを信用を無くす(リアリティが無くなる)と注意されたことがあるのですが、
彼らは今で言う鬼道の中で生きていました。

それ抜きではたどり着けません。
鬼道=呪術、まじない、封印など

(鬼道とは、鬼=羽白熊鷲などを祓う道なのかもしれないです)

2022年9月 3日 (土)

祇園の神 15 ~ ② 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*始まりは大和~

前回の続き。

 

今までの記事と重なるところがありますが、神話と彼らのエピソードと対比してまいります。

以下、「彼ら」とは、饒速日命と御炊屋姫(天照大神と豊受大神、住吉神と宗像神、神功皇后と卑弥呼すべて同一人物)を表します。(前回の記事、注*1を参照のこと)

 

****

 

全ての始まり。

古代奈良盆地には、巨大な湖がありました。
今は奈良湖と言われてます。

ここも数々の神話の元になりました。

☆46<邪馬台国騒乱>({騒乱」はもしかしたら、異類によるものかも)

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図1   AD200年頃の奈良盆地
出典(「古代で遊ぼ」)

アマノトリフネで大和へと飛来した饒速日命。

☆28<饒速日命、大和へ>
☆31<神武東征>

☆41<神功皇后、大和に戻る>

 

(以下、追記)

☆38 神功皇后、三韓征伐へ。船の上で住吉神と邂逅。助力を得る。<三韓征伐>(日本書紀)
☆42 高良神(住吉神)、神功皇后と四王寺山で邂逅。<高良神と神功皇后であう>(高良玉垂宮神秘書)

*実際に彼らが出会っていたのは、大和。
両書とも、「仲哀天皇」の存在を加える為、筑紫で出会ったことにした。

 

饒速日命、ナガスネヒコの妹の御炊屋姫と夫婦になる。

☆1<イザナギ神とイザナミ神夫婦に。国産み>
☆29<饒速日命、御炊屋姫夫婦に>
☆23<山幸彦(豊玉彦)豊玉姫夫婦に>
☆43<高良神(住吉神)と神功皇后夫婦に>

*全て彼らなので、神話の夫婦の記述も、皆彼ら。
(猿田彦と天宇受売、他)

ナガスネヒコは饒速日命と同神。
(「ナガスネヒコ ~宿禰の初め~」)

 

 ☆48<卑弥呼共立、騒乱鎮まる>

*邪馬台国はやまと(神の国)、な国のなと同じ意味。
彼らがいた二カ所(な国と大和)が「邪馬台国(神の国)」。

Narako02_20220903204501図2  奈良、亀の瀬  山体崩壊の箇所 
出典(「古代で遊ぼ」)図1の左端真ん中

饒速日命、大和川川床開削。奈良湖の水を引く。

亀瀬岩から、亀石の伝承(当麻のヘビが水を引いた)、当麻の長尾神社へ。
大神神社の大物主神(大国主、大己貴神)が水を引いたと分かる。

一体の蛇(龍)の体は大神神社と竜王宮と長尾神社。
=三つの神社の神は同じであり、エピソードは同じ。

天照大神、豊受大神。
建玉比古命(賀茂の神)、建玉比賣命。
豊玉比古命(豊玉彦)は豊玉比賣(豊玉姫)との対の名であり、山幸彦の事。
大物主神(大国主神=大己貴神=饒速日命=天照大神)
御膳津神、市杵島姫命(宗像神)は豊受大神。

*このエピソードが「海の水を操る珠」の伝承になる。

(「古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪山のヘビは竜」)

 

☆18<大国主神の幸魂奇珠>

(「大国主神の幸魂奇魂」)=大物主神と同神を示唆

☆24<山幸彦(豊玉彦)の干珠満珠>

☆30<饒速日命、十種神宝>
☆39<神功皇后、三韓征伐で海の潮を制す(住吉神の力)>

☆44<高良神(住吉神、月神)の干珠満珠>

*高良の伝承で、龍神から直接珠を授かったのは、豊姫(豊玉姫)。神功皇后の妹とされるが、彼女自身だと分かる。
*彼らが持つ玉はすべて水の満ち引きを操る珠。
*高良の神はこの力故、月神とされる。(=隠された月読神 ☆5)

饒速日命の十種神宝と同じもの

☆17<大己貴命の試練>で彼と同じ、蜂のヒレ、蛇のヒレを使う。同神を示唆。



<饒速日命と御炊屋姫、北部九州へ>

饒速日命と御炊屋姫、北部九州へ。

筑紫に来たのは、異類(熊襲)を退治する為。(祓いの神の所以)
以降、高良神(住吉神)と神功皇后(宗像神)。

☆1<イザナギとイザナミ宮殿を建てる>
☆2<イザナギ黄泉へ>
☆20<ニニギの天孫降臨>
☆34<神功皇后、筑紫へ>

大和から北部九州に移ったことが「国を譲る」。

☆19<大国主神(荒御魂)、国を譲る>
☆33<饒速日命(大物主*和御魂)、国を譲る>(*前回記述)

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図3 AD200年頃の北部九州
今の標高4mほどが海岸線

それぞれの土地に関係あるのが彼らなので、上の図の状態の時、存在した。

*市杵島姫命が宗像神なので、ここが豊日別。
*豊国(豊前豊後)は、宇佐神宮(神功皇后)が出来てからの区分。
(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別神~」)

熊襲は神功皇后が退治していたもの。(建日別に本拠地がある)
(「筑紫島の四つの面 3 ~建日別・熊襲の正体~」)

☆1<イザナギ、イザナミの国産み>「筑紫島の四つの面」

*祓いに関すること他は次回。

 

 

( つづく )

 

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

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