結界・黄泉の大岩 ~神話の真相 5~
前回の続きです。
< 高良神と神功皇后の異類退治(外海) >
異類は海からも来襲。
また、彼らは天日矛とアカル姫でもある為、朝鮮半島に行って戻っていいる。(*1 下記詳細)
この二つの話が一緒くたになり、「三韓征伐」となっているよう。
海からの異類を退治する話は、福岡の海岸線に多く残されている。
その中でも、波折神社と楯崎神社は、近くにありながら微妙に違う伝承と神々。
そこから彼らに繋がった。
*特に、大己貴神は大神神社の大物主、饒速日命、天照。
宗像神は市杵島姫命、豊受、弁財天、御炊屋姫、女神・天照に繋がる。
(「波折神社*瀬織津姫と住吉神」)
これらを伝える神話での「三韓征伐」において、神功皇后の前に現れた神は、すべて彼らの同神。
☆36の神功皇后の託宣
現れたのは同神。撞賢木厳御魂向津姫(女神・天照)、事代主、住吉三神。(*2)
また祇園祭において、住吉神と神功皇后は主役。
祇園の神、スサノオ命は彼だった。
ならば、神話の「高天原の災厄」は、彼を示すのだ。
*災厄を鎮めたのが彼であることと、隠される理由との二つを掛けている。
スサノオが災厄の元=スサノオが災厄を止めた
スサノオは饒速日命(男神・天照)
災厄の元であるスサノオが高天原を追い出される
=災厄を止めた饒速日命(男神・天照)なのに、隠される存在となる
これが高天原の災厄の真相。
☆2 <イザナギ黄泉で襲われる>
☆4 <イザナギの穢れの祓い>
☆14 <須佐之男命の大蛇退治>
☆32 <神武、ナガスネヒコによる抵抗にあう>
☆37 <神功皇后の熊襲退治>
☆38 <神功皇后の三韓征伐>
☆45 <高良神(住吉神)と神功皇后の熊襲退治>
記紀では、住吉神は神功皇后の「三韓征伐」の船の舳先の上に現れる。
高良の伝承では、住吉神と神功皇后が異類退治。
京都祇園祭は、住吉神、安曇磯良神、鹿島神と神功皇后の三韓征伐の凱旋風景。
高良大社、鹿島神宮の伝承では、安曇磯良神(高良神)は、住吉神、鹿島神、春日神、志賀神と同神。
高良大社、大阪住吉大社には、住吉神と神功皇后が夫婦。
それぞれの神社、祭りには、彼らの真実が伝わっている。
鹿、亀、また、境内にある岩など、それを示唆するものが存在する。
奈良の春日の鹿が神の使いであるのは、鹿が神の真の姿へと導くものであるからだ。
春日神(武御雷神)=鹿島神=志賀神(鹿の島の神、安曇氏の神)=住吉神=安曇磯良神=高良神
ということは「神の真の姿」を知る必要があるということでは。
< 筑紫三山の封印 >
筑紫には海からの「異類」に対しても防御が施された。
☆住吉神(饒速日命、大己貴神、天照)と神功皇后(御炊屋姫、宗像神、豊受神)が異類に対抗して、結界を置いた。
これが、神話の「黄泉の大岩(結界)を置く」。
図1の2の地点。
☆3 <イザナギの黄泉の大岩>
イザナギ神とイザナミ神は、この地に施された「祓いの結界」から創られた神。
A☆筑紫三山
三角に配置された山々。
そこに神事を施すと結界(守り)になる。
筑紫三山となる、飯盛山、若杉山、基山。
西の飯盛山の飯盛神社にはイザナミ神.。
東の若杉山の太祖宮にはイザナギ神。
南の基山の荒穂神社にはニニギ尊が祀られる。(皆彼らと同神)
*荒穂神社の五十猛命は、高良神であることが境内の石から分かる。
他に天照や神功皇后などの御祭神(*3 下記詳細))
その山頂には名を変えた彼らも祀られている。
それは、この結界を施したのが彼らであることを示す。
B☆「熊野道祖神社」(図1の2)
飯盛山と若杉山の真ん中の地点にあり、イザナギ神、久那斗(くなど)の神が祀られる。
道祖神は、外から来る魔・災いを防ぐ神。
くなどの神は、又の名を塞其黄泉大神(塞にいます黄泉大神)。
イザナギが、黄泉とこの世の境に置いたという大岩を象徴しているという神だった。
日本書紀では黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが投げた杖が化生した神。(岐の神 wiki参照)
まさに、ここが黄泉の大岩。
C☆「真の道」
Bを後ろから支えるようにある、那珂川からつらぬく神社の道(神の道)。(次回、記述)
三角の上の線は、ほぼ当時の海岸線。
Bは塩原(海岸線で塩を作っていた)にある。
Aの筑紫三山を用いて、異類から(今の)博多の街を守るように結界を張った。
Bの熊野道祖神社の場所に、結界の門を置く。(飯盛山と若杉山のほぼ中間地点)
Cの「真の道」で、神の力でそれを支えている構造。
(神社は、彼らが神事を施した場所に、後に出来たと思われる)
神話ではこれがイザナギの黄泉への訪問(誘い)。
イザナミ神の誘い(いざなう・いざなわれる。故にイザナミ、イザナギ)により、黄泉の国へと入るイザナギ神。
黄泉の国で黄泉の者と対峙したイザナギ神は、地上との境に黄泉の大岩を立て、黄泉の者が入らないようにした。
何故、ここに結界を張ったか。
この地が重要な土地であったからだ。
神話のイザナギが神が大岩を立てたのは、黄泉の国との境。
イザナギ神が戻ってきた地が「高天原」であったのだ。
そこには、禊の地があった。
( つづく )
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*1 天日矛とアカル姫
香春岳の麓に「現人神社」がある。
那珂川の現人神社と同じ名であり、調べたところ彼らにたどり着いた。
天日矛(アマノヒボコ)、又の名をツヌガアラシト。
日本出身のアカル姫を追って、大陸の半島からやってきた新羅の皇子とされる。
この皇子、応神天皇と名を変える。
その場所が角賀であり、「敦賀(つるが)」の語源となった。
「名を変える」は同神を表す。
二柱は日本から一度、大陸へ渡り戻ったのです。
その話と外海の「異類退治」の話が一緒くたになり、「三韓征伐」となったのです。
*2 神功皇后の託宣で現れた三神。(「祇園の神 14」にも書きましたが)
撞賢木厳御魂向津姫、事代主、住吉三神の名。
神功皇后は撞賢木厳御魂向津姫(女神、天照。厳島の神、市杵島姫命)自身。
市杵島姫命は御炊屋姫であり、神功皇后と共にあった武内宿禰は住吉神と同神。
彼は饒速日命であるので、事代主神とも同神。
(高良の伝承ではこの場面無し。神功皇后と高良神(住吉神)が共に行動している)
*2 神功皇后と応神天皇
*応神天皇の出生が不自然(十月以上)なのは、仲哀天皇が存在しないからです。
*また、御子自体、その時には宿していないはずです。
*彼女は「三韓征伐」の戦勝の為の神事で福岡の各地の山を巡っていますが、身重ではあり得ません。(*後に)
彼女が登った山々の中でも浮嶽は、登山者の中でも有名な急登。
今でこそロープがありますが、斜面は砂地であり、つかんでも滑って宙に浮いて尻もちをつくくらい。
身重には絶対無理!(一度、登って確かめてみて!)
*3 筑紫三山の神
「筑紫三山」には、名を変えた彼らも祀られています。
飯盛神社には、イザナミ命、宝満神(玉依比女命)、八幡大神、中宮に五十猛命。
若杉山の太祖宮には、イザナギ命、天照皇大神 志賀大神 住吉大神、八幡大神 聖母大神 宝満大神
基山の荒穂神社には、瓊々杵尊、鴨大神、八幡大神、宝満大神、春日大明神、住吉大明神、五十猛命
宝満山の玉依姫は神功皇后(聖母大神)。
荒穂神社の五十猛命は、高良神(住吉神)。
*境内の石が高良大社の社の下に飛んで行ったという伝承がある。(同神を示唆)
住吉神、志賀神、春日大明神は同神。(高良玉垂宮神秘書)
高良神は饒速日命(物部の祖神)
饒速日命は賀茂大神と同神(三島溝杭神は賀茂大神)。
また、彼は天照大神。
神功皇后と住吉神は祇園の神です。
高良の伝承(高良神と神功皇后)と同じく、共に生きて行動していたのです。
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