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2022年9月23日 (金)

祇園の神 18 ~ ⑤ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*真の道~

前回の続きです。

(「祇園の神 17 ⑤ ~神話と天照と卑弥呼と神功皇后*黄泉の大岩~」)

海からの異類の襲撃。

筑紫には、それと戦っていた彼らの足跡がありました。
(以下、彼らとは饒速日命と御炊屋姫、天照と豊受、住吉神と神功皇后など*すべて同神)

 

筑紫三山、熊野道祖神社はその結界です。
神社には神話の「黄泉の大岩」の元になった、くなど神が祀られます。
筑紫三山の海側の辺の真ん中にあり、当時の海岸線でもありました。

図1の2になります。

Iwato40_20220923054301

図1 筑紫三山と結界
地図はGoogle map

それを支えるように貫いているオレンジ色の線。
これが神話の天孫降臨にある「真の道」です。

「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、
 朝日のよく差す国、夕陽の照る国である。それでここはとてもよい国である」
(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國
 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)
(Wikipedia 「天孫降臨」より)

☆韓国に向かっては、大陸に向かっている様。(後の名称)

☆笠沙の岬
図1の1が笠沙の岬。(*1 注)
カサは古語で「貝が口を開けたような湾」(下記サイトより)

ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源)(リンク切れてる!)

サは古語で水辺に生える草の総称、つまり葦。(*2)
この地は古来、岬であり、葦津ヶ浦と呼ばれていました。
今は筥崎宮があります。

(博多のカタも意味が同じ。ハは美称。上記サイトより)

(「結びの山  11 ~天孫降臨~」) *下の記事に詳細)

 

☆真の道

図1の1~6は神社があります。

1は筥崎宮(笠沙の岬、葦津ヶ浦)
2は熊野道祖神社

3~6は那珂川市。(上の地図は古いので町になってる)
3天御中主神社
4現人神社(住吉の元宮)
5裂田神社(神功皇后の伝承地)
6日吉神社(日吉大社の元宮の一つ)

すべて御祭神は彼らを示します。

 

笠沙の岬へ通じる真の道

これは彼らが施したもの。
三山を用いて結界を張り、熊野道祖神社の地を神の力で支える。(*3)
筑紫三山と黄泉の大岩と真の道。
この様は偶然ではあり得ません。

 

神話では天孫、ニニギ命が天降った地とされます。
この地の様子を示唆したものなのです。

それは次回。

☆20 <ニニギの天孫降臨>

 

*飯盛山と若杉山に神を置いた(招いた)のは彼ら自身。
それで思い出しました。

少し脱線です。

********************************************

< 飯盛山と若杉山のイザナミとイザナギ >

以前、飯盛山へと流れる大きな光の帯を見ました。
人の想いや祈りが流れて行ってるのだと感じたのです。

<<人の想いや祈りは神を創る>>

そう熱田神宮で聞こえたことがあります。
山にはそれを集めるものがあり、神奈備(かんなび)と呼ばれるものがそうではないかと。
(山の上に神が降臨すると言われる理由です)
飯盛山はまさにそれでした。

実際に登って感じたのが「筑紫三山」の結界です。

では「イザナミ、イザナギ」とは、人の想いを集めるあの山の姿から名付けられたのではないか。

人の祈りを誘う山

誘い、そうして神が創られた。
それが「イザナミとイザナギ」です。

私でも見えるのですから、古代の人々はもっと日常的に見えていたと思われます。
その二柱の神話は、これらの山から創られたのです。

筑紫三山は、人の祈りを集めるお山。
この三山に祀られるのは、イザナギ神達と名を変えた彼ら。
では、祈りを誘う元・神を創る(仕掛け?)を施したのは彼らです。

あの力が神を創り、強力な結界の力となっているのです。

 

( つづく )


 

*1 葦津ヶ浦

現在の筥崎宮の場所は標高4m。
その地点程まで海があったのなら、葦津ヶ浦や岬であったというこの場所は、彼らの時代でも存在していたはずです。

筥崎宮は穂波にある大分(だいぶ)八幡宮神社から勧請されています。
神功皇后が三韓征伐から凱旋した折に、解散する兵に向け、大分かれ(おおわかれ)をしたという地。

筥崎宮よりも、東の山を越えた向こうの内陸にあります。

 

「笠沙の岬」である、この地に立つのは偶然ではありません。
人伝ですが、筥崎宮の宮司さんは「真の道」をご存知でした。

 

*2 サは葦。

*猿田彦のサルも古語で葦(湿地帯に生える草の総称)、または米。
サルタは那珂川や一部の地域で古代米(赤米)を意味します。

また、川などを堰き止め田畑に水を溜めて稲を作る農法(湿田)のことでもあります。

その農法を広めた人達が「さるた」と呼ばれるようになったのです。
(以下の記事)

 

奈良湖の水が引いたあと、これらの農法が広まりました。
それを指導した一人が大物主神である饒速日命。
彼が猿田彦でもあり、稲の神、稲荷神や宇迦之御霊、歳神である理由の一つです。

御炊屋姫は豊受大神であり、稲荷神、宇迦之御霊でもあります。
彼と共にそれを行った故です。

 

それ故に水を操る神ともされたのです。(以下の記事)
那珂川の裂田溝(さくたのみぞ)も神功皇后と武内宿禰が造ったとされます。

名を変えた彼らです。

 


*記事改訂しています。

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