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2022年10月27日 (木)

神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神・日月の神~

続きです。

(「神の系譜 1 ~新嘗祭と天照大神と饒速日命と住吉神~」)

新嘗祭は、皇祖神である饒速日命に連なる神事。
では、皇祖神・天照大神を祀る伊勢神宮の神は。

 

< 伊勢の神と籠神社の神 >

伊勢の内宮に祀られているのは、本来は男神・天照大神である饒速日命。

彼の名は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)。
この名を分解した神の名も彼です。

天照大神、天火明命、櫛玉彦、饒速日命。

 

伊勢(内宮)の神は独り身では寂しいと下宮に、籠神社の月神(*2)を呼び寄せる。(伝承での話)
独り身が寂しいと言うのは男神とは「古代史の謎」の著者 関裕二氏。

外宮の神は豊受大神。
籠神社の豊受大神であり、市杵島姫命です。
宗像三神と言われてますが、実は一柱。

では、内宮におられるのは、籠神社に祀られる豊受大神の「片割れ(夫婦神)」である、天火明命。
籠神社ではそれを饒速日命とし、市杵島姫命は夫婦神としています。

内宮の神は、饒速日命だとここからも分かります。

*この辺り、関裕二氏の「古代史の謎」を参考にしています。

(「古代史の謎」 2 ~籠神社の神は天照大神・饒速日命~」)

 

内宮と籠神社

天照大神=天火明命=饒速日命。(内宮)
豊受大神=市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)(宗像三神)。

 (宗像三女神については後にまとめます)

 

< 月神・饒速日命と高良神 >

*2 の内宮の天照が呼び寄せた外宮の月神。
籠(この)神社では、月神が饒速日命です。

 

月神の名を持つ者に、高良大社の神、高良神がおられます。
福岡県久留米市の筑後国一之宮、高良大社(高良玉垂宮)の神。

高良の伝承(高良玉垂宮神秘書)では、住吉の底筒男神であり、安曇磯良(アントンイソラ)神。

(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)

Koura_20221027124201

(高良大社)

 海の民、安曇(あずみ)氏の神でもあり、長野の安曇の地名などは、彼を信仰した一族が移り住んだ地です。
その名は彼を表します。
(故に、山中の神社に海の神が祀られる)

 

「高良玉垂宮神秘書」には、かの神の同神が記されてます。
高良神は、住吉(底筒男)神。
常陸国の神(鹿島神)
春日の神(武御雷神・たけみかづちかみ)
勝馬(福岡の志賀島の志賀神社の神の綿津見神・わたつみのかみ)。

 

高良大社は古来、物部の領地。
その社は彼らの祖神、饒速日命を祀るもの。

高良神は、住吉神であり、饒速日命です。
(住吉三神は、実は一柱)

☆鹿島の神について、記事の一番下に補足説明します。*3
高良大社と同じ伝承(同神など一致)があります。

 

(今は分かりませんが)鹿島神宮は、物部氏が神官を務めていました。
「儺の国の星」の著者、真鍋大覚氏は物部の子孫であり、先祖は鹿島神宮の神官を代々していたのです。

鹿島神宮が、物部の祖神を祀ることは間違いないです。

 

☆伊勢の月神は、籠神社と高良大社の饒速日命。
☆高良大社の神は、住吉神。

伊勢の神=月神=饒速日命=住吉神

 

では、「神の系譜 1」で分かった「新嘗祭は饒速日に連なる神事」と繋がります。

その神事は、伊勢の神である饒速日にまつわるもの。
住吉神と歳神(稲穂の神)が関わるのは、彼が饒速日命だから。


しかし、内宮の神を女神としたときに、「月神の名」をも豊受大神に変えられたのです。*4

本来は内宮の天照が、日神であり、月神です。
神話で、天照が岩屋に隠れた(隠された)ことは、これも示唆している)(前回の*1のこと)
 

月神、饒速日命は、高良神(磯良神)である住吉神と同神。
 磯良神は鹿島、春日と同神。

天照(伊勢の神)=日神月神=籠神社、高良神社(磯良神)の神=住吉神=鹿島神、春日神=武御雷神=綿津見神=饒速日命

 

< 日月の神・艮金神・国常立神 >

男神・天照大神は、日神であり、月神。
日月の神は、艮金神(ウシトラのコンジンカミ)です。

又の名を、国常立神。

艮金神の名は、鬼門に出た鬼を退治したことから。

退治した者が、退治された者の名を名乗るのは、封印になる。*5(次回以降)
(「祓いの神 5 ~鬼門の神・艮金神~」)(アメブロのブログ)

 

艮金神は国常立神。
天理教の神でもある。

教祖の中山みき氏は、今のおぢばの場所でこの神と邂逅し、教祖となりました。

おぢばができる前、そこには三島神社がありました。(後に今の場所へ移設)

Screenshot_202210271312192(奈良*三島神社*神様が写ってるらしい)

三島神社の御祭神は布留(ふる)神。
石上神宮の布留大神です。

かの社は物部の祖神、饒速日命を祀ります。

(「’14 天理教教会本部 」)
(「饒速日命を求めて ⑲ ~日月の神・饒速日命~」)

中山みき氏が邂逅した、日月の神、艮金神は饒速日命であったのです。

日月神=艮金神=国常立神=三島神社、石上神宮の神(布留神)=饒速日命。

 

*福岡一帯の「三島神社」の神は高良神であり、彼は饒速日命なので一致しています。
(ともに神功皇后が祀られている)

 

 伊勢神宮に祀られる神は饒速日命であり、高良と鹿島の伝承の磯良神です。

名から導き出される数多のことがありました。

 

( つづく )


*************************************************

*3について

袋中上人氏の「琉球神道記」に鹿島明神についての一説があります。

(以下、引用)

「鹿島明神はもとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。常州鹿島の海底に居す。一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。神功皇后、三韓に征し給う時に九尾六瞬の亀に乗りて、九州にきたる。勅によりて、梶取となる。

また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。同じく磯良の変化なり」とある。

 

鹿島明神は建御雷神であり、磯良神。

その鹿島明神と筑前の鹿島神(志賀島の神)と春日神は同神ということ。

高良の伝承と同じことを告げている。

 

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

2022年10月10日 (月)

神の系譜 1 ~新嘗祭と天照大神と饒速日命と住吉神~

ここで一度まとめます。(あちこちにあるので)

 

本来の天照大神は男神です。
女神・天照は後の為政者に変えられたもの。

現在は、豊受大神(女神)がその役目をしており、本来の天照大神は隠された状態です。
これがまさに「天岩戸隠れ」。*1

 

記紀、神話は過去の物事を象徴的に転化し、また核心を隠してます。
それだけではなく、巧妙に未来をも暗示しています。

「岩戸開き」とは、かの神が再びその座につくことに他なりません。

人の祈りが神の力になるのです。
一人でも多くの人が、これに気づいてくださいますように。

 

< 皇祖神・饒速日命と住吉神 >

男神・天照大神こそ、饒速日命。
新嘗祭から、住吉神、饒速日命に繋がりました。

新嘗祭の意味から考察です。
(毎年、11月22日から23日にかけて行われる)

 

< 祖霊神・天照大神の魂を受け継ぐ >

☆饒速日命と魂振り神事。
本来、神事は旧暦で行うもの。

旧暦の11月22日は、12月の冬至の頃に当たります。
その日(23日の0時)の南中にはオリオンの三ツ星があります。

Screenshot_202210092248502

(星座早見アプリ より)

オリオンの三ツ星は、住吉神を意味します。
その神事は、皇祖神である住吉神の魂を受け継ぐもの。

住吉の神は饒速日命。

 ★参考サイト「日礼自動車」 (現在の新嘗祭について)

 

現在は新暦で行われています。
なので、上記の意味が分からない状態。

また彼を祀る石上神宮では、同じ日に(新暦の11月22日)神事があります。
それが 鎮魂祭(魂振り神事)。

この日は、饒速日命の命日だと伝えられていて、蘇りの儀式。


《魂を受け継ぎたい神》は、その日亡くなった神。
新嘗祭は、饒速日命から連なる祭りです。

(「新嘗祭と住吉神と饒速日命 その1 ~住吉神~」)(新嘗祭、魂振り神事、歳神)

 

< 歳神(倉稲魂命、稲荷神)に新穀を祝いお礼をし、共食する >

☆歳神、宇迦之御魂

《一年に一度》生まれ変わりをすると伝えられている神、歳神(としがみ)さま。
年始に幼児の姿として現れ、年の終わりに翁になるという稲穂の神。

須佐之男神の子、大歳、饒速日命です。

稲荷神や倉稲魂神、宇迦之御魂神とされる神も歳神です。
(豊受大神と「働き」が一緒くたにされている=二柱が稲荷神、宇迦之御魂でもあるということ)

皇祖神=住吉神=饒速日命=歳神=宇迦之御魂



< 旧暦のその夜、住吉神(三ツ星)が南中に、その反対に北辰(北極星)にくる >

☆ 北辰妙見・天御中主神 

上記のことから、天御中主神にも繋がります。

南中にくる三ツ星の反対、北の空にあるのは北極星です。
北極星は、北辰妙見(ほくしんみょうけん)さま、天御中主神です。

彼も饒速日命。


あめのみなかぬし。
天空の中心にある神。
まさに、北辰(北極星)のこと!

 

☆星神・天津甕星(あまつみかぼし)

また、星の神である天津甕星(天香香背男・あまのかがせお)神なども、彼を表します。
この神は、後に説明します。

北辰妙見=天御中主神=天津甕星=饒速日命

(「新嘗祭と住吉神とニギハヤヒ ~その2~」)

(住吉神、布留神、天津甕星、北辰妙見、三ツ星、八幡神)

☆新嘗祭は彼にまつわる神事である=祖神は饒速日命である。


しかし、どこかの時点で歪められてしまった。
だからこそ、饒速日命は神話で追いやられ、隠される神(月神)となったのです。

 

 

( つづく )

 

アメブロで「新嘗祭」の記事を書いてる時、旧暦による神事のことや北辰妙見さまのことなど、教えて頂きました。
山ナビで山友になって立山にも御一緒させて頂いた、法禅さんのブログです。

< 山伏の日々 >

 

ありがとうございました!

 

 

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2022年10月 6日 (木)

祇園の神 21 終章~ ⑧ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*天岩戸と予言~

前回の続きです。

(「祇園の神 20 ~ ⑦ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*高天原~」)

 

< 天岩戸 >

この筑紫三山、もう一つのラインがありました。

これが「天岩戸」へと繋がります。

筑紫三山の一つ、若杉山の麓に下宮の太祖宮があります。(図2 の7)

Taiso03

図1 太祖宮*下宮

この社と他の二山(飯盛山と基山)を結んで出来た三角が、下の図の青いライン。

2sanzan07

図2 天岩戸

太祖宮下社と脊振を結んだラインが上の図の緑のラインです。

そのライン上にあるもの。

4 現人神社(住吉の元宮)(少し北)(*1)

7 若杉山の太祖宮(下宮)

8 岩戸の地形

9 天岩戸

10 脊振山

(★1~6は前回と前々回の「真の道」)



<★9 天岩戸 >

那珂川市にあり、山神社の境内にある大きな岩がそれです。

旧地名は岩戸村戸板。

Iwato27

図(写真)2 山神社の天岩戸
磨崖仏さんがおられます

(「結びの山 その9 ~天岩戸~」)

 

ここには「天岩戸の片方がここへ落ち、もう片方が奈良の片戸神社の境内へ落ちた」という伝承があります。

奈良の片戸神社は確認出来ませんでした。
もしかすると初めから無いのかもしれません。

神社の伝承のアイテムが導くものは、同神を示唆するものだからです。

つまり「大和と筑紫の神は同じ」であると、天岩戸の物語の主人公である天照の由緒を示しているのです。(*2)

Iwato26図3 成竹山展望台からの那珂川市と博多の街

<★8 岩戸の地形>

地形の「岩戸」もこの緑の線上「岩戸のライン」にあります。(図2 の8)*3

図3では7の緑の丸で囲んだ部分が岩戸の地形。
(*川が最初に山と山に挟まれる部分。やまと(山門)でもある)



緑のライン上には神話の「天岩戸」が示唆するものがありました。
彼(饒速日命・住吉神)がスサノオ命でもあるからこそ、繋がるものです。

若杉山の太祖宮(イザナギ神、天照、住吉、神功皇后など)

現人神社(住吉神、神功皇后)

岩戸の地形

天岩戸(大山祇神)

脊振山(クシフル岳)*布留神(饒速日命)、市杵島姫命(豊受、神功皇后、御炊屋姫)

すべて彼らが関係あります。

 

< 神話の天岩戸 >

天岩戸神話は、

*彼らの伝承(異類退治ほか)から作られたもの。
*後の為政者による「男神天照と女神天照の交代」。

それらすべてを物語にしたものでした。
(「祇園の神 7 ~神話の中の須佐之男命~」)



この地にそれらすべてが揃っているのは、この地が神話の舞台であることを示しているのです。

 

< 予言 >

では、神話の天岩戸とこの地の彼らに関して繋がることがあります。

 

住吉神の元宮の「現人神社」。
そこには、こんな言い伝えがありました。

 

(現人神社)

★1 かの神は、国の大事の時、再び現れる

 

文字通り、国の一大事の時に、再来するという予言です。
故に「現人神」。

(*由来は、人(神功皇后)の前に初めて現れた神でもある)

 

そして、脊振山の伝承。

★2 二龍が常に出現し背を振るう時、山が動き大地が揺れる

二龍とは、彼ら饒速日命と御炊屋姫(住吉神、神功皇后)。
神話の建日向豊久士比泥別、クシフル岳とは、このお山のことです。(*5)

 

彼らが「現人神社」の神ならば、それは、「山が動き大地が揺れる時、二龍が常に出現する」ことを意味します。

★1★2の伝承と神話を重ねますと、このような意味になります。

 

★ 天照が天岩戸に入り、闇になる。
岩戸が開き、天照が現れて光が戻る。

 

災厄がこの国にある時、再び天照が現れる。

 

災厄とは。

こんな世になっても、人には何とも出来ないことなのかもしれません。
だからこんなに長い間、神話が語り継がれてきたのかも。

 

脊振山の前にある「天岩戸」

岩戸が開かれる時、現れるのは彼らです。

 

住吉神は、天照である饒速日命。
この「まじない」は、未来の天照への希望のように思えます。

Narutake02-2

祇園の神で繋がった彼らと神話。
そのすべてが彼らの生きた足跡でした。

 

(祇園の神 終わり)

 

*********************************************

*1 ライン
私が那珂川で「真の道」のライン(力の流れ?)を感じた時、結構な幅がありました。
熊野道祖神社同様、岩戸のライン(緑)から少しずれてる現人神社(図1の4)にも影響があると思います。

 

*2 天照の由緒
饒速日命が筑紫から大和へと移動したことを意味します。
また彼が住吉神であり、后の御炊屋姫が宗像神でもあるので、共にこの地へと戻っています。

筑紫での御炊屋姫が、神功皇后。*4

 

*3 岩戸
以前使った図1の図に★8を追加しました。

 

(初見の方用)

*4   豊受神=御膳神=大神神社の御炊社の神=御炊屋姫(饒速日命の后)=弁財天=市杵島姫命(宗像神)
豊前豊後の一之宮の神=宗像神と神功皇后

 

住吉神=饒速日命=高良神(筑紫神)(筑後国一之宮の高良大社の神)
住吉神と神功皇后が夫婦(高良玉垂宮神秘書・大阪住吉大社)

共に、異類を退治(高良玉垂宮神秘書)

 

「筑紫島の四つの面」のそれぞれは彼らを示す。
建日別は彼らが退治していた熊襲(異類)。

 

(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~」)

 

神功皇后は甕玉姫(みかたまひめ・神功皇后と同じ筑紫の伝承)=御炊屋姫=卑弥呼(ひみか)

 

*5   脊振山

奇(くし)なるものが振る(降る)山で、クシフル岳。
*二龍が背を振るという伝承あり。

建日向豊久士比泥別の豊と久士は(豊受・豊姫・神功皇后、櫛玉饒速日命・住吉)を表す。

(「筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~」)



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2022年10月 4日 (火)

祇園の神 20 ~⑦ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*高天原~

前回の続きです。 

(「祇園の神 19 ~ ⑥ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*神話の地~」)

ニニギ命の天孫降臨地に記された笠沙の岬は、葦津ヶ浦であった筥崎宮の地です。

古代の地名は、必ず地形や土地の姿を表しています。

                                  .

Iwato40_20221004140701図1 筑紫三山と真の道
地図はGoogle map


神話の神(初めの方の)はすべて彼らと同神。

では、「イザナギ神の禊の祓い」もこの地です。

3 筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(イザナギ神の禊の地)

祓いをした場所。
それは「祓いの神」がおられる地を示唆しています。

「神が生まれる」場所です。

 

那珂川には、祓いの神である住吉神の元宮・現人神社がありました。
(現人神社は図1の4)

 

神話に描かれている地形、地名が残されています。

Iwato41

図2(成竹山展望台からの那珂川・儺国と博多の街)

 

青の線は、筑紫三山の海側の結界(当時の海岸)
オレンジ色の線は「真の道」

 

1 筥崎宮(笠沙の岬・葦津の浦。当時は海であり、後の名)
2 熊野道祖神社(黄泉の大岩・結界)当時の海岸線(よりもちょっと手前)
3 天御中主神社

4 現人神社(住吉の元宮)

5 裂田神社(安徳台はその左側・画面中央)
6 日吉神社(日吉大社の元宮の一つ)(画面右下の方向)

 

蛇行してる青い線は那珂川(川の方)

7 岩戸の地形(緑の丸で囲んでる場所*川が最初に山と山に挟まれ、狭くなる場所(門のようになる)が岩戸)
   「橘(今は立花木)」

8 おぎわら橋

   神話の阿波岐原(あわぎはら)は、荻(おぎ)か萩(はぎ)が生えている地を意味する。

9 小門(おど)

   この辺り(伏見宮の前)が小門(おど)と呼ばれていた。(*門の前で水が溜まる場所を意味すると推測)

   裂田溝へ水を引く為の一の堰がある(おそらく同時期に造られたのかと)

7~9は篠原正之氏「邪馬台国位置論」参考*地元の郷土史研究家の方
(真鍋大覚氏「儺の国の星」にも記述あり)

 

那珂川(川の)よりも西(左側)が岩戸地区(昔は岩戸郷、岩戸村)

(「安徳台と高天原」)

 

イザナギ神がこの地で禊による祓いをした。

「祓いの神」がおられる場所が高天原ということを示唆しています。

高天原とは神の住まい。


「祇園の神 14」の神話の流れにあった出来事は、この地と大和の地であったことでした。
(大和はわずかだと思う)

 

では、

7 大国主神と須世理比売(すせりひめ)の神の宮の地

彼らも同神ならば、
「宇迦の山の山本(山の麓)の底津石根に太い宮柱を立てた」という場所は元々はこの地にあったもの。


宇迦は、宇迦御霊神。
彼らの別名である、宇迦の神、豊受、稲荷神(歳神)を意味します。
宇迦の山は、彼らの名を冠したお山、脊振山です。

 

建日向豊久士比泥別(たてとよくしひねわけ)。(*2)
豊と櫛のお山であり、神話のクシフル岳。

Antokudai02

図3 安徳台(高さは30m)南から

宇迦の山(背振山)の底。

底津石根(そこついわね)とは、この地にある安徳台。
(図2 の写真のほぼ中央)

 

その姿はまるで石でできた木の根っこのよう。

神功皇后と武内宿禰の伝承では「とどろきのおか」として登場しています。

大きな地図で見る
図4 安徳台の俯瞰(Google mapより)

 

後に出雲に社を建てる時、この地の伝承の姿を元にして「底津石根」に見立て、出雲大社を造ったのです。

「国を譲る」

天照であったこの地と大和から神の宮が移った「譲った」ことも意味します。

 

Antokudai01図5 北から見た安徳台。

 

手前の平べったい台地が安徳台。
奥(山の向こう)が脊振。

背振の「底にある石根」という情景と符合します。

 

この景色を初めて見た時、「底津石根」とはこれのことだと思ったのでした。
まだ、この地が何なのか、知らなかった時です。

 

ここは魏志倭人伝の奴国であり、儺国。

なの言霊には、成る、為す、完成した、行き着く先という意味があり、儺(な)は鬼がいない。

神の国を意味します。

 

住吉神は饒速日命であり、その后、御炊屋姫が神功皇后。
彼女が卑弥呼(ひみか)と今、言われている者です。

 

その住吉神と神功皇后が異類退治をした。
祇園祭、高良の伝承が伝えています。

彼らが祓いの神である理由です。

 

すべて、彼らの物語を2千年近くも伝えているのです。

ここが祓いの神であった彼らの故郷であるのです。

 

*邪馬台国とは神の国であり、儺国、やまと(大和)と同じ意味があります。
儺国と大和が邪馬台国。

 

 

( つづく )

 

*1 カサは古語で貝が湾を開けたような湾。
博多のカタと同じ意味。

サは水辺に生える草の総称であり、葦


*2 クシフル岳。
建日向豊久士比泥別とは、
豊は豊姫、豊玉姫、豊受である御炊屋姫(神功皇后)。

久士は櫛彦、櫛玉饒速日命、天照(住吉神)を意味します。

 

日向は「神の妻」の意味の、御向、向津姫と同じなのかもしれません。
日の神の妻、豊受であり、御炊屋姫の事。

神は、天照である饒速日命であり、建とは、たけるであり、王を意味するものなのかも。

 

 

*成竹山展望台は私有地の為、現在入れなくなってます。
この光景好きだったんだけどなぁ 。

 

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