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2023年1月16日 (月)

楯崎神社*宗像三神と神功皇后 ~祓いの神 8~ 

続きです。

☆→楯崎神社*大己貴神は饒速日命 ~祓いの神 7~)

 

続いて、楯崎神社のご由緒書、宗像姫の項。
概要です。

原文は、下記に記載してあります。

< 宗像姫 >

宗像三神は、天照大神と素戔嗚命の御子なり。

田心姫神、湍津姫命、市杵島姫命は、沖ノ島、中津宮、辺津宮の三カ所に厳重に鎮座。

奇瑞(*1)は、今も変わらず、今も昔も国家を護る大神なり。

旧事紀に曰く、

素戔嗚の子、大己貴神、先に宗像沖津宮に祀られる田心姫を娶り、一男一女、味鉏高彦、下照姫大神命を生む。

次に辺津宮に祀られる高津姫を娶りて、一男一女、味歯八重事代主、高照姫大神を生む。

味歯事代主神は変化して八尋の熊鰐(やひろのくまわに)となる。

玉依姫として生きた、三島溝杭女(*2)の所に通って、一男一女生む。

生まれた子が天日方奇日方命。

(中略)

 

宗像社記にはこう記されてある。

宗像大神が異賊に対して、最初の合戦地に御楯(砦か?)を築いた場所を楯崎とした。

その御楯は、石となって今もあり。

この神山(楯崎神社の山)の険しい峰の上、草木が盛んに生えている所に楯板あり、石となる。

Screenshot_202301161610482

(鼓島)

勝ち鼓を打ったところを鼓島と呼ぶ。

その鼓、石と成りて今もある。

Tatesaki05_20230116160901

社の後ろに神霊のおられる岩の窟がある。

*1 奇瑞 不思議で目出度いこと。
*2 原文は、三島溝杭女を通じて、玉依姫に生き一男一女を生む。

 

< 神功皇后の項 >

古老伝える。

昔、息長足姫尊(神功皇后)、将として三韓征伐の折り、 この山に登って神の助力を祈った。

船が泊まっていたところを、京泊という。

社殿の北、御手を洗った所を御手水の瀑布という。

(後は、周囲の地形、名称の謂れ)

原文は下記。

***********************************************

 <宗像神>

宗像三女神と言われる神は、実は一柱。

市杵島姫命です。

その名は女神天照の中にありました。

 

女神天照の名、撞賢木厳御魂天疎向津姫。
(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ)

榊(神との境の木)を撞き(つき、響かせるような意味合い)祀る=巫女のこと

厳の御霊=厳島神社の神、市杵島姫命

女神・天照が宗像神です。

 

この宗像神が饒速日命の后であった、御炊屋姫。

 

 

<宗像神は御炊屋姫、豊受大神>

 

☆奈良では御炊姫が弁財天として祀られる→弁財天は市杵島姫命と習合。

さらに、その名は、豊受大神、宇迦之御魂神を意味していました。

 

☆大神神社の摂社、御炊社の神が御膳津神(みけつかみ)→豊受大神、宇迦之御霊の別名
→御炊屋姫の名は、豊受大神、宇迦之御霊(稲荷神)を意味する。

☆→神*総まとめ)アメブロの記事

(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~」)

饒速日命が男神の天照であり、その后が女神の天照です。

 

*大己貴命は宗像三女神とそれぞれ夫婦とありますが、宗像神を三神としたのでこうした伝承になったのです。

ここに記述される神々は、ほとんどが彼らになります。

< 事代主神と三島溝杭女 >

 

ご由緒では、事代主神と「三島溝杭女」の子が、天日方奇日方命。

☆事代主神について
事代主神は、大物主神(大己貴命)自身です。
(「日本の真相 23 ~勢夜陀多良比売~」)

神武天皇の妃は、五十鈴媛命とされます。
日本書紀では彼女の母は、玉櫛姫、父は事代主神。
古事記では、大物主神(=饒速日命)

事代主神が大物主神であるので、同神です。

また、玉櫛姫とは、御炊屋姫のこと。

饒速日命の名にも、櫛玉彦があります。

(「御炊屋姫を追って ② ~櫛玉比女命神社・弁財天~」) 

 

☆三島溝杭女について

伝承により、くいの漢字は様々です。
(杭、樴、杙、橛、咋など。どれでも同じ)
三島溝咋神は、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。

彼を祀る賀茂神社の葵祭から、饒速日命、住吉神と神功皇后に繋がっています。

(「日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」)

また、三島溝咋の名は、住吉神を意味します。
(「魂須霊 5 ~「儺の国の星」の三島~」) 

 

三島神は、饒速日命。

オリオン座の三ツ星を三島星と呼び、住吉神を表していました。

 

三島神は、奈良では石上神宮の布溜神、

福岡では、高良神(住吉神)を意味します。

 

石上神宮の布留神は饒速日命。

 

饒速日命=三島神=住吉神です。(上記リンクより)

 

溝橛(みぞくい)についても、上記リンク先。

神武帝の后媛蹈鞴五十鈴媛命は三嶋溝橛(みしまみそくい・三島溝杙と同じ)の家系である。
三嶋も溝橛もオリオンの古称であった。
”そくひ”は栄井即ち、砂漠の中のオアシスのこと。
一望千里の砂礫の中に碧空を映しだす水鏡は、まさに虚慮の中に孤影悄然たる星辰の姿と同じ。

(「儺の国の星」 御笠の星の項より)

 

みそくい=御栄井。

三島の名も、溝橛の名も、オリオン座の三ツ星=住吉神を表す。

三島溝橛神は、住吉神であり饒速日命。

また、三島溝橛姫は、その后、御炊屋姫ということです。

 

 (概要の*2は、

 三島溝杭女=御炊屋姫=玉依姫なので、玉依姫として生きた三島溝杭女と、訳しています。

玉依姫は、役職、神の依り代=巫女を意味します)

彼女もまた、玉依姫。

(*なので、宝満山の玉依姫は彼女のことでもあります。
  祀られているもう一柱、神功皇后とも同神と言うことになります)

 

その饒速日命と御炊屋姫から生まれたのが、天日方奇日方命。

しかし、その神もまた饒速日命。

神武天皇でさえ、彼です。

 

彼らは信仰した一族が各地に散らばり、一族の名や、土地の名、職業の守り神として名を替えました。

記紀などの伝承は、名を替えたかの神を余すとこなく当てはめたということです。

 

☆神功皇后の子、応神天皇も饒速日命です。
応神天皇とされる八幡神も、饒速日命。

神武天皇と同じからくりです。

(「日本の真相 3 ~マナの壷~」)

(「日本の真相 4 ~3人の天皇~」)

 

 

ここには、その神功皇后の伝承がありました。

また、それにまつわる名称を記しています。

 

この由緒書に並んでいる、彼らと神功皇后の伝承。

神功皇后が、饒速日命の后の御炊屋姫であるから、一緒に記述されているのでは。

そう感じたのです。

ここには彼女が、この山に登って神の助力を願ったとの記述だけでした。

しかし、この近くの神社には「彼ら」を繋ぐ伝承があったのです。


( つづく )

 

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

2023年1月12日 (木)

楯崎神社*大己貴命は饒速日命 ~祓いの神 7~ 

続きです。

(☆→楯崎神社*神功皇后と大己貴命と宗像大神の伝承地 ~祓いの神 6~

 

楯崎神社の神社縁起には、三つの伝承がありました。
一つ目は、大己貴命と宗像姫。
二つ目は、神功皇后。
三つ目は、最澄法師です。

Tatesaki08

 

(楯崎神社縁起)

 

まずは、序文と、大己貴命と少彦名神の項。

長いので概要のみ。
原文は、下記にあります。

(旧文字で変換できないものは相当の漢字を当ててます)

☆→楯崎神社 ~伝承の真実 その2~序文と大己貴命の項)以前の記事。

 

< 序文と大己貴命 >

当社は宗像宮の摂社七十五社の一つ。

楯崎神社の御祭神は、大己貴命と少彦名命。
相殿に飛龍権現と三座する。



< 大昔、まだ混沌としてる時代 >

世が未開で混沌として、草木が話していた時代のこと。
北海の浜に「夷の類」という狂暴な鬼神が攻めてきて、人民を殺略した。

 

その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、
楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には退治した。


楯崎、鼓島、伽羅船などの名はこれが由来。

Screenshot_202301061549192

(鼓島)


< 大己貴命 >

大己貴神は素戔嗚の子。
大己貴命は、又の名を、大国主神、葦原醜男神、八千戈神、顕国玉神。
大三輪社(*1)に祀られる。
大物主神は、大倭神社に祭り、これを称して大国売神と言う。

この大国主神(大己貴命)は、ちはやふる神(*2)を追い返して、初めて国を造った。

その子、百八十一神。

後に、皇孫を避けて、日隈宮(*3)に隠れた。
すなわち、出雲国杵築大神(出雲大社)である。


*1 大三輪社。大神神社のこと。
*2 ちはやふる神。夷の類という狂暴な鬼神。
*3 日隈社。天日隈宮。出雲大社のこと


< 少彦名命 >

少彦名神は神皇産霊尊の子なり。

日本紀が伝える所によると、大己貴命は、国を廻り、出雲国五十狭のみぎわ(岸)に至る。
海上に声あり、驚いて辺りを求めた。
どこにもいないのに、しばらくすると小さい男がいた。
白皮を舟とし、みそざさいの羽を衣とし、潮に浮き、大己貴命の元へ。
(中略)
大己貴命は、少彦名命と一心に力を合わせ、天下の人々や畜産を管理した。
その病気や怪我の治し方を示し、鳥獣や虫からの厄災を防いだ。

その禁厭(*4)の法を定め、これをもって百姓、今に至り恩恵を受ける。

大己貴命は少彦名命に言った。

「我らの造った国、かつてこんなに良い所があっただろうか。」
少彦名命は応えた。
「成す所があるか、いや、成さないところがあるだろうか(全てやった)」

その後、熊野の御碕に至り、遂に鎮座した。
今、天下諸国の温泉地にこの二柱を祀るのは、この縁なり。

(二柱が、病気を治す手段として温泉を使う方法を定めた、ということか)

*4 禁厭。きんよう。なじないで病気や災害を防ぐこと。

 

*********************************************************

この社に祭られている<大己貴命>は、大神神社の神。
饒速日命です。
御祭神には綿津見神の名もあります。(同神です)

 

彼が、鬼神を追い返し、初めて国を造った神。

大国主神、国平神、また開化天皇(国の根っこを造った)とされていることからも分かります。

(開化天皇の位置に、当てはめられた)

 

大己貴神=大国主神=葦原醜男神=八千戈神=顕国玉神=大物主神=大国売神。
後に彼は、出雲大社に祀られます。

(出雲大社の神も饒速日命)


また、相殿に祀られている飛龍権現は、大己貴命だとここに書かれてありました。

本地垂迹資料便覧 http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/honji/files/HIROU.html

「同神の別の名(分霊)を併記したり、相殿や摂社に祀る」のは事実のようです。



大己貴命が、宗像姫と共に「夷の類」を退治して、初めて国を造った。

夷の類とは、北海の浜に攻めてきて人民を殺略した、狂暴な鬼神。

その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威を振るって、夷賊を防御して、遂には退治した。

まったく同じ状況を高良大社の伝承で見ています。
「夷の類」、それは高良玉垂宮神秘書では「ヰルイ」とありました。
異類です。

神秘書では、それを退治したのは高良神(住吉神)と神功皇后であり、彼らは夫婦。
高良神は饒速日命。
かの社は、物部氏の祖神を祀る宮でした。

(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)


また、楯崎神社の大己貴命も、彼です。
そして、共通する「ヰルイ」
大己貴命が饒速日命であり、高良神であるのだから、同じ伝承です。

*これらのことから、大己貴命=饒速日命=高良神であると分かる。

では、楯崎神社の大己貴命が高良神であり、饒速日命ならば。
共に「夷の類」を退治したという「宗像姫命」は、神功皇后ではないのか?
これは次回に。





( つづく )

 

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2023年1月 6日 (金)

楯崎神社*神功皇后と大己貴命と宗像大神の伝承地 ~祓いの神 6~ 

続きです。

 

福岡県の「楯崎神社」。

福津市の渡半島にあります。
ここで見たのは、伝承が書かれたご由緒書でした。

 

Tatesaki01

ここは、神功皇后の伝承地です。
Tatesaki02
拝殿。


御祭神は、大己貴神、綿津見神、少彦名神。

 

Tatesaki03
裏へ回ります。

Tatesaki04

ここから見える「恋の浦」の海岸線はとても綺麗です。
Tatesaki06

 

神社の裏に回ると祠がありました。
元々はこちらが社だったそうです。

Tatesaki05

とても神秘的で美しい場所でした。 

ここで見た、由緒書。

涙が止まらなくなりました。

やはり、そうだったのか、と。

 

それは次の回で。



ここには、大己貴命と宗像大神の伝承もありました。

写真と地図だけ、こちらに乗せます。

Screenshot_202301061549092

奥の右に見えるのが、楯崎神社がある山。

神功皇后の伝承地です。

(神功皇后が三韓征伐の折りにここへ来たとあります)

間が、恋の浦の浜。

その反対側にあるのが、鼓島。

Screenshot_202301061549192

Screenshot_202301061549232

浜の北側にあります。
次の回の大己貴命と宗像大神の伝承にある鼓島。
Screenshot_202301061549282
途中には、神功皇后の軍船が着いたという、京泊の浜があります。
(一番下に地図を載せます)

Screenshot_202301061549322

鼓島の側に行くには、こんな岩場を20分ほど越えます(距離は600mくらい)
ここら辺は岩が一つ6mくらいあるのも。
左手前の岩で4m級。

Screenshot_202301061549372

ここまででした!
これ以上は泳ぐしかない。
一年で一番潮が引く日に来ないと向こう側に行けません。
この日は惜しかった!
救命胴衣付けて渡るか、思い切って崖から行くか。
崖は無理っぽい。

ここ、半島全体が私有地(閉鎖された野外美術館)で、内からは行けないんですよ。
(後に回ったのでUPします)

Screenshot_202301061549482

(YAMAPの地図)

南にある鳥居が楯崎神社。

半島の右手にあるのが、京泊の浜。

一番近づいたのが、青い線の突端。

鼓島に触りたかった~~。


でもね。

当時は標高5mが海岸線。

京泊の浜はあったかもしれませんが、

(上の地図の京の字の横の黒い横線辺りが標高5m)

鼓島は微妙です。

 

もしかすると、鼓島の部分だけ、後から出来た伝承なのかも。

 

でも伝承の中に、確かに真実があるのです。

伝えたいものが伝承になるのです。

 

(鼓島、標高が分かるWebで見たら3mでしたけど、遠目に見てももう少し高い気がする)

 

 

(つづく)

楯崎神社 ~伝承の真実 その1 を改訂)

 

 

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2023年1月 2日 (月)

三社参り ~那珂川参り~

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


山へご来光を見に行けなかったので、地元(福岡)那珂川の三社参りへ。
この辺りのお正月のお参りは、三社行きます。

那珂川は「猿田彦神の発祥の地(市公認)」とされています。
さらに、住吉の元宮もあるので、「住吉神の発祥の地」でもあるのです。

 

20221226130015_img_0019

(年末に行った時の現人神社)

氏神様の住吉の元宮、現人(あらひと)神社。
☆→現人神社 ~福岡県那珂川市~) 

ご祭神、住吉三神と神功皇后。


パワースポットとして知る人ぞ知るお社。
最近、有名になって人が多くなってきたので嬉しい限りです。

この後、娘の「とうらぶ・お散歩」に付き合って、裂田神社へ。

20230101100339_img_0148

裂田溝(さくたのうなで)を通って行きます。
神功皇后と武内宿禰、土地の人が力を合わせて造ったという、日本最古の現存する水路。

今でも清らかな水が流れ、田畑を潤しています。

翡翠もくるらしいのですが、まだ見たことないんですよね~。

20230101101314_img_0158

左手の林に裂田神社があります。
右手が安徳台。

ここには伝承がありました。

 

裂田溝を掘っている際、行く手を阻む大岩が現れました。
武内宿禰が祈ると雷が落ち、これを砕いたとされます。
雷が轟いたので、とどろきの丘(安徳台)。

 

ちょうど林の右端に、その「大岩」があります。

武内宿禰は高良神であり、住吉神、饒速日命です。
高良の伝承では、高良神は武御雷神と同神。
「雷を祈って落とした」
この伝承は、彼が雷神でもあることを示唆しています。

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裂田神社

ご祭神、神功皇后。

☆→裂田神社と裂田の溝(さくたのうなで) ~福岡県那珂川市~

20230101101809_img_0163

彼らが200年代なら、1800年もの間大切に受け継がれてきた水路。

彼女が福岡にいたと推定される期間では、到底この工事は終わりません。

 

でも、確かにここには彼らの足跡があります。
ならば、彼らはここにずっといたのです。

20230101101757_img_0161

二社行ったなら、三社参りで「日吉神社(山王宮)」へ行こう。

 

20230101103221_img_0166日吉神社

幟端があがってます。

20230101103328_img_0167

初めて来たとき、この辺りからびりびりするような凄いパワーを感じました。

20230101103408_img_0169

境内の猿像。

前に写真が天狗のような光が写りました。

 

Screenshot_202301011759332

 

 

光った時の写真

20230101103716_img_0172

ここは日吉大社の元宮の一つです。

(日吉大社の御祭神は、大神神社から勧請した大己貴神と大山咋神。二つの宮の神は同神としている)
☆→日吉神社 ~福岡県那珂川市~

最澄さんが「ここの猿田彦神」を日吉大社に勧請しました。

 

しかし日吉神社のご祭神の中に、その猿田彦神の名はありません。
(土地の人は、猿田彦神として祀っています)

すべて同神であり、日吉神社の神(まとめて)が猿田彦神でもあるからです。

日吉神社のご祭神

 天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神。大山祇命、八雷神、菅原神、迦具土神、田心姫神、高淤加美神、闇淤加美神、手力雄神、宇賀魂神、表筒男神、中筒男神、底筒男神、須佐之命、天照大神。

 

「住吉神、猿田彦神」が同神なので、那珂川には両神の「発祥の地」である元宮があるのです。

 

20230101105429_img_0179

帰り、ついでに「伏見神社」へ。

☆→伏見神社・祇園祭 ~磯良舞~

 

ご祭神、淀姫(豊玉姫)、スサノオ命、大山祇神、神功皇后、武内宿禰。

20230101105549_img_0181伏見神社の神功皇后

淀姫は神功皇后の妹とされますが、同神です。
別名の豊玉姫は、伝承から彼女だとたどりついてます。

神功皇后、住吉神。
彼らは1800年以上前、この地で暮らしていたのです。

 

愛しい愛しい我がふるさと。
山も水路も土地の人も。
何千年経ても何一つ変わらないものが、ここにはあります。

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