楯崎神社*大己貴命は饒速日命 ~祓いの神 7~
続きです。
(☆→楯崎神社*神功皇后と大己貴命と宗像大神の伝承地 ~祓いの神 6~)
楯崎神社の神社縁起には、三つの伝承がありました。
一つ目は、大己貴命と宗像姫。
二つ目は、神功皇后。
三つ目は、最澄法師です。
(楯崎神社縁起)
まずは、序文と、大己貴命と少彦名神の項。
長いので概要のみ。
原文は、下記にあります。
(旧文字で変換できないものは相当の漢字を当ててます)
(☆→楯崎神社 ~伝承の真実 その2~序文と大己貴命の項)以前の記事。
当社は宗像宮の摂社七十五社の一つ。
楯崎神社の御祭神は、大己貴命と少彦名命。
相殿に飛龍権現と三座する。
< 大昔、まだ混沌としてる時代 >
世が未開で混沌として、草木が話していた時代のこと。
北海の浜に「夷の類」という狂暴な鬼神が攻めてきて、人民を殺略した。
その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、
楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には退治した。
楯崎、鼓島、伽羅船などの名はこれが由来。
(鼓島)
< 大己貴命 >
大己貴神は素戔嗚の子。
大己貴命は、又の名を、大国主神、葦原醜男神、八千戈神、顕国玉神。
大三輪社(*1)に祀られる。
大物主神は、大倭神社に祭り、これを称して大国売神と言う。
この大国主神(大己貴命)は、ちはやふる神(*2)を追い返して、初めて国を造った。
その子、百八十一神。
後に、皇孫を避けて、日隈宮(*3)に隠れた。
すなわち、出雲国杵築大神(出雲大社)である。
*1 大三輪社。大神神社のこと。
*2 ちはやふる神。夷の類という狂暴な鬼神。
*3 日隈社。天日隈宮。出雲大社のこと
< 少彦名命 >
少彦名神は神皇産霊尊の子なり。
日本紀が伝える所によると、大己貴命は、国を廻り、出雲国五十狭のみぎわ(岸)に至る。
海上に声あり、驚いて辺りを求めた。
どこにもいないのに、しばらくすると小さい男がいた。
白皮を舟とし、みそざさいの羽を衣とし、潮に浮き、大己貴命の元へ。
(中略)
大己貴命は、少彦名命と一心に力を合わせ、天下の人々や畜産を管理した。
その病気や怪我の治し方を示し、鳥獣や虫からの厄災を防いだ。
その禁厭(*4)の法を定め、これをもって百姓、今に至り恩恵を受ける。
大己貴命は少彦名命に言った。
「我らの造った国、かつてこんなに良い所があっただろうか。」
少彦名命は応えた。
「成す所があるか、いや、成さないところがあるだろうか(全てやった)」
その後、熊野の御碕に至り、遂に鎮座した。
今、天下諸国の温泉地にこの二柱を祀るのは、この縁なり。
(二柱が、病気を治す手段として温泉を使う方法を定めた、ということか)
*4 禁厭。きんよう。なじないで病気や災害を防ぐこと。
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この社に祭られている<大己貴命>は、大神神社の神。
饒速日命です。
御祭神には綿津見神の名もあります。(同神です)
彼が、鬼神を追い返し、初めて国を造った神。
大国主神、国平神、また開化天皇(国の根っこを造った)とされていることからも分かります。
(開化天皇の位置に、当てはめられた)
大己貴神=大国主神=葦原醜男神=八千戈神=顕国玉神=大物主神=大国売神。
後に彼は、出雲大社に祀られます。
(出雲大社の神も饒速日命)
また、相殿に祀られている飛龍権現は、大己貴命だとここに書かれてありました。
本地垂迹資料便覧 http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/honji/files/HIROU.html
「同神の別の名(分霊)を併記したり、相殿や摂社に祀る」のは事実のようです。
大己貴命が、宗像姫と共に「夷の類」を退治して、初めて国を造った。
夷の類とは、北海の浜に攻めてきて人民を殺略した、狂暴な鬼神。
その時、大己貴命と宗像姫が自ら神軍を率いて、稜威を振るって、夷賊を防御して、遂には退治した。
まったく同じ状況を高良大社の伝承で見ています。
「夷の類」、それは高良玉垂宮神秘書では「ヰルイ」とありました。
異類です。
神秘書では、それを退治したのは高良神(住吉神)と神功皇后であり、彼らは夫婦。
高良神は饒速日命。
かの社は、物部氏の祖神を祀る宮でした。
(「神の鉾 2 ~高良玉垂宮神秘書~」)
(「神の鉾 3 ~安曇磯良神~」)
また、楯崎神社の大己貴命も、彼です。
そして、共通する「ヰルイ」。
大己貴命が饒速日命であり、高良神であるのだから、同じ伝承です。
*これらのことから、大己貴命=饒速日命=高良神であると分かる。
では、楯崎神社の大己貴命が高良神であり、饒速日命ならば。
共に「夷の類」を退治したという「宗像姫命」は、神功皇后ではないのか?
これは次回に。
( つづく )
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