楯崎神社*宗像三神と神功皇后 ~祓いの神 8~
続きです。
続いて、楯崎神社のご由緒書、宗像姫の項。
概要です。
原文は、下記に記載してあります。
宗像三神は、天照大神と素戔嗚命の御子なり。
田心姫神、湍津姫命、市杵島姫命は、沖ノ島、中津宮、辺津宮の三カ所に厳重に鎮座。
奇瑞(*1)は、今も変わらず、今も昔も国家を護る大神なり。
旧事紀に曰く、
素戔嗚の子、大己貴神、先に宗像沖津宮に祀られる田心姫を娶り、一男一女、味鉏高彦、下照姫大神命を生む。
次に辺津宮に祀られる高津姫を娶りて、一男一女、味歯八重事代主、高照姫大神を生む。
味歯事代主神は変化して八尋の熊鰐(やひろのくまわに)となる。
玉依姫として生きた、三島溝杭女(*2)の所に通って、一男一女生む。
生まれた子が天日方奇日方命。
(中略)
宗像社記にはこう記されてある。
宗像大神が異賊に対して、最初の合戦地に御楯(砦か?)を築いた場所を楯崎とした。
その御楯は、石となって今もあり。
この神山(楯崎神社の山)の険しい峰の上、草木が盛んに生えている所に楯板あり、石となる。
(鼓島)
勝ち鼓を打ったところを鼓島と呼ぶ。
その鼓、石と成りて今もある。
社の後ろに神霊のおられる岩の窟がある。
*1 奇瑞 不思議で目出度いこと。
*2 原文は、三島溝杭女を通じて、玉依姫に生き一男一女を生む。
< 神功皇后の項 >
古老伝える。
昔、息長足姫尊(神功皇后)、将として三韓征伐の折り、 この山に登って神の助力を祈った。
船が泊まっていたところを、京泊という。
社殿の北、御手を洗った所を御手水の瀑布という。
(後は、周囲の地形、名称の謂れ)
原文は下記。
***********************************************
<宗像神>
宗像三女神と言われる神は、実は一柱。
市杵島姫命です。
その名は女神天照の中にありました。
女神天照の名、撞賢木厳御魂天疎向津姫。
(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ)
榊(神との境の木)を撞き(つき、響かせるような意味合い)祀る=巫女のこと
厳の御霊=厳島神社の神、市杵島姫命
女神・天照が宗像神です。
この宗像神が饒速日命の后であった、御炊屋姫。
<宗像神は御炊屋姫、豊受大神>
☆奈良では御炊姫が弁財天として祀られる→弁財天は市杵島姫命と習合。
さらに、その名は、豊受大神、宇迦之御魂神を意味していました。
☆大神神社の摂社、御炊社の神が御膳津神(みけつかみ)→豊受大神、宇迦之御霊の別名
→御炊屋姫の名は、豊受大神、宇迦之御霊(稲荷神)を意味する。
(☆→神*総まとめ)アメブロの記事
饒速日命が男神の天照であり、その后が女神の天照です。
*大己貴命は宗像三女神とそれぞれ夫婦とありますが、宗像神を三神としたのでこうした伝承になったのです。
ここに記述される神々は、ほとんどが彼らになります。
< 事代主神と三島溝杭女 >
ご由緒では、事代主神と「三島溝杭女」の子が、天日方奇日方命。
☆事代主神について
事代主神は、大物主神(大己貴命)自身です。
(「日本の真相 23 ~勢夜陀多良比売~」)
神武天皇の妃は、五十鈴媛命とされます。
日本書紀では彼女の母は、玉櫛姫、父は事代主神。
古事記では、大物主神(=饒速日命)
事代主神が大物主神であるので、同神です。
また、玉櫛姫とは、御炊屋姫のこと。
饒速日命の名にも、櫛玉彦があります。
☆三島溝杭女について
伝承により、くいの漢字は様々です。
(杭、樴、杙、橛、咋など。どれでも同じ)
三島溝咋神は、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。
彼を祀る賀茂神社の葵祭から、饒速日命、住吉神と神功皇后に繋がっています。
(「日本の真相 15 ~前編 葵祭 と 住吉神 と 神功皇后~」)
また、三島溝咋の名は、住吉神を意味します。
(「魂須霊 5 ~「儺の国の星」の三島~」)
三島神は、饒速日命。
オリオン座の三ツ星を三島星と呼び、住吉神を表していました。
三島神は、奈良では石上神宮の布溜神、
福岡では、高良神(住吉神)を意味します。
石上神宮の布留神は饒速日命。
饒速日命=三島神=住吉神です。(上記リンクより)
溝橛(みぞくい)についても、上記リンク先。
神武帝の后媛蹈鞴五十鈴媛命は三嶋溝橛(みしまみそくい・三島溝杙と同じ)の家系である。
三嶋も溝橛もオリオンの古称であった。
”そくひ”は栄井即ち、砂漠の中のオアシスのこと。
一望千里の砂礫の中に碧空を映しだす水鏡は、まさに虚慮の中に孤影悄然たる星辰の姿と同じ。
(「儺の国の星」 御笠の星の項より)
みそくい=御栄井。
三島の名も、溝橛の名も、オリオン座の三ツ星=住吉神を表す。
三島溝橛神は、住吉神であり饒速日命。
また、三島溝橛姫は、その后、御炊屋姫ということです。
(概要の*2は、
三島溝杭女=御炊屋姫=玉依姫なので、玉依姫として生きた三島溝杭女と、訳しています。
玉依姫は、役職、神の依り代=巫女を意味します)
彼女もまた、玉依姫。
(*なので、宝満山の玉依姫は彼女のことでもあります。
祀られているもう一柱、神功皇后とも同神と言うことになります)
その饒速日命と御炊屋姫から生まれたのが、天日方奇日方命。
しかし、その神もまた饒速日命。
神武天皇でさえ、彼です。
彼らは信仰した一族が各地に散らばり、一族の名や、土地の名、職業の守り神として名を替えました。
記紀などの伝承は、名を替えたかの神を余すとこなく当てはめたということです。
☆神功皇后の子、応神天皇も饒速日命です。
応神天皇とされる八幡神も、饒速日命。
神武天皇と同じからくりです。
ここには、その神功皇后の伝承がありました。
また、それにまつわる名称を記しています。
この由緒書に並んでいる、彼らと神功皇后の伝承。
神功皇后が、饒速日命の后の御炊屋姫であるから、一緒に記述されているのでは。
そう感じたのです。
ここには彼女が、この山に登って神の助力を願ったとの記述だけでした。
しかし、この近くの神社には「彼ら」を繋ぐ伝承があったのです。
( つづく )
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