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2023年4月25日 (火)

神の系譜*豊受大神 篇 4 ~祓いの神・瀬織津姫~

続きです。


*今までのまとめ。

神の系譜*豊受大神 篇 3

☆高良大社の旧豊比咩神社 前編後編から、

高良神(住吉神)と共に祀られる豊比咩(以下、豊姫)は、弁財天であり、市杵島姫命だと分かった。
弁財天、市杵島姫命は、御炊屋姫。

☆神の系譜*豊受大神 1より)

 

彼女は、高良玉垂宮神秘書(以下、神秘書)の「高良神(住吉神)と夫婦」だという神功皇后。
(夫婦は共に祀られる)

では、

豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=御炊屋姫=神功皇后

 

さらに、☆神の系譜*豊受大神 篇 1から、

御炊屋姫の名は、御膳津(みけつかみ)である、豊受大神を意味する。

豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=御炊屋姫=神功皇后=豊受大神

となる。

☆神の系譜*豊受大神 篇 2から、彼女が卑弥呼にも繋がった。

 

一方、高良大社の高良神は住吉神。

彼は饒速日命。
高良の地は、古来物部氏の領地であり、祖神を祀る宮であった。
(以下のシリーズ参照のこと)

☆→神の系譜 1 ~新嘗祭と天照と饒速日と住吉神~

高良神(住吉神)が饒速日命であり、天照大神。
神功皇后は、御炊屋姫であり、豊受大神であった。

 

< 豊国の姫 >


神秘書では、高良神は神功皇后と共に行動していた。
彼は住吉神であり、祓いの神。

その所以は、熊襲を退治していたことによるもの。
筑紫では、羽白熊鷲、イルヰ(異類)、命尽くし神と呼ばれる。

高良神、神功皇后、熊襲は、それぞれ、
白日別、豊日別、建日別。

それを示す神話の「筑紫島の四つの面」は、北部九州の事。
当時の海面標高は今の4~5mほど。(*1 下記にて注)
これを念頭におけば、謎が解ける。

Tikushijima01
(左は海面上昇シュミレーションシステム より
右はGoogle map より)


3が建日別。(右の地図)

建日別は熊襲の地と神話には記される。
熊襲である羽白熊襲の本拠地は3の古処山の麓にある。

 

それと対峙していたのが、高良神である住吉神と神功皇后。

4の高良大社の地が、白日別(筑紫の御霊)
(筑紫の御霊は高良神。筑後国一之宮の神)

3には宗像大社があり、そこが豊日別。
神功皇后は、市杵島姫命であり、宗像大神。
豊姫、豊受大神でもある。

今の豊前豊後は後の区分。
おそらく宇佐神宮ができてからのもの。

「もともと」の豊国(豊姫の国)はここであったのだ。
(詳しくは、下記シリーズ)
☆→筑紫島四つの面 1 ~高良神は白日別~


残るは、1の建日向豊久士比泥別(たてひむかとよくしひねわけ)。

その地こそ、彼らの国。
豊は豊姫である神功皇后、御炊屋姫、豊受大神。
久士は櫛、櫛玉饒速日命を示し、高良神、住吉神。

 

「奴国」である、儺国。
そこには那珂川があり、住吉神の元宮、「現人神社」がある。
神話の元は、この国にあった。

この地の地形、土地の名から神話は生まれている。
☆→筑紫島四つの面 4 ~建日向豊久比泥別~

 

「奴国(儺国)」とは、魏志倭人伝に登場する国。
女王国という「邪馬台国」はその先にあるかのように記されているが、当時の最大の統治国はこの地。
(*2 追記)

「邪馬台国」も「奴国(儺国)」であり、卑弥呼は神功皇后のことである。
☆祇園山古墳の被葬者は彼女。

☆→祇園の神 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

 

< 瀬織津姫 >

住吉は祓いの神だが、瀬織津姫も祓いの神とされる。

志賀大神、住吉神、瀬織津姫は、神功皇后の三韓征伐の凱旋の折りに邂逅していた。
(☆→祓いの神 9 波折神社*瀬織津姫と住吉神)

しかし、住吉神は志賀神と同神。
彼は神功皇后と夫婦であり、共にイルヰ(熊襲)を退治している。
ならば、住吉神とともにある瀬織津姫は神功皇后。

このように伝承は、少しづつ形を変え(意図的か)られているのだ。

 

祓いの神。
住吉神と瀬織津姫も彼らであり、その名は異類を退治していたことが所以。
神功皇后は、豊受大神、瀬織津姫、市杵島姫命(宗像大神)、御炊屋姫。
後の為政者により、女神天照とされたのも、彼女。


( つづく )

 

 

*1 標高4~5m。
当時から現在までの堆積物などもあり、一概にこの標高とは言えない。

目安として、このような形だったのでは。
後に「儺の国の星」にも関わってくる。

 

*2 邪馬台国

魏志倭人伝の邪馬台国は、場所をぼかしてあると思われる。
奴国以降、特定できないように。
実際の当時の卑弥呼の「女王国」は奴国。

 



*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

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2023年4月18日 (火)

高良大社の旧豊比咩神社* ~豊姫と神功皇后 後編~

前回の続き。

高良大社の本殿に、高良神と共に祀られる豊比咩(以降、豊姫)。
合祀される前の豊比咩神社には弁天池があった。

小山にあった社の主が、弁財天であると示唆している。

 

その弁財天は市杵島姫命(宗像姫)。
御炊屋姫であり、その名は豊受大神、稲荷神(宇迦之御魂)を表す。

彼女は饒速日命の后。

高良の神である住吉神は、饒速日命であるので必然となる。

 

高良の伝承では、高良神(住吉神)と神功皇后は夫婦とあった。
本殿に共に祀られている豊姫こそ御炊屋姫であり、神功皇后だ。

 

豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=豊受大神=御炊屋姫=神功皇后

高良神=住吉神=饒速日命。

 

< 高良大社の二柱 >

伝承には二柱は夫婦。

(大阪住吉大社の伝承でも二柱は夫婦。)

神秘書には、二柱が共に高良山で暮らしたことが記されている。
参道の階段を上がる途中に、二柱の痕跡があった。

Screenshot_202304171529522

背くらべ石。

神功皇后が三韓征伐の折りに、戦勝占った。
このすぐ側に、

Screenshot_202304171529562

馬蹄石。

高良の神を乗せた馬が足跡をつけたと言われる石。

 

< 馬蹄石 >

 

寄り添うようにある、二つの伝承石。

これらは、「その伝えの通り」ではないことは明白だ。

この社の神の縁を語るものであり、二柱が縁ある者であることを示唆している。

 

宝満山にも「馬蹄石」があった。
Screenshot_202304171530002
(宝満山の馬蹄石)
玉依姫が乗った馬が付けたとされているが、宝満山の玉依姫は神功皇后。
宝満宮竈門神社の御祭神は、玉依姫と共に神功皇后(と、八幡神)。(*1)

Screenshot_202304171530032

(宝満山*上宮)

だが、その山中にある伝承はすべて彼女のもの。
かの山の神は、彼女であることを物語っている。

☆→宝満宮竈門神社 ~神功皇后の鬼退治 ➁~)アメブロの記事

 

宝満山と高良さんは筑紫を代表する霊山であり、共に神が住まうと人々に愛されてきたお山。
二つの山の神は同じなのだ。

では、高良山と宝満山にある「馬蹄石」は、偶然ではないことが分かる。
境内(山)にある謂れのある物は、すべて御祭神にまつわるものであると言える。
そこに無意味にあるわけではなく、彼らへと繋げる為のもの。

 

高良山の参道には、社があった。

Screenshot_202304171530082(伊勢天照御祖神社)

高良大社の参道にある摂社。
高良神が饒速日命であり、天照であるからここにあるのだ。

Screenshot_202304171530112

久留米市内にある伊勢天照御祖神社(大石神社)。

彼が天照国照彦天火明命(饒速日命)の神名で祀られている。

Screenshot_202304171530152

高良大社の伊勢天照御祖神社とこちらの神社は、同じ名であり同じ神を祀るもの。

高良の神は饒速日命であると、高良大社にある「伊勢天照御祖神社」は告げている。

社に配祀の神は夫婦神と同神である。
(この場合、高良神と天照=伊勢天照御祖神社の饒速日命)

☆→二つの伝承 8 ~五十猛神と甕依姫~


< 神との縁 >

*境内(山)にある謂れのある物は、すべて御祭神にまつわるもの。

では、もう一度、前回の旧豊比咩神社の周辺の地図。

Screenshot_202304171530182

   (地図はYAMAP)

☆4 下社(祇園さん)
☆3 祇園山古墳(卑弥呼の墓比定地)
☆1 旧豊比売神社社地。

☆高良神が手を洗ったという伝承。

山中にあった、

☆馬蹄石
☆背比べ石
☆伊勢天照御祖神社

(厳島神社は他にもある)

 

☆ 2の横にある鳥居マークの高木神社。

高木神も彼です。(*2 下記にて)

 

これらすべては、高良神に繋がるものであるのだ。
高良神は住吉神である饒速日命。
共に祀られる豊姫は、神功皇后である御炊屋姫。

 

そこへたどり着いたのは、高良神(住吉神)と神功皇后が夫婦だという、神秘書の記述があったから。

かの書は真実を告げていた。

すべての糸が一つの元へ。
それは真実であるからだ。


          *

 

彼女は、豊受大神でもあった。
豊国の姫とは、彼女の事。

今の豊前豊後の神。
それが神功皇后でもあった。



次回、この続き。

*****************

今は誰も祈ることのない神聖であったはずの地。
社の跡は、何も建てられられないと聞く。

 

でももしかすると、これは彼女が望んだことなのかも。
今は高良大社の本殿の中に、彼と共に祀られている。

 

( つづく )

 



*1 宝満山の玉依姫
玉依の名は、神の魂の依り代のこと。

「神武天皇の母」ではない。
(神武天皇も饒速日命と同神。玉依姫が母とは、彼女との「縁」を表している。

*2 高良大社の高木の神と英彦山の神
高良の神が高木の神を追い出したとされるが、英彦山(元々、饒速日命と宗像三神)と同じく(天忍穂耳神に譲った)、彼の別名であった。

追い出した、名を変えたは、同神を表す。

 

そもそも、日本のほとんどの神は彼らから派生していた。

(あらゆる神は彼らに繋がる)

 

 

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2023年4月 6日 (木)

高良大社の旧豊比咩神社* ~豊姫と神功皇后 前編~

続き 

☆→神の系譜*豊受大神 篇 3 ~高良大社の豊姫*豊受大神~

 

高良大社の旧豊比咩神社の社地を探索。
周りをぐるっと一周してみる。

高良大社の本殿には高良神と共に豊比咩神が合祀される。
元々は高良山の麓にあり、後に合祀されたとのこと。

その場所へ。

 

目的地は下の地図の1になる。

青い線の中は、ほぼ私有地なので入れない。

Screenshot_202304060458412

(地図1*1の星印が旧豊比売神社の地
*地図はYAMAP)
2の数字の辺りが下の橋。

Screenshot_202304060458452

(写真1*橋)


2の橋に立ち、1を見たところ。

左に見える小山(1の場所)にかつて、豊比咩神社があったのだ。

Screenshot_202304060458512
(写真*2 案内板)

案内板。

御手洗橋の名の起こりについて記されてある。

池の南東の玉垣は、高良の神がここで御手を洗って山に登られた、といういわれのある井戸の名残り ここにも高良の神が関わっていた。

このような一つ一つのいわれが、 この場所(の神)との「縁」を物語るのだ。

この橋の右側の小さな島の上にあるのが、厳島神社。
御祭神は市杵島姫命(弁財天)。

Screenshot_202304060458552(写真*3 厳島神社の島)

厳島神社は、この小さな島の中。

Screenshot_202304060458592(写真*4  厳島神社の祠)

祠が見える。
島の上にあるが、写真1の橋は、向こう側(奥)に導いる。
それが写真1の小山。
 橋の奥にある白い車の先がこの場所。

Screenshot_202304060459022(写真*5  旧  豊比咩神社の参道)

フェンスがあり、参道の石段が残されていた。

これがかつての豊比咩神社への道。
(地図1の2の数字の右下辺り)

この先は私有地なので、様子を伺い知ることは出来ない。

ぐるっと一周してくる。
地図1のS(スタート)位置から上の線を左へ。

4が高良大社の下社。
別名、祇園さん。

Screenshot_202304060459082

(写真*6  高良大社の下社・祇園さん)


高良神である饒速日命は、須佐之男命(祇園の神)でもあった。

故に、ここが祇園さん。

☆→祇園の神 9 ~高良大社の祇園の神~

ここから、高速の高架下を潜り、祇園山古墳へ。

Screenshot_202304060459112(写真*7   祇園山古墳の案内板)

時代は3世紀頃とされ、殉葬者60人以上。
卑弥呼の墓の比定地とされている。

彼女が卑弥呼でもあるので、ここがそうなのだ。
また神功皇后の眠る地でもある。

☆→祇園山古墳 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

Screenshot_202304060459162(写真*8   祇園山古墳  石棺)

 

祇園山古墳の上。
石棺は草に埋もれていた。

遠く脊振が見える。
長めのいい場所を占地といい、位の高いものが眠るということ。
彼女が高良の神の后であるから、かの神の山の麓に眠るのだ。

しかも「祇園山」と言う名。

神功皇后も祇園の神の一柱。

☆→祇園の神 2 ~祇園の神は住吉神(安曇磯良神)~

Screenshot_202304060459202 (写真*9   旧豊比咩神社周辺  池)

さらにぐるっと回って。

地図1の3から1へ進むと、左手に池が見えた。
地図1の南(下)にある池。

段差があり繋がってはないですが、地図では左右にあるよう。
(左手は私有地で柵がある)

Screenshot_202304060459282

(写真*10   旧  豊比咩神社  跡地)


1を過ぎ、道路に交差した地点から、1の小山を見上げたところ。

 

この奥に旧豊比咩神社があった。
この旧社地を囲み点在する池と橋。

これらは弁天池。

(奈良の廣瀬大社のようにぐるっと囲ってなくとも意味を成すよう)

高良大社に高良神と共に祀られる豊姫は、弁財天であり、市杵島姫命であるということを示す。

 

( つづく )

 

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