高良大社の旧豊比咩神社* ~豊姫と神功皇后 後編~
前回の続き。
高良大社の本殿に、高良神と共に祀られる豊比咩(以降、豊姫)。
合祀される前の豊比咩神社には弁天池があった。
小山にあった社の主が、弁財天であると示唆している。
その弁財天は市杵島姫命(宗像姫)。
御炊屋姫であり、その名は豊受大神、稲荷神(宇迦之御魂)を表す。
彼女は饒速日命の后。
高良の神である住吉神は、饒速日命であるので必然となる。
高良の伝承では、高良神(住吉神)と神功皇后は夫婦とあった。
本殿に共に祀られている豊姫こそ御炊屋姫であり、神功皇后だ。
豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=豊受大神=御炊屋姫=神功皇后
高良神=住吉神=饒速日命。
< 高良大社の二柱 >
伝承には二柱は夫婦。
(大阪住吉大社の伝承でも二柱は夫婦。)
神秘書には、二柱が共に高良山で暮らしたことが記されている。
参道の階段を上がる途中に、二柱の痕跡があった。
背くらべ石。
馬蹄石。
高良の神を乗せた馬が足跡をつけたと言われる石。
< 馬蹄石 >
寄り添うようにある、二つの伝承石。
これらは、「その伝えの通り」ではないことは明白だ。
この社の神の縁を語るものであり、二柱が縁ある者であることを示唆している。
(宝満山*上宮)
では、高良山と宝満山にある「馬蹄石」は、偶然ではないことが分かる。
高良山の参道には、社があった。
高良大社の参道にある摂社。
高良神が饒速日命であり、天照であるからここにあるのだ。
久留米市内にある伊勢天照御祖神社(大石神社)。
彼が天照国照彦天火明命(饒速日命)の神名で祀られている。
高良大社の伊勢天照御祖神社とこちらの神社は、同じ名であり同じ神を祀るもの。
高良の神は饒速日命であると、高良大社にある「伊勢天照御祖神社」は告げている。
社に配祀の神は夫婦神と同神である。
(この場合、高良神と天照=伊勢天照御祖神社の饒速日命)
< 神との縁 >
*境内(山)にある謂れのある物は、すべて御祭神にまつわるもの。
では、もう一度、前回の旧豊比咩神社の周辺の地図。
(地図はYAMAP)
☆4 下社(祇園さん)
☆3 祇園山古墳(卑弥呼の墓比定地)
☆1 旧豊比売神社社地。
☆高良神が手を洗ったという伝承。
山中にあった、
☆馬蹄石
☆背比べ石
☆伊勢天照御祖神社
(厳島神社は他にもある)
☆ 2の横にある鳥居マークの高木神社。
高木神も彼です。(*2 下記にて)
これらすべては、高良神に繋がるものであるのだ。
高良神は住吉神である饒速日命。
共に祀られる豊姫は、神功皇后である御炊屋姫。
そこへたどり着いたのは、高良神(住吉神)と神功皇后が夫婦だという、神秘書の記述があったから。
かの書は真実を告げていた。
すべての糸が一つの元へ。
それは真実であるからだ。
*
彼女は、豊受大神でもあった。
豊国の姫とは、彼女の事。
今の豊前豊後の神。
それが神功皇后でもあった。
次回、この続き。
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今は誰も祈ることのない神聖であったはずの地。
社の跡は、何も建てられられないと聞く。
でももしかすると、これは彼女が望んだことなのかも。
今は高良大社の本殿の中に、彼と共に祀られている。
( つづく )
*1 宝満山の玉依姫
玉依の名は、神の魂の依り代のこと。
「神武天皇の母」ではない。
(神武天皇も饒速日命と同神。玉依姫が母とは、彼女との「縁」を表している。
*2 高良大社の高木の神と英彦山の神
高良の神が高木の神を追い出したとされるが、英彦山(元々、饒速日命と宗像三神)と同じく(天忍穂耳神に譲った)、彼の別名であった。
追い出した、名を変えたは、同神を表す。
そもそも、日本のほとんどの神は彼らから派生していた。
(あらゆる神は彼らに繋がる)
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古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
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