ブログ村に参加してます!ぽちっとお願いします

*このブログについて

  • amebloにもサイトがあります。 そちらに載せる時に加筆したもの(後に分かったこと)を、改訂版として再びこちらへUPしている記事もあります。
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

amebloリンク

無料ブログはココログ

☆ブログからの引用などについて☆

  • このブログの考察、写真、イラスト、考察などは、管理人に著作権があります。無断転載は御遠慮ください。

« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »

2023年5月30日 (火)

饒速日命と神功皇后 1 ~神功古道~

神功古道とは、神功皇后が秋月の羽白熊鷲を討つために進軍した道。

Screenshot_202305300755442
                                                       
「神功古道]
筑前砥上~勝山・陣ノ内・畑島~森山峠~栗田~弥永

(以下、要約)

香椎宮から進軍し、栗田の(現在の)松峡神社(まつおじんじゃ)へ。
そこで陣を整え、熊鷲軍との決戦に臨む。

決戦地は「層曽岐野(そそぎの)」(新町・高畑付近か)。

*香椎宮→松峡(栗田)→弥永→秋月→層曽岐野で熊鷲討つ
→砥上で武器を砥ぐ(新羅へ向かう為)

砥上神社付近の伝承は、新羅へ進軍する為とある。
砥上神社がある場所は、中津屋(なかつや)。

熊鷲軍を滅ぼした後、新羅へ出発する準備の為に、「中ツ宿」なりと逗留したことから。
砥上(とかみ)の名は、池で武器を砥がせたことから。

 

<羽白熊鷲と対峙した神>

羽白熊鷲は、伝承では空を飛ぶ羽を持ち、人をさらったと記されている。
伝承によって名を変えていたが、すべて同じもの。

神功皇后が対峙した「羽白熊鷲」。
高良の伝承の「イルヰ(異類)」。
筑紫神社、荒穂神社、筑後国風土記の「命ツクシ神」。 

  (☆→二つの伝承 4 ~ちくし神・福岡県筑紫野市~)

 

それらは、「シタクラツクシ坂」であった、冷水峠で重なる。

故に、退治した者も同神。

 (☆→二つの伝承 7 ~冷水峠~)

 

高良神=住吉神=筑紫神=白日別=筑紫の国魂(高良大社の神)(*1)
神功皇后=甕依姫=玉依姫=宝満神(*2 *3)

 

また、羽白熊鷲は少なくとも、
古処山の北

 (☆→射手引神社 1 ~神功皇后と高良神の熊襲退治~)

秋月周辺

冷水峠(シタクラツクシ坂)に出没していた。

一体ではなかったのだ。

 

<高良神と神功皇后>

上記の伝承が同じ。

高良神(住吉神)が神功皇后と行動を共にし、イルヰ(羽白熊鷲)と対峙していたことを意味する。
実際、高良の伝承には、それが記されてあった。

さらに、高良神は物部の祖神、饒速日である。
三種の神器をもたらしたのは、高良神だ。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事

☆→高良玉垂宮神秘書 4 ~三種の神器と神紋~

 

では、

彼は、饒速日命。*1
彼女は御炊屋姫。

大和で出会い、共に筑紫に移動、その後の名が神功皇后であり、宗像神。*2

 

*楯崎神社 には、 大己貴神と宗像姫が、異類と戦った伝承がある。
 (☆→祓いの神 7 ~楯崎神社*大己貴神は饒速日命~)
 

饒速日命は大己貴神であり、彼女は宗像姫。
すべて、(おそらく意図的に)名を変えられているだけ。

(ここでは、神功皇后の名で続ける)

 

いつも彼女の傍らには、彼がいたはず。
伝承の中では、住吉神、武内宿禰と名を変えていた。

                                            *


神功皇后は、冷水峠の側の大根地山で、羽白熊鷲を鎮める為に神々を祀っている。
では、上の案内板の内容は少し変わってくる。

 

****

 

香椎宮から進軍。

☆1 大根地山に向かい、山頂で神々を降ろす。
側の冷水峠(シタクラツクシ坂)の命尽くし神(羽白熊鷲)を退治。

そこから南~東へ。

 

☆2 砥上岳の麓の日吉池で剣を砥ぐ。
砥上岳で神事となるだろう。

*****

 

☆1 大根地山での神事は、羽白熊鷲との戦いの為。
麓の冷水峠にそれがいたからこそ、大根地山で神事をしたのだ。

 

☆2 砥石岳へ
砥上は冷水峠から約7キロ、1時間半程。

彼らはすでに冷水峠で、熊鷲と戦っている。

砥上岳の麓の池で武器を砥いだのは、これから向かう秋月の羽白熊鷲との戦いの為。
そう考える方が自然だ。

 

砥上岳にはみそぎの原(はら)がある。
山頂で神事をするためにみそぎをしていた。

神の力を得て、秋月へ進軍という流れになるだろう。


                    *

<祀られた神>

彼女は何を祀ったのか。

砥上岳山頂には、神功皇后が祀ったという、武甕槌神の祠がある。
弥永の大己貴神社には、大己貴神。

二柱とも、饒速日命。
神秘書では神功皇后と共にあり、夫婦であったという住吉神(高良神)、その人だ。

 

では、彼女が祀ったのは彼ではない。

彼女は、おそらく「(原始の?)神」を祀り、名を変えた饒速日命を祀ったのは、後の世に奈良から移動してきた人達。(そのまた後で名を変えられた可能性も)

 

大己貴神社、及び大神山は、奈良の大神神社の後に造られたもの。
後の世の人は、故郷の神の伝承があったこの地に、故郷の神を祀ったのだ。


神の移動・勧請が起こる理由の一つになる。

 

< 集まる民 >

大己貴神社の伝承には、
「新羅進軍の時、神功皇后が兵が集まらないので社を建て神に祈った」とある。
もともと香椎の宮にいたのならば、新羅との戦いの準備を、わざわざこの辺りでする必要がないのではないか。

 

しかも、「今から秋月へ」向かうのだ。
ここから5キロほどしか離れていない。

ならば、「熊鷲軍に苦しめられていた土地の人が、皇后軍に加わった」

というのが真実では。

                                                 *

筑紫には二千以上の神功皇后の伝承があるとされる。
しかし、大和にはわずか。

応神天皇の義弟たちを誅したのみ。

筑紫であれだけ登っている山にも、大和では一つも登っていない。


それは、「高良」の伝承の通りに、神功皇后が大和に戻らなかったことを示唆しているだ。

 

( つづく )

 

 




*1 饒速日命と同神。
安曇磯良神、天照、大物主神、大己貴神、大国主神、鹿島神(武甕槌神)、春日神、他。

(下記は、一部)
*住吉大社  天火明命(饒速日命)を祖神とする一族が祀る。住吉神=天火明命=饒速日命

 (☆→住吉大社 ~饒速日命と天照と二つの珠~)

 

*鹿島神宮  物部氏が代々、神官を務める。物部の祖神=饒速日命

*高良大社  古来は、物部の領地であり、祖神(饒速日命)を祀る。

 (☆→神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神・日月の神~)

 

*籠神社   天火明命と豊受大神を祀る。

*伊勢の神は、籠神社の月神を呼び寄せた。

→伊勢の神=天火明命と豊受大神(市杵島姫命)=天照と豊受大神(宗像大神)          

 

*高良神は、安曇磯良神、住吉、鹿島、春日と同神。

*三輪の神は大物主神であり、大国主神、天照。

 

 

*2 御炊屋姫は市杵島姫命(宗像大神)であり、豊受大神、弁財天、神功皇后など、同神。

 (☆→神の系譜*豊受大神 編 5 ~女神・天照~ )

 

 

*3 宝満神(宝満宮竈門神社)の神は玉依姫、神功皇后、八幡大神。

玉依姫も神功皇后。

筑紫神社にも玉依姫が祀られている。

白日別である高良神と共に、イルヰと戦った神功皇后、その人。

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。




2023年5月24日 (水)

住吉大社  ~饒速日命と天照と二つの珠~

去年の11月、奈良へ向かう途中、大阪の住吉大社へ。

住吉大社には、今までにたどり着いた数多のことが示されていた。

Screenshot_202305240858052

ずっと来たかった住吉大社。

Screenshot_202305240858162

反橋を渡る。

Screenshot_202305240858212

 

Screenshot_202305240858292

入ってすぐ見えるのが、第三本宮。
御祭神 表筒男神。

Screenshot_202305240858342

 

その奥にあるのが、第二本宮。
御祭神 中筒男神。

Screenshot_202305240858462

一番奥が、第一本宮。
御祭神 底筒男神。

この社において、一番奥にある本殿。

一番重要な社、それが底筒男神。

 

高良の神は底筒男神であった。

三柱とされているが、その実は一柱。

高良神(住吉、底筒男神)の后は神功皇后である。

Screenshot_202305240858502_20230524092001

彼女の社は第四本宮にある。

第三本宮の隣。

Screenshot_202305240859032

第四本宮 神功皇后

 

記紀の通りならば住吉神は、彼女の三韓征伐の折りに船の舳先へと現れ、玉体を守ったという神。

 

彼女は、その後、神託で得た神の宮へと向う。

その神の神田に水を引く為にと造ったのが裂田溝(さくたのうなで)。

 

「神の宮」は、那珂川の現人神社。

住吉の元宮。

しかし、それは記紀での話。

 

祇園祭では、住吉神、鹿島神、安曇磯良神(龍神)が彼女と共に三韓征伐へ赴いたとある。

鹿島の伝承と高良の伝承では、住吉神と鹿島神(タケミカヅチ)、安曇磯良神(高良神)、春日神、志賀の島(鹿の島、志賀海神社)神は同神。*1

(☆神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神・日月の神~)

 

つまり、別々の神とされているのは、みな同神。

また、高良の伝承と住吉大社の伝承では、高良神(住吉神)と神功皇后は夫婦であった。

船の上だけで会った神、ただそれだけの存在ではなかったのだ。

 

 <高良と鹿島の神>

高良神は住吉であり、物部の神であった。

高良の伝承、高良玉垂宮神秘書には、彼が三種の神器をもたらしたとある。

☆→高良玉垂宮神秘書 4 ~三種の神器と神紋~)アメブロの記事*後に記載

住吉神は物部の祖神の饒速日であったのだ。*2

 

さらに神秘書には、春日、鹿島、勝馬(志賀海神社)の神は同じとある。

「儺の国の星」の著者、真鍋大覚氏の先祖は物部であり、代々鹿島の神官であった。*3

故に、高良神(住吉神)と鹿島神(タケミカヅチ)は同神、饒速日命。

 

では、ここの住吉大社の神も彼であることになる。

高良神は住吉神なのだから。

Screenshot_202305240859082

摂社 大歳神社

彼が饒速日命であるから、ここに大歳神の宮があるのだ。
*摂社などはこの二柱の神(後の世の者を除く)。

 

Screenshot_202305240859202

 

Screenshot_202305240859242

奥に石の玉がある。

参拝の後、一度持ち上げ、願い事を思い、再び持ち上げた時に軽かったら叶うとされる。

 

Screenshot_202305240859322

 

大海(だいかい)神社。(住吉大社 HP「大海神社」)

御祭神 豊玉姫、豊玉彦

(HPには竜王(*6)、豊玉姫の父である海津見神も祀ると書かれてあるが御祭神の名にない)

住吉大社のHPには、この大海神社が摂社の中で最も社格が高く、住吉の別宮、住吉の宗社とされている。

 

 <住吉大社の神>

*4「住吉大社神代記」には、この社(大海神社)の神は「津守安必登神」とあった。
津守は、海の守り神を表す。

住吉大社の神官は代々、津守氏であり、彼らの祖神は天火明命。

では、住吉大社、大海神社の神は彼であることになる。(祖神以外を祀らない)

住吉神=大海神社の神(豊玉彦、竜王)=天火明命

*5  また、安必登神は、あらひと神。

住吉の神は現人神とされ、国の大事の時に姿を現す神とされる。

住吉の元宮、那珂川の現人(あらひと)神社の住吉神の別名。

豊玉彦=現人神=住吉神

 

*6  竜王とは、福岡の志賀島の志賀海神社の神。

そこは竜宮と呼ばれ、綿津見三神(海津見神)は竜王、住吉と同神。(*1に繋がる)

彼が「竜王」自身。

竜王=志賀の神=綿津見三神=住吉神

 

*7  志賀神、住吉神は同神。(*1 より)

さらに高良神、鹿島神とも同神。

志賀神=住吉神=高良神=鹿島神

 

*8  高良神(住吉神)、鹿島の神は物部の祖神、饒速日命を祀る宮。(*2  *3  より)

高良神=住吉神=鹿島神=饒速日命

 

*9   豊玉彦、豊玉姫は饒速日命と御炊屋姫、高良神と神功皇后であった。

豊玉彦=饒速日命=高良神

豊玉姫=御炊屋姫=神功皇后

☆→神の系譜*豊受大神 編 5 ~女神*天照~

 

 

では。

*4~9より、

住吉神=豊玉彦=天火明命=竜王=志賀神=海(綿)津見神=高良神=鹿島神=饒速日命

 

この住吉大社と大海神社に祀られているのは、天火明命である饒速日命。

住吉神、現人神、竜王、海津見神、豊玉彦は彼。

これは、高良神が住吉神であり、饒速日命であることの確証にもなる。

では、やはり籠神社の「天火明命」も饒速日命。

共に祀られている豊受大神、絵馬に天火明命と共にあった「市杵島姫命」は、彼の后であった御炊屋姫。

彼女が高良神(住吉)の后である神功皇后、また豊玉姫。

豊受大神=市杵島姫命=御炊屋姫=神功皇后=豊玉姫

*絵馬には、天火明命(饒速日命)と書かれてある。

☆神の系譜*豊受大神 篇 5 ~女神・天照~

 

 伝承の中で名を変えた彼ら。

 

しかし、彼らは元々は人であったのだ。

変えたのは後の世の人。

Screenshot_202305240859402(大海神社 拝殿)

大海神社には玉の井がある。
(写真撮り忘れた!)

豊玉彦(山幸彦)が龍神から賜ったという二つの珠の内、潮満珠が沈められているとされる。

住吉神社には、二つの珠のお守りがあった。

 

Screenshot_202305240859452

 

境内にある謂れのある物は、すべて御祭神を示唆するもの。

 

豊玉彦の潮干珠、潮満玉。

高良神である住吉神の干珠満珠。

大国主神(大己貴神)の幸御霊、奇御霊。

饒速日命の十種神宝の生玉、死返玉。

すべて同神であり、同じ二つの珠を示す。

☆→神の鉾 5 ~月神の二つの珠と十種神宝~

 

それは高良神がもたらした三種の神器の一つとなる。

☆→高良玉垂宮神秘書 4 ~三種の神器と神紋~

 

珠(玉)を垂れる(授ける)。

故に高良神は高良玉垂神であり、神功皇后は息長垂(足)(おきながたらし)姫なのだ。

この社の神である住吉神が、別の場所(筑紫)の伝承では、二つの珠を所有していた。

 

その珠は、誰でもない彼自身の物であったはず。

「豊玉彦」は、紛れもない彼。

神話は、たった一つの彼らの物語から、何パターンも名や状況を変え、創られたもの。

ここに大海神社があり、潮満玉の伝承がある理由になる。

Screenshot_202305240859582

 

Screenshot_202305240900022

住吉の五大力。

他に摂社 志賀神社。

御祭神 綿津見三神。(*1の同神とあった神)

 

船玉神社。

御祭神 天鳥船命、猿田彦神。


アマノトリフネに乗ってきたのは、饒速日命。

船玉神は彼を示す。

猿田彦も彼。

*この神は、住吉三神の荒魂ともされる。

=同じ神。

Screenshot_202305240900312

浅澤社。

御祭神 市杵島姫命。


*弁天池の形をしている。

神功皇后は市杵島姫命(宗像姫、豊受大神)。

摂社、別宮などの神はすべて名を変えた彼ら。

 

住吉神は高良神であり、神功皇后はその后。

その実、饒速日と御炊屋姫なのだ。

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。




2023年5月16日 (火)

奈良の高良神社と八幡神社*男神・女神

奈良にも高良神社があり、近くの八幡神社との間に、両神を示唆する祭りがあった。

 

まずは高良神社。
奈良県天理市櫟本町(いちのもとちょう)1496

かなり入り組んだところにある(道も狭い)ので、天理の駅の前でレンタサイクルして現地へ。

 

Screenshot_202305161803002
御祭神は武内宿禰(高良玉垂宮命)

武内宿禰は、神功皇后の三韓征伐の折りに、潮涸玉、潮満玉(干珠満珠)を用いて、勝利をもたらしたとされる。
神話の通りならば、彼は神功皇后の宰相。

 

しかし、彼は高良の神。

その実は住吉神であり、饒速日命。
神功皇后と共に異類と戦い、これを退治している。(前回までの記事)
*神功皇后の三韓征伐は、異類退治の事だと思われる。

また、二人は夫婦であった。(高良玉垂宮神秘書)
それを裏付けるものがある。

この高良神社と櫟本駅を挟んだ向こう側にあるのが、八幡神社。
奈良県天理市櫟本町891

Screenshot_202305161804292

御祭神は八幡神(応神天皇)、神功皇后。

両神社の間で行われる祭りは、「まぐわい神事」。

高良神が男神、八幡神が女神とされ、神のお渡りが行われる。
まぐわいは結婚、性交を意味するもの。

高良神社の祭神の高良神(武内宿禰)と、八幡神社の祭神の女神とは神功皇后。

この祭りは、二つの神社の神が夫婦であることを示している。
他に理由はない。

高良神は住吉神。
大阪の住吉大社の伝承にも、彼と神功皇后が夫婦とある。

神社に伝えられるすべてが「嘘、偽り、ただの伝承」とするよりも、その中には真実があり、状況や名を変えられているだけととらえれば、自ずと見えてくるものがあるのだ。

八幡神、応神天皇も彼女の子とされるが彼自身。
夫婦は共に祀られる。

大阪、住吉大社に彼女が祀られる理由になる。

 

もしかすると、この高良神社と八幡神社の間で祭りがあるのは、高良神社に彼女の社が無いからかもしれない。

Screenshot_202305161804392

(地図はGoogle map)
1 が高良神社
2 が八幡神社
周りは道が狭く、車を置くスペースもない。
下の地図の
3 が三島神社
4 が石上神宮
Screenshot_202305161804342

(地図はGoogle map)
上の地図のアップ

 

今回の奈良行きは、去年の11月の時のもの。

一日目、福岡から新幹線で大阪へ。
大阪で電車を降りて、住吉大社へ。
午後、天理駅前でレンタサイクルして、1,2を回った後、
3の三島神社
 4の石上神宮と行った。
(櫟本まで電車でもよかったかも)
その日は、大神神社の近くの宿で泊まり。
二日目は、三輪山登拝。

その後、移動して三日日にダイトレテン泊縦走した。

  (☆→ダイトレ*テン泊縦走 ① 二上山~紀見峠

懐かしい~。
また行きたいな~!

 

次は住吉大社。
*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。




2023年5月 6日 (土)

神の系譜*豊受大神 篇 5 ~女神・天照~

続きです。

☆→神の系譜*豊受大神 編 4 ~祓いの神・瀬織津姫~

神功皇后は、豊受大神、瀬織津姫、市杵島姫命(宗像大神)、御炊屋姫。

後の為政者により、女神天照とされたのも、彼女。


1< 女神・天照の名>

女神・天照には別名があった。

撞賢木厳御霊天疎向津姫(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめ)。
意味は、
*神との境をつき(斎き)、響かせる御魂
*天(日の神)では無く、神に向かい合っている者

その名はあくまでも(日の)神ではなく、神に仕えるもの。


厳御霊から、厳島の神である市杵島姫命(宗像大神)。
また、向津(神と向かい合うもの)は、神の妻を意味する。


これらから、女神天照は市杵島姫命であり、宗像大神だ。

またこの名、神功皇后が香椎宮にて神がかりした時に伝えて来た名だという。
彼女は同神であるので、二柱の関わりを表している。

☆→神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~

 

2<御炊屋姫と瀬織津姫の名> 

「儺の国の星」より。
物部の子孫である真鍋大覚氏による、那珂川に伝わる古来の星の名を集めた本。
そこに「炊屋星(かしきやぼし)」についてあった。

織姫=炊屋(かしきや)。
織女の名から、女王、后妃、巫人をも表す名に繋がる。

御炊屋姫の名は、織姫をも意味していた。
(瀬は住吉三神が海の神(水の神)であるから、対をなす瀬織津姫。)

☆→御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味 ~「儺の国の星」の炊屋星~

 

前回の祓いの神である、住吉神と瀬織津姫に繋がる。


*******************************************

 

1 女神天照の名は、厳島の神、市杵島姫命(宗像大神)を意味する。
2 炊屋(かしきや)は、織姫=瀬織津姫を意味し、女王、后妃、巫人をも表す名に繋がる。

☆→神の系譜*豊受大神 篇 1)より

3  御炊(みかしぎ)は、御膳津神(みかつかみ)であり、豊受大神、宇迦之御霊を意味する。

4  御炊屋姫は、弁財天、市杵島姫命(豊受大神)。

☆→神の系譜*豊受大神 篇 2
☆→神の系譜*豊受大神 篇 3)より
5  高良神(住吉神)の后は神功皇后であり、豊姫、弁財天、市杵島姫命と同神。

6  筑紫の伝承から、甕依姫とも同じ。

7  弁財天から天河弁財天=内宮の女神=瀬織津姫

(☆→御炊屋姫を追って  11 ~広瀬と弁財天と女神の天照~) 

 

以上から、

神功皇后=御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=宗像大神=瀬織津姫=甕依姫

 

< 豊玉姫 >

豊姫は、豊玉姫でもあった。

筑紫には、豊姫が海神から干珠満珠をもらい受けるという「磯羅舞」が伝わる。
*これは山幸彦海幸彦や浦島太郎などの元の話。

☆→八大龍王と弁財天 2 ~神功皇后伝承~)アメブロの記事

 

Shikaumi04_20230516174901

(志賀海神社)
その伝承の舞台、志賀海神社は龍宮という。
龍宮とは龍神のおわす所=志賀神(高良神・住吉神)が龍神。

高良神は住吉神であり安曇磯良神であり、饒速日命。
海神(龍神)は彼自身。

☆→祇園の神 6 ~龍神*安曇磯良神~

 

彼が饒速日命であるから、干珠満珠は彼が所有していた十種神宝の生玉死返玉のこと。

(以下、詳細)
☆→神の系譜 4 ~月読神の十種神宝~

また、それは高良玉垂宮神秘書より、三種の神器の一つと分かった。
☆→高良玉垂宮神秘書 4 ~三種の神器と神紋~)アメブロの記事*後にUPします。

 

高良神が月神とされるのは、海の水の満ち引きを操るからであり、彼らの治水工事をも表す。

その工事の一つ、奈良の古代湖の水を引いたのは、三輪の神である大物主神(饒速日命)。
亀石の伝承から、彼に繋がり、同神の名の中に天照、豊玉彦の名があった。

それと対をなす豊玉姫の名も。

彼女が、筑紫の「磯羅舞」の豊姫であり、高良神の后であった神功皇后。

(詳細は以下のシリーズ)
☆→古代*奈良湖と裂田溝 1 ~亀石の伝承~

また、奈良湖の水を引いたことにより、大和騒乱が鎮まったと考えられることから、3世紀頃のことと推定される。

更に、高良山の麓の祇園山古墳の造営は3世紀半ば。
大社の一族により守られ、また高良神は祇園神であるので、その后である。

卑弥呼の時代であった。

もしかすると、「卑弥呼が人前に姿を現さなかった」のは、彼女はその後大和にいなかったからかもしれない。
彼女は宗像大神。

もしかすると、「卑弥呼が人前に姿を現さなかった」のは、彼女はその後大和にいなかったからかもしれない。
彼女は宗像大神。

 

饒速日命と共に、筑紫へと移動しているのだから。
(例え、何度か戻っていたとしても)

筑紫ではあんなに登ってる山に、大和では一つも登っていないのだ。

山の上に神がおられる。
そう感じたら、登り続けるはず。

 

< 月神 >

 

籠神社には、天照国照彦火明命(饒速日命)と市杵島姫命が並ぶ絵馬がある。
その絵馬が全ての答えに繋がる。

伊勢の下宮の神は、籠神社から来た月神。
伊勢の神(天照)が独り身だと寂しいからと呼んだとされる。

しかし、下宮の神は豊受大神であり、彼女は月神ではない。
後の時代に天照の入れ替わりが起こっており、それを示唆しているだ。

Screenshot_202305161745112

導き絵馬(籠神社のHP より)
豊受大神を祀る眞名井神社の創始神話がかかれた絵馬。

 

籠神社の神は、彦火明命(天照国照彦火明命)。

相殿に、豊受大神、天照大神、海神(わたつみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)

彼は、海神、志賀神、住吉神、天照でもあった。
(日と月と海の神)

籠神社の「月神」は饒速日命自身。
彼である高良神は月神と呼ばれる。

 

つまり、伊勢の神は、籠神社の彦火明命である饒速日命。

伊勢は古来、磯宮で磯神(=石上)。
高良神は安曇磯良神であり、同神なのだ。

豊受大神は市杵島姫命である宗像大神であった。

 

その宗像姫は北部九州の神。
筑紫の伝承には、大己貴神と宗像神が共に異類を退治するものがある。

大己貴神が大物主神であり、饒速日命。
異類退治が「祓い」であり、ゆえに彼らは祓いの神、住吉神と瀬織津姫でもあるのだ。

☆→祓いの神  9  ~波折神社*瀬織津姫と住吉神~ )

彼女は饒速日命と共に北部九州へと移動した、御炊屋姫、名を変えた神功皇后。
祇園山古墳は3世紀の中頃に造営。
彼女が「卑弥呼」でもあるのだ。

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

***********************************************

 

Twitter

今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

小分けなので分かりやすいかもです爆  笑

フォローお願いします笑ううさぎ

https://twitter.com/sakura15335?t=zywdh8uJGIhzvxAk28C_Tg&s=09

« 2023年4月 | トップページ | 2023年6月 »