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2023年6月29日 (木)

志登神社 ~志を登りて天竜となる~

福岡県糸島市志登(しと)

志登神社。
延喜式に記された式内社の一つ。

 

ここには豊玉姫の伝承があった。
豊玉姫が海神国から帰ってきて上陸した地とされる。

Screenshot_202306271443522


ご祭神を解き明かすと二柱の竜神が現れるのだ。

御祭神は、豊玉姫命
和多津見神(わたつみのかみ)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめみこと)・神功皇后
武内宿祢命(たけのうちすくねのみこと)

 

豊玉姫は、神功皇后であり、御炊屋姫。
彼女は弁財天(市杵島姫命)であり、八大龍王としても祀られている。

和多津見神は綿津見神であり、志賀海神社の神。

高良神と同神であり、住吉でもある。


かの社は竜宮と呼ばれ、彼は祇園祭での竜神・安曇磯良神(高良神)でもある。

☆→祇園の神 6 ~龍神*安曇磯良神~)

 

彼が御炊屋姫と夫婦神である饒速日命。
神秘書では、住吉神と神功皇后が夫婦。

☆→神*総まとめ

Screenshot_202306271443582

Screenshot_202306271443583

武内宿禰は、高良神(住吉神)と同神。

他は、彼らを元にした神話からの合祀。
彦火火出見命は、天火明命から英彦山を譲られていた。
(譲渡は、神の名[だけ]を変えられたことを意味する)

 

豊玉姫(豊玉彦・山幸彦)は、彼らの功績から創られた神話。
(下の記事の★6へ)

☆→神*総まとめ)

 

同神であるので、共に祀られているのだ。

Screenshot_202306271444052

Screenshot_202306271444053拝殿

Screenshot_202306271444102

拝殿の中の豊玉姫

酷似の伝承は神の由緒を示す。

山幸彦海幸彦(豊玉姫)
浦島太郎
八大龍王
高良神と神功皇后伝承

などは全て彼らを示唆する物語である。

☆→八大龍王と弁財天 2 ~神功皇后伝承~

☆→八大龍王と弁財天 4 ~三輪の神は八大龍王~

Screenshot_202306271444103

境内には祇園社がある。
祇園神は高良神であった。

Screenshot_202306271444132

 

大神宮 天照 
天満宮
八坂神社(スサノオ命)
志々岐神社

 

天照神、スサノオ命は饒速日命。(→☆神*総まとめ
*天満宮に実際祀られてる神も彼だとみている。(これは後に)

 

志々岐=志式であり、福岡奈多にある志式神社の神。

ご祭神は火明命、豊玉姫、
日酢芹(ほすせり)神、豊玉姫、十域別(とおきわけ)神、稚武(わかたける)王、葉山姫神。 

 

火明命は、饒速日命。
わたつみ神であり住吉神(高良神)。

豊玉姫の名もあった。

彼らも志登神社と同じ神。

☆→祇園の神 4 ~志式神社の磯良舞と神々~)

 

二柱の「竜神」が祀られる社。

Screenshot_202306271444192

「海竜豊玉姫 志を登りて天竜となる」

 

それは、前回の記事にも繋がる。

☆→古代の宇宙船とアマノトリフネ

 

亀の形をした乗り物でやってきた神。
豊玉姫がやってきた海神国は、果たして。

 

ここには亀の像があった。

Screenshot_202306271444232

それは天鳥船。
彼は饒速日命なのだから。

 

< 弁財天 >

 

御炊屋姫は弁財天(市杵島姫命)であった。
ゆえにここにはその社があるのだ。

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社を取り囲むように猿田彦さんの道祖神がある。
彼は日吉の神であり、猿田彦でもあるからだ。

Screenshot_202306271444343

 

Screenshot_202306271444382

 

Screenshot_202306271444383

玉の井がある。
豊玉姫が、高良神(住吉神)から干珠満珠を授けられた神功皇后だからだ。

 

大阪住吉大社にもあった。
「豊玉彦の塩満玉が沈められている」とされていた。

それは住吉神が豊玉彦であるからだ。

 

 

< 古代の海面 >

古代の海面について書かれてあった。

 

Screenshot_202306271444432

(以下、案内板より)

弥生時代は入り江が東西から割り込み、伊都国の港を形成していた。
ご祭神は日本神話によれば海神国より帰って、この地に上陸されたという日向二代の后「豊玉姫」であり、社殿は西方に向かって建ち、昔は海上から参拝するようになっていた。

 

この地は標高4m。

標高5m以上の海面が「糸島水道」を形成する高さ。(下の図の右)
4m以下で上記の様子。(下の図の左)

Screenshot_202306271444482

(海面シュミレーションシステムより)
左が海面標高4m・右が5m

 

左の図は、「糸島の古代の海」で検索すると出てくる地形と同じもの。
この辺りは、標高4m以下の地点まで確実に海であったことを示す。

Screenshot_202306271444532

出典 ITOKOKU(ITOKOKU (inoues.net))

地図はGoogle map

 

 

( つづく )


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2023年6月27日 (火)

古代の宇宙船とアマノトリフネ

饒速日命はアマノトリフネに乗って、大和へやってきた。

 

それは空を駆け、彼は地上を見下ろして

「日の下(ひのもと)の国」と言われたとある。

(大阪の日下・くさか、日本の名の由来)

 

明らかに空を飛んでいた。
磐船の神、飛行の神とも言われる所以だ。

 

それは何か。
彼を祀る社や伝承にあった。

(以下の神はすべて饒速日命と御炊屋姫(みかしやひめ)

(→☆神*総まとめ )

 

☆籠神社

天火明命と豊受大神。
籠の由緒は、ご祭神がやってきた乗り物の様子。

海に潜っても水が入らない籠
空を飛び、光る籠

を意味する。

 

 

☆安曇磯良神

彼は筑紫では安曇磯良神(あんとんいそらしん)であり高良神(住吉神)。

フジツボを顔につけ、海から現れ
神功皇后に干珠満珠を授けている。

(高良玉垂宮神秘書など)

風浪宮には木彫りの像があった。


☆志賀海神社

境内にある亀石にはこんな伝承がある。

「神功皇后が祈ると、黄金の雌雄の亀に乗った志賀明神と勝馬(かつま)明神が出現。

皇后に千珠万珠の玉を授け、船の舵と航路を守り導いた」

*二柱(同神)は志賀海神社の神=高良神(住吉神)

 

神功皇后に授けた=垂れる
故に、高良玉垂神。

(以下、詳細)
☆→祇園の神 5 ~志賀海神社の神々~

 

神秘書に安曇磯良神(高良神)と同神とある鹿島神の伝承。

☆鹿島明神

「琉球神道記」にこう記されている(以下要約)

「鹿島の神はタケミカヅチ神。

鹿島の海底にいた。

顔に牡蠣をつけ磯のよう、故に磯良。
神功皇后の三韓征伐の時に、亀に乗り九州へ来たり、舵取りとなる。
筑前の鹿の島(志賀島)、奈良の春日神、鹿島神は磯良の変化」

 

亀に乗り九州へ来た!
普通の「亀」じゃあり得ない。

*これは鹿島神と磯良神が同神であることを示唆するものであることが大きい。

(春日の神は、鹿島の神が鹿に乗ってやってきたと同じ)

(*ここから派生する「舵取神」も彼の事)
☆→祇園の神 2 前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~

 

上の琉球神道は、高良大社の伝承や、こちらの神楽の磯良舞とそっくりだ。

 

亀に乗って海から現れ、玉を神功皇后に渡す。

この話を元にしたのが、

 

*海幸彦山幸彦(豊玉彦、豊玉姫)の伝承、

*浦島太郎(=300年生きた=武内宿禰を意味する)
(*羽衣伝承ほか)

上記の話は同じであり、同じ神。

☆→八大龍王と弁財天)アメブロの記事

 

ご祭神の乗り物

海に潜っても水が入らない籠

空を飛び光る籠

海から現れる安曇磯良神の姿

乗ってきた亀

 

神は饒速日命。

では、それはアマノトリフネ。

 

ただの船ではない。

彼はそれに乗り、「海の中から現れた」のだ。
決して、海上ではなく。

 

籠の形をして

空を飛んで光り

海に潜っても水が入らない

 

あまりにも鮮明な表現。

 

今の人なら思うはず。

それって、UFOじゃないの?

 

志賀海神社にはこうあった。

「亀は池に放ったが、後に石に姿を変え、金印公園近くに現れ、社前に納められた」

それが境内にあるこの石だとされるが、それは「由緒」の話。

 

もしもUFOだとすると、玄界灘の海にまだあるのかもしれない。

それは、そこから現れたのだから。


もしも彼がアマノトリフネに乗って宇宙からやってきているのなら。

 

は!

”顔に牡蠣をつけ磯のよう、故に磯良
では、磯の由来は「宇宙船・宇宙から来た神」か?!!
では磯良神も、磯宮であった「伊勢」も!

石上(いそのかみ)神宮も!


饒速日命の名の一つ布留神のフルは、「隕鉄(宇宙から来た隕石)」のことだった。

 石上神宮の御祭神の名。

 

☆後に「儺の国の星」にイソラのイは星、ソラは宇宙空間を意味するとあった。

那珂川では天の川をイソラ川と呼んでいた。

 

イソラは、本当に宇宙の神という意味だったのだ。

では、磯宮であった伊勢は、宇宙の神の宮ということになる。

 

糸島の志登神社にも、亀があった。

祀られているのは、神功皇后と豊玉姫。

 

二柱も同じ神なので、共に祀られているのだ。

 

次は志登神社へ。

 

 

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2023年6月23日 (金)

美奈宜(みなぎ)神社 3 ~神の由緒~

続きです。

☆→美奈宜神社 2 ~林田*神功皇后の伝承地~

 

御祭神、及び、伝承から神が分かる。

美奈宜神社1の荷原(いないばる)」と、「美奈宜神社2の林田」。

同じ名の神社には同じ神が祀られている。

 

荷原は天照皇大神、住吉大神、春日大神、武内宿禰、(神功皇后)

林田は、大国主神、素戔嗚命、事代主神の三神。

    他に摂社の神。

これらの神は同神。
すべて高良神であり、住吉神、饒速日命。

☆→神*総まとめ

 

それを踏まえて、二つの社の伝承を、高良玉垂宮神秘書などと照らし合わせる。


荷原の美奈宜神社
★1 神功皇后が羽白熊鷲を退治できたのは、三神の助力のおかげ。*1
    天照皇大神、住吉大神、春日大神

林田の美奈宜神社

★2 神功皇后は、安曇磯良神から干珠満珠を授かる。

★3 干珠満珠の力で羽白熊鷲を退治。

★4 三韓へ行く船の上で(助力を得た)のは、大国主神、大己貴神、事代主神の三神
★5 三神を祀ったのが、美奈宜神社。
★6 福岡の伝承では、神功皇后は西暦200年前後。

 

記紀など

★7 船の舳先に現れ、神功皇后に助力をしたのは、天照大神、住吉三神

 

高良大社の伝承(高良玉垂宮神秘書)。

★8 神功皇后高良神と共に羽白熊鷲を退治していた。
★9 安曇磯良神は高良神であり、住吉神、春日神、鹿島神、志賀島神と同神。
★10 高良神は干珠満珠を所有し、神功皇后と夫婦である。

★11 神功皇后の三韓征伐の時、船の舳先に現れたのは住吉神(高良神・安曇磯良神)。  



< 助力を得た神 >

これらの神々は、それぞれの社にも祀られる神であり、同神。

 

★1 荷原 天照皇大神、住吉大神、春日大神 

★4 林田 大国主神、大己貴神、事代主神
★7 記紀 天照大神、住吉三神。

★11 神秘書 高良神(住吉神・安曇磯良神)

 

★7の記紀と★9、★11の神秘書にも重なり、すべて一柱の神、饒速日命。

では、神功皇后が助力を受けた神は、饒速日命。


< 干珠満珠 >

二つの珠の伝承から。

★2 林田 安曇磯良神から神功皇后へ。
   神功皇后が玉の力を使う。

★10 神秘書 安曇磯良神(高良神)が所有し、玉の力を使う。



★2の「林田の安曇磯良神」は高良神。

神功皇后に干珠満珠を授ける「玉を垂れる」=渡す
故に高良玉垂神。

神功皇后には、その名と対の「息長垂姫(おきながたらしひめ)」がある。

 

彼は神功皇后に「垂れた」のであり、二柱は確実に同じ時に存在したのだ。

 

彼が饒速日命なので、彼女はその后の御炊屋姫(女神・天照、豊受神、宗像神、市杵島姫命など)。

☆→神*総まとめ

彼らの名の一つ祓いの神・住吉神と瀬織津姫は、異類退治によるものであり、共に戦っていたことを表す。

 

<饒速日命は高良神>

では、助力を受け、共に退治をした神の姿が見えてくる。

 

神功皇后に助力をした神は、すべて饒速日命。

彼女と共に羽白熊鷲を退治した者も、高良神である饒速日命。

 

つまり、”彼女と共に羽白熊鷲退治をしていたものが饒速日命であり、彼から助力を得ていた”。

 


<複数の安曇磯良神>

これは福岡の神楽・磯良舞や高良大社の宝物庫にあるタペストリーにも繋がる。

そこには、複数の安曇磯良神がいた。

 

タペストリー

*四王寺山に現れ、神功皇后と初めて出会う場面の高良神

*海から現れ、体中にフジツボをつけた安曇磯良

*神功皇后の乗った舳先の上に現れ、玉体を守った安曇磯良神(高良神・住吉神)
*少し離れたところで、三韓の兵と対峙する武内宿禰

 

磯良舞
武内宿禰と事代主神が相談(どうしたら海神から珠をもらうか)

→豊姫が海神の前で舞う

海神が豊姫へ干珠満珠を渡す (後に豊姫から高良神へ渡される)

 海神は竜宮に住む。

 竜宮は志賀海神社であるので、海神は安曇磯良神

(高良の伝承より、志賀島神は、安曇磯良神=高良神)

 

上記の青文字の神は、美奈宜神社に祀られる神であり、すべて同神。

神功皇后と共に在った「武内宿禰」。

彼も高良神であり、饒速日命。

(高良神は武内宿禰という説も正しい)

 

時間軸や神の名が違っても、彼らは皆同じ者であった。

タペストリーや神楽はそれを示唆しているかのようだ。

 

 

< 淡島の神 >

では、美奈宜神社にあった摂社の神も繋がる。

淡島神社の神は、

「天照大神の六女、淡島様であり、住吉神と夫婦となられ、婦人病にかかったことから淡島に流された」とある。

 

この話は、(神*総まとめの★4)にあるように、神の由緒を示唆するもの。*1
「淡島の神は、住吉神と夫婦であること」

「天照とも縁がある者」と示唆。

 

住吉神(高良神)の后であるのは神功皇后。

彼女は天照とも縁がある。

天照が饒速日命であり、彼女はその后の御炊屋姫なのだから。

 

淡島の神は、少彦名神ともヒルコともされる。

神話上のそれらの神も彼女。

 

淡島様の像が神功皇后の像に似ているのは、偶然ではなかったのだ。

 

(若杉山、太祖宮上宮の神功皇后 像)

 

美奈宜神社の淡島様の像を造った方は、ご存知だったのか、はたまた直観なのか。

 

 

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*************************************

 

*1 神の由緒を示唆(以下は、一部)

*荒穂の神がけった石が高良大社の社の下にある。
  荒穂の神=高良の神

*天拝山の社の裏にある石は、基山の荒穂神社から飛んできた。

  天拝山の荒穂神=基山の荒穂神
*鹿島の神は鹿に乗って春日にやってきた。
  鹿島神=春日神

 

2023年6月21日 (水)

神*総まとめ

神の総まとめを。 
(毎回、説明するのも何なので。必要な箇所だけ)

 

天照大神は、天火明命、月神・高良神、饒速日命、住吉神、他。

女神・天照は豊受大神、市杵島姫命(宗像大神)、御炊屋姫、神功皇后、他。

男神・天照である饒速日命の名は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。

女神の天照の名は、撞賢木厳御魂天疎向津姫。
(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ)

意味は、神との境をつき(斎き)、響かせる御魂であり、
天(日の神)では無く、神に向かい合っている者。
向津は、后のこと。

☆→神の鉾 番外編 ~二柱の天照~

 

厳御魂(いつのみたま)は、厳島神社の神、市杵島姫命(宗像大神)。
その名から、女神天照=市杵島姫命=宗像大神。

まずは、二人が祀られる籠神社の神から。

 

<★1 籠神社>

ご祭神、豊受大神と天火明命。
それが絵馬では、市杵島姫命と饒速日命。
これが夫婦。

豊受大神=市杵島姫命
天火明命=饒速日命。


*饒速日命は高良神(月神)(★3へ)
    他は1番下へ(★9)

 

<★2 伊勢神宮>


現在の伊勢の神は、
内宮、天照大神。
(内宮の荒祭宮は瀬織津姫)★7へ

外宮、豊受大神。

「内宮の神は、独り身だと寂しいからと、外宮に籠神社の月神を呼び寄せた」。
=籠神社の神と同神と示唆。


内宮の神が外宮に呼び寄せたのは、籠神社の豊受大神であるので、
内宮の神は天火明命(日と月の神)。


現在は内宮の神、天照は女神とされている。
=本来は、下宮の神である豊受大神が、その役を担っている状態。
(神話の月神・月読神がすぐに隠れていることは、これを示唆)

*それを受けて、伝承では「外宮の神は月神」と反対になっている。
故に、下宮の神が格が上とされる。


内宮の神=天照大神=(籠神社の)天火明命(月神)
下宮の神=豊受大神=(籠神社の)市杵島姫命

*月神の所以は、高良神であり、
市杵島姫命は宗像神なので、北部九州に残る伝承が彼らを示す。

伊勢は古来、磯宮⇒磯神(石上)である安曇磯良神=高良神=饒速日=天照を祀る

 

<★3 高良大社・福岡県>(高良玉垂宮神秘書)

ご祭神、高良神、豊姫、市杵島姫命(摂社)。
*神秘書より物部の神。

三種の神器をもたらした者であるので、祖神の饒速日命となる。

また、高良大社の下社は祇園さん=スサノオ命
☆違うのなら、主祭神を差し置いてそう呼ばない。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~
アメブロの記事。その内こっちでも書きます~

*月神とされる(干珠満珠で海の水の満ち引きをする故  *1下記へ)。

*高良神の同神は、住吉神=安曇磯良神(アントンイソラシン)
=鹿島神(武御雷神)=春日神=志賀島の神(志賀海神社・綿津見神)


*高良神(住吉神)と神功皇后は夫婦であり、イルヰ(異類)を退治。
(=これが筑紫一帯の羽白熊鷲退治)★4の伝承

故に、高良に祀られる豊姫、市杵島姫命は神功皇后。(★7 へ)


高良神=饒速日命=月神=住吉神=鹿島神(武御雷神)、春日神、綿津見神、綿津見神(志賀海神社)

豊姫=市杵島姫命=神功皇后


高良神は、安曇磯良神。
=安曇氏が祀る磯良神(ラは古語で神、光)なので、磯神(いそのかみ)のこと。

★2の伊勢は古来、磯宮(いそのみや)と呼ばれる。
磯宮(いそのかみを祀る宮)という意。

よって、伊勢神宮に祀られる磯神(いそのかみ)は、高良神(月神)。


また、石上(いそのかみ)神宮の神と同神。
=布留大神は物部の祖神、饒速日命。


*高良神、石上神宮、鹿島神宮の神は、共に物部氏の祖神

*大阪の住吉大社は、天火明命の子孫が祀る。

*鹿島の神は鹿に乗って春日へ来た(同神を示唆)

 (鹿島神宮には、高良の伝承と同じものがある。鹿島神は安曇磯良神であり、春日神。干珠満珠を持つと。)

 


<★4 荒穂神社>(☆基山の荒穂神社)と(天拝山の荒穂神社)

天拝山と基山の荒穂の神は同じ。

「社の裏にある大岩は、基山の荒穂神社から飛んできた」
=同神を示唆。

基山の荒穂神社にある石から、荒穂の神=高良神

「荒穂の神がけった石が、高良大社の社殿の下にある」
=同神を示唆

高良神=瓊々杵尊=八幡大神(★8)=五十猛命=春日大神=住吉大神=鴨大神(★8へ)

豊姫=宝満大神(玉依姫、神功皇后)=香椎大神(神功皇后)


筑紫の伝承は、★3の二柱のイルヰ退治を示し、神は同じ。

☆二つの伝承 7 ~冷水峠~

*筑紫神社、大根地神社、宝満宮竈門神社


白日別=筑紫神=高良神(住吉神・饒速日命)=須佐之男命(祇園の神)=稲荷神
甕依姫=玉依姫=神功皇后=豊日別=宗像大神

*甕依姫=日甕(ひみか)を意味する。


<★5 大国主神 >

神話から、大国主神は三輪山の大物主神=饒速日命

「海から珠(魂幸魂)が現れ、三輪山に祀れと玉を授かる」
=同神を示唆

大国主神=大己貴神=三輪山の大物主神=饒速日命

☆→大国主の幸魂奇魂 )


<★6 二つの珠 >

神が持つ、干珠満珠は海の水を引く力(の象徴もある)
=大和の奈良湖の水を引いたことなどから。

奈良の亀石の伝承から、三つの社の神は同じであり、水を引いたのは祀られている神。

天照大神、豊玉比古命(豊玉彦 ★8へ)、建玉依比古命、大物主神

豊受大神、市杵島姫命、豊玉賣命(豊玉姫)、建玉依比賣命、御膳津神(豊受大神)★7

この内、建玉依比古命は鴨比古命の別名であり、賀茂別雷神社(上賀茂神社)に祀られる。
★4の荒穂神社に、鴨大神の名あり。(★8 へ)

 

以下は、同神なので、玉も同じ物。

饒速日命の十種神宝の中の玉(生玉死返玉

高良神の干珠満珠

大国主神の奇魂幸魂

大阪の住吉大社に満珠(住吉神が高良神だから)
豊玉彦、豊玉姫の塩満珠、潮干珠
(山幸彦海幸彦)

 

まとめると、
伊勢の内宮の天照大神=天火明命=饒速日命(磯良神・石上)
=月神=高良神(安曇磯良神)
=住吉神

=春日神=鹿島神=五十猛命=ニニギ命=鴨大神
=八幡大神=須佐之男命(祇園神・高良神は祇園の神として祀られる)

=大国主神=大己貴神=三輪山の大物主神=豊玉彦

=白日別(筑紫神)(他に日吉神など省略)


 

<★7 御炊屋姫 >

饒速日命の后は、御炊屋姫。
外宮の豊受大神(内宮の荒祭宮の瀬織津姫)。


御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=宗像大神=豊受大神

(以下、リンクは「御炊屋姫を追って」の回」

☆御炊屋姫の社は、弁財天(市杵島姫命)と呼ばれる。

**櫛玉比女神社 (旧 広瀬郡弁才天)
2 ~広陵の弁財天*櫛玉比女神社~

**村屋坐彌冨津比賣神社の物部社の御炊屋姫。
(代々、物部氏が祀る=祖神)

( 7 ~前編*物部の弁天様*村屋坐彌冨津比賣神社~

8 ~後編*物部の弁天様*村屋坐彌冨津比賣神社~)

☆「広瀬の神」は廣瀬大社の神(豊受大神・宇迦之御霊)を示唆。

10 ~広瀬大社の豊受大神*御炊屋姫~

 

**櫛玉比女神社 (旧 広瀬郡弁才天)
**天山の下宮の一つは、厳木町広瀬など。
(厳は厳島神社の神、市杵島姫命を意味する)

3 ~天山と弁天池 弁財天の元宮 前編~

4 ~天山と弁天池 弁財天の元宮 後編~


☆御炊屋姫の名は、豊受大神(宇迦之御霊)を意味する。
**大神神社の御炊社の神は、御膳津神=豊受大神=宇迦之御霊

( 8 ~御炊社*大神神社の豊受大神~

 

☆境内に祀られる神は、同神か后。
大神神社の御炊社(上記リンク)と市杵島姫命神社の神は大物主神=饒速日命の后。

5 ~狭井神社の市杵島姫命神社~)



☆御炊屋姫の炊屋(かしきや)は、瀬織津姫を意味する。

織姫、女王、后、巫人の意。「儺の国の星」より
(御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味)
瀬と津は、住吉神が海の神であるので。

 

*天河弁財天の「内宮から勧請した女神」は、内宮の荒祭宮の瀬織津姫
それは、饒速日命の后、御炊屋姫(=弁財天と呼ばれる)のこと。

( 4 ~天山と弁天池 弁財天の元宮 後編~

御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=宗像大神=御炊屋姫=御膳津神=豊受大神=瀬織津姫

 

 *御炊屋姫は内宮の瀬織津姫であり、豊受大神、女神の天照なので、「内宮から勧請した神」が天河弁財天の神というのは、一致する。

 彼女は弁財天であり、市杵島姫命でもあった。

 

 

<まとめ>

これらより、

天照大神=月神・高良神=天火明命=饒速日命=住吉神(他は省略)

豊受大神=市杵島姫命(宗像大神)=御炊屋姫=神功皇后(他は省略)

 

神功皇后は、御炊屋姫であった。

高良神(住吉神)は饒速日命なので、夫婦であることは一致する。


宗像は北部九州。

大和で彼と出会い、筑紫に来てからが、神功皇后の伝承。

 

彼らは

★3のイルヰ(異類)を退治をするための筑紫に来たのであり、

それが神話の「祓い」にまつわる物語になる。

 

*神話のスサノオ命(祇園の神)は、祓いをした(退治した方)の神である、彼を意味する。
高良大社の下社は祇園さんと呼ばれている=高良神が祇園さん。

☆→祇園の神 16 ~神話と天照と卑弥呼と神功皇后*筑紫での祓い~

******************************************************

< ★8 鴨と豊玉彦と八幡神 >

*鴨神 ★4と★6

鴨(加茂)神は別名、三島溝咋(みしまみぞくい)神。

三島神は布留神であり、石上神宮の饒速日命。
(高良神も三島の神)

みそくいは、御栄井であり、砂漠の中のオアシスの意。(「儺の国の星」より)
=海上の星(希望の意)


それぞれ、オリオン座の三ツ星(住吉神)のこと。
御炊屋姫の別名。

また鴨(加茂)の神の、夫婦神は玉依姫。
御炊屋姫の名の一つでもある。

溝咋は、恵みの水の意であり、籠神社の天真名井に通じる。
籠神社の神(天火明、豊受・市杵島姫)=三島溝咋

 

*豊玉彦、豊玉姫 ★4と★6

その名は、干珠満珠の伝承から生まれた「神話の神」。
彼らも同神。

 

だから、筑紫には二柱を祀った神社がある。
彼らと同神なので、神功皇后や名を変えた彼らが共に祀られている。

 

*八幡神 ★4など
神功皇后の御子とされる八幡大神は、その実、彼の夫神である饒速日命。

「名を交換した」は相手の神、気比神宮の伊奢沙別(いざさわけ)と同神を示唆。

☆→気比神宮~神功皇后と応神天皇の伝承地~

 

気比神宮には、ツヌガアラシトが祀られており、伊奢沙別と同神。
これが「現人神(あらひとかみ)」である、福岡那珂川の「現人神社」の神を意味する。
住吉の元宮であり、この地が神話の舞台である。

☆→筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~

 <★9  その他の饒速日命>
饒速日命は、日月の神であり、星の神。
それ以外にも、彼を祀る一族が日本中に広めたのだ。
一族の名や、土地の名や、職業の神などに名を変えて。
以下は、ほんの1部。
*月神・  高良神(高良大社)

*日神 ・天照大神(伊勢 他)

*星神 ・布留神(石上神宮)

               住吉神(三ツ星)
*海神 ・住吉神(現人神社、住吉大社)
              スサノオ神

*雷神・ 建御雷神、鹿島神、春日神など

*鍛冶神  ・金山神

*山の神・  大山祇神

*航空の神  ・(矢田坐久志比古神社、磐船神社)
 ほか

 

日本のほとんどの神は、この二柱になる。
(後世の功績などにより祀られた者を除く)


神話は彼らの物語を名やシチュエーションを変えて、語っているものであった。

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

**********************

 

*1   高良神の干珠満珠の伝承  
高良神は、竜宮の海神から玉を賜り(直接賜ったのは豊玉姫)、干珠満珠の力を使ったと神秘書にある。 =山幸彦(豊玉彦・火照命)の神話の元。

 

他*神秘書には、神話の元となる話が数多ある。

 

竜宮は志賀島神社(綿津見神)
志賀の神は、高良神と同神(★3 )であるので、伝承上の話。

 

神秘書や筑紫の伝承は、神話と真実が混ざり、真実に1番近い伝承となっている
(神秘書やこちらの伝承で数多の事が繋がる)

 

高良大社で、「神功皇后の船の舳先に現れたのは高良神であり、安曇磯良神。それが住吉神。」だと神職さんから直接聞いた。

 

この辺り、また書きます。

2023年6月17日 (土)

美奈宜神社 2 ~林田*神功皇后の伝承地~

続きです。

 

☆→美奈宜神社 1 ~荷原*神功皇后の伝承地~」)

 

荷原の美奈宜神社には、神功皇后の伝承があった。
そこから約9キロ。

林田にも美奈宜神社がある。

20220909144326_img_4008

林田の美奈宜神社。

20220909144340_img_4009

扁額ではこのような字。

当たり前ですが、社や、神の名が書かれている。

20220909144923_img_4020

拝殿。

ご祭神は、大国主神(大国様)
     素戔嗚尊(ぎおん様)
     事代主神(恵比寿様)

20220909144943_img_4022

20220909144603_img_4012-1

 

上の縁起と合わせて、神社で頂いたパンフから要約。

1800年前、朝倉の住民は古処山に住む羽白熊鷲(はじろくまわし)という山賊に長い間苦しめられていた。

神功皇后は、安曇磯良神(あづみいそらしん)から賜った潮干珠・潮満珠の霊力により蜷貝の一夜城を作り、羽白熊鷲を征伐した。


神功皇后摂政2年(西暦202年)神功皇后は三韓から帰国後、航海中船中で戦勝を祈願された、素戔嗚命、大己貴命、事代主命の出雲三神をお祀りする場所を決めるため、肥前国高橋の津から一羽の白鷺をお放ちになった。

白鷺が舞い降りた地の近くに出雲三神を祀る社を建てた。

社名は蜷城(になぎ)を美奈宜(みなぎ)あて、美奈宜神社となった。

(延喜式内名神大社 美奈宜神社 パンフより要約)

 

これより多くの事が分かる。


★1 神功皇后は、安曇磯良神から干珠満珠を授かる。

2 干珠満珠の力で羽白熊鷲を退治。
3 三韓へ行く船の上で(助力を得た)のは、素戔嗚命(スサノオノミコト)、大己貴神、事代主神の三神。
4 その三神を祀ったのが、美奈宜神社。
5 福岡の伝承では、神功皇后は西暦200年前後。

 

謎解きは次回。

20220909145039_img_4023

境内の摂社に、「十九神」が祀られている。

20220909145119_img_4025

 

延喜式に名がある社を式内社と呼び、筑前国は十一社あり、ここには十社あった。

右から、宗像大社、住吉神社、志賀海神社、竈門神社、筥崎八幡宮、筑紫神社、織幡神社、麻手良布神社、志登神社、大己貴神社
そして、この美奈宜神社で十一。

 

20220909145242_img_4027

この時点で行ってなかったのは、麻手良布神社と志登神社。

そちらは、またの機会に。

20220909145355_img_4033

 

十社と別に白峯神社があった。

崇徳天皇が祀られ、悪習、縁切りの御神徳があり、非常に人気だそう。

病気との縁切りも含まれる。

 

もう一つ、摂社の淡島神社。


Screenshot_202306171538122

 


女神さまで婦人病などに御神徳がある。

 

Screenshot_202306171538152

 

ご祭神は、天照大神の六女、淡島様。

住吉神と夫婦となられ、婦人病にかかったことから淡島に流されたとされていた。

 

しかし、他の伝承でも言えるが、記載されている神はすべて二柱となる。

(後の者をのぞく)

天照=住吉神

淡島と住吉神は夫婦。

縁を記すために表記されるのであって、状況(この場合、流される)に囚われてはいけない。(後に)

 

この淡島様、神功皇后。

Screenshot_202306171538182

(若杉山の太祖宮上宮の神功皇后像)


この時は理屈ではなく、お顔を見た時にそう思った。

 

次回、謎解きへ。

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

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2023年6月 6日 (火)

美奈宜(みなぎ)神社 1 ~荷原*神功皇后の伝承地~

続きです。

☆→饒速日命と神功皇后 2 ~大国主神の正体~

前回の記事にあった、荷原(いないばる)の美奈宜神社。

福岡県朝倉市荷原2421
ここにも神功皇后の伝承があった。

20220909114618_img_3941

 

20220909114833_img_3944

(以下、ご由緒書きより抜粋)

ご祭神 天照皇大神、住吉大神、春日大神、

相殿 神宮皇后(神功が宮の字、以下そのままで)、武内宿祢

第14代仲哀天皇は古処白髪山を本城とする敵「羽白熊鷲(はねしろくまわし)」を討つため軍を進められていたが途中病気で急逝。

しかし神宮は喪を秘して武内宿祢等を従えて喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議の末賊を討たれた。

これはお告げをうけた三神の助であるとして美奈宜川上「池辺」(ここから東へ300m)の地で戦勝奉告をされた。

後に仁徳天皇(神宮皇后の孫の勅願により「池辺」にこの神を祭るようになった。(西暦312年頃)後世ここを「本宮」と云う。

遷宮

1、(年省略)喰那尾山頂の陣跡へ。

2、大宮谷(ここから100m上へ)

3,領主秋月種実の頃現在地へ。

20220909120426_img_3945


仲哀天皇は、香椎宮で亡くなったという、事細かな記載が記紀にある。

神功皇后の神がかりの際、「羽白熊鷲よりも先に、新羅へ行け」という神の言葉に異を唱えて、その場で崩御したのだ。
傍らには神功皇后と武内宿祢。

 

しかし、彼女らはそのお告げを無視し、羽白熊鷲を退治しに秋月へ向かう。

何故?と疑問だった。

 

一方でこの由緒書きのように、仲哀天皇は羽白熊鷲との戦いの中で崩御してる。
(病気説とか色々ある)

どちらにしろ、矛盾があるのだ。

これは架空の仲哀天皇を作り、伝承を織り交ぜた結果だと思われる。

彼らは同神なのだから。

20220909120603_img_3947

立派な神門。

20220909121233_img_3951

拝殿。

20220909121412_img_3953

 

摂社として、宮地嶽神社。
(奥の祠を撮らなかったので拡大してください)

福津市の宮地嶽神社には、神功皇后と武内宿禰などが祀られてる。
摂社、末社などの神は、すべて同神。(後世の人は除く)


20220909121710_img_3956

本殿、斜めから。
由緒書きには、

喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議の末賊を討たれた。

とあった。

北西とは神社の裏山。

本殿に向かって、左側に山に向かう林道がある。


Minagi01

写真の左側の道。

いざ、入山。しばらく林道。

やがて尾根道を歩く。

Minagi04

踏み跡も無い。

幾度目かのピークを越えて、その奥のピークに向かう。

Screenshot_202306061118402

(地図はYAMAP)

入山する前にもしかしてと思った。
奥にある道路からの方が早いのではと。
でも喰那尾山がどこか分からないので、社から上がって行きたかった!

上の地図より奥のピークへ。
道路に近い方だった。

まあ、山行してたら良くあること。

20220909131512_img_3975

あ!社があった!
美奈宜神社上宮跡とある。

20220909125843_img_3973

「喰那尾神社 上宮」でもあるそう。

この社の先、来た反対方向を見ると、

Screenshot_202306061118502

道の先に紙垂(しで)が見えます。
簡易的な鳥居だ。

やっぱりあっち側から来れたのか~~!
帰りはそちら側から。

Minagi06

5分もしないで、道路が見えた。

鳥居がある。
(写真を撮るために、後ろに下がってる。道は右上の方)

 

20220909131949_img_3984


立派な鳥居。
喰那尾神社の扁額があった。
その下には「上宮参拝登山口」の標識が。

この後、車を置いた美奈宜神社までぐるっと歩いた。
(田んぼの所、下りられる場所が無かった)

 

Screenshot_202306061119332

今登った喰那尾山は、左側で切れている。

ほぼ中央のお山が本宮があったという山。

Screenshot_202306061503412

(地図はGoogle map)

右下の美奈宜(荷原)とある場所が本宮跡。

(勝ったのは)お告げを受けた三神の助けであるとして、神功皇后が戦勝奉告をしたとされる地。

美奈宜神社に行く前に、そちらに車で行っていた。

Minagi07

旧宮地とある。

Minagi08

 

Minagi09

 

十六代仁徳天皇三年勅願に依り此の地に勧請された後世ここを本宮と言ふ

とあった。

Screenshot_202306061521562

(地図はGoogle map)

 

周辺の地図。

中央左が、神功皇后の伝承地の喰那尾神社(美奈宜神社上宮)

その下に中宮跡。

その下が美奈宜神社。

川を挟んで、右に美奈宜神社の本宮跡。

Screenshot_202306061510592

(地図はYAMAP)

Google mapを拡大して知った。

美奈宜神社の中腹に中宮があるよう。

上の★マーク辺りか。

倒木など凄いそうだが、ここも行ってみたい。

 

次は林田の美奈宜神社へ。

まとめはそちらで。

 

( つづく )

 

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2023年6月 3日 (土)

饒速日命と神功皇后 2 ~大国主神の正体~

続きです。

☆→饒速日命と神功皇后 1 ~神功古道~

「土地の人が羽白熊鷲に苦しめられていた」

それをうかがい知ることができるものがあった。
この辺りに数多ある大国主神の社。


<大国主の社>
大己貴神社の向かいにある公園の案内板には、その理由を、

「大国主神は羽白熊鷲であり、地元にいた豪族。神功皇后に倒されたために、彼をしのんで社があるのでは」とあった。

初めてそれを見た時、違和感があったのだ。

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であり、それが歓迎されたために、大国主神の社があるのでは?

 

ならば、「羽白熊鷲」は、歓迎される者ではなかったということだ。


*****************

< 大国主神の社 >

朝倉にある大国主神を祀るいくつかの社から、かの神の正体に迫る。

 

*1 弥永の大己貴神社
ご祭神 大己貴神社(大国主神)、天照大神、春日大明神。

*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社
ご祭神 大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神。

 

上記の二社について。

一緒に祀られる神は、同神と后。
例外として、後の時代に功績などから合祀される者。

 

上記の六柱の神はすべて同神、饒速日命。 

 ☆神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神・月日の神~



< 老松神社 >

かつて大国主神を祀っていた社から、繋がる。

*3 下渕の老松神社
もともと大国主を祀っていて、後に、菅原神、神功皇后、吉祥女と変わっていく。

この社は、大己貴神社から秋月へと向かう道にある。
神功皇后軍が陣を張った「御府の森」とされていた。

「福岡県神社誌」より。

 

福岡の老松神社には特徴があった。
大国主神か、菅原道真公が共に祀られているか、そのどちらかなのだ。

同じ名の神社には、大抵、同じ神が祀られる。
違いがあるなら、彼の別名を祀っている。

 

桂川の老松神社の御祭神は、大国主神、大物主神、事代主神、菅原道真。

始めの三柱は同じ神、饒速日命。

道真公と饒速日命。
実は深い繋がりがあった。

無実の罪を背負い、太宰府に飛ばされた道真公。
その罪をはらされることを願った場所が天拝山であり、彼が拝した神は高良神である饒速日命だ。

 

そこには荒穂神社があり、基山の荒穂神社の神とほとんど同じ神が祀られていた。
そこから、彼が高良神であり、五十猛命である饒速日命だと分かった。

(詳細は上の記事)

*4 荒穂神社の御祭神は、瓊々杵尊、八幡大神、五十猛大神、春日大神、住吉大神。
宝満大神、香椎大神。

*1 と *2の社に祀られる神の名がある。

 

「天拝山の神」というと、上記の荒穂の神(饒速日命)と菅原道真公を意味する。
饒速日命は大国主神。

 

☆道真公の願いにより「祟りを成した神」がかの神であるということ。
現に現人神と言うと住吉神と北野の神(道真公)を意味する。

住吉と「祟りを成した神」は同神であったということだ。

では、*3 の下渕の老松神社の道真公は、大国主神であり、饒速日命を示すことが分かる。

 

< 神功皇后 >

 

*4 の荒穂神社には、宝満大神、香椎大神の名もある。
香椎大神は、神功皇后。
宝満大神は、神功皇后と玉依姫(と八幡神)。

 (☆→宝満宮竈門神社 ~神功皇后の鬼退治 ①~) アメブロの記事

玉依姫は、筑紫神社に祀られていた。
筑紫神である、白日別と共に。

 (☆→ 二つの伝承 4 ~筑紫神社・ちくしの起源~)

白日別(筑紫神)は高良の神である饒速日命。
故に、共に祀られる玉依姫は、神功皇后である御炊屋姫。

これが宗像神であり、豊日別。

(筑後国風土記に、甕依姫とあるのが彼女)

☆→筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~

 

宝満宮竈門神社に祀られる玉依姫も、神功皇后であった。

ここでも「同じ社に祀られる神は同じ」という法則が成り立つ。

では、

下渕の老松神社には、神功皇后が祀られているので、彼の名を隠蔽するために「同じ天拝の神である道真公」と置き換えられたと考えられる。

*彼女の名と、饒速日命の別名は、祀られていない社が多い。
伝承上、神功皇后として祀る必要がある時は、時代を変えたり、邂逅という形をとっていた。

それは、大国主神は彼女に繋がりやすいからでは?

 

大国主神の后は、多紀理姫=(宗像三神は同神なので)市杵島姫命。
彼女は宗像神であり、御炊屋姫でもあった。

饒速日命の后。 

(☆→神の系譜 豊受大神 篇 1 ~御炊屋姫~)

 

神功皇后は宇佐神宮に、宗像大神と共に祀られている。

 

< 美奈宜神社の神 >

では、答え合わせのような社を一つ紹介。

*5 荷原(いないばる)の美奈宜(みなぎ)神社
天照大神・住吉大神・春日大神・神功皇后・武内宿禰。

*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社のご祭神は、大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神であった。
同じ名の社の神は同神。

天照大神・住吉大神・春日大神・大国主神・スサノオ命・事代主神・武内宿禰は同神。

 

共に祀られている神功皇后は、彼の后であった御炊屋姫。
彼女と共に在ったという武内宿禰は、饒速日命。

*神話などの神はほとんど彼らに集約される。

同神であるからこそ、繋がることが数多あるのだ。

 

******************

 

この辺りの大国主神も、饒速日命。
神功皇后と共に羽白熊鷲退治をした、高良神(住吉神)。

では、最初感じた違和感は、これの事であったと分かる。

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であるから、大国主神の社がある。

 

その羽白熊鷲を倒したのは、神功皇后。

ならば、大国主神と神功皇后が共の退治していた。

大国主神は饒速日命であり、高良神。

 それは、高良玉垂宮神秘書(高良大社の伝承)に記されていた、

「神功皇后と共に、羽白熊鷲を退治した高良神(住吉神)」の記述が真実であることの証にもなる。

 

あの神秘書は、最も明らかに事実を伝えていた。

(記事中の社などは、後に掲載します)

 

宝満山の二柱は彼らであり、筑紫の悪神、羽白熊鷲を退治した神。
福岡一の霊山には、この土地の守護者を祀っている。

熱狂的なファンが多い宝満山。

 

登る人は必ず上宮に拝する。
その祈りは、この土地を守る力になっていると感じている。

朝倉の大国主神を祀る神社も同じなのだ。

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

                                       

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