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2023年6月 3日 (土)

饒速日命と神功皇后 2 ~大国主神の正体~

続きです。

☆→饒速日命と神功皇后 1 ~神功古道~

「土地の人が羽白熊鷲に苦しめられていた」

それをうかがい知ることができるものがあった。
この辺りに数多ある大国主神の社。


<大国主の社>
大己貴神社の向かいにある公園の案内板には、その理由を、

「大国主神は羽白熊鷲であり、地元にいた豪族。神功皇后に倒されたために、彼をしのんで社があるのでは」とあった。

初めてそれを見た時、違和感があったのだ。

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であり、それが歓迎されたために、大国主神の社があるのでは?

 

ならば、「羽白熊鷲」は、歓迎される者ではなかったということだ。


*****************

< 大国主神の社 >

朝倉にある大国主神を祀るいくつかの社から、かの神の正体に迫る。

 

*1 弥永の大己貴神社
ご祭神 大己貴神社(大国主神)、天照大神、春日大明神。

*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社
ご祭神 大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神。

 

上記の二社について。

一緒に祀られる神は、同神と后。
例外として、後の時代に功績などから合祀される者。

 

上記の六柱の神はすべて同神、饒速日命。 

 ☆神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神・月日の神~



< 老松神社 >

かつて大国主神を祀っていた社から、繋がる。

*3 下渕の老松神社
もともと大国主を祀っていて、後に、菅原神、神功皇后、吉祥女と変わっていく。

この社は、大己貴神社から秋月へと向かう道にある。
神功皇后軍が陣を張った「御府の森」とされていた。

「福岡県神社誌」より。

 

福岡の老松神社には特徴があった。
大国主神か、菅原道真公が共に祀られているか、そのどちらかなのだ。

同じ名の神社には、大抵、同じ神が祀られる。
違いがあるなら、彼の別名を祀っている。

 

桂川の老松神社の御祭神は、大国主神、大物主神、事代主神、菅原道真。

始めの三柱は同じ神、饒速日命。

道真公と饒速日命。
実は深い繋がりがあった。

無実の罪を背負い、太宰府に飛ばされた道真公。
その罪をはらされることを願った場所が天拝山であり、彼が拝した神は高良神である饒速日命だ。

 

そこには荒穂神社があり、基山の荒穂神社の神とほとんど同じ神が祀られていた。
そこから、彼が高良神であり、五十猛命である饒速日命だと分かった。

(詳細は上の記事)

*4 荒穂神社の御祭神は、瓊々杵尊、八幡大神、五十猛大神、春日大神、住吉大神。
宝満大神、香椎大神。

*1 と *2の社に祀られる神の名がある。

 

「天拝山の神」というと、上記の荒穂の神(饒速日命)と菅原道真公を意味する。
饒速日命は大国主神。

 

☆道真公の願いにより「祟りを成した神」がかの神であるということ。
現に現人神と言うと住吉神と北野の神(道真公)を意味する。

住吉と「祟りを成した神」は同神であったということだ。

では、*3 の下渕の老松神社の道真公は、大国主神であり、饒速日命を示すことが分かる。

 

< 神功皇后 >

 

*4 の荒穂神社には、宝満大神、香椎大神の名もある。
香椎大神は、神功皇后。
宝満大神は、神功皇后と玉依姫(と八幡神)。

 (☆→宝満宮竈門神社 ~神功皇后の鬼退治 ①~) アメブロの記事

玉依姫は、筑紫神社に祀られていた。
筑紫神である、白日別と共に。

 (☆→ 二つの伝承 4 ~筑紫神社・ちくしの起源~)

白日別(筑紫神)は高良の神である饒速日命。
故に、共に祀られる玉依姫は、神功皇后である御炊屋姫。

これが宗像神であり、豊日別。

(筑後国風土記に、甕依姫とあるのが彼女)

☆→筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~

 

宝満宮竈門神社に祀られる玉依姫も、神功皇后であった。

ここでも「同じ社に祀られる神は同じ」という法則が成り立つ。

では、

下渕の老松神社には、神功皇后が祀られているので、彼の名を隠蔽するために「同じ天拝の神である道真公」と置き換えられたと考えられる。

*彼女の名と、饒速日命の別名は、祀られていない社が多い。
伝承上、神功皇后として祀る必要がある時は、時代を変えたり、邂逅という形をとっていた。

それは、大国主神は彼女に繋がりやすいからでは?

 

大国主神の后は、多紀理姫=(宗像三神は同神なので)市杵島姫命。
彼女は宗像神であり、御炊屋姫でもあった。

饒速日命の后。 

(☆→神の系譜 豊受大神 篇 1 ~御炊屋姫~)

 

神功皇后は宇佐神宮に、宗像大神と共に祀られている。

 

< 美奈宜神社の神 >

では、答え合わせのような社を一つ紹介。

*5 荷原(いないばる)の美奈宜(みなぎ)神社
天照大神・住吉大神・春日大神・神功皇后・武内宿禰。

*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社のご祭神は、大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神であった。
同じ名の社の神は同神。

天照大神・住吉大神・春日大神・大国主神・スサノオ命・事代主神・武内宿禰は同神。

 

共に祀られている神功皇后は、彼の后であった御炊屋姫。
彼女と共に在ったという武内宿禰は、饒速日命。

*神話などの神はほとんど彼らに集約される。

同神であるからこそ、繋がることが数多あるのだ。

 

******************

 

この辺りの大国主神も、饒速日命。
神功皇后と共に羽白熊鷲退治をした、高良神(住吉神)。

では、最初感じた違和感は、これの事であったと分かる。

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であるから、大国主神の社がある。

 

その羽白熊鷲を倒したのは、神功皇后。

ならば、大国主神と神功皇后が共の退治していた。

大国主神は饒速日命であり、高良神。

 それは、高良玉垂宮神秘書(高良大社の伝承)に記されていた、

「神功皇后と共に、羽白熊鷲を退治した高良神(住吉神)」の記述が真実であることの証にもなる。

 

あの神秘書は、最も明らかに事実を伝えていた。

(記事中の社などは、後に掲載します)

 

宝満山の二柱は彼らであり、筑紫の悪神、羽白熊鷲を退治した神。
福岡一の霊山には、この土地の守護者を祀っている。

熱狂的なファンが多い宝満山。

 

登る人は必ず上宮に拝する。
その祈りは、この土地を守る力になっていると感じている。

朝倉の大国主神を祀る神社も同じなのだ。

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

                                       

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