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2023年7月31日 (月)

大元神社*宇佐神宮*奥宮 ~おもと古道 2~

 続き。

今回は、宇佐神宮から、おもと古道を通って奥宮・大元神社まで。
Usa44

宇佐神宮

 

Usa47

 

本殿から見える御許山(おもとやま)にある。

 

Usa48

 

大尾山から尾根伝いに行けるとのこと。
それがおもと古道。

神官さんが通った道。

参拝者もたくさん歩いたことでしょう。

 

宇佐神宮から奥宮へ。
歩いて繋ぎたい。

 

何時の時代でも、人の想いは変わらないのだ。

 

Usa54大尾山の麓の鳥居

この先に尾根がある!

Usa33_20230731025901

 

Screenshot_202307301602362(地図はYAMAP)

八幡神社から、尾根沿いに南の奥宮に伸びている青い線がおもと古道。

その距離、7.5キロほど。

 

Screenshot_202307301602412

途中にこんな表札が何度かあった。

ほとんどが林道で、山に慣れてる人なら歩きやすい。

Screenshot_202307301602562丁石

大鳥居から大元神社までの拝殿に一丁(約100m)ごとに立てられた道しるべ。

20221127090637_img_9067_20230731030301

硯石

古来よりここで武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)が御許山参拝者の人数を数えているといわれ、この大岩は命が用いる硯が変化したものといわれています。(案内板より)

 

ご祭神、八幡神は、武内宿禰と同神。

ここは彼らのお山だから、彼らがいる証として伝承があるのだ。

 

武内宿禰は高良神(住吉神)であり、神功皇后と夫婦であった。(高良玉垂宮神秘書)

(→☆神*総まとめ )←ここには武内宿禰は書いてないが。

Screenshot_202307301603022_20230731030701

首なし地蔵
ここから境内。
廃仏毀釈の折に壊されていた。
今でも境界の役目があるようで、

Screenshot_202307301603062

雰囲気が一気に変わった。

 

Screenshot_202307301603132

御許六坊跡

近世末まで存在した僧侶の住居跡です。
山道西側上より石垣坊・西ノ坊・谷ノ坊・東側上より東ノ坊・椙洞院・成就坊となります。

(案内板より)

 

やはり廃仏毀釈の折に壊されたよう。
宝満山や英彦山、脊振に広がっていた光景が、ここにもあったのだ。

一度融合してしまった神や仏は、切り離せるのだろうか。

ここや、宝満山、英彦山や、脊振が賑わっていた在りし日の姿を見てみたい気もする。

20221127093922_img_9091

もうすぐ。
二手に分かれていたが、右へ行った。

20221127094033_img_9095

 

20221127094917_img_9110

宇佐神宮の奥宮*大元神社

比売大神(宗像三女神)が降臨した地。

 

しかし、本当に降臨した訳ではない。
この地に祀られている神の、神奈備。

人の想いや祈りは、その土地の神奈備に集まる。
それは神の力となる。

故に、人の想いが神を形作っていると言える。

 

だから、「今も降臨し続けている」のだ。 

20221127094745_img_9105_20230731030501

 拝殿の奥

奥宮のある大許山の山頂は、禁足地になっている。

20221127094834_img_9108-1_20230731030501

御神木

20221127094939_img_9111-1_20230731030901 大元八坂神社

八坂の神。

祀られているのは、彼らと同神。

八坂の神は須佐之男命。

神話では、宗像三神の親に当たる。
しかし、親子で祀られるより、夫婦で祀られる方が自然である。

「親族」でもない、宇佐神宮の奥に祀られている、住吉、春日、北辰(天御中主神)の神はもっと不可解だ。

高良玉垂宮神秘書には、両神は高良神の同神と記載がある。
彼は祇園の神でもあった。

☆→神*総まとめ

「宇佐の神」の一柱である八幡神は、住吉・春日・八坂(スサノオ命)でもあるのだ。

20221127095050_img_9112-1_20230731033101大元八坂神社。

 今回は周回なので、先を急いだ。

次に来た時はまったりしたい。

20221127103954_img_9134_20230731030901御神木

奥が奥宮。
御神木が光ってるように見える。

 

この後、雲ヶ岳へ向かう。

途中、正覚寺登山口から上がって来た方々と出会った。  

Screenshot_202307301603342

正覚寺登山口からの登山道。
1時間ほどで比較的楽に登れるようで、普段着の格好の方もおられた。
靴などはしっかりしたものを。

Screenshot_202307301603372

雲ヶ岳の山頂

 

また、奥宮へ戻ってから、高畑山へ向かう。

20221127100202_img_9123

20221127100212_img_9124

神籠石

 

また、奥宮へ戻ってから、高畑山へ向かう。

Screenshot_202307310438532

高畑山(宇佐百山の一つ)

Screenshot_202307301603452

 

尾根沿いの道なき道を下山して、車道を6キロ歩いて元の駐車場へ。

 

周回すると、マーキングした気持ちになる。

(一番近い感覚は、結界を張ったような)

何時でもそこと繋がれるような。

 

次に行く時は宇佐神宮から奥宮までピストンしよう。

楽しかった!

 

 

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2023年7月30日 (日)

宇佐神宮~奥宮 ~おもと古道 1 ~

宇佐神宮の奥宮へー!
(行ったのは去年の12月)

福岡から車で下道を3時間。
着いた時は、星が見えていた。

宇佐神宮の鳥居とオリオン座!

Usa36

 

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街中なのにこんなに星がある。
スタート前に一眠りしようと思ってたら、星を撮りまくってて寝られず。

 

宇佐神宮は5時半から参拝できる。
上の写真でも6時過ぎ。

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7時前スタート。
この時間誰もいない。
満喫爆  笑

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本殿がある小椋山の鳥居。

本殿は小高い(低い)山の山頂にある。

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大きい。

昼間は人が多くてなかなかこんな写真は撮れない。

Usa41

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ようやく夜が明けた時間。

右手にあるのが授与所。

Screenshot_202307261808012

本殿~!
誰もいない。

独り占め。

朝イチのお社は気持ちがいい!

Usa44

正面から。
いつも人が多いのでこのアングルはなかなか撮れない。
左から一の殿 八幡大神。
正面、二の殿 姫大神(宗像三神)
右、三の殿、神功皇后。

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三の殿奥に、住吉神。

一の殿奥に、春日神、中央左寄りに北辰神(天御中主神)の社があった。

八幡神と同神であるからだ。

☆→神*総まとめ

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美しい。

神官さんが祝詞をあげていらっしゃった。

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この奥に見えるのが、

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御許山。

宇佐神宮の奥宮がある。

正面のお山の左端。

これから、あっこまで尾根沿いに歩き!


Usa49

外宮への道。
ここも素敵。

 

Usa50

外宮の拝殿。
これから、奥宮へ!

 

****

 

 前に行った時の記事。

☆→宇佐神宮 ~祀られる神々~

 

*宇佐の神、住吉の神と呼ぶ場合、祀られている全ての神=二柱を意味することと、単体の一柱を意味する場合がある。

 

( つづく )

 

 

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2023年7月25日 (火)

女神・天照とは まとめ

更にまとめてみた。(詳細省いてます)

思い出したら追記爆笑

男神・天照については後に。

☆→神*総まとめ

 

☆女神・天照

 撞賢木厳御魂天疎向津姫(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめ)

  意味は、神との境をつく(斎、響かせる)天(日)の神ではなく神の妻である
  厳島の御魂=市杵島姫命=宗像大神

  *賢木は榊。
  神の依り代を意味する。

 

☆宗像大神

 神話では、女神・天照の持ち物(勾玉)から現れる三女神。

 女神・天照と宗像大神=同神。
 スサノオ神から三女神同時に現れる=三神は同神。

 

☆市杵島姫命(いちきしまひめ)
 斎き島姫を意味する。

 古代、島は星と同義語なので、星の神を斎く(いつく、祀る)者。

 星神=布留神(石上神宮の神)=饒速日命
 =住吉神も星神(オリオンの三ツ星)=同神


*ゆえに、市杵島姫命を祀る社は、自然の島か、池を築いて島を造り、その中に社を建てる形。
 =島(星の神)を斎く者が祀られていることを表す。

その起源はこちらにあった。 

☆→弁天様(市杵島姫命)の元宮 ~弁天池の起源~)アメブロの記事

弁天池の元。

 

☆弁財天

 市杵島姫命と習合
 市杵島姫命=弁財天

   奈良の天河大辨財天社は、伊勢の内宮の女神を勧請したもの。

弁財天=荒祭宮の瀬織津姫であり、女神の天照=市杵島姫命

 

☆御炊屋姫(みかしきやひめ・みかしやひめ)

 饒速日命の后。

 奈良では、御炊屋姫を祀る社が「弁天さん」。
 彼女の別名の櫛玉比女命神社の土地の名が、弁財天。

 =土地に祀られている神が弁財天であることを示す。

☆→御炊屋姫を追って 1 ~広陵の弁天様*櫛玉比女命神社~


 他、村屋坐彌冨津姫神社(むらやにいますやとみつひめじんしゃ)の摂社の物部神社も弁天さん。(御祭神、御炊屋姫ほか)*1

☆→御炊屋姫を追って 6 ~後編*物部の弁天様*村屋坐彌冨津比賣神社~

 御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命

 

☆御炊社(みかしぎしゃ)は、大神神社の摂社。

 御祭神は御膳津神(みけつかみ)=豊受大神=宇迦之御霊(うかのみたま・稲荷神)

☆→御炊屋姫を追って 8 ~御炊社*大神神社の豊受大神~

 御炊屋姫の名は、御膳津神、豊受大神、稲荷神を意味する。

 

☆炊屋星(かしきやぼし)は織女星。

 炊屋の名は、織姫を意味する。(「儺の国の星」より)*2

☆→御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味 ~「儺の国の星」の炊屋星~


 *宗像大社の中津宮の側が、七夕の発祥地とされる。*3
  宗像神=織姫=瀬織津姫

 

 

☆伊勢の神

 外宮の神は籠神社の「月神」。
 籠神社の神は、天火明命と豊受大神。

 これをかの社では、饒速日命と市杵島姫命としている。

 

 ゆえに外宮の豊受大神は、市杵島姫命(宗像姫)

 彼女は御炊屋姫なので、籠神社には夫婦で祀られている。
 (ほとんどの神社がそのようになっている。

 

☆三島溝咋(みしまみぞくい)姫

  御炊屋姫の別名。
  鴨(加茂)の神の別名でもある。
(饒速日命も三島溝咋)

三島は、三つの島(星)で、オリオンの三ツ星を意味する。
奈良では三島神は石上神宮の布留神。

(石上神宮には神功皇后も祀られている)

福岡では、三島神は高良神と神功皇后。

 

みぞくいは、御栄井(みそくい)。
砂漠の中のオアシスを意味する古語。

(「儺の国の星」より)

 

大海の中の希望の星、オリオン座を示唆。

 

☆祓いの神(住吉神と瀬織津姫)

祓いの神の名は、彼らの異類(熊襲)退治から。

 

 住吉神は、福岡の高良大社の高良神=饒速日命。
 神功皇后と夫婦。
 物部の祖神である。(「高良玉垂宮神秘書」より)

  (☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~

 

神話で、女神天照の撞賢木厳御魂天疎向津姫が現れたのは、神功皇后の神がかりの時。
二柱は同神を示唆。

 

女神天照の厳御霊は、市杵島姫命(宗像神)である御炊屋姫。

これが、神功皇后。

 

 

☆筑紫の伝承

楯崎神社と波折神社の伝承から。

*異類を退治していたのが、大己貴神と宗像神。(楯崎神社)*4
 その後の時代に、神功皇后。

*住吉神と瀬織津姫が神功皇后と鼓島で邂逅。(波折神社)
 =瀬織津姫と神功皇后は同神と示唆。

 

大己貴神は大神神社の饒速日命=住吉神。

宗像神は、饒速日命の后の御炊屋姫。
彼女は、瀬織津姫と同神であった。

 

その住吉神が高良神であり、神功皇后は高良の伝承では后。
楯崎神社の「大己貴命と宗像神が異類を退治」は、二人の羽白熊鷲退治を意味する。

二柱が夫婦だという高良の伝承は、彼らが饒速日命と御炊屋姫であることを示す。

 

高良大社本殿に合祀の豊姫は、彼の后の神功皇后。
☆違うのなら、后を差し置いて一緒に祀らない。

(大己貴命の后は田心姫命という伝承もある。
宗像神は実は一柱であるので、大己貴神も宗像神と夫婦ということになる)

 

*4 英彦山での組み合わせも、大己貴神と宗像神。

☆→祓いの神 4 ~英彦山*大己貴神と宗像大神~

 

これらより、「祓いの神」は彼らを示す。

大己貴命=饒速日命=高良神=住吉神

宗像大神=市杵島姫命=御炊屋姫=神功皇后=瀬織津姫

筑紫の伝承の甕依姫(みかよりひめ)も彼女の名。

☆→神の系譜*豊受大神 編 4 ~祓いの神・瀬織津姫~

 

ヒミカ=(音から日甕)=御炊屋=御膳津神=豊受大神=宇迦之御霊

意味が同じであり、すべて同神。

 

上記すべてを繋げると、

女神・天照=市杵島姫命(弁財天)=宗像神=御膳津神(宇迦之御霊)=豊受大神=御炊屋姫=神功皇后=瀬織津姫=ヒミカ(卑弥呼)

 

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*1 村屋坐彌冨津姫神社の御祭神の大物主神は、大神神社の神。

 もう一柱の御祭神の美穂津姫は、御炊屋姫と同神。

 ☆夫婦神で社に祀られる。
 ☆神官さんが代々、物部氏(饒速日命と御炊屋姫の子孫)
  一族の祖神を祀るから。

 ☆神話の神など、ほぼ彼ら二柱に集約される=同神

 

*2「儺の国の星」拾遺と二冊あり。
   真鍋大覚氏著作    那珂川市発行    現在、絶版。

   数十年前、広報那珂川に連載されていた、福岡の那珂川に伝わる星や伝承を集めた本。

古語や那珂川の古来の姿を伝える貴重な資料。

那珂川は儺の国。

 

真鍋氏の先祖は、物部氏で大宰府で星歴を作っていた。遠くは鹿島神宮の神官を代々していた。
鹿島の神は物部の祖神、饒速日であること証のひとつ。

高良の伝承には、鹿島の神は高良神と同神とある。

 

*3 七夕の伝説の発祥の地

 そこに祀られる神が、伝承の主人公であることを示唆。

 織姫=宗像神=市杵島姫命

 

 

 

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2023年7月24日 (月)

宝満山の神 ~玉依姫と神功皇后~

福岡県の宝満宮竈門神社。

Screenshot_202307241414132

 

ご祭神は玉依姫と神功皇后、八幡神。


二柱は同神であり、高良神の后である。
彼は物部の祖神、饒速日であるので、彼女は御炊屋姫だ。

☆→神*総まとめ

 


☆神功皇后と神秘書

以前、高良玉垂宮神秘書を紐解いていた時、気になる文があった。

 

三韓を神功皇后には玉水を持って、退治し給う。

文永には妙火をもって退治あり。

弘安には大風を吹かせたまう。

水、火、風、これ三つにして退治あり。

神功皇后 聖母大菩薩となりたまうなり。


三韓とはの件もある。

異国に三韓と申せば、新羅、高麗、百済国

神功皇后には、玉水をもって退治し給う。

聖母大菩薩なり。

 

しかし、神話や伝承における「三韓征伐」は、彼らの異類退治の可能性が高い。

「三韓征伐」は無かったとみている。


気になったのはこの一文。

文永には妙火をもって退治あり。

弘安には大風を吹かせたまう。


文永、弘安と言えば、元寇。

彼らの時代よりずっと後。

なぜ、元寇のことで神功皇后が?と思っていたら、このような伝承があった。

 

元寇の時、宝満山に登り、彼らの退散を祈ったという。

二度の襲来の際、嵐が起こり、見事に退散。

宝満山がますます信仰の対象になったという。

 

Screenshot_202307241414022

神秘書と繋がった。

ゆえに神功皇后が、聖母大菩薩とされたのだ。

元寇を退けた神として敬われたのだ。

 

彼女と別の神であるならば、その対象が、主祭神として在る玉依姫の方になるのでは。

 

宝満山の神。

それが神功皇后なのだ。

 

宝満山は未だに人の心をつかんで離さない。

八千回や三千回登ってる方。

雨でも嵐でも登る方。

豪雨の中のテン泊。←ちょっと無理!

 

みんな宝満山が大好きなんだ。

辛い石段を登り切れば、上宮が迎えてくれる。

ご来光や夕日。

見渡す全てのもの。

登る度に知り合うなじみの人々。

与えてくれるものは計り知れない。

神の具現化。

それが山であり、祈りの対象のお山。

福岡では、宝満山なのだ。

 

神功皇后、ありがとう。

 

 

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2023年7月22日 (土)

卑弥呼は天照であり、豊受大神、神功皇后。

神話の神は、ほぼ彼ら二柱に集約される。

饒速日と御炊屋姫。

☆→神*総まとめ

 

この回では、彼女が、卑弥呼と神功皇后に繋がることに焦点を当てる。

 

☆1 高良神は饒速日。
神功皇后は御炊屋姫。

☆2 高良神と神功皇后。
☆3 神功皇后は祇園山古墳の被葬者。
☆4 筑紫の伝承の甕依姫と、櫛甕玉姫。
☆5 卑弥呼の名。
☆6 卑弥呼は天照、豊受大神。

 

**************************  

 

☆1 高良神は饒速日。神功皇后は御炊屋姫

福岡県久留米市の高良大社の神は、物部の祖神であった。
三種の神器をもたらしたのは彼。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロ記事 後に書きます~

高良神が饒速日命であるから、その后の神功皇后は御炊屋姫となる。

 

☆2 高良神と神功皇后

高良の伝承、高良垂宮神秘書では、高良神の后は神功皇后。
しかし、高良大社の本殿には豊姫が合祀。

后を差し置いて祀らないので、豊姫と神功皇后は同神。

☆→神の系譜*豊受大神 編 3 ~高良大社の豊姫*豊受大神~

☆→高良大社の旧豊比咩神社 ~豊姫と神功皇后 ~

☆3 神功皇后は祇園山古墳の被葬者

高良山の麓に「祇園山古墳」がある。
古来から高良大社の神官さんが、大切に守ってきた墓だ。

これは、后の神功皇后の墓になる。

 

高良神は祇園神=スサノオ命でもあった。
下社が祇園さんと呼ばれている。

スサノオ命の社もあるが、主祭神を差し置いて呼ばないので、彼が祇園神。

 

高良神が祇園神となる。
よって、后の墓が「祇園山古墳」。

☆→祇園の神 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

 

この古墳の造営が3世紀半ばからと推定されている。
また、殉葬者60体以上確認。

魏志倭人伝の「卑弥呼の墓」に符合する。

 

ならば、彼らの時代は3世紀。
当時の、この辺りの最大勢力となる。

 

☆4 筑紫の伝承の甕依姫と、櫛甕玉姫

甕依姫は、筑前風土記に登場する。
筑紫神社に伝わるその伝承。

筑紫には酷似の伝承があり、突き詰めると同じ話であった。

故に、それらに関わる者、土地は、すべて名を変えた同じもの。

☆→筑紫神の伝承 8 ~天照大神と豊受大神(高良神と神功皇后)~

すべて、冷水峠の「命尽くし神」を退治した話となる。

Harainokami01_20230721155601(地図はGoogle map)

 

☆→命尽くし神の出現地*冷水峠 ~筑紫神の伝承 7~

 

伝承が同じだから、神も同じ。

高良神と共に羽白熊鷲を退治していた神功皇后は、甕依姫。

 

高良神は饒速日であり、彼には櫛甕玉彦の別名があった。

后なので対になる名に、「櫛甕玉姫」がある。
「甕」の一字で彼らを表すもの。

 

☆5 卑弥呼の名。

それを踏まえると、卑弥呼は「ひみか」であろう。

日の甕。

甕(みか)は、神の供物を入れる器の意味がある。

転じて、神の巫女。

 

☆6 卑弥呼は天照、豊受大神。

神功皇后は御炊屋姫であった。
彼女は女神の天照であり、豊受大神でもある。

櫛玉依比女命神社は、弁天さんと呼ばれている。

彼女が弁天さん=市杵島姫命であるからだ。

違うのならば、失礼になるだろう。

☆→櫛玉比女命神社*広陵の弁天様 ~御炊屋姫を追って 2~)

 

女神天照の別名には、市杵島姫命を示唆するものがある。

撞賢木厳御霊天疎向津姫の厳御霊は、厳島神社の神、市杵島姫命。

☆賢木→榊は神の依り代を意味する。

また、御炊の名は、御膳津神(みけつかみ)、豊受大神、稲荷神を意味していた。
大神神社の摂社が御炊社であり、御膳神を祀る。

それが豊受、稲荷神であった。

☆→御炊社*大神神社の豊受大神 ~御炊屋姫を追って 8~

 

つまり、彼女はすべてに繋がる。

卑弥呼=甕依姫=神功皇后=御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=宗像神=女神・天照
さらに、御炊屋姫=御膳津神=豊受大神

彼女が饒速日命の后であるので、高良神が彼であることは疑いようがない。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事

 

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2023年7月21日 (金)

八大龍王と弁財天 4 ~三輪の神は八大龍王~

つづきです。   

☆→八大龍王と弁財天 3 ~籠神社の天火明命と豊受大神~

昔話は神の由緒を示していた。

住吉神=高良神=武内宿禰=天火明命=饒速日命=八大竜王(乙護法善神)

神功皇后=豊姫(豊玉姫)=豊受大神=御炊屋姫=弁財天(市杵島姫命)=乙姫

(以下、これらの名前が出てくる時は、みな同神を示)

 

竜宮の「乙姫」は、竜神が背振の乙護法善神あることを示唆している。
後の世で、夫婦神で同じ名にされるのだ。

 

「竜宮」は、神の住いを示す。
八大龍王社の御祭神・綿津見神は、福岡の志賀海神社の神。

古くから竜宮と呼ばれていた。

 

志賀海神社(勝馬)の神は、安曇磯良神・住吉神・高良神・鹿島神・春日神と同神。
(高良玉垂宮神秘書)

高良の神は饒速日命。(古来、物部氏の領地であり、祖神を祀ったもの)

 

その后の御炊屋姫は、奈良では弁財天=市杵島姫命とされる。
彼女が乙姫。

脊振に祀られる、八大龍王と弁財天は彼らであった。

 

彼らは大和にも足跡がある。
浦島太郎伝説は、記紀の山幸彦海幸彦でもあったのだ。

そこに登場する豊玉彦、豊玉姫の名が大和にもある。
(以前の記事から抜粋します)

 

☆8 「竜王」と三輪山の神の伝承。
☆9 昔話と神

 

< ☆8 「竜王」と三輪の神の伝承 >

 

大和にはヘビ神がおられる。
これが三輪山の神(大神神社)であり、竜神。

御祭神は大物主神であり、彼は饒速日命。

古代奈良湖の水を引いた神のは、この神だと明日香の亀石が示唆していた。

☆→明日香の亀石と三輪の神 2 ~三輪のヘビは竜~

 

☆明日香の亀石の伝承(詳細は上記記事)

「当麻のへび」と「川原のなまず」
*二つの場所の伝承は同じことを示唆。
                   ↓
「当麻の長尾神社」と「明日香の川原の亀石」の伝承は同じ。
                   ↓
長尾神社の伝承から「三社の神は同神」
*「長尾神社の御祭神」と「竜王宮」と「三輪の御祭神は同じ」

                    ↓

「当麻のへび」は、三輪の大物主神。

 

この伝承は、「当麻のへび」が、奈良湖の水を干上がらせたことを示唆。
当麻のへびは、三輪山の大物主神なので、
「三輪の神(大物主神)が、奈良湖の水を引いた」

奈良湖は、「亀の瀬」の「大和川床開削」により、水位が減る。(「古代であそぼ」より)

つまり「亀の瀬」の大和川の川床開削をしたのは、三輪の神、大物主神である饒速日命。

明日香の亀石は、亀の瀬の亀の瀬石のモニュメントであったのだ。

 

伝承にある「三社」の内の一つ「竜王宮」に豊玉彦と豊玉姫の名があった。

 

<そこに祀られる神が彼らであったので、かの神の「伝承上の名を変えた神」も祀られた>

これが真相。

 

豊玉彦、豊玉姫の話は、海幸彦山幸彦(天火照命)の神話と同じもの。

豊玉彦が山幸彦であり、天火照命=天火明命=饒速日命(八大龍王=乙護法善神)
豊玉姫はその后の御炊屋姫(乙姫=弁財天)。

この二柱が名を変えられた三輪の神。

上記の「竜王宮」にもそれらの名がある。
同神ゆえだ。

 

亀の瀬を動かし(大和川開削)、巨大な奈良湖の水を引いたのは彼らだと、遥かな古代から亀石は語り継いでいた。

 

三輪の神・饒速日命は、高良神(福岡県高良大社)。

上記の話も、高良の神が所有していた「干珠満珠」の力の顕現(伝承上)だ。

 

「浦島太郎伝説」の伝承の元となる話は、彼らの神功皇后伝承。

☆→八大龍王と弁財天 2 ~神功皇后伝承~

 

高良神が亀に乗って海から現れ、海の潮の満ち引きをする干珠満珠を操って、神功皇后を助けた。

「海の潮の満ち引きを操る神」

それゆえに彼は月神ともされ、伝承は「磯良舞」として神楽になっている。

 

*浦島太郎伝説
*海幸彦山幸彦(豊玉彦、豊玉姫)
*八大龍王と乙姫。
*奈良の三輪の神(大物主神)による「古代の奈良湖の水を引いたこと」
*高良神の伝承。

 

すべて彼らの物語が元。

 

< ☆9 昔話と神 >

昔話は、神の由緒を示すもの。
村に神が来られる(社を建てる)時、この神様はこんな神様なんだと、昔話で伝えたのだ。

正体不明な神よりも、物語があった方は人は受け入れやすい。
その地に縁がある神となれば、信頼できるもの。

だから、伝説は「その土地の物語」として、定着していったのだろう。

 

更に、神の素性を織り交ぜている。
はっきりとそれと分からなくとも、日本中の社の伝承や、祀られている神がそう告げている。

だから、彼らが祀られている所には、似た昔話が伝わっていたのだ。

「古代史の謎」の関裕二氏によると、「羽衣伝説」や他の昔話もその一つであるそう。

 

彼女は御炊屋姫。
筑紫の神、宗像大神(市杵島姫命)。

二柱は大和で出会い、筑紫へと。
そこからが住吉神(高良神)と神功皇后の伝承になる。

 

高良神は安曇磯良神。
天照を祀る伊勢は、古来、磯宮と呼ばれていた。

磯神(いそのかみ)を祀る宮であり、石上神宮(物部の祖神、饒速日命)の神と同じ。

→☆神*総まとめ

 

伝承から誰でもそこへたどり着く。

 

おそらく、分かるように残されているのかもしれない。

それでも情報がすぐに受け取れるこんな時代でなければ、出来なかったはず。

 

 

( つづく )

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

**********************************************

 

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2023年7月20日 (木)

八大龍王と弁財天 3 ~籠神社の天火明命と豊受大神~

続きです。

☆→八大龍王と弁財天 2 ~神功皇后伝承~

大和の二柱の前に、住吉神と「浦島太郎伝説」について。


「浦島太郎伝説」は神の由緒を示していた。
名や、詳細は違っても、彼らを「示すものがある」のが特徴だ。

 

この回は

☆5 「浦島太郎伝説」と住吉神
☆6 亀と籠とアマノトリフネ

 

以前、「浦島太郎伝説」は住吉神に繋がる伝承だと記事にした。
関裕二氏著書「神社仏閣に隠された 古代史の謎」を参考にした。(*1 詳細 下記)

住吉神(高良神・安曇磯良神)は、八大龍王であるからそれに繋がる。

彼は饒速日命、天火明命。

 

八大竜王=綿津見神=安曇磯良神=住吉神=高良神=饒速日命=天火明命

 

*****************************

 

< ☆5 「浦島太郎伝説」と住吉神 >


「浦島太郎伝説」は、住吉神へと繋がる。

住吉神が「塩土老翁」として関わっていた。
大阪の住吉大社の奥宮とされる「開口神社」の御祭神。

奥宮の神は同神である(摂社、末社の神も同じ。夫婦神、後の功績などで祀られる人は除外)。

 

* 神武天皇の東征の話。
 塩土老翁が現れ、神武を大和に誘う。

 東征の途中、亀に乗った「浦島太郎もどき」がきて、神武を導く。

 

* 海幸山幸神話。
 塩土老翁は山幸彦を「無目籠(まなしかたま)」に乗せ、海神宮に導く。*2

 

* 浦島伝説は丹後の籠神社の近くの話(万葉集)
 浦島が塩土老翁であり、彼の故郷は、「墨吉(すみのえ)」(住吉のこと)。
 亀に乗って竜宮へ行く。

(「古代史の謎」参考)

 

 籠神社の名の由来は、御祭神が籠に乗って海からやって来たことからとされる。
 「籠神社近くの伝承」は、その土地の神である御祭神、天火明命の由緒を示す。

籠神社の神、天火明命が「塩土老翁」であり、住吉神であるのだ。
 

 浦島=塩土老翁=住吉神=天火明命=饒速日命

 

 また、籠神社の御祭神のもう一柱の豊受大神。
 彼女は市杵島姫命であり、弁財天。(絵馬より)

 饒速日命の后・御炊屋姫だ。

 (大神神社の御炊社は御膳津神=豊受大神)

→☆神*総まとめ)詳細

 

上記の伝承に「塩土老翁」が関わるのは、彼(神武天皇、山幸彦)も住吉神であるから。

その物語自体、住吉神の話なのだ。

 

大阪の住吉大社の神官の祖神は、天火明命。
天火明命を祀る、籠神社の神官の祖先は物部氏(饒速日命を祖神とする)。

 

辿れば同じ。

住吉神は饒速日命。

神話の全ての話が、彼らの物語の書き換えであった。

→☆神*総まとめ

 

「浦島太郎」に似た伝承は、福岡の志賀海神社の伝承に集約される。

その伝承の「大元」になる。

 

 

< ☆6 亀と籠とアマノトリフネ >

伝承の元も神も同じなのだから、アイテムも同じ物を表す。

亀と籠は同じもの。

 

亀・・・安曇磯良神が乗って、海の底から現れた金色の雌雄の亀

籠・・・籠神社の御祭神が乗り、海の水が入らず、空を飛び光る籠。

 

どう考えてもUFOだろう。

 

籠神社の天火明命は饒速日命。

アマノトリフネで空を翔け、大和へやってきたとされる。

 

亀と籠はアマノトリフネにあたる。

彼らはそれに乗って、空を翔け、海の底へと潜ることができたのだ。

 

海を潜り、空を飛ぶUFOでやってきて、
額に角があったかも(力の象徴の可能性も)しれない饒速日命。

 

皇室の祖先神とするわけにはいかなかった。
というのが実情ではないか。

だから、その后・御炊屋姫(豊受大神)を天照大神としたのだ。

それが女神・天照の撞賢木厳御霊天疎向津姫の名に表れている。

(→☆神*総まとめ)
記紀では、彼女らの時代であった頃に「神功皇后と住吉神」としての物語を差し込んだのだ。

 

ここでようやく大和。

饒速日命はアマノトリフネに乗り空を翔け、大和へ。

そこでも「浦島太郎伝説」に繋がる。

 


( つづく )

 

 

 *記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

 

************************

 

 

*1「神社仏閣に隠された 古代史の謎」

関裕二氏の著書を参考にしている。

→☆「古代史の謎」 3 ~饒速日命は住吉神~

→☆「古代史の謎」 4 ~豊受神は神功皇后~

 

この本は、ココログで何年も書いてきて、ある程度分かった頃に知った。

自分の記憶、ブログで繋がったことが書かれていて鳥肌が立った。

まるで答え合わせのような。
(当時は他に言ってる人がいなかった)

それまで半信半疑であったことを、やはりそうなのかと確信できた。

おそらく、自分が見た中で一番真実に近いと思う。

 

真実に近いと思うので、他の本を開けていない。

もしも答えを先に見てしまったら、「自らつかみたい」という想いや、そこへ繋がる過程を飛ばしてしまうから。

 

自ら繋がっていくことを誇りに思いたいのかも。

それが自ら選んで進んで行くことにもなる。

 

自分の中で区切りがついたら、答え合わせをしたく思う。

 

ドキドキするくらい面白いです!
どうぞ、機会があれば手にとられて(購入して!)ご覧ください。

 

 

*2 無目籠(まなしかたま)

goo国語辞書では、〈神大代紀・下〉に「乃ちーを作りて彦火火出見命を籠(かたま)の中に入れ」とある。

「籠」は彦火火出見命が彼と同一であることを示唆している。

 

 

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2023年7月19日 (水)

八大龍王と弁財天  2 ~神功皇后伝承~

続きです。

☆→八大龍王と弁財天 1 ~浦島太郎~

 

八大竜王は綿津見神。
志賀海神社の神であり、安曇磯良神、高良神、住吉神と同神。

神奈川の茅ケ崎の八大龍王には、浦島太郎と似た伝承があった。

 

この回では。

☆3 安曇磯良神の「浦島太郎伝説」。
☆4 伝承は神の由来をとくもの。

 

< ☆3 安曇磯良神の「浦島太郎伝説」 >

志賀海神社の安曇磯良神に、それに似た伝承がある。
「亀石の伝承」と「磯良舞」。

それは神功皇后へと繋がる。


☆「亀石」
神功皇后が三韓征伐の際、勝馬の海(玄界灘)で祈ると、金色の亀に乗った志賀明神、勝馬明神が出現。
神功皇后に千珠万珠を授け、船の航路と舵取りをした。


☆摂社「今宮神社」
神功皇后三韓出兵の際に出現された阿曇磯良丸命は、当地竜宮より干珠満珠を借り賜って海上指揮に仕えたと伝えられる。

 

☆「志賀海神社のHP」
神功皇后は三韓出兵の際、志賀島の安曇磯良神を召された。
龍神より干珠満珠を授かり、三韓を平定。

 

(詳細、以下の記事)

☆→祇園の神 5 ~志賀海神社の神々~

 

同じ神社でありながら、少しずつ違う。
出現した神、玉を授けた神の違い。

それが、京都の祇園祭と高良の伝承(高良玉垂宮神秘書)で繋がった。*1
記された神は同神。

 

核心は、

<神功皇后の三韓征伐の際、龍神・安曇磯良神が金色の亀に乗って海から現れ、彼女に干珠満珠を授けた>

となる。

 

☆磯良舞。

福岡の北部にあるいくつかの神社で奉舞されている。
下記のリンクは那珂川市の伏見神社。*2


☆→祇園の神 1 ~伏見神社の磯羅舞~

 

神功皇后の三韓征伐の際の物語。(彼女は神楽には出ない)
登場するのは

*武内宿禰
*磯羅神。
*豊玉姫。
*海神。

神功皇后が武内宿禰らと共に三韓征伐へ。
武内宿禰は干珠満珠を、海神から授かりたい。

勝馬の海(玄界灘)で磯羅神が、海神からもらい受けようとするができない。

豊玉姫が登場し、珠を授かりに海神の元へ行くことになった。

海神から、干珠満珠を授かった豊玉姫は、武内宿禰に干珠満珠を渡した。

 

元となる話は、志賀海神社の伝承と同じ。
では、登場人物は二柱。

 

*武内宿禰、(安曇)磯良神、海神は同神。
*「彼から珠を受け取った豊玉姫」と神功皇后は同神。

 

この話の核心(伝えたいこと)はこうだ。

*神功皇后の三韓征伐の際の話。
*海神は、勝馬の海(玄界灘)にいる=竜宮である志賀海神社の神(竜神・綿津見神・安曇磯良神)
*干珠満珠は、安曇磯良神から神功皇后へ。

 

志賀海神社の伝承の
神功皇后の三韓征伐の際、龍神・安曇磯良神が亀に乗って海から現れ、彼女に干珠満珠を授けた。

と同じ話。

そこに「神功皇后」は不可欠な存在である。

 

安曇磯良神が神功皇后へを珠を授ける=垂れる。
別名の高良玉垂神と息長垂姫の名は、これを示す。

 

前回の茅ケ崎(前記事の*1)でも、八大竜王神から乙姫様へと珠が渡されていた。

この過程は大事なのかもしれない。

(玉手箱と玉は同じものを示すもの)

 

八大竜王である安曇磯良神(高良神・住吉神)の伝承。
これが「浦島太郎伝説」の元。

 

茅ケ崎の八大竜王神の伝承は、神の由緒を示唆していた。

 

 

< ☆4 神の由緒をとく >

核心が同じであれば、元の話は同じ。
「似た話」を繋いでいくと「神の姿」が浮かびあがる。

祀られている神の正体を、伝承で示唆しているということ。

「伝承で繋がる神」も同神。

志賀海神社の摂社「今宮社」。

同じ「今宮神社」も彼を祀る。

 

秩父今宮神社HP参考)

秩父の今宮神社の御祭神は、イザナギ神イザナミ神ですが、後に「八大竜王」を合祀して、「八大竜王社」と呼ばれている。

その後に「京都の今宮神社」からスサノオ命を勧請。

 

☆社の呼び名は、主祭神を示唆するもの。
別の神ならそう呼べないだろう。

 

八大竜王である安曇磯良神は、高良神である饒速日命。
彼は祇園の神・スサノオ命でもあった。

高良大社の下宮は祇園さんと呼ばれている。
主祭神、高良神がそれだからである。

☆→祇園の神 9 ~高良大社の祇園の神~

 

「同じ神」であるから、勧請しているのだ。

 

神の由緒を明らかにする。
それは、神への敬愛の情に他ならない。

奈良の「登弥神社」の案内板には数多の御祭神の神々が記されていた。

 

秩父今宮神社。
そこには弁財天、稲荷神も祀られている。

 

脊振山に、八大竜王と共に祀られる「弁財天」。
彼女が市杵島姫命であり、宗像神である御炊屋姫。

 

それが、安曇磯良神(高良神)と共にあった、神功皇后。


磯良舞では、豊玉姫として登場している。

浦島太郎の乙姫さまにあたる。

 

彼女は脊振の弁財天。
では、八大竜王が乙護法善神とされたことから、「乙姫」になったのだ。

 

彼ら饒速日命と御炊屋姫は、大和でも豊玉彦と豊玉姫に繋がる。

 


( つづく )

 

 

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*****************************************

 

*1 高良玉垂宮神秘書と京都の祇園祭

神秘書は、高良神は住吉神、安曇磯良神。鹿島神と春日神と勝馬(志賀島)の神と同神。
祇園祭では、神功皇后の三韓出征の船にいる神が、住吉神、鹿島神、龍神・安曇磯良神。

 

☆→祇園の神 2 ~前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~

 

*2

那珂川には住吉の元宮「現人神社」があり、イザナギの禊の地の名称(岩戸やたちばな等)が全部そろっている。
住吉神=饒速日命は、天照、月神、スサノオ神、猿田彦神など、神話の全ての神。

彼が生まれたこの地の姿から、神話が作られたのだ。

☆→神話の舞台 ~神話の真相 7~

 

 

 

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2023年7月16日 (日)

八大龍王と弁財天 1 ~浦島太郎~

続きです。

☆→久士布流多気・櫛布留岳 ~二柱の竜~

脊振山の「二竜」は、毘沙門天と弁財天。

饒速日命である高良神と、御炊屋姫である神功皇后であった。

 

高良神(住吉)と神功皇后。
「常識」から、彼らが同じ時に存在したこと、

夫婦であったことは、なかなか受け入れられないと思う。

自分もココログでたどり着いてからも、しばらくは半信半疑であった。

 

ここでは「八大竜王」から彼らに迫る。

 

奈良には「八大龍王弁財天」があり、弁財天が祀られている。
竜の神名を持つ「八大龍王」も彼ら。

 

☆1 佐賀の八大龍王社の神 
☆2 八大龍王の伝説に、「浦島太郎」とよく似た話がある。

 

< ☆1 佐賀の八大龍王社の御祭神 >

 

佐賀には「八大龍王」社が幾つかある。

*佐賀市川副町「八大竜王宮」
御祭神 綿津見命(狛犬が亀)

 

*佐賀市東与賀町「竜王宮(八大竜王宮)」
御祭神 大綿津見神

綿津見神は、福岡の志賀島にある志賀海神社に祀られる。

そこは「竜宮」と呼ばれていた。

御祭神が竜神・安曇磯良神であるからだ。
境内の亀は、神の乗り物を意味していた。

→☆祇園の神 5 ~志賀海神社の神~

 

高良玉垂宮神秘書(以下、神秘書)よると、志賀海神社の神は高良神(住吉神)と同神。

綿津見神は安曇磯良神であり、高良神(住吉)。

 

京都の祇園祭でも安曇磯良神は「竜神」であった。
神功皇后と共に三韓征伐へ赴く。

 

では、佐賀の八大竜王に祀られる「綿津見神」は、

八大竜王=綿津見神=安曇磯良神=高良神(住吉神)=龍神

 

*佐賀の八大龍王社の中には、住吉神社の摂社もある。
同神を示しているのだ。

 

< ☆2 八大竜王の「浦島太郎に似た伝説」>

神奈川県の茅ヶ崎にある「八大龍王社」には、浦島太郎の話によく似た伝承がある。


茅ヶ崎ナビ「八大龍王神」

上記サイトに伝承を伝える素晴らしい動画がある。
機会があればご覧ください。

(画も素敵でナレーションの方々も上手い!プロの方?)

 

かいつまんで。

茅ケ崎に竜宮城の話がある。
茅ヶ崎村に若い漁師がいた。

弱った亀が浜に上がって、げんぞうは家に連れて帰り介抱した。
元気になった亀は砂浜を掘り、玉を探し見つける。

げんぞうは玉を持って、亀に乗り海の中の竜宮城へ。
そこで八大竜王様と乙姫様に会う。

竜王は欲がない正直なげんぞうをほめ、もてなす。

竜王は話す。

「大昔、世界中が大洪水になった。
大陸が沈んでしまった。人間は海の生き物に姿を変え、龍族と共に暮らした」

 

陸へ帰りたいと言うげんぞうに、竜王が玉手箱の蓋をする。
それを乙姫様に渡し、げんぞうに玉手箱を渡す。*1

乙姫様から

「お礼に茅ケ崎の豊漁を約束します。玉手箱には竜王の念が込められているから開けないで」
と言われる。

 

陸に帰ったげんぞう。1年が経っていた。
竜宮城の出来事を村人に話し、箱が開けられないように穴を掘り埋めて、その上に石碑を立てた。

八大龍王を祀り、それから村は豊漁、豊作になった」

 

良く知ってる「浦島太郎伝説」と似ている。

それは神の由緒を告げるものであった。

 

すべて同じ神を示唆する。

 

( つづく )

 

佐賀の「八大龍王社」「茅ケ崎の八大龍王神伝説」は、敬愛なる山友さんが教えてくださった

感謝します!
ちょうど前回の脊振を書いてた時だったので、タイミングの良さに驚いた。

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

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2023年7月13日 (木)

久士布流多気*櫛布留岳*脊振山の神  ~二柱の竜~

続きです。

☆→二柱の神 ~神の名*饒速日命と御炊屋姫

二柱は「龍」であった。

饒速日命だけでなく、御炊屋姫も竜王として祀られている。

彼女は市杵島姫命であり、弁財天。

奈良の「八大龍王弁財天」は彼女。

☆神の系譜*豊受大神編 1 ~御炊屋姫~

 

「龍神」は彼らだ。(←後の記事に)

 

*             

 

福岡市の南の佐賀との境にある、脊振山(せふりやま)。
奇なるものが振ったと伝承がある。

振った二龍は「饒速日命と御炊屋姫」。

 

この二柱の竜が「降ってきた所」。
それが神話の久士布流多気。

 

 

< 脊振の神 >

 

一昔前までは、脊振と言えば脊振山系を指した。
脊振山単体では、上宮嶽、弁天山、廣瀧山と呼ばれていた。

 

脊振の伝承を俯瞰してみると一つに繋がる。

Screenshot_202307121740142

 (背振神社 上宮)

 

脊振山の名の由来からいくつか。
(他の由来も下記を元にしたもののはず)

 

☆1 「脊振神社蔵古書」には、

「肥前の国に霊峰あり、国鎮岳と号す。絶頂に霊穴あり。二竜出現して脊を振う時、山動き地震う。故に脊振山と号す」

☆2 貝原益軒の「筑前風土記」
「古、弁財天百済よりここに来り給う時、乗り給ひし馬の脊振りたる故に脊振山と名付けたり」

 

☆3 「脊振山縁起」の乙護法善神

脊振山積翠教寺 修学院 サイト)「脊振山縁起」より要約 (←素敵なイラストつき!)

「天竺の王子が他界。

大王がインドのお坊様の龍樹菩薩に頼み探してもらうと、龍馬に乗って脊振山に飛来し御法神となっている彼を見つける。

彼を追って后(弁財天)と共にやって来た大王は、脊振千坊の守護神に。

大王が下宮の「不動明王」となる。
后が上宮の「弁財天」。
王子は中宮の乙護法善神として祀られる」


*実際の下社には宗像三神(市杵島姫命である弁財天)が祀られている。

 

☆1 二竜が背を振った。

☆2 弁財天を乗せた馬が背を振った。

☆3 乙護法善神が竜馬に乗って飛来。後に不動明王と弁財天がくる。

 

 

これらは同じことを示唆している。
三柱となっているのは、☆3だけ。


☆3では、

乙護法善神(毘沙門天)、大王(不動明王)、弁財天が天竺から竜馬に乗ってやってきて脊振に振った(降った)

 

脊振に振った竜は「二柱」。
なのに三柱の神?

 

 

< 脊振山系の弁財天と毘沙門天と不動明王 >

 

☆3の伝承が三柱であるのは、仏教の影響を強く受けているからだ。

山域は古来から霊山とされ、修験道の聖地として多くの寺が建てられた。
それ故に「彼ら」は、仏教の神(インド神)とされている。

今でも脊振山と、山系の一つの九千部山には彼らが祀られている。


*九千部山の神

Screenshot_202307121740202

(九千部山山頂の祠)

 

九千部山(くせんぶやま)の山頂の祠には、不動明王と弁財天が祀られている。
二柱が夫婦と、☆3の脊振山縁起にあるからだ。

だが、インド神話では夫婦ではない。

 

不動明王はシヴァ神にあたる。
その妻はたくさん(100人?)。

一方の弁財天の夫はブラフマー。

 

しかし、日本神話を通すと繋がる。
不動明王は、日本では大黒天。

大黒天は大国主神と習合していた。

彼は饒速日命であった。
弁財天である市杵島姫命は、彼の后であった御炊屋姫。

→☆神*総まとめ

 

不動明王=大黒天=大国主神=饒速日命

弁財天=市杵島姫命=御炊屋姫

 

だから九千部では「不動明王と弁財天」が夫婦とされているのだ。

インド神話の「夫婦」とされる二人ではないが、日本神話では辻褄が合う。

 

この違いの元は、「元々祀られていた二柱の神」が後にそれぞれ習合されたから。
習合された神の由来は「天竺」。

それ故に、天竺から来たことになっている。

 

*脊振山の神

一方、脊振山には弁財天と毘沙門天が祀られている。

☆1~☆2の伝承はこれを示す。


山頂の上宮と下宮には、弁財天(市杵島姫命)。

乙護法善神は、少し下った場所にあるタニシ仏。
この神が毘沙門天。

Screenshot_202307121740252

(タニシ仏)

 

脊振に振った二竜とはこの二柱であり、彼らへと繋がる。

 

< 高良神と毘沙門天 >

この辺りで「毘沙門天」と言えば、高良神。

高良神は自ら、「毘沙門天として祀れ」と告げたとされる。

彼は毘沙門天と習合されたのだ。

Screenshot_202307121740292

(高良大社 奥宮)

Screenshot_202307121740293
(奥宮にある「毘沙門天」の繋がり)
Screenshot_202307121740352
(高良山山中  高隆寺跡の案内板)
*高良神は国を鎮める神。
だから脊振は国鎮岳でもあった。

 

高良山山頂には、後に毘沙門城が造られ、今でも毘沙門山として通る。

 

Screenshot_202307121740392(高良山)

 

しかし、毘沙門天の妻は吉祥天。

 

脊振に二柱だけが祀られていると齟齬が生じる。

回避する納得できる理由。

それが、不動明王と弁財天が夫婦であり、毘沙門天がその子供として、脊振に振った神が三柱であると、☆3ではされたのだ。

 

高良は物部の領地であり、祖神・饒速日命を祀る宮。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事

 

脊振山系の神、不動明王、毘沙門天は共に饒速日命を示唆していた。

饒速日命は櫛玉饒速日命。

また石上神宮の布留神。

久士布流多気とは、彼を示す名だ。

 

 

もう一柱の弁財天。

習合されている日本神話の神は市杵島姫命。

 

 

< 弁財天と御炊屋姫と神功皇后 >

弁財天は市杵島姫命。

かの神は、御炊屋姫。

→☆神*総まとめ

 

高良の神が毘沙門天、不動明王に繋がる饒速日命。
その后の御炊屋姫が弁財天。

 

「もともとの二柱」とは、毘沙門天弁財天と習合されたこの者たちであった。

他に誰も繋がらない。

 

高良の伝承、高良玉垂宮神秘書には、高良神(住吉神)の后は神功皇后とある。

彼女もまた、「習合」されていた。

 

彼が饒速日命であり、彼女がその后であるので繋がっている。

 

脊振山頂の市杵島姫命(弁財天)は、
「神功皇后が三韓征伐の折りに、戦勝を祈願して祀った」とある。

しかし彼女は、「祀られている神」自身。

伝承では、祀った者自身が祀られた神となっているのだ。



彼らがここに祀られている。
それ故にこの地が「建日向豊久士比泥別」。

豊は、豊姫。(高良大社の本殿に合祀)
これが御炊屋姫であり、神功皇后。

久士は、櫛玉饒速日命の「櫛」であり、高良神(住吉神)。

久士布流多気の「久士」だ。

 

彼らがこの地に「振った二竜」。

 

***

 

日本神話の内でも、仏教が入った時でも、習合され他の名になってしまった彼ら。

 

でも、それは信仰心ゆえのこと。

溶けあっても彼らは彼ら。

 

弁財天は御炊屋姫であり、豊受大神。

毘沙門天は饒速日命であり、天照大神。

様々な名で呼ばれても、彼らの魂は一つ。

 

脊振も英彦山も宝満山も若杉も、1000年以上続く信仰がなければ、今のような「霊山」とはなり得ない。

彼らが祈りを捧げ、大切に守ってきたお山だからこそ、ここが「クシフル岳」。

 

 

最後に。
山友さんのおかげで乙護法善神と脊振の神が繋がった。

佐賀の修験道に関わりある地を巡って、一日60キロでも踏破する彼女。

凄すぎる~!

御信仰のたまものだと思う。

ありがとう!

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

 

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2023年7月11日 (火)

登志神社と毘沙門山と御祭神

福岡県福岡市西区
登志(とし)神社

志登神社のある糸島半島の東に位置していた。

Screenshot_202307110834152(地図はGoogle map)

右の赤マークが志登神社 
その斜め左下が登志神 

 

志登神社とよく似てるその名前。
関係あるはず!

☆→志登神社 ~志を登りて天竜となる~

側には、行きたかった毘沙門山がある。

Screenshot_202307110834202

正面の鳥居 住宅街にあるので、車は浜の方の空き地に止めて5分ほど歩いた。

 

Screenshot_202307110834203

拝殿

Screenshot_202307110834232

 ご祭神

豊受姫大神  中筒男命  姫大神 

 

境内社に 
陰若神社   息長帯姫命(神功皇后) 
稲荷神社   倉稲魂神 宇賀竜神 大己貴神 
志賀神社   表津綿見神、中津綿見神、底中津綿津見神 
五十猛神社  五十猛命

 

としの名から、歳神である稲荷神としての名が祀られていると推測していたが、やはりあった。

Screenshot_202307110834272

配祀されている神は、寄せ集めではない。 
名を変えた同神を示す。 

 

☆御祭神解説 

中筒男神(住吉神)は、高良神。 住吉三神は同神。

高良大社(福岡県久留米市)は、物部氏の祖神・饒速日命を祀る社。
彼は大己貴神であり、歳神・稲荷神

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~

 

志賀神、五十猛命は、高良神と同神。(高良玉垂宮神秘書) 
神秘書では神功皇后と夫婦。

 

豊受大神姫大神は宗像神のこと。
市杵島姫命であり、豊受大神である御炊屋姫。 

*大神神社の御炊社=豊受大神(御膳津神・みけつかみ)=御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)

彼女は饒速日命の后。 

 

住吉神である高良神は饒速日命で、 
その后は豊受大神であり宗像神である御炊屋姫。 
彼らは夫婦であった。 

ゆえに神秘書で住吉神と夫婦であったという神功皇后は彼女。   

 

彼らは、豊玉彦、豊玉姫のモデル。 
「豊玉彦の伝承」の干珠満珠を操っていたのは高良神(住吉神)。

高良玉垂神の名は神功皇后に玉を垂れた(授けた)ことを意味する。 

玉を垂れられた(授けられた)のは神功皇后であった。。
息長垂(足)姫の名はそれを示唆。

 


ご祭神・豊受大神は、豊玉姫でもあり、豊姫でもあった。 
高良大社の本殿には、豊姫が共に祀られている。 

「豊姫」が后であるからだ。

☆→神*総まとめ

 

筑紫には、大己貴神と宗像神との伝承もある。 
それは大神神社の饒速日命と、宗像大社の市杵島姫命。

 

住吉神と神功皇后や、名を変えた彼らの伝承地に重なる。

それぞれ同神であるからだ。 

 

社の神、伝承からは、真実へとたどり着く。 

 

各神社の伝承はでたらめの話ではない。 
後利益があるからと人の都合で神を寄せ集めたわけではない。

Screenshot_202307110834352

社の裏にある毘沙門山を登る。
頂上までこんな林道が通っている。
20分ほどで頂上。

Screenshot_202307110834353

上宮

Screenshot_202307110834372

拝殿の横には毘沙門天さまがおられる。

高良山の別名も毘沙門山。 
高良の神は毘沙門天と習合されていた。 

 

ここには高良神である住吉神が祀られている。 

だから毘沙門山なのだ。

Screenshot_202307110834422

 

糸島の港を守る神として、海の神である住吉神が祀られ、彼が高良神であるので毘沙門天としても祀られていたのだ。

Screenshot_202307110834423

 

 

 

 

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2023年7月 8日 (土)

二柱の神 2 ~神の名*饒速日命と御炊屋姫~

続きです。
☆→に柱の神 1 ~饒速日命と御炊屋姫~

 

当時の彼らにも、本来の名はあったはず。

それをうかがい知ることができるものが残されている。

まずは「饒速日命」から。

 

< 饒速日命   >

彼の伝承には「龍」が深く関わる。
それは後の時代に入ってきたはずの言葉。

では、彼は「龍」という名であったのでは。
真実とは開けてみると単純なものだ。

神話の神の全てが彼らであった、というように。

 

外つ国から来たとされる彼。
その名であったからこそ、数々の逸話が生まれていた。

 

< 三輪の神 >

彼は三輪山の神、大物主。

三輪の神はヘビ神とされる。

しかし、御祭神は、大国主神であり、大己貴神。

決してヘビではない。

 

 

< 龍神・安曇磯良神 >

彼は高良神であり、安曇磯良神(あんとんいそらしん)。*1
京都の祇園祭では、龍神・安曇磯良として登場。

神功皇后の三韓征伐の際に現れ、玉体を守り船の舵取りをしたとされる。

 

高良の伝承によると、祇園祭の船の上に立つ三神(住吉神、鹿島神、安曇磯良神)と、勝馬(志賀島)の神は同神。

志賀島の志賀海神社の神は綿津見神であり、安曇氏が代々祀っていた。
その神が安曇磯良神。

 

この社は龍宮とされる。
「龍神・安曇磯良神」を祀る宮であるからだ。

 

祇園祭の龍神はこれを示していた。

☆→祇園の神 2 ~前編 祇園の神は住吉神(磯良神)~

 

かの神が「海から現れた」とされているのも、その神名になった要因の一つ。

 

 

< 三輪のへびと竜 >

古代にあった奈良湖の水を引いたのは、三輪の神である饒速日命。
その伝承から、龍に繋がる。


奈良の亀石の伝承の「当麻のヘビ」から三輪山の神へ。
伝承では三つの社を「一体の蛇の体、あるいは一体の竜の体」として表現している。

同神であることを示唆していた。

☆→古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のヘビが竜~

 

このように三輪の神はヘビ神であり、龍神であった。
高良の神・安曇磯良神も龍神。

 

外つ国から来た彼は「龍」という名であり、「龍」を知らない者たちがイメージしたのが「ヘビの王」。
故にヘビ神となったのでは。

 

オオナムチのムチは鞭。
蛇の名にもあり、それをイメージさせる。

三輪山の神がヘビ神とされた後に、名づけられたのかもしれない。

 

< 御炊屋姫 >

彼女の名も、御炊屋姫でも、神功皇后でも、宗像神でも、女神の天照神でもない。
おそらく、魏に伝わっていた卑弥呼「ヒミカ」だ。

 

彼女には、甕依姫(みかよりひめ)や、御炊屋(ミカシヤ・ミカシヤキ)姫、櫛甕玉姫(くしみかたまひめ)の名があった。

甕(みか)は、神の供物を入れる器を意味する。
彼女の名の一つ、玉依姫の神の魂の依り代(巫女)と同じ。

それは「神の魂の拠り所」を意味する物なのでは。

 

御炊屋姫は饒速日命の后であった。
その名は、神の食事を用意する者を意味し、豊受大神の別名である「御膳津神」と同じ。*2

後の将軍の妻を「御台所」と呼ぶのはこれが由来なのかもしれない。

 

それは、「神に向かう者」をも示唆。
女神・天照の撞賢木厳御魂天疎向津姫の「向津(むかつ)」も、神の妻を意味し、甕と同じ意味になる。

 

(*大まかに(イメージして)同じということ。言葉は今の感覚より、広い意味を持つ。

 ミカの言霊は、身(体)がカッと輝く。→(輝かせるのは神なので)神の力により輝くという意味。
 女神・天照の「撞賢木(つきさかき)」は、神との間の境の木をつき響かせる(神との橋渡し)という意味があり、大まかにはミカと同じ)

*そうか、自分自身が神により響くという意味でもあるのか。

 

日の神に向かう者、それがヒミカの名の意味。

 

*饒速日命にも大物主櫛甕玉命という甕がつく名があった。

こちらの甕は「神の器、神自身」という意味。

 

 

 

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*1高良の神は饒速日命。
 福岡の久留米市にある高良大社。

高良は古来、物部の領地であり、祖神・饒速日命を祀った。

伝承には「高良の神は物部の姓。違えば当山滅す」と強い戒めがある。

物部の神であることを伝えている。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事

 

*2御炊屋姫の名。
大神神社には摂社に御炊社があり、豊受大神である御膳津神が祀られている。

御炊屋姫の名が、豊受大神を意味するものだと分かる。

☆→御炊屋姫を追って 8 ~御炊社*大神神社の豊受大神~

 

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2023年7月 7日 (金)

二柱の神 1 ~饒速日命と御炊屋姫 ~

彼らはどう位置付けされたのか。

 

<皇紀と魏志倭人伝>

皇紀元年は紀元前660年。

一方、魏志倭人伝が伝える「卑弥呼」の時代は200年頃。

国は長く乱れ、統率者は入れ替わり。
彼女の登場でようやく落ち着く。

それがこの国の「はじめ」。

 

邪馬台国が奈良であろうと、筑紫であろうと、それよりも860年前から続く、統治された国があったとは考えられない。

(*邪馬台国はその両方)

 

 <記紀と神話>

記紀が創られたのは、700年代。
「卑弥呼」の時代より、500年後。

その時点では、魏志倭人伝の「卑弥呼」が国のはじめの者だと分かっていたのだ。

 

各地の伝承や神から「彼ら」であると。

だからこそ、細工が出来たのだ。

 

しかし、皇紀元年と設定したのは「彼らの時代」よりも遥か前。
辻褄を合わせるように、記紀のはじめの方の物語は創られた。

 

すべて、「彼ら」の伝承を元にして。

それが神話。

 

天御中主神
山幸彦、豊玉姫
イザナギ神、イザナミ神
スサノオ神
天照神
月読神
住吉神
瀬織津姫

 

神話の神はすべて、「彼と彼女」。

→☆神*総まとめ

 

さらに最初の天皇とされる神武天皇にまつわる部分にも「彼ら」の名がある。

「饒速日命と御炊屋姫(みかしやひめ)」

それさえも、「彼ら」の本当の名ではない。

 

 

<神功皇后>

 

「彼ら」の時代は200年前後。
彼女が「卑弥呼」であるからだ。

神功皇后と高良神は夫婦。
彼は「祇園さん」であり、祇園神。

高良山の麓にある祇園山古墳は、大社の一族により守られて来た。

これが彼女の墓である。

造営は3世紀半ば。

「卑弥呼の時代」の最大勢力になる。

(以下の、シリーズ)

☆→祇園山古墳 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

 

編纂に関わる者たちは「彼女」を神功皇后として、ちょうどその時代になるように埋め込んだ。
彼らの伝承を元にして。
(彼は「住吉神、武内宿禰」として)

 

誰よりも多くのページが割かれているのはその為。

 実際、こちらにある社や伝承でも、神功皇后は200年とはっきり書かれてある。
 彼女が「卑弥呼」であると、示唆しているのだ。

 

 

( つづく )



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2023年7月 5日 (水)

宇美八幡宮と弥勒山

福岡県宇美町

「宇美八幡宮」

宇美は、”産み”。

神宮皇后がこの場所で、応神天皇をお産みになったとされる場所。

Screenshot_202306301318452

拝殿

Screenshot_202306301318522

Screenshot_202306301318523

(クリックすると拡大されます)

御祭神*應神(おうじん)天皇(八幡大神)・神功皇后
   玉依姫命・住吉三柱大神・伊弉諾(いざなぎ)神       

 

応神天皇、住吉大神、伊弉諾神は同神。
高良神である饒速日命。

神功皇后、玉依姫は、御炊屋姫だ。

(→☆神*総まとめ


*もしも「玉依姫」が神話の通り「神武天皇の母」ならば、彼らが祀られる先々で神武天皇無しに祀られることはない。



応神天皇は神としては「彼」自身。
神話では、応神天皇の父である仲哀天皇が祀られず、住吉大神の名がある(高良の伝承では神功皇后の夫神)ことからも分かる。

玉依姫、伊弉諾神は神話からの合祀。

 

社の側にあるのが湯蓋の森。   

Screenshot_202306301318582

湯蓋の森

Screenshot_202306301318583

 聖母宮

御祭神 神功皇后

Screenshot_202306301319082

武内社
御祭神 武内宿禰

 

彼も高良神自身。

Screenshot_202306301319083

湯方社


Screenshot_202306301319152

周りに子安石がある。

子を授かるとここから石を持ち帰り、無事に生まれることを祈願する。

生まれてから、その石に名前と体重を書いて、同じような大きさの石と共に納める。

 

神宮皇后が三韓遠征の際、お腹に石を置いて、お産を遅らせたのに無事に出産したとされる伝承から。

 

仲哀天皇は架空であった。
それらの話も無かったことになる。

しかし、高良玉垂宮神秘書によると、彼女と高良神(住吉)との子がたくさんいたとある。
子を守る神として、彼らより相応しいものはいないだろう。

 

Screenshot_202306301319212

神功皇后像

 

Screenshot_202306301319252

衣掛の森

神功皇后が衣を掛けたとされる。

 

Screenshot_202306301319462

産湯水

お産の時、この水を使ったという。

しかし宝満山の山中にも「益影の井」という水場があり、同じような伝承がある。
それは、宝満山は彼女と縁のある山だと、告げているのだ。(本当に使ったわけではないと思われる)

境内を抜けて、弥勒山へ

Screenshot_202306301319323

Screenshot_202306301319372宇美川

 

Screenshot_202306301319373

奥宮 御胞衣ヶ浦



Screenshot_202306301319412
                   

Screenshot_202306301319413

 

弥勒の名は、彼らがそれであるからと随分後で知った。

住吉神は現人神社の神。
「国に大事の時、再び現れる」とされている。

 

社の側に山がある時は、大抵奥宮や上宮がある。

山が神と繋がる場所

神に近い場所
神がおられる場所

 

 

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2023年7月 3日 (月)

麻氐良布神社のアマテラス 2 ~筑紫の十九座~

続き。

☆→麻氐良布神社とアマテラス 

 

麻氐良布神社の上宮には、美奈宜神社と同じ「十の祠」があった。

それぞれ筑紫にある式内社の神社の名が刻まれている。
違ったのは「十社」が「十九」。

Screenshot_202306291448402

(美奈宜神社の十社)


Screenshot_202306291449072

(麻氐良布神社の十九社)

Screenshot_202306291544432

(神ではなく、社っぽい?)

答えが祠にある。

各社の名の後、座が刻まれていた。

Screenshot_202306291544472

座は柱と同じ、神の数え方。

山も一座と数える。
山には神々がおられるが、まとめて一座と表す。

社の神をまとめて、一座としているのだ。


この場合の「座」とは。

三座とある社が四つあった。

Screenshot_202306291544512

「美奈岐(宜)宮 三座」

美奈宜神社、他に志賀宮、宗像宮、住吉宮が三座。

この麻氐良布神社の一座を足すと十九座になる。

 

筑紫宮 一座
志賀宮 三座(*綿津見三神)
宝満宮 一座
織幡宮 一座
弥永宮 一座(大己貴神社)
美奈岐宮 三座(美奈宜神社)
      (*大国主神、須佐之男命、事代主命)

宗像宮 三座 (*  宗像三神)
志登宮 一座
住吉宮 三座(* 住吉三神)
筥崎宮 一座

 

三座とある宮の神は、住吉三神、宗像三神など、三神であることが神話により示されている神社。

例外は美奈宜神社のみ。
かの社の伝承では、大国主神、スサノオ命、事代主命は、神功皇后の前に三神として現れていた。

神話の住吉三神、高良の伝承の高良神(住吉神)に当たる。
三柱とも同神だ。

 

各神社と主なご祭神を書き出した。

 ☆筑紫宮*筑紫神社
     白日別神・五十猛命・玉依姫命・坂上田村麿
  *(白日別神は、筑紫神である高良神=饒速日命。五十猛命も同じ)

☆志賀宮*志賀海神社
     綿津見神三神

☆宝満宮*宝満宮竈門神社
     玉依姫・神功皇后・八幡大神(応神天皇)

☆織幡宮*織幡神社(宗像)
    武内宿禰・住吉大神・志賀大神
 天照皇大神・宗像大神・香椎大神・八幡大神・壹岐眞根子臣(いきまねこのおみ)


☆弥永宮*大己貴神社(朝倉の弥永)
 大己貴命(正殿)・天照皇大神・(左殿)春日大明神(右殿)


☆美奈岐宮*美奈宜神社

     大国主神、須佐之男命、事代主命
  摂社に十社の神と淡島神

 

☆宗像宮*宗像神社 
    宗像三神

 

☆志登宮*志登神社
   豊玉姫・和多津見神・彦火火出見尊・息長帯姫命(神功皇后)・武内宿禰

 

☆住吉宮*住吉神社
    住吉三神
    相殿   天照大神・神功皇后

 

☆筥崎宮*筥崎神社
    応神天皇・神功皇后・玉依姫
(筥崎神社まだ書いてなかった)

 

そしてここ、麻氐良布神社
伊弉諾命(イザナギノミコト)・天照大神・スサノオ命・月読命・蛭子命

 

これらの神は、すべて彼らを示す。

天照大神と豊受姫。
饒速日命と御炊屋姫。

(大神神社の御炊社の神は豊受大神=御炊屋姫)

 

筑紫では彼らが、住吉神(高良神)と神功皇后になる。

☆→神*総まとめ )

筑紫の式内社には、彼らが祀られていた。

 

彼らは二柱の天照である。

 

< 十九神社 >

十九神社は、神戸や山口にあり「とうく、とく」神社と読まれている。
例外なく、豊受大神が祀られている。

「広瀬」の神が同じものを表すように、「十九の神」もこの社の神(筑紫の十九の神)を示しているのかもしれない。

御炊屋姫を追って 9 ~廣瀬大社の豊受大神*御炊屋姫~

 

筑紫には「五社神社」があり、住吉大神、春日神、志賀神、神功皇后、玉依姫が祀られる。

住吉、春日、志賀神は、高良神であり、宝満山の玉依姫と神功皇后は同神。

奈良の奈良市山陵町の神功皇后陵は「五社神古墳」と呼ばれる。

 

 

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2023年7月 1日 (土)

麻氐良布神社とアマテラス 1

福岡県朝倉郡杷木(はき)志波(しわ)にある

麻氐良布(まてらふ)神社。

Screenshot_202306291448302

上の写真は麻氐良(までら)山の山頂にある上宮。

 

Screenshot_202306291448352

麻氐良(までら)山

そこから繋がる「十一社」の神。

 

麻氐良布神社の御祭神は、

伊弉諾命(イザナギノミコト)

天照大神、スサノウ命、月読命、蛭子命

 

その名から、天照の山では無いかと言われており、御祭神の中 にも名があった。

間違いないだろう。

 

延喜式に記されている式内社の一つ。
筑紫には十一社あり、美奈宜神社の摂社の「十社」の中にある。

(美奈宜神社とで十一社)

☆→美奈宜神社 2 ~林田*神功皇后の伝承地~

Screenshot_202306291448402

 (美奈宜神社の十社)

Screenshot_202306291448403

 

上の写真の左端、「麻手良布神社」とある。
朝倉にある麻氐良布神社のこと。

この時点で参拝してなかったのは、志登神社と麻氐良布神社。

麻氐良布神社には前々から行きたいと思いつつ、そこそこ遠かったので後回しになっていた。
美奈宜神社でその名を見て、これは登りに行かねば!と思った次第。

社の裏にある麻氐良(までら)山。
神の山。

上宮があるはず!

Screenshot_202306291448472

 

ナビに従い、畑の間の細い道を進み、鳥居の奥のスペースへ。

ここに止めて良いよう。

(写真は鳥居から撮った)

Screenshot_202306291448502

Screenshot_202306291448592

下宮。

お山へは左手を奥に、柿畑の脇を抜け、右手へと進む。

Screenshot_202306291448593

初めのうちは藪化していた。

蜘蛛の巣が絶え間なくあるので、山道に慣れてない人は夏の間はキツイかも。

しばらくすると林道のような細い登山道へ。
1時間程で頂上だ。

Screenshot_202306291449072

頂上付近には石段。

経験上、しっかりした参道がある社は、先に立派な社がある。

Screenshot_202306291449073

拝殿

麻氐良布神社 上宮。

Screenshot_202306291449142

山頂標識は、社の階段の上に。

Screenshot_202306291449143

三角点はここにあった。

Screenshot_202306291449192

  ここは歴史書で初めて鬼が記された場所。

 福岡県神社庁朝倉支部のHPにはこうあった。
あさくら神社回廊~福岡県神社庁朝倉支部のHP

 

日本書紀斉明天皇の条に「朝倉の社の木を刈り神怒りて宮殿を壊り侍臣多く疫死、天皇また崩御給う」とある。朝倉山の上に鬼があらわれ、大笠を着て喪の儀式を覗いていた。

 

触れれば、天皇も祟られるという神の住む山。

天照大神以外にはおられない。

祭神にも名があるのだから。

Screenshot_202306291449232

 

ここで見つけたのが「十九神」。

美奈宜神社にあった「十社」の神社の名が刻まれている。

(美奈宜神社の名があり、麻氐良布神社はこの地だから無い)

 

これに麻氐良布神社の一座を加えて「十九神」。

では、十九神とは何を意味するのか。

 

( つづく )

 

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