高良玉垂宮神秘書 7 ~高良神*神功皇后の祈りにより出現~
続きです。
今までの事を念頭に置き、いよいよ高良神と神功皇后との場面。
(今までのと重なる所があります)
高良神は物部の祖神、饒速日。
神功皇后は、彼の后の御炊屋姫。
彼らは二柱の天照であり、高良神が隠神となるのは神の交代を意味する。
では、神秘書は彼らのことをなんと伝える。
< 高良神出現 >
高良神の出現の様子。
十五代神功皇后の時、異類が日本に来る。
その時、筑前の四王寺の峰に登り、大鈴を榊の枝にかけ、七日の間、異国の退治を虚空に祈った。
東の空に白雲現れる。
たちまち四方に開き光を放って、月神(高良神・底筒男尊)現れる。
月神が現れて半時してから、住吉明神(父のウガヤフキアエズ)と日神の垂迹の表筒男尊と中筒男尊が現れる。
白雲の中に四本の鉾を打ち違えたるは、四天王の鉾。
異国遂伐の時の高良の御文はこれである(神紋)。
四方に光を放つゆえに、門光。
高良四天王が、天降った所を四王寺が峰と名付けた。
(中筒男尊=神武天皇はすぐにいなくなる)
神功皇后は、月神と日神を両副将軍と定めて、三韓を攻めた。
その後、住吉明神(ウガヤフキアエズ)は帰って行った。
また虚空(兜率天)に住み給う。
(「高良玉垂宮神秘書」より 解読)
①
神功皇后の時代、異類が攻めてきた。
それは、「三韓征伐」でも「地方の豪族」でも無いことは伝承から分かる。
異類とは、人で無いものを言う。
住吉四神はすべて同神であり、后は神功皇后。
彼らは名を変えられた饒速日と御炊屋姫。
彼らが出会った場所は、伝承により違う。
*1 上記神秘書では、筑紫の四王寺山で、神功皇后の祈りにより現れる。
*2 神話(記紀)では住吉神は、神功皇后の三韓征伐の折りに船の舳先に現れる。
*3 饒速日と御炊屋姫は、大和で出会ってる。
彼らは*3の大和で出会ってるはず。
なぜ、このようなことになっているのか。
②
最たる理由は、二つある。
皇紀を紀元前600年としたこと。
高良神である饒速日は、皇室の祖神とされなくなったこと。
実際の彼らは200年代前後。(彼女は卑弥呼)
ゆえに長期の「作られた歴史」のその時代辺りに、彼らは入れ込まれている。
3世紀の日本の様子を告げる魏志倭人伝。
当時の様子を見ると、紀元前600年前から皇室が続いてるとは誰も思わないだろう。
神話で彼女が仲哀天皇の后であることも、これらに起因する。
③
記紀では、仲哀天皇は筑紫に来た後に崩御。
その時に神功皇后の側にいたのが武内宿禰であり、住吉との縁も匂わせる。
記紀では崩御の場所も違う。
彼女が身ごもった子は、不自然な妊娠期間。
すべて、皇室の歴史に取り込み、時代も合わせる為である。
しかし、武内宿禰、住吉神という存在は消せなかった。
神話、記紀はすべて彼らに繋がる暗号なのだ。
匂わせは彼女にもある。
日本書紀については、魏志倭人伝の記述を入れ込み、他国の書では彼女が卑弥呼だと暗に告げている。
彼女はそれであり、彼らはその時代の者である。
彼らは筑紫の神である、高良神と宗像神。
上記の理由から、筑紫で初めて会うことにされたのだ。
しかも彼は神話上の神、住吉として。
< 四王寺の峰 >
四王寺の峰にはその名の通り、四つの峰がある。
後にこの峰のそれぞれに、四天王を拝した。
毘沙門天はその一柱であり、高良神と習合される。
それ故に、この話が加えられたのだろう。
しかし、すべてが創作ではなく、真実があるものが伝承。
彼の同神は、それに乗っていたと伝わる。
高良神が乗ってやって来たのは白雲。
志賀海神社での高良神は、金色の雌雄の亀。
籠神社の天火明は、空を飛ぶ光る籠、海の中でも水が入らない籠。
彼は饒速日なので、それらはアマノトリフネになる。
では、筑紫での彼ら(神功皇后も)の出現地は四王寺山なのかもしれない。
宝物殿のタペストリーにはこの情景が描かれている。
(伝承、神話の重なることは、外せない重要な真実であることを示唆している。
故に、昔話などで連綿と伝えてきたのだ)
( つづく )
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