高良玉垂宮神秘書 6 ~皇宮と兜率天~
続きです。
< 神の住い >
神秘書では、神功皇后と高良神は地上にいる間、皇宮におられたという。
それはどこか。
☆1 仁徳天皇の時代、神功皇后が崩御した時に皇宮を出て、その後、この山(高良山)にご行幸したとある。
では、皇宮は高良大社のある高良山では無かったことになる。
しかし矛盾があった。
まずは箇条書きで、該当部分を要約。
☆2 異国征伐の時に干珠満珠にて国土を治め給う。
また皇宮にて神璽を持たせ給う間、御鳥井に玉垂宮とうち給うなり。
☆3 神功皇后の異国征伐の時、(高良神が)兜率天より此の地へ天下りし、「鎮在が辻」へ行かれる時、初めて 泊まった地が朝妻であった。
☆4 神功皇后が崩御した後、高良明神 豊姫 玄孫大臣 この御子大祝往子尊 武内大臣 皇宮を共に出る。
☆5 武内大臣は因幡国へ。
靴を脱ぎ捨てお衣を枝にかけ山の奥に入り、隠れてしまう。
☆6 残り四人は皇宮より遥々行き、豊姫 玄孫大臣は肥前の国に留まりて、豊姫は河上大明神となり給う。
☆7 高良大明神 大祝日往子尊は九月十三日にこの山に遷幸あるなり。
(要約。それぞれ別のページに記載)
まずは、☆4~7
神功皇后が崩御した後の話だ。
☆4 皇宮を出たのが高良明神 豊姫 玄孫大臣 この御子大祝往子尊 武内大臣。
それらは二柱の神とそれぞれ同神(大祝往子尊は御子?)であり、神功皇后が亡くなった後ならば、「豊姫」はいない。
☆5 武内宿禰は因幡に隠れた。
因幡とは島根県。
しかし彼の「隠れた地」は福岡にある。
宗像の織幡神社。
沓塚があり、武内宿禰はそこに沓(くつ)を残して、空へ昇ったという。
神秘書にも「靴を脱ぎ」とある。
しかも彼は高良神と同神。
高良神は筑後の隠神とされた。
との一文もあった。
筑紫を出ていないのだ。
☆6 河上に豊姫。
前回も触れたが、佐賀に河上神社(與止日女神社)がある。(まだアップしてなかった~)
豊姫(淀姫と同神)はこの地に祀られる。
そこから勧請されたのが那珂川の伏見神社。
祇園祭での神楽の演目に磯良舞がある。
彼らが「祇園の神」である所以だ。
☆4~6からは、皇宮は別の場所であり、放浪の末、*7のように高良神は高良山に移ったとの意味にとれる。
それと矛盾する記述が☆2~3
☆2 三種の神器と鳥居に玉垂宮
*玉垂宮とは今の高良大社。
*皇宮で三種の神器を持ってる間、鳥居に玉垂宮と刻んだのだから、それは高良大社の地のことである。
よって、皇宮は高良大社。
☆3 朝妻についての記述。
*朝妻は高良山の麓。
*兜率天とは、彼らが筑紫に来る前におられた場所。
饒速日と御炊屋姫ならば大和になる。
ここの場合は、その「筑紫に移動してきて」との意味となる。(*1)
*鎮在が辻とは。
彼らは異類を様々な土地で退治していた(故の祓いの神)。
異国征伐とは、羽白熊鷲退治のことでもあり、それは「冷水峠」になるだろう。
筑紫の幾つかの伝承はその地で重なり、関わる者はすべて名を替えた彼らとなる。
側の大根地山には、「神功皇后が神々を下ろし、それを鎮めた」とある。
同神である筑紫神社、筑前風土記の甕依姫の伝承でも「鎮めた」。
よって鎮在が辻とは、羽白熊鷲を鎮めた地である冷水峠。
彼らはその地に赴く前に、朝妻に泊まったということ。
(朝、妻になったの意)
それを裏付けるのが、高良の祭。
まず朝妻を巡るのだ。
祭神に縁のある地を巡るのが御神幸なので、一番の縁のある地となる。
「皇宮」が別の場所ならば、ここに先に来ないだろう。
彼らは筑紫の神なのである。
その実、どこにも行っていない。
では、
☆5 武内宿禰の因幡
☆6 豊姫の河上(與止日女神社・佐賀)
それらに共通することは、「彼らが後に御祭神として祀られた地」。
高良神は饒速日であり、大物主、大国主(ほか神話のほとんどの神)と同神。
因幡=島根には、大国主が祀られる出雲大社がある。
*これは彼が高良神であり、大国主であることの証でもある。
佐賀には豊姫が祀られる河上=與止日女神社。
まして、豊姫は神功皇后と同神。
崩御した後、歩いて移れはしない。
よって、皇宮は高良大社のことであり、神功皇后が崩御した後、高良神はその地に残ったということになる。
高良山の祇園山古墳に麓に彼女は眠っている。
彼は祇園の神。
共に過ごした地に埋葬しようとするのが自然な気持ちであろう。
そこに眠るのは彼女だ。
気になる一文がある。
上宮を兜率天ととりたり、秘すべし。
上宮は皇宮である高良大社の地のことか。
(高良の祭りの時)この三ヵ玉の威力、高良山一火と照らし、上宮御殿によりいで、八か寺を巡り(中略)
元のごとく上宮御殿に留まる。
もしこの火消ゆることあらば、当山滅亡たり。
ここでも上宮は大社を示す。
ならば、おそらく今もそこに三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉が眠る。
兜率天とは、高良の神が住まわれる=祀られる地。
*7が伝えることと同じ意味になる。
*那珂川=儺の国(奴国)には、住吉の元宮の現人神社がある。
神話の元もここの地名、地形。
この地も彼らにとって特別な地であることは確か。
そこが神話の「建日向豊久士泥別」であるので、もしかすると両方いたのかもしれない。
( つづく )
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*1 尚、住吉大明神(神秘書では住吉の父)が帰ったとされると兜率天は「神がおられた地、戻る場所」を意味する。前回のように崩御の意味ともなる。意味が変わる。
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