ARION ~生きる力~
ARIONが「旅」についての言葉を残していました。
旅をすることは、生きる力を得るということ。
その感覚は、山に登る時も同じでした。
一人旅をしていた頃よりも強くそれを感じます。
以下、ARION著
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ARION語録
光よりの光、最上の帯としての光より来たりて伝える
我が名はアーリオーン、愛と光の天使
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本当の旅を求めて
今再び、甦る為に…
(中略)
無機物、無生命体の都会生活の中で
それでも暖かいものを、触れ合いを求めて
人は何か気付きを捜す…
そして、そんな時に人は《旅に出たい…》と思う
削り取られた神経叢から滲む血を押さえながら
人は『自分自身』を取り戻す為に
自分の心の在りかを見出す為に
旅に出たいと願う…
人は『旅』に出ると自分自身を取り戻せるのだろうか?
本当に心の在りかを見出せるのだろうか?
一体、都会には何が起きているのだろうか?
都会に生活していると自分自身を見失うのだろうか?
生命体とは血の通うものということ
そして生命体は《生命の流れる境》に活きるもの
全ての生きとし生けるものは《生命の流れ》を司る
地球上だけでなく全宇宙の生命体は
《命を生きること、生きる力の流れを流れること》を目指している
アスファルトで固めコンクリートで囲われた場に
草木は生きることが出来ない、虫も鳴くことが出来ない
土も呼吸出来ない、そして人間も…
自分自身を見失う、心の在りかを見出せないのは
生きる力の流れに沿わない、囲われた場に生活しているから
だから、人は旅に出ようとする
生きる力の流れの残る場を求めて
遮断された生命の流れを甦らせる為に
人は土の生きている、鳥の鳴く、血の通う触れ合いを求めて
…旅に出る
遮断され密閉された生命閉塞状況に居れば居るほどに
人は生きながら内部から鈍感になってゆく
まずカンナで削り取られ続けている神経系続から
そして神経叢の中枢であるところの『心』へ
段々と鈍感になってゆく
最終的には…
自分達の生命にとって何が大切であるか、
それさえも分からなくなる
人間の身体の中には、宇宙生命潮流の流れから
絶えず信号が送られている
生命維持に危険なものは排除する様に、信号が送られている
鈍感になってしまって、信号も感じなくなってしまう様な
そんな生活空間から自分自身を取り戻す為に
旅に出たいと願う人の身体の中で、何が起きているのか?
宇宙生命潮流から《生命を維持する様に…》との信号が送られ
キャッチされ、生きる力の流れを求める心が揺さぶられた
旅に出た人は閉塞状況から解放され、ホッとするだろう
身体の底から血液が巡るのを感じる
呼吸を始めた『心』が躍るのを感じるだろう
幼い頃の自分、生命力の流れに充分浸っていた自分
そう、子供は全て宇宙の生命の流れに素直に生きていた
何でもない普通の人々の生活の営みにも
自然に頼が弛むだろう
小川にメダカが泳いでいるのを見て、嬉しいと感じる
夕餉の味噌汁の香りにフッと郷愁を感じる
五感が開くのを感じるだろう?
生きる力の流れない場に生活していると
第六感はおろか、人間の五感も鈍くなる
見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触ることの
鈍くなった人々…
鈍くなったが為に何も信じることの出来ない人々
生きる力の流れる場に居ると
それら五感の中で損傷の少ないものから
甦り始めるのを感じるだろう
まず五感の統括である“気持ち”が弾んでくる
血が通い始め、生命潮流からの信号もハッキリとしてくる
そして、都会を生活の場にしている人は
甦った自分自身を感じながら、再び都会へと帰ってゆく
旅に出る前の自分ではない『新しい自分』を連れて
そう、呼吸している血の通った身体を持った自分
それだからこそ、信号をしっかりと受け取れる自分になって…
生命の力の流れる場としての生活空間を…
生命維持の為に何がいけないか、何が必要か分る自分
五感が開いている状態で、何が都会に欠けているかを
ハッキリと見つめ、ハッキリと表現出来る自分になって
そう、旅から帰る人々が再び生命閉塞状態の中で
少しずつ鈍感になる前に、是非、考えて欲しい
自分達が何を旅に求め、旅先で何を得たか、どう感じたのかを
この死にゆく大地の都会の中で、
自分達の生命を維持させ、危険を排除してゆくには
それら旅先での五感の開いた状態での経験を
どういう風に活かしてゆくべきなのかを
本当のことしか無い、本当のものしか存在しないのが自然の定理
人間は《人》である為についてきた嘘を脱ぎ捨て、本当の自然と融合して
生命を活かすことを、旅に出ることで学び、
それぞれ自分達の生活空間に反映して貰いたい、
それが宇宙の全ての生命の願いだから…
11.Dec 1989
(転載元はkono87さん 「ラトナ通信2018」)
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山は生命力に溢れている。
そこにいるだけで、力がみなぎる。
自分も宇宙の一部だと感じとる。
自分の中にも宇宙の力が流れているのだと感じられる。
自分の生命を生きる為に山に登る。
だから、あの人はあんなにも山を愛したのか。
遥かな時を越えて一つになれるような感覚は、そこからきているのかもしれない。
山の頂上から見る博多の町はとても輝いていて。
自分もあの中の一部なんだと思うと嬉しくなる。
自分の帰る場所はあの町なのだと毎回、思い知る。
山の上から見る空も、庭から見る空も同じ。
結局、自分が住んでいる場所が宇宙そのものなんだと、
振り返る為に山に登ってる気がする。
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