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2023年7月31日 (月)

大元神社*宇佐神宮*奥宮 ~おもと古道 2~

 続き。

今回は、宇佐神宮から、おもと古道を通って奥宮・大元神社まで。
Usa44

宇佐神宮

 

Usa47

 

本殿から見える御許山(おもとやま)にある。

 

Usa48

 

大尾山から尾根伝いに行けるとのこと。
それがおもと古道。

神官さんが通った道。

参拝者もたくさん歩いたことでしょう。

 

宇佐神宮から奥宮へ。
歩いて繋ぎたい。

 

何時の時代でも、人の想いは変わらないのだ。

 

Usa54大尾山の麓の鳥居

この先に尾根がある!

Usa33_20230731025901

 

Screenshot_202307301602362(地図はYAMAP)

八幡神社から、尾根沿いに南の奥宮に伸びている青い線がおもと古道。

その距離、7.5キロほど。

 

Screenshot_202307301602412

途中にこんな表札が何度かあった。

ほとんどが林道で、山に慣れてる人なら歩きやすい。

Screenshot_202307301602562丁石

大鳥居から大元神社までの拝殿に一丁(約100m)ごとに立てられた道しるべ。

20221127090637_img_9067_20230731030301

硯石

古来よりここで武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)が御許山参拝者の人数を数えているといわれ、この大岩は命が用いる硯が変化したものといわれています。(案内板より)

 

ご祭神、八幡神は、武内宿禰と同神。

ここは彼らのお山だから、彼らがいる証として伝承があるのだ。

 

武内宿禰は高良神(住吉神)であり、神功皇后と夫婦であった。(高良玉垂宮神秘書)

(→☆神*総まとめ )←ここには武内宿禰は書いてないが。

Screenshot_202307301603022_20230731030701

首なし地蔵
ここから境内。
廃仏毀釈の折に壊されていた。
今でも境界の役目があるようで、

Screenshot_202307301603062

雰囲気が一気に変わった。

 

Screenshot_202307301603132

御許六坊跡

近世末まで存在した僧侶の住居跡です。
山道西側上より石垣坊・西ノ坊・谷ノ坊・東側上より東ノ坊・椙洞院・成就坊となります。

(案内板より)

 

やはり廃仏毀釈の折に壊されたよう。
宝満山や英彦山、脊振に広がっていた光景が、ここにもあったのだ。

一度融合してしまった神や仏は、切り離せるのだろうか。

ここや、宝満山、英彦山や、脊振が賑わっていた在りし日の姿を見てみたい気もする。

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もうすぐ。
二手に分かれていたが、右へ行った。

20221127094033_img_9095

 

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宇佐神宮の奥宮*大元神社

比売大神(宗像三女神)が降臨した地。

 

しかし、本当に降臨した訳ではない。
この地に祀られている神の、神奈備。

人の想いや祈りは、その土地の神奈備に集まる。
それは神の力となる。

故に、人の想いが神を形作っていると言える。

 

だから、「今も降臨し続けている」のだ。 

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 拝殿の奥

奥宮のある大許山の山頂は、禁足地になっている。

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御神木

20221127094939_img_9111-1_20230731030901 大元八坂神社

八坂の神。

祀られているのは、彼らと同神。

八坂の神は須佐之男命。

神話では、宗像三神の親に当たる。
しかし、親子で祀られるより、夫婦で祀られる方が自然である。

「親族」でもない、宇佐神宮の奥に祀られている、住吉、春日、北辰(天御中主神)の神はもっと不可解だ。

高良玉垂宮神秘書には、両神は高良神の同神と記載がある。
彼は祇園の神でもあった。

☆→神*総まとめ

「宇佐の神」の一柱である八幡神は、住吉・春日・八坂(スサノオ命)でもあるのだ。

20221127095050_img_9112-1_20230731033101大元八坂神社。

 今回は周回なので、先を急いだ。

次に来た時はまったりしたい。

20221127103954_img_9134_20230731030901御神木

奥が奥宮。
御神木が光ってるように見える。

 

この後、雲ヶ岳へ向かう。

途中、正覚寺登山口から上がって来た方々と出会った。  

Screenshot_202307301603342

正覚寺登山口からの登山道。
1時間ほどで比較的楽に登れるようで、普段着の格好の方もおられた。
靴などはしっかりしたものを。

Screenshot_202307301603372

雲ヶ岳の山頂

 

また、奥宮へ戻ってから、高畑山へ向かう。

20221127100202_img_9123

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神籠石

 

また、奥宮へ戻ってから、高畑山へ向かう。

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高畑山(宇佐百山の一つ)

Screenshot_202307301603452

 

尾根沿いの道なき道を下山して、車道を6キロ歩いて元の駐車場へ。

 

周回すると、マーキングした気持ちになる。

(一番近い感覚は、結界を張ったような)

何時でもそこと繋がれるような。

 

次に行く時は宇佐神宮から奥宮までピストンしよう。

楽しかった!

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

2023年7月30日 (日)

宇佐神宮~奥宮 ~おもと古道 1 ~

宇佐神宮の奥宮へー!
(行ったのは去年の12月)

福岡から車で下道を3時間。
着いた時は、星が見えていた。

宇佐神宮の鳥居とオリオン座!

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街中なのにこんなに星がある。
スタート前に一眠りしようと思ってたら、星を撮りまくってて寝られず。

 

宇佐神宮は5時半から参拝できる。
上の写真でも6時過ぎ。

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7時前スタート。
この時間誰もいない。
満喫爆  笑

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本殿がある小椋山の鳥居。

本殿は小高い(低い)山の山頂にある。

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大きい。

昼間は人が多くてなかなかこんな写真は撮れない。

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ようやく夜が明けた時間。

右手にあるのが授与所。

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本殿~!
誰もいない。

独り占め。

朝イチのお社は気持ちがいい!

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正面から。
いつも人が多いのでこのアングルはなかなか撮れない。
左から一の殿 八幡大神。
正面、二の殿 姫大神(宗像三神)
右、三の殿、神功皇后。

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三の殿奥に、住吉神。

一の殿奥に、春日神、中央左寄りに北辰神(天御中主神)の社があった。

八幡神と同神であるからだ。

☆→神*総まとめ

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美しい。

神官さんが祝詞をあげていらっしゃった。

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この奥に見えるのが、

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御許山。

宇佐神宮の奥宮がある。

正面のお山の左端。

これから、あっこまで尾根沿いに歩き!


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外宮への道。
ここも素敵。

 

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外宮の拝殿。
これから、奥宮へ!

 

****

 

 前に行った時の記事。

☆→宇佐神宮 ~祀られる神々~

 

*宇佐の神、住吉の神と呼ぶ場合、祀られている全ての神=二柱を意味することと、単体の一柱を意味する場合がある。

 

( つづく )

 

 

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2023年7月24日 (月)

宝満山の神 ~玉依姫と神功皇后~

福岡県の宝満宮竈門神社。

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ご祭神は玉依姫と神功皇后、八幡神。


二柱は同神であり、高良神の后である。
彼は物部の祖神、饒速日であるので、彼女は御炊屋姫だ。

☆→神*総まとめ

 


☆神功皇后と神秘書

以前、高良玉垂宮神秘書を紐解いていた時、気になる文があった。

 

三韓を神功皇后には玉水を持って、退治し給う。

文永には妙火をもって退治あり。

弘安には大風を吹かせたまう。

水、火、風、これ三つにして退治あり。

神功皇后 聖母大菩薩となりたまうなり。


三韓とはの件もある。

異国に三韓と申せば、新羅、高麗、百済国

神功皇后には、玉水をもって退治し給う。

聖母大菩薩なり。

 

しかし、神話や伝承における「三韓征伐」は、彼らの異類退治の可能性が高い。

「三韓征伐」は無かったとみている。


気になったのはこの一文。

文永には妙火をもって退治あり。

弘安には大風を吹かせたまう。


文永、弘安と言えば、元寇。

彼らの時代よりずっと後。

なぜ、元寇のことで神功皇后が?と思っていたら、このような伝承があった。

 

元寇の時、宝満山に登り、彼らの退散を祈ったという。

二度の襲来の際、嵐が起こり、見事に退散。

宝満山がますます信仰の対象になったという。

 

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神秘書と繋がった。

ゆえに神功皇后が、聖母大菩薩とされたのだ。

元寇を退けた神として敬われたのだ。

 

彼女と別の神であるならば、その対象が、主祭神として在る玉依姫の方になるのでは。

 

宝満山の神。

それが神功皇后なのだ。

 

宝満山は未だに人の心をつかんで離さない。

八千回や三千回登ってる方。

雨でも嵐でも登る方。

豪雨の中のテン泊。←ちょっと無理!

 

みんな宝満山が大好きなんだ。

辛い石段を登り切れば、上宮が迎えてくれる。

ご来光や夕日。

見渡す全てのもの。

登る度に知り合うなじみの人々。

与えてくれるものは計り知れない。

神の具現化。

それが山であり、祈りの対象のお山。

福岡では、宝満山なのだ。

 

神功皇后、ありがとう。

 

 

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2023年7月11日 (火)

登志神社と毘沙門山と御祭神

福岡県福岡市西区
登志(とし)神社

志登神社のある糸島半島の東に位置していた。

Screenshot_202307110834152(地図はGoogle map)

右の赤マークが志登神社 
その斜め左下が登志神 

 

志登神社とよく似てるその名前。
関係あるはず!

☆→志登神社 ~志を登りて天竜となる~

側には、行きたかった毘沙門山がある。

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正面の鳥居 住宅街にあるので、車は浜の方の空き地に止めて5分ほど歩いた。

 

Screenshot_202307110834203

拝殿

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 ご祭神

豊受姫大神  中筒男命  姫大神 

 

境内社に 
陰若神社   息長帯姫命(神功皇后) 
稲荷神社   倉稲魂神 宇賀竜神 大己貴神 
志賀神社   表津綿見神、中津綿見神、底中津綿津見神 
五十猛神社  五十猛命

 

としの名から、歳神である稲荷神としての名が祀られていると推測していたが、やはりあった。

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配祀されている神は、寄せ集めではない。 
名を変えた同神を示す。 

 

☆御祭神解説 

中筒男神(住吉神)は、高良神。 住吉三神は同神。

高良大社(福岡県久留米市)は、物部氏の祖神・饒速日命を祀る社。
彼は大己貴神であり、歳神・稲荷神

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~

 

志賀神、五十猛命は、高良神と同神。(高良玉垂宮神秘書) 
神秘書では神功皇后と夫婦。

 

豊受大神姫大神は宗像神のこと。
市杵島姫命であり、豊受大神である御炊屋姫。 

*大神神社の御炊社=豊受大神(御膳津神・みけつかみ)=御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)

彼女は饒速日命の后。 

 

住吉神である高良神は饒速日命で、 
その后は豊受大神であり宗像神である御炊屋姫。 
彼らは夫婦であった。 

ゆえに神秘書で住吉神と夫婦であったという神功皇后は彼女。   

 

彼らは、豊玉彦、豊玉姫のモデル。 
「豊玉彦の伝承」の干珠満珠を操っていたのは高良神(住吉神)。

高良玉垂神の名は神功皇后に玉を垂れた(授けた)ことを意味する。 

玉を垂れられた(授けられた)のは神功皇后であった。。
息長垂(足)姫の名はそれを示唆。

 


ご祭神・豊受大神は、豊玉姫でもあり、豊姫でもあった。 
高良大社の本殿には、豊姫が共に祀られている。 

「豊姫」が后であるからだ。

☆→神*総まとめ

 

筑紫には、大己貴神と宗像神との伝承もある。 
それは大神神社の饒速日命と、宗像大社の市杵島姫命。

 

住吉神と神功皇后や、名を変えた彼らの伝承地に重なる。

それぞれ同神であるからだ。 

 

社の神、伝承からは、真実へとたどり着く。 

 

各神社の伝承はでたらめの話ではない。 
後利益があるからと人の都合で神を寄せ集めたわけではない。

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社の裏にある毘沙門山を登る。
頂上までこんな林道が通っている。
20分ほどで頂上。

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上宮

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拝殿の横には毘沙門天さまがおられる。

高良山の別名も毘沙門山。 
高良の神は毘沙門天と習合されていた。 

 

ここには高良神である住吉神が祀られている。 

だから毘沙門山なのだ。

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糸島の港を守る神として、海の神である住吉神が祀られ、彼が高良神であるので毘沙門天としても祀られていたのだ。

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2023年7月 5日 (水)

宇美八幡宮と弥勒山

福岡県宇美町

「宇美八幡宮」

宇美は、”産み”。

神宮皇后がこの場所で、応神天皇をお産みになったとされる場所。

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拝殿

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(クリックすると拡大されます)

御祭神*應神(おうじん)天皇(八幡大神)・神功皇后
   玉依姫命・住吉三柱大神・伊弉諾(いざなぎ)神       

 

応神天皇、住吉大神、伊弉諾神は同神。
高良神である饒速日命。

神功皇后、玉依姫は、御炊屋姫だ。

(→☆神*総まとめ


*もしも「玉依姫」が神話の通り「神武天皇の母」ならば、彼らが祀られる先々で神武天皇無しに祀られることはない。



応神天皇は神としては「彼」自身。
神話では、応神天皇の父である仲哀天皇が祀られず、住吉大神の名がある(高良の伝承では神功皇后の夫神)ことからも分かる。

玉依姫、伊弉諾神は神話からの合祀。

 

社の側にあるのが湯蓋の森。   

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湯蓋の森

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 聖母宮

御祭神 神功皇后

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武内社
御祭神 武内宿禰

 

彼も高良神自身。

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湯方社


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周りに子安石がある。

子を授かるとここから石を持ち帰り、無事に生まれることを祈願する。

生まれてから、その石に名前と体重を書いて、同じような大きさの石と共に納める。

 

神宮皇后が三韓遠征の際、お腹に石を置いて、お産を遅らせたのに無事に出産したとされる伝承から。

 

仲哀天皇は架空であった。
それらの話も無かったことになる。

しかし、高良玉垂宮神秘書によると、彼女と高良神(住吉)との子がたくさんいたとある。
子を守る神として、彼らより相応しいものはいないだろう。

 

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神功皇后像

 

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衣掛の森

神功皇后が衣を掛けたとされる。

 

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産湯水

お産の時、この水を使ったという。

しかし宝満山の山中にも「益影の井」という水場があり、同じような伝承がある。
それは、宝満山は彼女と縁のある山だと、告げているのだ。(本当に使ったわけではないと思われる)

境内を抜けて、弥勒山へ

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Screenshot_202306301319372宇美川

 

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奥宮 御胞衣ヶ浦



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弥勒の名は、彼らがそれであるからと随分後で知った。

住吉神は現人神社の神。
「国に大事の時、再び現れる」とされている。

 

社の側に山がある時は、大抵奥宮や上宮がある。

山が神と繋がる場所

神に近い場所
神がおられる場所

 

 

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2023年7月 3日 (月)

麻氐良布神社のアマテラス 2 ~筑紫の十九座~

続き。

☆→麻氐良布神社とアマテラス 

 

麻氐良布神社の上宮には、美奈宜神社と同じ「十の祠」があった。

それぞれ筑紫にある式内社の神社の名が刻まれている。
違ったのは「十社」が「十九」。

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(美奈宜神社の十社)


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(麻氐良布神社の十九社)

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(神ではなく、社っぽい?)

答えが祠にある。

各社の名の後、座が刻まれていた。

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座は柱と同じ、神の数え方。

山も一座と数える。
山には神々がおられるが、まとめて一座と表す。

社の神をまとめて、一座としているのだ。


この場合の「座」とは。

三座とある社が四つあった。

Screenshot_202306291544512

「美奈岐(宜)宮 三座」

美奈宜神社、他に志賀宮、宗像宮、住吉宮が三座。

この麻氐良布神社の一座を足すと十九座になる。

 

筑紫宮 一座
志賀宮 三座(*綿津見三神)
宝満宮 一座
織幡宮 一座
弥永宮 一座(大己貴神社)
美奈岐宮 三座(美奈宜神社)
      (*大国主神、須佐之男命、事代主命)

宗像宮 三座 (*  宗像三神)
志登宮 一座
住吉宮 三座(* 住吉三神)
筥崎宮 一座

 

三座とある宮の神は、住吉三神、宗像三神など、三神であることが神話により示されている神社。

例外は美奈宜神社のみ。
かの社の伝承では、大国主神、スサノオ命、事代主命は、神功皇后の前に三神として現れていた。

神話の住吉三神、高良の伝承の高良神(住吉神)に当たる。
三柱とも同神だ。

 

各神社と主なご祭神を書き出した。

 ☆筑紫宮*筑紫神社
     白日別神・五十猛命・玉依姫命・坂上田村麿
  *(白日別神は、筑紫神である高良神=饒速日命。五十猛命も同じ)

☆志賀宮*志賀海神社
     綿津見神三神

☆宝満宮*宝満宮竈門神社
     玉依姫・神功皇后・八幡大神(応神天皇)

☆織幡宮*織幡神社(宗像)
    武内宿禰・住吉大神・志賀大神
 天照皇大神・宗像大神・香椎大神・八幡大神・壹岐眞根子臣(いきまねこのおみ)


☆弥永宮*大己貴神社(朝倉の弥永)
 大己貴命(正殿)・天照皇大神・(左殿)春日大明神(右殿)


☆美奈岐宮*美奈宜神社

     大国主神、須佐之男命、事代主命
  摂社に十社の神と淡島神

 

☆宗像宮*宗像神社 
    宗像三神

 

☆志登宮*志登神社
   豊玉姫・和多津見神・彦火火出見尊・息長帯姫命(神功皇后)・武内宿禰

 

☆住吉宮*住吉神社
    住吉三神
    相殿   天照大神・神功皇后

 

☆筥崎宮*筥崎神社
    応神天皇・神功皇后・玉依姫
(筥崎神社まだ書いてなかった)

 

そしてここ、麻氐良布神社
伊弉諾命(イザナギノミコト)・天照大神・スサノオ命・月読命・蛭子命

 

これらの神は、すべて彼らを示す。

天照大神と豊受姫。
饒速日命と御炊屋姫。

(大神神社の御炊社の神は豊受大神=御炊屋姫)

 

筑紫では彼らが、住吉神(高良神)と神功皇后になる。

☆→神*総まとめ )

筑紫の式内社には、彼らが祀られていた。

 

彼らは二柱の天照である。

 

< 十九神社 >

十九神社は、神戸や山口にあり「とうく、とく」神社と読まれている。
例外なく、豊受大神が祀られている。

「広瀬」の神が同じものを表すように、「十九の神」もこの社の神(筑紫の十九の神)を示しているのかもしれない。

御炊屋姫を追って 9 ~廣瀬大社の豊受大神*御炊屋姫~

 

筑紫には「五社神社」があり、住吉大神、春日神、志賀神、神功皇后、玉依姫が祀られる。

住吉、春日、志賀神は、高良神であり、宝満山の玉依姫と神功皇后は同神。

奈良の奈良市山陵町の神功皇后陵は「五社神古墳」と呼ばれる。

 

 

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2023年6月29日 (木)

志登神社 ~志を登りて天竜となる~

福岡県糸島市志登(しと)

志登神社。
延喜式に記された式内社の一つ。

 

ここには豊玉姫の伝承があった。
豊玉姫が海神国から帰ってきて上陸した地とされる。

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ご祭神を解き明かすと二柱の竜神が現れるのだ。

御祭神は、豊玉姫命
和多津見神(わたつみのかみ)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
息長帯姫命(おきながたらしひめみこと)・神功皇后
武内宿祢命(たけのうちすくねのみこと)

 

豊玉姫は、神功皇后であり、御炊屋姫。
彼女は弁財天(市杵島姫命)であり、八大龍王としても祀られている。

和多津見神は綿津見神であり、志賀海神社の神。

高良神と同神であり、住吉でもある。


かの社は竜宮と呼ばれ、彼は祇園祭での竜神・安曇磯良神(高良神)でもある。

☆→祇園の神 6 ~龍神*安曇磯良神~)

 

彼が御炊屋姫と夫婦神である饒速日命。
神秘書では、住吉神と神功皇后が夫婦。

☆→神*総まとめ

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武内宿禰は、高良神(住吉神)と同神。

他は、彼らを元にした神話からの合祀。
彦火火出見命は、天火明命から英彦山を譲られていた。
(譲渡は、神の名[だけ]を変えられたことを意味する)

 

豊玉姫(豊玉彦・山幸彦)は、彼らの功績から創られた神話。
(下の記事の★6へ)

☆→神*総まとめ)

 

同神であるので、共に祀られているのだ。

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Screenshot_202306271444053拝殿

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拝殿の中の豊玉姫

酷似の伝承は神の由緒を示す。

山幸彦海幸彦(豊玉姫)
浦島太郎
八大龍王
高良神と神功皇后伝承

などは全て彼らを示唆する物語である。

☆→八大龍王と弁財天 2 ~神功皇后伝承~

☆→八大龍王と弁財天 4 ~三輪の神は八大龍王~

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境内には祇園社がある。
祇園神は高良神であった。

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大神宮 天照 
天満宮
八坂神社(スサノオ命)
志々岐神社

 

天照神、スサノオ命は饒速日命。(→☆神*総まとめ
*天満宮に実際祀られてる神も彼だとみている。(これは後に)

 

志々岐=志式であり、福岡奈多にある志式神社の神。

ご祭神は火明命、豊玉姫、
日酢芹(ほすせり)神、豊玉姫、十域別(とおきわけ)神、稚武(わかたける)王、葉山姫神。 

 

火明命は、饒速日命。
わたつみ神であり住吉神(高良神)。

豊玉姫の名もあった。

彼らも志登神社と同じ神。

☆→祇園の神 4 ~志式神社の磯良舞と神々~)

 

二柱の「竜神」が祀られる社。

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「海竜豊玉姫 志を登りて天竜となる」

 

それは、前回の記事にも繋がる。

☆→古代の宇宙船とアマノトリフネ

 

亀の形をした乗り物でやってきた神。
豊玉姫がやってきた海神国は、果たして。

 

ここには亀の像があった。

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それは天鳥船。
彼は饒速日命なのだから。

 

< 弁財天 >

 

御炊屋姫は弁財天(市杵島姫命)であった。
ゆえにここにはその社があるのだ。

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社を取り囲むように猿田彦さんの道祖神がある。
彼は日吉の神であり、猿田彦でもあるからだ。

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玉の井がある。
豊玉姫が、高良神(住吉神)から干珠満珠を授けられた神功皇后だからだ。

 

大阪住吉大社にもあった。
「豊玉彦の塩満玉が沈められている」とされていた。

それは住吉神が豊玉彦であるからだ。

 

 

< 古代の海面 >

古代の海面について書かれてあった。

 

Screenshot_202306271444432

(以下、案内板より)

弥生時代は入り江が東西から割り込み、伊都国の港を形成していた。
ご祭神は日本神話によれば海神国より帰って、この地に上陸されたという日向二代の后「豊玉姫」であり、社殿は西方に向かって建ち、昔は海上から参拝するようになっていた。

 

この地は標高4m。

標高5m以上の海面が「糸島水道」を形成する高さ。(下の図の右)
4m以下で上記の様子。(下の図の左)

Screenshot_202306271444482

(海面シュミレーションシステムより)
左が海面標高4m・右が5m

 

左の図は、「糸島の古代の海」で検索すると出てくる地形と同じもの。
この辺りは、標高4m以下の地点まで確実に海であったことを示す。

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出典 ITOKOKU(ITOKOKU (inoues.net))

地図はGoogle map

 

 

( つづく )


*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

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2023年6月23日 (金)

美奈宜(みなぎ)神社 3 ~神の由緒~

続きです。

☆→美奈宜神社 2 ~林田*神功皇后の伝承地~

 

御祭神、及び、伝承から神が分かる。

美奈宜神社1の荷原(いないばる)」と、「美奈宜神社2の林田」。

同じ名の神社には同じ神が祀られている。

 

荷原は天照皇大神、住吉大神、春日大神、武内宿禰、(神功皇后)

林田は、大国主神、素戔嗚命、事代主神の三神。

    他に摂社の神。

これらの神は同神。
すべて高良神であり、住吉神、饒速日命。

☆→神*総まとめ

 

それを踏まえて、二つの社の伝承を、高良玉垂宮神秘書などと照らし合わせる。


荷原の美奈宜神社
★1 神功皇后が羽白熊鷲を退治できたのは、三神の助力のおかげ。*1
    天照皇大神、住吉大神、春日大神

林田の美奈宜神社

★2 神功皇后は、安曇磯良神から干珠満珠を授かる。

★3 干珠満珠の力で羽白熊鷲を退治。

★4 三韓へ行く船の上で(助力を得た)のは、大国主神、大己貴神、事代主神の三神
★5 三神を祀ったのが、美奈宜神社。
★6 福岡の伝承では、神功皇后は西暦200年前後。

 

記紀など

★7 船の舳先に現れ、神功皇后に助力をしたのは、天照大神、住吉三神

 

高良大社の伝承(高良玉垂宮神秘書)。

★8 神功皇后高良神と共に羽白熊鷲を退治していた。
★9 安曇磯良神は高良神であり、住吉神、春日神、鹿島神、志賀島神と同神。
★10 高良神は干珠満珠を所有し、神功皇后と夫婦である。

★11 神功皇后の三韓征伐の時、船の舳先に現れたのは住吉神(高良神・安曇磯良神)。  



< 助力を得た神 >

これらの神々は、それぞれの社にも祀られる神であり、同神。

 

★1 荷原 天照皇大神、住吉大神、春日大神 

★4 林田 大国主神、大己貴神、事代主神
★7 記紀 天照大神、住吉三神。

★11 神秘書 高良神(住吉神・安曇磯良神)

 

★7の記紀と★9、★11の神秘書にも重なり、すべて一柱の神、饒速日命。

では、神功皇后が助力を受けた神は、饒速日命。


< 干珠満珠 >

二つの珠の伝承から。

★2 林田 安曇磯良神から神功皇后へ。
   神功皇后が玉の力を使う。

★10 神秘書 安曇磯良神(高良神)が所有し、玉の力を使う。



★2の「林田の安曇磯良神」は高良神。

神功皇后に干珠満珠を授ける「玉を垂れる」=渡す
故に高良玉垂神。

神功皇后には、その名と対の「息長垂姫(おきながたらしひめ)」がある。

 

彼は神功皇后に「垂れた」のであり、二柱は確実に同じ時に存在したのだ。

 

彼が饒速日命なので、彼女はその后の御炊屋姫(女神・天照、豊受神、宗像神、市杵島姫命など)。

☆→神*総まとめ

彼らの名の一つ祓いの神・住吉神と瀬織津姫は、異類退治によるものであり、共に戦っていたことを表す。

 

<饒速日命は高良神>

では、助力を受け、共に退治をした神の姿が見えてくる。

 

神功皇后に助力をした神は、すべて饒速日命。

彼女と共に羽白熊鷲を退治した者も、高良神である饒速日命。

 

つまり、”彼女と共に羽白熊鷲退治をしていたものが饒速日命であり、彼から助力を得ていた”。

 


<複数の安曇磯良神>

これは福岡の神楽・磯良舞や高良大社の宝物庫にあるタペストリーにも繋がる。

そこには、複数の安曇磯良神がいた。

 

タペストリー

*四王寺山に現れ、神功皇后と初めて出会う場面の高良神

*海から現れ、体中にフジツボをつけた安曇磯良

*神功皇后の乗った舳先の上に現れ、玉体を守った安曇磯良神(高良神・住吉神)
*少し離れたところで、三韓の兵と対峙する武内宿禰

 

磯良舞
武内宿禰と事代主神が相談(どうしたら海神から珠をもらうか)

→豊姫が海神の前で舞う

海神が豊姫へ干珠満珠を渡す (後に豊姫から高良神へ渡される)

 海神は竜宮に住む。

 竜宮は志賀海神社であるので、海神は安曇磯良神

(高良の伝承より、志賀島神は、安曇磯良神=高良神)

 

上記の青文字の神は、美奈宜神社に祀られる神であり、すべて同神。

神功皇后と共に在った「武内宿禰」。

彼も高良神であり、饒速日命。

(高良神は武内宿禰という説も正しい)

 

時間軸や神の名が違っても、彼らは皆同じ者であった。

タペストリーや神楽はそれを示唆しているかのようだ。

 

 

< 淡島の神 >

では、美奈宜神社にあった摂社の神も繋がる。

淡島神社の神は、

「天照大神の六女、淡島様であり、住吉神と夫婦となられ、婦人病にかかったことから淡島に流された」とある。

 

この話は、(神*総まとめの★4)にあるように、神の由緒を示唆するもの。*1
「淡島の神は、住吉神と夫婦であること」

「天照とも縁がある者」と示唆。

 

住吉神(高良神)の后であるのは神功皇后。

彼女は天照とも縁がある。

天照が饒速日命であり、彼女はその后の御炊屋姫なのだから。

 

淡島の神は、少彦名神ともヒルコともされる。

神話上のそれらの神も彼女。

 

淡島様の像が神功皇后の像に似ているのは、偶然ではなかったのだ。

 

(若杉山、太祖宮上宮の神功皇后 像)

 

美奈宜神社の淡島様の像を造った方は、ご存知だったのか、はたまた直観なのか。

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

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*1 神の由緒を示唆(以下は、一部)

*荒穂の神がけった石が高良大社の社の下にある。
  荒穂の神=高良の神

*天拝山の社の裏にある石は、基山の荒穂神社から飛んできた。

  天拝山の荒穂神=基山の荒穂神
*鹿島の神は鹿に乗って春日にやってきた。
  鹿島神=春日神

 

2023年6月17日 (土)

美奈宜神社 2 ~林田*神功皇后の伝承地~

続きです。

 

☆→美奈宜神社 1 ~荷原*神功皇后の伝承地~」)

 

荷原の美奈宜神社には、神功皇后の伝承があった。
そこから約9キロ。

林田にも美奈宜神社がある。

20220909144326_img_4008

林田の美奈宜神社。

20220909144340_img_4009

扁額ではこのような字。

当たり前ですが、社や、神の名が書かれている。

20220909144923_img_4020

拝殿。

ご祭神は、大国主神(大国様)
     素戔嗚尊(ぎおん様)
     事代主神(恵比寿様)

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20220909144603_img_4012-1

 

上の縁起と合わせて、神社で頂いたパンフから要約。

1800年前、朝倉の住民は古処山に住む羽白熊鷲(はじろくまわし)という山賊に長い間苦しめられていた。

神功皇后は、安曇磯良神(あづみいそらしん)から賜った潮干珠・潮満珠の霊力により蜷貝の一夜城を作り、羽白熊鷲を征伐した。


神功皇后摂政2年(西暦202年)神功皇后は三韓から帰国後、航海中船中で戦勝を祈願された、素戔嗚命、大己貴命、事代主命の出雲三神をお祀りする場所を決めるため、肥前国高橋の津から一羽の白鷺をお放ちになった。

白鷺が舞い降りた地の近くに出雲三神を祀る社を建てた。

社名は蜷城(になぎ)を美奈宜(みなぎ)あて、美奈宜神社となった。

(延喜式内名神大社 美奈宜神社 パンフより要約)

 

これより多くの事が分かる。


★1 神功皇后は、安曇磯良神から干珠満珠を授かる。

2 干珠満珠の力で羽白熊鷲を退治。
3 三韓へ行く船の上で(助力を得た)のは、素戔嗚命(スサノオノミコト)、大己貴神、事代主神の三神。
4 その三神を祀ったのが、美奈宜神社。
5 福岡の伝承では、神功皇后は西暦200年前後。

 

謎解きは次回。

20220909145039_img_4023

境内の摂社に、「十九神」が祀られている。

20220909145119_img_4025

 

延喜式に名がある社を式内社と呼び、筑前国は十一社あり、ここには十社あった。

右から、宗像大社、住吉神社、志賀海神社、竈門神社、筥崎八幡宮、筑紫神社、織幡神社、麻手良布神社、志登神社、大己貴神社
そして、この美奈宜神社で十一。

 

20220909145242_img_4027

この時点で行ってなかったのは、麻手良布神社と志登神社。

そちらは、またの機会に。

20220909145355_img_4033

 

十社と別に白峯神社があった。

崇徳天皇が祀られ、悪習、縁切りの御神徳があり、非常に人気だそう。

病気との縁切りも含まれる。

 

もう一つ、摂社の淡島神社。


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女神さまで婦人病などに御神徳がある。

 

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ご祭神は、天照大神の六女、淡島様。

住吉神と夫婦となられ、婦人病にかかったことから淡島に流されたとされていた。

 

しかし、他の伝承でも言えるが、記載されている神はすべて二柱となる。

(後の者をのぞく)

天照=住吉神

淡島と住吉神は夫婦。

縁を記すために表記されるのであって、状況(この場合、流される)に囚われてはいけない。(後に)

 

この淡島様、神功皇后。

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(若杉山の太祖宮上宮の神功皇后像)


この時は理屈ではなく、お顔を見た時にそう思った。

 

次回、謎解きへ。

 

( つづく )

 

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2023年6月 6日 (火)

美奈宜(みなぎ)神社 1 ~荷原*神功皇后の伝承地~

続きです。

☆→饒速日命と神功皇后 2 ~大国主神の正体~

前回の記事にあった、荷原(いないばる)の美奈宜神社。

福岡県朝倉市荷原2421
ここにも神功皇后の伝承があった。

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(以下、ご由緒書きより抜粋)

ご祭神 天照皇大神、住吉大神、春日大神、

相殿 神宮皇后(神功が宮の字、以下そのままで)、武内宿祢

第14代仲哀天皇は古処白髪山を本城とする敵「羽白熊鷲(はねしろくまわし)」を討つため軍を進められていたが途中病気で急逝。

しかし神宮は喪を秘して武内宿祢等を従えて喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議の末賊を討たれた。

これはお告げをうけた三神の助であるとして美奈宜川上「池辺」(ここから東へ300m)の地で戦勝奉告をされた。

後に仁徳天皇(神宮皇后の孫の勅願により「池辺」にこの神を祭るようになった。(西暦312年頃)後世ここを「本宮」と云う。

遷宮

1、(年省略)喰那尾山頂の陣跡へ。

2、大宮谷(ここから100m上へ)

3,領主秋月種実の頃現在地へ。

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仲哀天皇は、香椎宮で亡くなったという、事細かな記載が記紀にある。

神功皇后の神がかりの際、「羽白熊鷲よりも先に、新羅へ行け」という神の言葉に異を唱えて、その場で崩御したのだ。
傍らには神功皇后と武内宿祢。

 

しかし、彼女らはそのお告げを無視し、羽白熊鷲を退治しに秋月へ向かう。

何故?と疑問だった。

 

一方でこの由緒書きのように、仲哀天皇は羽白熊鷲との戦いの中で崩御してる。
(病気説とか色々ある)

どちらにしろ、矛盾があるのだ。

これは架空の仲哀天皇を作り、伝承を織り交ぜた結果だと思われる。

彼らは同神なのだから。

20220909120603_img_3947

立派な神門。

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拝殿。

20220909121412_img_3953

 

摂社として、宮地嶽神社。
(奥の祠を撮らなかったので拡大してください)

福津市の宮地嶽神社には、神功皇后と武内宿禰などが祀られてる。
摂社、末社などの神は、すべて同神。(後世の人は除く)


20220909121710_img_3956

本殿、斜めから。
由緒書きには、

喰那尾山頂(ここから北西200m)の地で陣をしき謀議の末賊を討たれた。

とあった。

北西とは神社の裏山。

本殿に向かって、左側に山に向かう林道がある。


Minagi01

写真の左側の道。

いざ、入山。しばらく林道。

やがて尾根道を歩く。

Minagi04

踏み跡も無い。

幾度目かのピークを越えて、その奥のピークに向かう。

Screenshot_202306061118402

(地図はYAMAP)

入山する前にもしかしてと思った。
奥にある道路からの方が早いのではと。
でも喰那尾山がどこか分からないので、社から上がって行きたかった!

上の地図より奥のピークへ。
道路に近い方だった。

まあ、山行してたら良くあること。

20220909131512_img_3975

あ!社があった!
美奈宜神社上宮跡とある。

20220909125843_img_3973

「喰那尾神社 上宮」でもあるそう。

この社の先、来た反対方向を見ると、

Screenshot_202306061118502

道の先に紙垂(しで)が見えます。
簡易的な鳥居だ。

やっぱりあっち側から来れたのか~~!
帰りはそちら側から。

Minagi06

5分もしないで、道路が見えた。

鳥居がある。
(写真を撮るために、後ろに下がってる。道は右上の方)

 

20220909131949_img_3984


立派な鳥居。
喰那尾神社の扁額があった。
その下には「上宮参拝登山口」の標識が。

この後、車を置いた美奈宜神社までぐるっと歩いた。
(田んぼの所、下りられる場所が無かった)

 

Screenshot_202306061119332

今登った喰那尾山は、左側で切れている。

ほぼ中央のお山が本宮があったという山。

Screenshot_202306061503412

(地図はGoogle map)

右下の美奈宜(荷原)とある場所が本宮跡。

(勝ったのは)お告げを受けた三神の助けであるとして、神功皇后が戦勝奉告をしたとされる地。

美奈宜神社に行く前に、そちらに車で行っていた。

Minagi07

旧宮地とある。

Minagi08

 

Minagi09

 

十六代仁徳天皇三年勅願に依り此の地に勧請された後世ここを本宮と言ふ

とあった。

Screenshot_202306061521562

(地図はGoogle map)

 

周辺の地図。

中央左が、神功皇后の伝承地の喰那尾神社(美奈宜神社上宮)

その下に中宮跡。

その下が美奈宜神社。

川を挟んで、右に美奈宜神社の本宮跡。

Screenshot_202306061510592

(地図はYAMAP)

Google mapを拡大して知った。

美奈宜神社の中腹に中宮があるよう。

上の★マーク辺りか。

倒木など凄いそうだが、ここも行ってみたい。

 

次は林田の美奈宜神社へ。

まとめはそちらで。

 

( つづく )

 

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