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神結び (雑感)

2022年9月23日 (金)

祇園の神 18 ~ ⑤ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*真の道~

前回の続きです。

(「祇園の神 17 ⑤ ~神話と天照と卑弥呼と神功皇后*黄泉の大岩~」)

海からの異類の襲撃。

筑紫には、それと戦っていた彼らの足跡がありました。
(以下、彼らとは饒速日命と御炊屋姫、天照と豊受、住吉神と神功皇后など*すべて同神)

 

筑紫三山、熊野道祖神社はその結界です。
神社には神話の「黄泉の大岩」の元になった、くなど神が祀られます。
筑紫三山の海側の辺の真ん中にあり、当時の海岸線でもありました。

図1の2になります。

Iwato40_20220923054301

図1 筑紫三山と結界
地図はGoogle map

それを支えるように貫いているオレンジ色の線。
これが神話の天孫降臨にある「真の道」です。

「この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、
 朝日のよく差す国、夕陽の照る国である。それでここはとてもよい国である」
(「此地者 向韓國 有真之道通笠紗之御前 又此地者 朝日之直刺國
 夕日之日照國也 故 此地甚吉地也」『古事記』)
(Wikipedia 「天孫降臨」より)

☆韓国に向かっては、大陸に向かっている様。(後の名称)

☆笠沙の岬
図1の1が笠沙の岬。(*1 注)
カサは古語で「貝が口を開けたような湾」(下記サイトより)

ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源)(リンク切れてる!)

サは古語で水辺に生える草の総称、つまり葦。(*2)
この地は古来、岬であり、葦津ヶ浦と呼ばれていました。
今は筥崎宮があります。

(博多のカタも意味が同じ。ハは美称。上記サイトより)

(「結びの山  11 ~天孫降臨~」) *下の記事に詳細)

 

☆真の道

図1の1~6は神社があります。

1は筥崎宮(笠沙の岬、葦津ヶ浦)
2は熊野道祖神社

3~6は那珂川市。(上の地図は古いので町になってる)
3天御中主神社
4現人神社(住吉の元宮)
5裂田神社(神功皇后の伝承地)
6日吉神社(日吉大社の元宮の一つ)

すべて御祭神は彼らを示します。

 

笠沙の岬へ通じる真の道

これは彼らが施したもの。
三山を用いて結界を張り、熊野道祖神社の地を神の力で支える。(*3)
筑紫三山と黄泉の大岩と真の道。
この様は偶然ではあり得ません。

 

神話では天孫、ニニギ命が天降った地とされます。
この地の様子を示唆したものなのです。

それは次回。

☆20 <ニニギの天孫降臨>

 

*飯盛山と若杉山に神を置いた(招いた)のは彼ら自身。
それで思い出しました。

少し脱線です。

********************************************

< 飯盛山と若杉山のイザナミとイザナギ >

以前、飯盛山へと流れる大きな光の帯を見ました。
人の想いや祈りが流れて行ってるのだと感じたのです。

<<人の想いや祈りは神を創る>>

そう熱田神宮で聞こえたことがあります。
山にはそれを集めるものがあり、神奈備(かんなび)と呼ばれるものがそうではないかと。
(山の上に神が降臨すると言われる理由です)
飯盛山はまさにそれでした。

実際に登って感じたのが「筑紫三山」の結界です。

では「イザナミ、イザナギ」とは、人の想いを集めるあの山の姿から名付けられたのではないか。

人の祈りを誘う山

誘い、そうして神が創られた。
それが「イザナミとイザナギ」です。

私でも見えるのですから、古代の人々はもっと日常的に見えていたと思われます。
その二柱の神話は、これらの山から創られたのです。

筑紫三山は、人の祈りを集めるお山。
この三山に祀られるのは、イザナギ神達と名を変えた彼ら。
では、祈りを誘う元・神を創る(仕掛け?)を施したのは彼らです。

あの力が神を創り、強力な結界の力となっているのです。

 

( つづく )


 

*1 葦津ヶ浦

現在の筥崎宮の場所は標高4m。
その地点程まで海があったのなら、葦津ヶ浦や岬であったというこの場所は、彼らの時代でも存在していたはずです。

筥崎宮は穂波にある大分(だいぶ)八幡宮神社から勧請されています。
神功皇后が三韓征伐から凱旋した折に、解散する兵に向け、大分かれ(おおわかれ)をしたという地。

筥崎宮よりも、東の山を越えた向こうの内陸にあります。

 

「笠沙の岬」である、この地に立つのは偶然ではありません。
人伝ですが、筥崎宮の宮司さんは「真の道」をご存知でした。

 

*2 サは葦。

*猿田彦のサルも古語で葦(湿地帯に生える草の総称)、または米。
サルタは那珂川や一部の地域で古代米(赤米)を意味します。

また、川などを堰き止め田畑に水を溜めて稲を作る農法(湿田)のことでもあります。

その農法を広めた人達が「さるた」と呼ばれるようになったのです。
(以下の記事)

 

奈良湖の水が引いたあと、これらの農法が広まりました。
それを指導した一人が大物主神である饒速日命。
彼が猿田彦でもあり、稲の神、稲荷神や宇迦之御霊、歳神である理由の一つです。

御炊屋姫は豊受大神であり、稲荷神、宇迦之御霊でもあります。
彼と共にそれを行った故です。

 

それ故に水を操る神ともされたのです。(以下の記事)
那珂川の裂田溝(さくたのみぞ)も神功皇后と武内宿禰が造ったとされます。

名を変えた彼らです。

 


*記事改訂しています。

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。




2022年9月18日 (日)

祇園の神 17 ~ ④ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*結界・黄泉の大岩~

前回の続きです。

(「祇園の神 16 ~③ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*筑紫での祓い~」)

 

< 高良神と神功皇后の異類退治(外海) >

異類は海からも来襲。
また、彼らは天日矛とアカル姫でもある為、朝鮮半島に行って戻っています。(*1 下記詳細)

この二つの話が一緒くたになり、「三韓征伐」となっているようです。


海からの異類を退治する話は、福岡の海岸線に多く残されています。
その中でも、波折神社と楯崎神社は、近くにありながら微妙に違う伝承と神々。
そこから彼らに繋がりました。

*特に、大己貴神は大神神社の大物主、饒速日命、天照。
宗像神は市杵島姫命、豊受、弁財天、御炊屋姫、女神・天照に繋がります。

(「波折神社*瀬織津姫と住吉神」)

 

これらを伝える神話での「三韓征伐」において、神功皇后の前に現れた神は、すべて彼らの同神です。

☆36の神功皇后の託宣

現れたのは同神。撞賢木厳御魂向津姫(女神・天照)、事代主、住吉三神。(*2)

また祇園祭において、住吉神と神功皇后は主役。
祇園の神、スサノオ命は彼でした。

ならば、神話の「高天原の災厄」は、彼を示すのです。
*災厄を鎮めたのが彼であることと、隠される理由との二つを掛けているのです。

スサノオが災厄の元=スサノオが災厄を止めた
スサノオは饒速日命(男神・天照)

災厄の元であるスサノオが高天原を追い出される
=災厄を止めた饒速日命(男神・天照)なのに、隠される存在となる

これが高天原の災厄の真相です。

  ☆2 <イザナギ黄泉で襲われる>
  ☆4 <イザナギの穢れの祓い>
  ☆14 <須佐之男命の大蛇退治>
  ☆32 <神武、ナガスネヒコによる抵抗にあう>
  ☆37 <神功皇后の熊襲退治>
  ☆38 <神功皇后の三韓征伐>
  ☆45 <高良神(住吉神)と神功皇后の熊襲退治>

 

記紀では、住吉神は神功皇后の「三韓征伐」の船の舳先の上に現れる。
高良の伝承では、住吉神と神功皇后が異類退治。
京都祇園祭は、住吉神、安曇磯良神、鹿島神と神功皇后の三韓征伐の凱旋風景。
高良大社、鹿島神宮の伝承では、安曇磯良神(高良神)は、住吉神、鹿島神、春日神、志賀神と同神。
高良大社、大阪住吉大社には、住吉神と神功皇后が夫婦。

それぞれの神社、祭りには、彼らの真実が伝わっています。
鹿、亀、また、境内にある岩など、それを示唆するものが存在します。

奈良の春日の鹿が神の使いであるのは、鹿が神の真の姿へと導くものであるからです。
春日神(武御雷神)=鹿島神=志賀神(鹿の島の神、安曇氏の神)=住吉神=安曇磯良神=高良神

ということは「神の真の姿」を知る必要があるということでは。

 

< 筑紫三山の封印 >

筑紫には海からの「異類」に対しても防御が施されました。

☆住吉神(饒速日命、大己貴神、天照)と神功皇后(御炊屋姫、宗像神、豊受神)が異類に対抗して、結界を置いた。
これが、神話の「黄泉の大岩(結界)を置く」。

図1の2の地点。

☆3 <イザナギの黄泉の大岩>

イザナギ神とイザナミ神は、この地に施された「祓いの結界」から創られた神です。

Iwato40図1 筑紫三山と黄泉の大岩と「真の道」
地図はGoogle map

A☆筑紫三山
三角に配置された山々。
そこに神事を施すと結界(守り)になります。

筑紫三山となる、飯盛山、若杉山、基山。
西の飯盛山の飯盛神社にはイザナミ神.。
東の若杉山の太祖宮にはイザナギ神。
南の基山の荒穂神社にはニニギ尊が祀られます。(皆彼らと同神)

*荒穂神社の五十猛命は、高良神であることが境内の石から分かる。
他に天照や神功皇后などの御祭神(*3 下記詳細))

その山頂には名を変えた彼らも祀られています。
それは、この結界を施したのが彼らであることを示します。

B☆「熊野道祖神社」(図1の2)
飯盛山と若杉山の真ん中の地点にあり、イザナギ神、久那斗(くなど)の神が祀られます。
道祖神は、外から来る魔・災いを防ぐ神。

くなどの神は、又の名を塞其黄泉大神(塞にいます黄泉大神)。
イザナギが、黄泉とこの世の境に置いたという大岩を象徴しているという神でした。

日本書紀では黄泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが投げた杖が化生した神。岐の神 wiki参照)

まさに、ここが黄泉の大岩。

C☆「真の道」
Bを後ろから支えるようにある、那珂川からつらぬく神社の道(神の道)です。(次回、記述)

三角の上の線は、ほぼ当時の海岸線です。
Bは塩原(海岸線で塩を作っていた)にあります。

Aの筑紫三山を用いて、異類から(今の)博多の街を守るように結界を張った。
Bの熊野道祖神社の場所に、結界の門を置く。(飯盛山と若杉山のほぼ中間地点)
Cの「真の道」で、神の力でそれを支えている構造です。

(神社は、彼らが神事を施した場所に、後に出来たと思われる)

 

神話ではこれがイザナギの黄泉への訪問(誘い)。
イザナミ神の誘い(いざなう・いざなわれる。故にイザナミ、イザナギ)により、黄泉の国へと入るイザナギ神。
黄泉の国で黄泉の者と対峙したイザナギ神は、地上との境に黄泉の大岩を立て、黄泉の者が入らないようにした。

 

何故、ここに結界を張ったか。
この地が重要な土地であったからです。

神話のイザナギが神が大岩を立てたのは、黄泉の国との境。
イザナギ神が戻ってきた地が「高天原」であったのです。

そこには、禊の地がありました。

 

 

( つづく )

 

 

******************************************

 

*1 天日矛とアカル姫

 

香春岳の麓に「現人神社」があります。
那珂川の現人神社と同じ名であり、調べたところ彼らにたどり着きました。
天日矛(アマノヒボコ)、又の名をツヌガアラシト。
日本出身のアカル姫を追って、大陸の半島からやってきた新羅の皇子とされます。

この皇子、応神天皇と名を変えます。
その場所が角賀であり、「敦賀(つるが)」の語源となりました。

「名を変える」は同神を表します。

(「もう一つの現人神社 2 ~饒速日命の足跡~」)

(「もう一つの現人神社 3 辛国息長大姫大目命~」)

 

二柱は日本から一度、大陸へ渡り戻ったのです。
その話と外海の「異類退治」の話が一緒くたになり、「三韓征伐」となったのです。

 

*2 神功皇后の託宣で現れた三神。(「祇園の神 14」にも書きましたが)
撞賢木厳御魂向津姫、事代主、住吉三神の名。

神功皇后は撞賢木厳御魂向津姫(女神、天照。厳島の神、市杵島姫命)自身。
市杵島姫命は御炊屋姫であり、神功皇后と共にあった武内宿禰は住吉神と同神。

彼は饒速日命であるので、事代主神とも同神。
(高良の伝承ではこの場面無し。神功皇后と高良神(住吉神)が共に行動している)

 

*2 神功皇后と応神天皇

*応神天皇の出生が不自然(十月以上)なのは、仲哀天皇が存在しないからです。
*また、御子自体、その時には宿していないはずです。
*彼女は「三韓征伐」の戦勝の為の神事で福岡の各地の山を巡っていますが、身重ではあり得ません。(*後に)

彼女が登った山々の中でも浮嶽は、登山者の中でも有名な急登。
今でこそロープがありますが、斜面は砂地であり、つかんでも滑って宙に浮いて尻もちをつくくらい。

身重には絶対無理!(一度、登って確かめてみて!)

 

*3 筑紫三山の神

「筑紫三山」には、名を変えた彼らも祀られています。
飯盛神社には、イザナミ命、宝満神(玉依比女命)、八幡大神、中宮に五十猛命。
若杉山の太祖宮には、イザナギ命、天照皇大神 志賀大神 住吉大神、八幡大神 聖母大神 宝満大神
基山の荒穂神社には、瓊々杵尊、鴨大神、八幡大神、宝満大神、春日大明神、住吉大明神、五十猛命

 

宝満山の玉依姫は神功皇后(聖母大神)。

荒穂神社の五十猛命は、高良神(住吉神)。
*境内の石が高良大社の社の下に飛んで行ったという伝承がある。(同神を示唆)

住吉神、志賀神、春日大明神は同神。(高良玉垂宮神秘書)

高良神は饒速日命(物部の祖神)
饒速日命は賀茂大神と同神(三島溝杭神は賀茂大神)。

また、彼は天照大神。

 

神功皇后と住吉神は祇園の神です。
高良の伝承(高良神と神功皇后)と同じく、共に生きて行動していたのです。

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

2022年9月14日 (水)

祇園の神 16 ~ ③ 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*筑紫での祓い~

前回の続きです。

(「祇園の神 15 ② ~神話と天照と卑弥呼と神功皇后*始まりは大和)」

神話は彼らの物語を、場面ごとに名を変えて表現していなした。

<高良神(住吉)と神功皇后の熊襲(異類)退治>

筑紫における彼らの熊襲退治(内陸側)

彼ら、饒速日命と御炊屋姫は、大和から北部九州へ。
彼女は市杵島姫命(弁財天)であり、その名は宗像の神を表します。
(「御炊屋姫を追って ⑩ 分御霊*廣瀬大社と豊受大神~」)

この地へ来てからの神話が、住吉神と神功皇后です。
様々に名を変え(大己貴神と宗像神など)、共に伝承にあります。(*1 下記注)

彼らの異類退治(祓い)の神話の一つが、前回の「筑紫島の四つの面」。
それぞれの地が彼らを由緒としています。

(神話の流れ☆数字は、「祇園の神 14」へ)

************************

まずは、彼らの「祓い」と神話の対比

1 筑紫で異類が暴れまわる

  ☆7 <須佐之男命による高天原の災厄>
  ☆46 <倭国騒乱>もこのことかも。
   ↓

2 彼らが筑紫へ移動(異類退治の為)

  ☆2 <イザナギ黄泉へ>
  ☆34 <神功皇后、筑紫へ>  
   ↓

3 異類退治

  ☆2 <イザナギ黄泉で襲われる>
  ☆4 <イザナギの穢れの祓い>
  ☆14 <須佐之男命の大蛇退治>
  ☆32 <神武、ナガスネヒコによる抵抗にあう>
  ☆37 <神功皇后の熊襲退治>
  ☆38 <神功皇后の三韓征伐>
  ☆45 <高良神(住吉神)と神功皇后の熊襲退治>

   ↓

4 退治をした後、結界を張る

  ☆3 <イザナギ黄泉の大岩>

 

 **************************

1 筑紫(北部九州)で異類が暴れまわる

筑紫に現れた異類の様子を表したものが、
☆7 須佐之男命による高天原の災厄。

「災厄」は異類である「命つくし神(筑紫神)など複数」によるもの。
*それは羽白熊鷲(はじろくまわし)・羽白熊襲(はじろくまそ)とも呼ばれています。

2 筑紫へ移動(異類退治の為)
筑紫で異類が暴れるようになったため、彼らは筑紫へ向かいます。

 

3 異類退治
それを退治したのは彼ら。
今の筑紫神は白日別のことであり、筑紫の国魂、高良大社の神を示す。
(高良神・住吉神・饒速日命)

退治した者が、退治されたモノの名になっています。(封印)

故に神話の「須佐之男命が災厄をばらまいた」は、
→「須佐之男命が災厄をばらまくものを退治した」ことになります。

☆須佐之男命が饒速日命であり、高良神なので、彼が災厄となる「筑紫神(命尽くし神)」を退治した。

☆32 <神武天皇、ナガスネヒコによる抵抗にあう>も、場所は違えど、これを意味してるのかもしれません。
また神武天皇は大和で土蜘蛛を退治しています。
彼も饒速日命であるので、それらは異類と対峙することを意味します。(大和にもいた)

 

< 祓いの神に関して >

前回の「筑紫島の四つの面」。
Kaimen22図1 筑紫島の四つの面
(海面上昇シュミレーションシステムより)

それらの地を分ける境の一つが、今の標高4mほど。
当時の海岸線でした。

Kaimen10_20220912054901

図2 AD200年頃の北部九州(筑紫)標高4m
地図はGooglemap

各地にある彼らの伝承地がそれよりも上にあります。

(「筑紫島四つの面 5 ~饒速日命と神功皇后の伝承地~」)

Jyohuku01_20220912055201

図3 筑紫島の四つの面の境目
地図はGooglemap
(図2 の真ん中あたりのアップ)

*白日別は高良神であり、住吉神(饒速日命)。
筑紫神でもあり、筑紫の国魂を示す。
筑紫の国魂は、筑後国一之宮の高良大社の御祭神、高良神(住吉神)のこと。図4の4(図3の1)
彼は饒速日命です。(高良は物部の地であり、祖神を祀る)

 

*豊日別は神功皇后(御炊屋姫)。
後の区分の豊国(豊前豊後)の一之宮(宇佐神宮など)の御祭神は神功皇后と宗像三神。
宗像三神が最初に祀られていたのは、宗像大社(豊日の地)。図4の2
宗像三神は一柱であり、市杵島姫命。
市杵島姫命は弁財天であり、御炊屋姫(饒速日命の后)。

住吉神と神功皇后は夫婦であり、異類を退治していた。(高良玉垂宮神秘書)
故に、神功皇后は御炊屋姫。
(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別神~」)

 

*建日向豊久士比泥別
(「筑紫島の四つの面 4 ~建日向豊久士比泥別~」)

*ネは古語で、神、光と言う意。読みは「ジ」ではなく、ネ。
(これは次回)

 

*建日別は熊襲。
それは神功皇后達が退治していた羽白熊鷲(羽白熊襲)を示す。

Kaimen07_20220912055401

図4 羽白熊襲の本拠地
地図はGooglemap

神話では建日別は熊襲の地とされます。
熊本あたりとされますが違います。

「熊襲の地」は古処山(秋月)。
そこに神功皇后が退治した羽白熊鷲(羽白熊襲)の本拠地がありました。
*それと対峙していたのが神功皇后と住吉神です。
彼らがその神話に関わるのです。
(「筑紫島の四つの面 3 ~建日別・熊襲の正体~」)

上の冷水峠が「シタクラツクシ坂」。

この地で五十猛神、白日別神、筑紫神、甕依姫、神功皇后の伝承が重なります。

Hiyamizu05

図5 冷水峠の位置
地図はGoogle map

図5は、図4の航空図。
<荒穂神社と筑紫神社に残る伝承から彼らへ>

☆1の基山の麓が荒穂神社。*基山の東で御祭神の五十猛命が荒ぶる神を退治。
ご祭神、五十猛命、住吉大神など。

☆2が筑紫神社と筑後風土記*命尽くす神(筑紫神)は、筑前と筑後の境のシタクラツクシ坂にいて甕依姫が鎮めた。
筑紫神(筑紫の御霊、白日別)、玉依姫(竈門神社から勧請)

☆3大根地山に神功皇后の伝承*(5が冷水峠、その側が大根地山)
羽白熊鷲を鎮める為に、神功皇后が山頂で神楽をして神を降ろした。
大根地神社には、天神七代、地神三代、雲閣稲荷大神(須佐之男命と大市姫)
(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)

☆5が冷水峠

<シタクラツクシ坂は冷水峠> 

冷水峠を示す根拠  (上の地図の5)

☆冷水峠(大根地山の麓の青丸)は荒穂神社(図5の1の近く、基山の麓)から見て東(ほぼ)。(☆1)
☆筑前筑後の境の峠(「境の峠」と言えばここのみ。今の筑前筑後の境という意味ではない。)(☆2)
☆昔は長崎街道一の険しい道と言われていた。

*この周辺には、全部の条件が重なるのはここしかない。
(「二つの伝承 2 ~荒穂神社*佐賀県三養基郡~」)

☆冷水峠の側の大根地山には神功皇后の熊襲退治の伝承。(☆3)
「熊襲征伐の為、大根地山に神を召喚」

これらは同じ場所の同じ伝承。

では、同じ「荒ぶる神」を退治した話ならば、そこには「退治した神」を祀っているはずです。

筑紫神社の筑紫神は、命尽くした悪神を退治した、筑紫の国魂である高良神。

高良神は神功皇后と、それを退治しました。
それらの神社の神はすべて彼らです。(詳細は上記の記事)

*瓊瓊杵尊、住吉大神、春日大神、鴨大神(*、八幡大神、宝満大神(荒穂神社)
*筑紫神(筑紫の国魂、白日別)、玉依姫(竈門神社から勧請)(筑紫神社)
*宝満宮竈門神社の神は、玉依姫、神功皇后、八幡大神。

☆高良の伝承と鹿島の伝承には、
住吉神、鹿島神、鹿の島(志賀島)の神、春日神、安曇磯良神は同神。

☆筑紫神社の白日別は高神であり、
豊日別は神功皇后。

☆高良大社は、物部の領地であり、祖神、饒速日命を祀ったもの。

彼らは饒速日命と御炊屋姫でした。

(「神の系譜*豊受大神編 2 ~神功皇后と卑弥呼~」)アメブロの記事(まだこっちには書いてません) 


*荒穂神社の鴨大神について→(注*2)

*筑後風土記の甕依姫も神功皇后となります。


<大根地神社の稲荷神>

唯一、腑に落ちないのは、大根地神社の神。

雲閣稲荷大神として、須佐之男命と大市姫が後に合祀されています。

稲荷神はその二柱ではありません。

ですが、「祇園の神」が彼らであるならば、意味が通ります。
祇園の神は住吉神(春日神、安曇磯良神、八幡神)と神功皇后。
荒穂神社の神々と重なります。

彼らが饒速日命と御炊屋姫であるので、稲荷神と同神。
宇迦之御霊であり、豊受大神です。
(「御炊屋姫を追って ⑪ ~廣瀬と弁財天と女神の天照~」)

祇園の神、須佐之男命は饒速日命。
さらに彼が高良神。

神功皇后と共に異類である羽白熊鷲を退治したからこそ、大根地山に祀られていたのです。

*住吉神が饒速日命であり、彼らが夫婦ならば、仲哀天皇は架空の人物。

 


< 異類(熊襲)封印 >

Harainokami01

図5 封印された冷水峠
地図はGooglemap

上の図の1~7まで、神功皇后、高良神、及び別名が祀られている。
これを施したのは彼ら。(*3 )

7脊振山、6冷水峠、5柿木(神の気)
*後に言われる艮金神(北東の悪神)は饒速日命(実際は退治した方)
(「祓いの神 5 ~鬼門の神・艮金神~」)

この地の異類を封印した事の神話は、
☆3 <イザナギ神、黄泉の大岩>(他の場所もある。次回)

 

< カグツチ >

イザナギ神が黄泉へいく原因を造ったのはカグツチです。
イザナミ神は火の神カグツチを産んだ後亡くなっています。
カグツチ神は饒速日命。
退治した者が退治されたモノの名になることから、カグツチが災厄を退治した者。
神話においては災厄を待ち散らす方の名になる。
(災厄の原因を退治したという意味になる)

 

カグツチについて↓

(「射手引神社 1 ~神功皇后と高良神の熊襲退治~」)

*イザナギ(退治する者)が、退治されるモノがいる地へ行く過程が<イザナギ黄泉へ>

 

< 瀬織津姫 >

神話には少ししか登場しない瀬織津姫。
住吉神と共に「祓いの神」です。
彼女も饒速日命の后、御炊屋姫。
その名は豊受大神(御膳津神)も意味します。

(「御炊屋姫を追って 8 ~大神神社の御炊社の豊受大神~」)

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

******************************************

 

☆先の回で分かるとこは以下、飛ばしてください。

 

*1 饒速日命と御炊屋姫
彼らは天照と豊受、大己貴命と宗像姫、住吉神と神功皇后 他、神話の初めに出てくる神と同神
(*「祇園の神 14」の下記参照のこと。)

大己貴命は大神神社の神。
出雲大社の大国主神でもありますが、かの社に共に祀られる神の后とされる「筑紫社」も彼女です。
多紀理比売命(たぎりひめのみこと)とされますが宗像三神は一柱の神。
 名を変えられた大己貴命と宗像姫が筑紫で「異類」と戦う伝承は、出雲大社にも繋がります。

大社には大神の后として、大神大后人神社(御向社*大神の后)に須勢理比売命(すせりひめのみこと)が祀られます。
彼(饒速日命・住吉神)が「祇園の神」でもあるので、彼女(御炊屋姫・神功皇后)は須勢理比売命でもあります。
すせりひめの名は、天火明命(饒速日命)である山幸彦の別名、火酢芹命(ほすせりのみこと)との対の名。
御向社の名は、神に向かう者の名が后であることを表します。

女神天照である、撞賢木厳御霊天疎向津姫命(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめのみこと)の向津の名が、神本人ではなく、その后であることが分かります。

(*こんな風に社の名からも繋がっていくのです。御炊屋姫の名が御膳津神であり、豊受大神を意味することも大神神社の摂社、御炊社の名から知りました。→)

*祇園祭の神は、住吉神と神功皇后。
須佐之男命が住吉神、神功皇后がその后。


*2 鴨の神は、別名、三島溝杭であり、御炊屋姫の別名と同じ。
三島の島は、古語で星。オリオン座の三ツ星を意味します。
みぞくいは、御栄井で砂漠の中のオアシスの意味。(「儺の国の星」より)
それらは、住吉神を表します。
三島の神は、奈良の三島神社の布留大神であり、饒速日命。
鴨(賀茂など)神=住吉神=三島神=布留大神=饒速日命

 

*3 スピ的なことを信用を無くす(リアリティが無くなる)と注意されたことがあるのですが、
彼らは今で言う鬼道の中で生きていました。

それ抜きではたどり着けません。
鬼道=呪術、まじない、封印など

(鬼道とは、鬼=羽白熊鷲などを祓う道なのかもしれないです)

2022年9月 3日 (土)

祇園の神 15 ~ ② 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*始まりは大和~

前回の続き。

 

今までの記事と重なるところがありますが、神話と彼らのエピソードと対比してまいります。

以下、「彼ら」とは、饒速日命と御炊屋姫(天照大神と豊受大神、住吉神と宗像神、神功皇后と卑弥呼すべて同一人物)を表します。(前回の記事、注*1を参照のこと)

 

****

 

全ての始まり。

古代奈良盆地には、巨大な湖がありました。
今は奈良湖と言われてます。

ここも数々の神話の元になりました。

☆46<邪馬台国騒乱>({騒乱」はもしかしたら、異類によるものかも)

Narako01_20220903204201

図1   AD200年頃の奈良盆地
出典(「古代で遊ぼ」)

アマノトリフネで大和へと飛来した饒速日命。

☆28<饒速日命、大和へ>
☆31<神武東征>

☆41<神功皇后、大和に戻る>

 

(以下、追記)

☆38 神功皇后、三韓征伐へ。船の上で住吉神と邂逅。助力を得る。<三韓征伐>(日本書紀)
☆42 高良神(住吉神)、神功皇后と四王寺山で邂逅。<高良神と神功皇后であう>(高良玉垂宮神秘書)

*実際に彼らが出会っていたのは、大和。
両書とも、「仲哀天皇」の存在を加える為、筑紫で出会ったことにした。

 

饒速日命、ナガスネヒコの妹の御炊屋姫と夫婦になる。

☆1<イザナギ神とイザナミ神夫婦に。国産み>
☆29<饒速日命、御炊屋姫夫婦に>
☆23<山幸彦(豊玉彦)豊玉姫夫婦に>
☆43<高良神(住吉神)と神功皇后夫婦に>

*全て彼らなので、神話の夫婦の記述も、皆彼ら。
(猿田彦と天宇受売、他)

ナガスネヒコは饒速日命と同神。
(「ナガスネヒコ ~宿禰の初め~」)

 

 ☆48<卑弥呼共立、騒乱鎮まる>

*邪馬台国はやまと(神の国)、な国のなと同じ意味。
彼らがいた二カ所(な国と大和)が「邪馬台国(神の国)」。

Narako02_20220903204501図2  奈良、亀の瀬  山体崩壊の箇所 
出典(「古代で遊ぼ」)図1の左端真ん中

饒速日命、大和川川床開削。奈良湖の水を引く。

亀瀬岩から、亀石の伝承(当麻のヘビが水を引いた)、当麻の長尾神社へ。
大神神社の大物主神(大国主、大己貴神)が水を引いたと分かる。

一体の蛇(龍)の体は大神神社と竜王宮と長尾神社。
=三つの神社の神は同じであり、エピソードは同じ。

天照大神、豊受大神。
建玉比古命(賀茂の神)、建玉比賣命。
豊玉比古命(豊玉彦)は豊玉比賣(豊玉姫)との対の名であり、山幸彦の事。
大物主神(大国主神=大己貴神=饒速日命=天照大神)
御膳津神、市杵島姫命(宗像神)は豊受大神。

*このエピソードが「海の水を操る珠」の伝承になる。

(「古代*奈良湖と裂田溝 ② ~三輪山のヘビは竜」)

 

☆18<大国主神の幸魂奇珠>

(「大国主神の幸魂奇魂」)=大物主神と同神を示唆

☆24<山幸彦(豊玉彦)の干珠満珠>

☆30<饒速日命、十種神宝>
☆39<神功皇后、三韓征伐で海の潮を制す(住吉神の力)>

☆44<高良神(住吉神、月神)の干珠満珠>

*高良の伝承で、龍神から直接珠を授かったのは、豊姫(豊玉姫)。神功皇后の妹とされるが、彼女自身だと分かる。
*彼らが持つ玉はすべて水の満ち引きを操る珠。
*高良の神はこの力故、月神とされる。(=隠された月読神 ☆5)

饒速日命の十種神宝と同じもの

☆17<大己貴命の試練>で彼と同じ、蜂のヒレ、蛇のヒレを使う。同神を示唆。



<饒速日命と御炊屋姫、北部九州へ>

饒速日命と御炊屋姫、北部九州へ。

筑紫に来たのは、異類(熊襲)を退治する為。(祓いの神の所以)
以降、高良神(住吉神)と神功皇后(宗像神)。

☆1<イザナギとイザナミ宮殿を建てる>
☆2<イザナギ黄泉へ>
☆20<ニニギの天孫降臨>
☆34<神功皇后、筑紫へ>

大和から北部九州に移ったことが「国を譲る」。

☆19<大国主神(荒御魂)、国を譲る>
☆33<饒速日命(大物主*和御魂)、国を譲る>(*前回記述)

Kaimen22

図3 AD200年頃の北部九州
今の標高4mほどが海岸線

それぞれの土地に関係あるのが彼らなので、上の図の状態の時、存在した。

*市杵島姫命が宗像神なので、ここが豊日別。
*豊国(豊前豊後)は、宇佐神宮(神功皇后)が出来てからの区分。
(「筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別神~」)

熊襲は神功皇后が退治していたもの。(建日別に本拠地がある)
(「筑紫島の四つの面 3 ~建日別・熊襲の正体~」)

☆1<イザナギ、イザナミの国産み>「筑紫島の四つの面」

*祓いに関すること他は次回。

 

 

( つづく )

 

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

2022年8月31日 (水)

祇園の神 14 ~ ① 神話と天照と卑弥呼と神功皇后*神話の流れ~

前回の続きです。

(「神話の神 ~世界の始まりの神~ (祇園の神 番外編))

祇園の神 7」では神話の中のスサノオを。
彼が祇園の神の住吉神であり、饒速日命。

祇園の神 11」「祇園の神 12」では卑弥呼の軌跡を。
彼女が高良神(住吉神)の后であり、もう一柱の祇園の神の神功皇后。
彼が饒速日命であるので彼女は御炊屋姫。

邪馬台国は「な国」であり、彼らが統治していた地です。

祇園の神 13」祇園の神、須佐之男命の八岐大蛇退治は、彼らの「異類(熊襲)」退治。

祇園神=須佐之男命=住吉神=高良神=饒速日命=天照大神
祇園神=神功皇后=住吉神(饒速日命)の后=御炊屋姫=市杵島姫命(宗像神)=豊受大神*1

 

彼女が魏志倭人伝の「卑弥呼」であり宗像神。
大和で饒速日命と出会い、共に北部九州へと移っていました。

神話では、その後が「神功皇后」としての物語。

 

彼らが同神であるからこそ、神話がほどけます。
しかし、神話と彼らの伝承をどのように対比しても難解には変わりありません。

一つのエピソードが幾つもの話に派生しているからです。

神話の登場人物(初めの方)はすべて饒速日命と后の御炊屋姫。
すべて彼らのエピソードを分解、再構築したもの。

たったこれだけのことを念頭に置いてみると、嘘のように腑に落ちます。

 

神話の要点を書き出し番号付けして、その後に彼らの伝承をアップします。
まずは神話の流れ。

☆1 イザナギ神とイザナミ神夫婦となり、国産みをする<イザナギ、イザナミの国産み>宮殿を建てる。
☆2 イザナミ神を追って、イザナギ神が黄泉の国<イザナギ黄泉へ>
☆3 黄泉との境に大岩を立てる<黄泉の大岩>

☆4 イザナギ神の禊祓い<イザナギ穢れの祓い>*下と二つの意味がある
☆5 イザナギ神の禊祓いにより神誕生<禊で神誕生>

☆6 須佐之男命と天照の誓約<天照の誓約>
☆7 須佐之男命、高天原の災厄となる<須佐之男命による高天原の災厄>

☆8 機織り娘の死
☆9 天照の岩戸籠り<岩戸籠り>
☆11 天宇受売命(アマノウズメノミコト)の踊り<猿女の君・猿田彦の后>

☆12 岩戸が開きで天照出る。世の中が明るくなる<岩戸開き>
☆13 須佐之男命、高天原追放<須佐之男命の追放>
☆14 出雲で須佐之男命が八岐大蛇を退治<須佐之男命の八岐大蛇退治>
☆15 須佐之男命と櫛稲田姫が結婚
☆16 大己貴命(須佐之男命の子)、根之堅洲国(黄泉の国)へ行き、スセリビメと出会う。
☆17 須佐之男命による大己貴命への試練<大己貴神の試練>
☆18 須佐之男命より、大己貴神が大国主神と改名

「幸魂奇魂」を持つ(大国主神である和御魂)*少彦名神が去った後、大神主神が海から授かる珠

☆19 大国主が国を譲る(武甕槌に負ける)<大国主、国を譲る>

☆20 天照の孫ニニギ命、高天原から地上の九州の高千穂へ、猿田彦の先導。宮殿を建てる(ニニギの天孫降臨>
☆21 ニニギ命、笠沙岬でコノハナサクヤ姫(父 大山祇)と出会う。

☆22 ニニギ命とコノハナサクヤ姫が三人の子を産む(火照*海幸彦、火須勢理命、火遠理命*山幸彦)

    ニニギ命と𣑥幡千千姫との子が天火明命。

☆23 山幸彦、釣り針を無くし、塩土老翁の導きで海底の宮殿へ。<山幸彦、海底宮殿へ>
           ワタツミ神の娘、豊玉姫と結婚。<山幸彦(豊玉彦)と豊玉姫が夫婦に>

☆24 山幸彦、ワタツミ神から潮の満ち引きを操る珠をもらう。<山幸彦の干珠満珠>
☆25 山幸彦と豊玉姫地上へ。サメだとばれ帰る。妹の玉依姫と結婚。
☆26 山幸彦と豊玉姫の子、*ウガヤフキアエズは玉依姫と結婚。

☆27 *二人の子の4人の一人が後の神武天皇(カムヤマトイワレビコ)


☆28 饒速日命、アマノトリフネで大和へ。<饒速日命、大和へ>
☆29 饒速日命、ナガスネヒコの妹の御炊屋姫と夫婦に。<饒速日命と御炊屋姫夫婦に>
☆30 饒速日命、十宝神宝を持つ。

☆31 神武天皇東征、大和へ(塩土老翁の先導)<神武東征>
☆32 大和でナガスネヒコによる抵抗。

☆33 饒速日命、神武東征に大和を譲る。<饒速日命、国譲る>

 

☆34 神功皇后、筑紫(北部九州)へ<神功皇后、筑紫へ>
☆35 神功皇后託宣。仲哀天皇の死(神に熊襲征伐の前に三韓征伐をしろと言われ、反感示したために死)
☆36 再び託宣*前の託宣の時に現れたのが撞賢木厳御魂向津姫、事代主、住吉三神だと知る。

☆37 先に熊襲(羽白熊鷲)を退治する。(☆35のことがあるのに!)<神功皇后の熊襲退治>
☆38 神功皇后、三韓征伐へ。船の上で住吉神と邂逅。助力を得る。<三韓征伐>
☆39 三韓征伐の折り、海の水を操り、三韓を制す<神功皇后、三韓征伐で海の潮を操る>

☆40 帰還。託宣。船に現れたのが住吉神と分かり、住吉神の神田に水を張る為に裂田溝を造る。<神功皇后、裂田溝造る>

☆41 大和へ戻り、義理の子を倒す。<神功皇后、大和に戻る>

 (以上、参考資料  すばる舎「神道図鑑」 分かりやすい!)   

 

<高良玉垂宮神秘書>

☆42 高良神(住吉神)、神功皇后と四王寺山で邂逅。<高良神と神功皇后であう>
           人の姿になり以降、物部の保連、藤大臣と名乗り助力をする。

☆43 高良神(住吉神)と神功皇后夫婦になる。<高良神(住吉神)と神功皇后、夫婦に>
☆44 海神から干珠満珠を授かる。神功皇后の妹の豊姫が授かる。<高良神(住吉神)の干珠満珠>

☆45 筑紫にて、羽白熊鷲(異類)を退治。<高良神と神功皇后、筑紫の異類退治>

*高良神が物部の神であることを示唆してる。

 

<魏志倭人伝>
☆46 邪馬台国騒乱

☆47 卑弥呼共立、騒乱鎮まる

***************************************

 

☆19大国主神、国譲る、☆33饒速日命、国譲るは、同じ神、エピソードを表してます。

「荒魂」である大国主神は、武甕槌神と国譲りを。
「和魂」である、大物主神の饒速日命は、神武天皇と国譲りを。

国譲りをした相手も同神です。

*鹿島神(武御雷神)、春日神は高良神(住吉神=饒速日命)と同神と高良の伝承。

(「神の鉾 4 ~天照の分御霊(わけみたま)~」)

 

神武天皇の后は媛蹈鞴五十姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)。

三島溝杭姫(みしまみぞくいひめ)の娘とされるが、御炊屋姫と同神。

*三島も溝杭もオリオンの三つ星を意味し、住吉神のこと。島は星と同義語。
*三島溝咋は、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の別名でもある=同神。(以外の記事、三島溝杭(咋)の説明)
(「祓いの神 8 ~楯崎神社*宗像三神と神功皇后」)(アメブロの記事)

*蹈鞴神は火の神・布留神(*2下記 追記)、五十は五十猛神を示唆、共に饒速日命。
(「二つの伝承 2 ~荒穂神社*佐賀県三養基郡~」)*五十猛命は高良神(住吉)

神武天皇も饒速日命。
☆8の機織り娘は、御炊屋姫が織姫、瀬織津姫であることを示唆(亡くなるという意味ではない)☆他の神も同神。

饒速日命=猿田彦神=天照
御炊屋姫=猿女君=天宇受売命=豊受大神

 

☆先導役になっている、☆20 猿田彦、☆23、☆30 塩土老翁も共に饒速日命。

塩土老翁は住吉神。(この辺り、関裕二氏の「古代史の謎」参照)

籠神社の「丹後一宮籠神社縁起」では天羽衣伝承があり、豊受大神と塩土老翁が夫婦。

籠神社の絵馬には、饒速日命と市杵島姫命が夫婦となっている。
伊勢の天照が、独り身では寂しいと籠神社から呼んだ神が豊受大神。
豊受大神=市杵島姫命
天照=住吉神=塩土老翁=天火明命=饒速日命

(以下、記事詳細)
(「気比神宮 ~神功皇后と応神天皇の伝承地~」)


特に☆36の神功皇后の託宣に現れた神として撞賢木厳御魂向津姫、事代主、住吉三神の名がある。
神功皇后は撞賢木厳御魂向津姫(女神、天照。厳島の神、市杵島姫命)自身。
武内宿禰は、饒速日命であるので、事代主、住吉三神(高良神)と同神。

高良の伝承ではこの場面無し。神功皇后と高良神(住吉神)が共に行動している。
(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~」)

神功皇后と住吉神は祇園の神です。
高良の伝承(高良神と神功皇后)と同じく、共に生きて行動していたのです。

彼女が魏志倭人伝の卑弥呼であり、女神の天照でした。

 

次回は、彼らの軌跡と神話を繋げます。

 

 

( つづく )

 

 

*1 祇園の神(前回までの考察より)
祇園祭の神は、住吉神、鹿島神、安曇磯良神、神功皇后。
神功皇后以外は住吉神と同神。
彼は高良神(住吉神)であり、饒速日命。

祇園の神、須佐之男命は高良神(住吉神)である饒速日命(天照)。

祇園神=須佐之男命=饒速日命=住吉神=高良神=天照

*各地の高良神社に、住吉神、天照が共に祀られているのは同神だから。

祇園祭の神、神功皇后は高良神(住吉神)の后。
高良神(住吉神)は饒速日命なので、彼女は彼の后の御炊屋姫。

御炊屋姫は豊受大神、弁財天、市杵島姫命、宗像姫である北部九州の神。

祇園神=神功皇后=住吉神(饒速日命)の后=御炊屋姫=市杵島姫命(宗像神)=豊受大神

*宇佐神宮に神功皇后と宗像三神が祀られているのも同神。
八幡神は饒速日命。(神功皇后の御子ではない)

 

*2 布留神は饒速日命。

布留神は隕鉄(隕石)で造られた剣=星神。鉄を生成するのは蹈鞴=蹈鞴神(火の神)

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

2022年8月25日 (木)

神話の神 ~世界の始まりの神~ (祇園の神 番外編)

前回の続きです。

(「祇園の神 13 ~祇園の神の八岐大蛇退治~」)

本編から少し脱線です。

筑紫での「須佐之男命」の前に、神話の神について。

神話は(途中まで)彼ら二柱の出来事を、状況、名を変えて、綴られた物語です。

彼らを祀る人たちが地方に散らばり、その土地の名の神として名を変える。
職業の神として。
自然の神として。

その名を余すことなく、別々の場面で登場させています。
また記紀から発生した彼らの名を、彼らとして社に祀ってもいます。

そうして祀られていったのが神社の御祭神。

 

造化三神、別天津神、神世七代
これらの神のほとんどは、記紀の成立と共に創られたと思われます。

祀られている宮は、物部神社。
饒速日命と御炊屋姫を祖神とする物部氏の社です。

 


< 物部神社 >

祭神の名が多くある神社は、それだけ彼らとの縁が深く、強く、近く。
二柱の真の姿を知り、伝えていることを表しています。

その中の筆頭が島根県にある石見国一之宮「物部神社」。

物部神社HP

彼らの御子、宇摩志麻遲命を主祭神としています。
ここに祀られる神(後の世の人以外)は、彼らです。

(宇摩志麻遲命さえもそうかもしれない)

 

本殿、末社、摂社に数多の神の名が連なります。
多すぎてここではすべてを書けないので、一部だけアップします。

*物部神社 御祭神

主祭神 宇摩志麻遲命(うましまじのみこと)
相殿神

 右座 饒速日命

    布津御霊神(ふつみたまのかみ)
 左座 天御中主大神(あまのみなかぬしのおおかみ)天照大神、造化三神、別天津神、

 神世七代(豊斟渟命(とよくむぬのみこと)、泥土煮命(ういじにのみこと)、大戸道命(おおとじのみこと)、面足尊(おもだるのみこと)*1

須佐之男命、国常立神、御食津神(みけつかみ)*2、イザナギ神、イザナミ神、ヒコホホデミミコト、アメノオシホホミミノミコト、稲倉魂命(うかのみたまのみこと)、大穴牟遅命(おおなむちのみこと)、事代主命、大国主命、大年神、他

境外摂社の漢女神社(からめじんじゃ)
    幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)他

境外末社に、熊野神社、石上布留神社 他

*************************************

後の世の人以外は、すべて饒速日命(天照)と后の御炊屋姫(豊受)の分霊神。

☆天照大神。
(「神の系譜 1 ~新嘗祭と天照大神と饒速日命と住吉神~」)(アメブロの記事 後にUPします)
(「神の系譜 3 ~天照は磯神*いそのかみ~」)(アメブロの記事)

☆須佐之男命。
(「祇園の神 7 ~神話の中の須佐之男命~」)

☆稲倉魂命、大年神、大穴牟遅命は大己貴神であり、大神神社の饒速日命。

☆御食津神(みけつかみ)は、大神神社の御炊社に祀られる御膳津神(みけつかみ)であり、豊受大神、宇迦之御霊を意味します。

饒速日命の后の御炊屋姫でした。
(「御炊屋姫を追って 9 ~御炊社*大神神社の豊受大神~」)

☆国常立神
(「神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神*日月の神~」)(アメブロの記事)

 

☆大国主神
(「大国主神の幸魂奇魂」)
(「神の系譜 4 ~月読神の十種神宝~」)(アメブロの記事)


☆境外末社に、熊野神社、石上布留神社などもあります。
熊野大社の神は彼ら二柱。
*1の神世七代の四柱は熊野那智大社にも祀られています。
(「祇園の神 8 ~熊野三社の神~」)

☆石上神宮の布留神は饒速日命。
(「神の系譜 3 ~天照は磯神*いそのかみ~」(アメブロの記事)

☆境外摂社の漢女神社(からめじんじゃ)には、

𣑥幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の名があります。
市杵島姫命は宗像大神、*2の御膳津神と同じ、豊受大神、宇迦之御霊、弁天様であり、御炊屋姫です。

(「御炊屋姫を追って 2 ~櫛玉比女命神社・弁財天~」)



𣑥幡千々姫命について。(wiki 𣑥幡千々姫命 )

彼女の系譜は伝承によりあいまいです。
高皇産霊神(高木神)の娘
思兼命の妹
高皇産霊神の孫

天照大神の子の天忍穂耳尊の后で天火明命とニニギノミコトを産んだともされます。

このあいまいさは、彼らが同神であるからです。
神話の続柄はすべてあてにはなりません。

天照が住吉神であり饒速日命(高良神、鹿島神、春日神、武御雷神、志賀神、他と同神)。
豊受大神が御膳津神であり宇迦之御霊、弁財天である御炊屋姫であり、市杵島姫命である宗像大神。

それだけでも神話の続柄通りではないことが分かります。

 

*大国主神の和魂が大物主神であったりと、同神を示唆してもいます。
*豊受大神は伊勢の外宮に祀られながら日本書紀には名がありません。
*豊受大神が宇迦之御霊(同じ御膳津神)ならば、稲荷神であり、須佐之男命の御子です。
しかし、古事記では豊受大神はイザナミ神から生まれた和久産巣日神(わくむすびのかみ)の子とされています。

日本神話の神々にはこのような矛盾が数多あります。
すべての神が、彼ら二柱に集約されるからです。

*記紀の中の「○○と言われている」はその通りのことが多いです。
(日本書紀の「神功皇后は中国の文献では卑弥呼とされている」は、同神であることを示唆している。)

 

世界の始まりの神。
これらはそのほとんどが創作であり、その中に「天御中主神」など彼らの別名(分霊)を入れ込んでいます。
しかし、創作であった神も人の祈りにより神になります。

<神は人の祈りが無ければ神にあらず>

前に聞こえたのですが、人の祈りは神の力となるほど大きいのです。

 

 

須佐之男命は祇園の神でありました。
祇園祭の神は、住吉神と神功皇后であり、彼が須佐之男命でもあります。
彼らは実在していた饒速日命と御炊屋姫。

言い換えれば、「須佐之男命」は実在していたのです。
イザナギ神とイザナミ神以降は、彼らの物語を基にしています。

それを余すことなく、各地の彼らの分霊神も取り込んで鮮やかな物語に織り上げた日本神話。

 

基となった真実の物語を知ると、複雑で見事なその手腕に目を見張ることでしょう。
彼らの生きた証をしっかりと伝えている日本神話。

須佐之男命・・・母のイザナミ神を失った彼は、高天原で災厄となります。

Kujyu

(くじゅう 坊がつる 天の川*テン泊縦走した!)


物部神社の御祭神、宇摩志麻遲命には天の川の意味があります。
<銀河(天の川)をうましのみちと呼んだ>と真鍋大覚氏の「儺の国の星」。
星の神であり、饒速日命の布留神*と同じ意味です。
*(布留は隕鉄=隕石でできた剣=星神。布留御霊は宇宙の色)
*真鍋氏は物部の末裔(先祖が鹿島神宮の神官=鹿島の神も饒速日命)

御子なのか同神なのか。

神となれば混ざりあって、どっちでもあるのかもしれませんね。  

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

2022年8月21日 (日)

祇園の神 13 ~祇園の神の八岐大蛇退治~

前回の続きです。

彼ら「祇園の神」は祓いの神でもありました。

 

< 筑紫の鬼退治 >



世が未開で混沌として草木が話していた時代のこと。
北海の浜に「夷の類」という狂暴な鬼が攻めてきて、人民を殺略した。
その時、大己貴神と宗像神は稜威(いつ・畏れを感じるほどの力)を振るって、楯を立て、鼓を鳴らして、夷賊を防御して、遂には退治した。

 

これは福岡県福津の渡半島にある楯崎神社の伝承です。
大己貴神と宗像姫が「夷の類」と戦い、その後の時代に神功皇后が三韓征伐の戦勝を祈っています。

(「 楯崎神社~伝承の真実 その5~ 大己貴神と宗像姫の項」)
(「楯崎神社~伝承の真実 その6~ 宗像姫 考察」)
(「楯崎神社~伝承の真実 その7~ 神功皇后の項 考察~」)

 

すぐ側の波折神社では、神功皇后が凱旋した時、住吉神と志賀神と瀬織津姫が鼓島で邂逅しています。

*住吉神と志賀神と神功皇后は祇園祭の神。
*住吉神と志賀神は同神。
*住吉神は高良神であり、饒速日命、天照大神。
*大己貴神は大物主神(大国主)であり饒速日命。
*宗像神は市杵島姫命、弁財天、御炊屋姫、豊受大神、瀬織津姫。
*住吉神と瀬織津姫は祓いの神。
*住吉神(高良神)と神功皇后は夫婦であり、イルヰ(異類)退治をしていた。

条件を全部合わせると、彼らは同神であることが分かります。
祇園祭の神である住吉神と神功皇后が、大己貴神と宗像神、饒速日命と御炊屋姫。

(「 波折神社*瀬織津姫と住吉神」)

 

筑紫にはこのような彼らの「鬼退治」の伝承が数多あります。
鬼、イルヰ、異類、羽白熊鷲。

様々な呼ばれ方をしますが、それは人ではありません。
火で防ぐ、神が助力するなど祭りが物語ります。

苛烈を極める戦いの状況が今でも語り継がれています。

それを忘れないように。
祭りや伝承が継がれていくのはそのような想いがあるのです。

彼らが「祓いの神」とされるのは、そんな異類を退治をひたすらしていた故です。

祇園さんは須佐之男命でもありました。


< 神話の須佐之男命 >

神話では、祇園の神である須佐之男命は八岐大蛇を退治しています。
出雲神話と言われますが、出雲大社の大国主神も饒速日命です。

大国主神=大物主神=大神神社の神=大己貴神=饒速日命

では、須佐之男命が退治したという「八岐大蛇」は何?

その出雲神話は存在しないという説があります。
ネットで調べていたら、研究者の方に伺った記事がありました。

深く納得できます。

☆出雲神話は存在しない?!「古事記」もう一つの読み解き方*中川商店の読み物

彼が饒速日命ならば、後の時代に出雲に彼らを祀るようになった後、その地が舞台とされたのではないか。
出雲には、筑紫にあるような苛烈な闘いの記録はありません。

祇園の神が住吉神と神功皇后(饒速日命と御炊屋姫)であるならば、須佐之男命の八岐大蛇退治は彼らの異類退治を示唆しているのです。

そのほとんどが筑紫に於いて。
筑紫は異類との攻防戦の地でした。

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

2022年8月17日 (水)

祇園の神 12 ~後編 卑弥呼は神功皇后 ~

前回の続き。

(「祇園の神 11 ~前編 卑弥呼は神功皇后~」)

 高良山の麓にある「祇園山古墳」

*墓の築造が(早くて)三世紀。
*魏志倭人伝の卑弥呼の墓の状況(殉葬者など)と極めて近い。
*高良神(住吉神)の后は神功皇后。
*二柱とも「祇園の神」。
*彼は饒速日命、彼女は御炊屋姫であり、宗像姫。
*被葬者は彼女の可能性が高い。
*墓に眠るのが彼女なら、魏志倭人伝の「卑弥呼」と同時期に筑紫に存在したことになる。
*神功皇后(御炊屋姫)は筑紫の伝承の甕依姫(かめよりひめ)。

 

本来の名がひみかではないか。
後の世に、その名から”みか”を含む名が出来た。

『御炊屋姫(みかしきやひめ・みかしやひめ)、甕依姫の名も後の人が付けた名』

当時の名が半島に伝わり、それがそのまま記録として残っていると断言できます。

彼女こそ卑弥呼。
三世紀ならば、被葬者が活躍していたのはAD200年頃です。

「彼ら」が生きたのも、その時代。

 

ここまでで考えられる彼らの出来事を、時系列にまとめてみました。

 

☆< 大和 >

☆御炊屋姫、奈良の登美地方で生まれる。
彼女は登美夜毘売(とみやびめ)でもあり、登美族の者。
(登美は奈良の北西部か。下記の左上。緑の線の内側)

Narako04_20220817034401

図1  地図はYAMAP

2の場所が矢田丘陵
(「饒速日命を求めて ⑥ ~矢田坐久志玉比古神社~」)

3が神功皇后の御陵さん。ここも登美*1
その頃の奈良盆地には巨大な奈良湖があった。

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図2(古代奈良湖)

出典は「古代で遊ぼ」

 http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/edo/index.html

(サイトご覧下さい!当時の様子が見事に再現!)

 

☆同時期、あちこちで異類出没。 *2
(「古代奈良の夢 ~前世 ④~」)←自分が見た前世の記憶から。ここは参考程度に。 

魏志倭人伝にある倭国騒乱。(AD200年より少し前)
 奈良湖の水が増え、作物が採れなくなったため。

(もしかすると、「倭国騒乱」は異類が出没していたことか)*2

☆饒速日命、北部九州から大和へと移動。
御炊屋姫と出会い、夫婦となる。*3

☆饒速日命達が奈良湖の水を引く。
(「饒速日命を求めて ⑨ ~天ノ鳥船の時代 後編~」)

上記サイト(古代で遊ぼ)に描かれてあったことから繋がります。

山体崩壊した亀瀬岩(奈良盆地の西)の辺りを開削し、奈良湖の水を引く。
図2の左端の真ん中(大和側川床開削)とある場所。

Narako02

図3(画像は「古代で遊ぼ」)
図2の「大和川川底開削のあたりのアップ」

周辺にある奈良の神社から、奈良湖の水を引いたのが大物主神と分かる。
大物主神=大神神社の神=饒速日命

(「古代奈良湖と裂田溝 ② ~三輪のヘビは竜~」)

このことが「海の満ち引きを操る珠(月神の所以)」である干珠満珠の伝承になる。
(以下の神、該当神社に祀られているのは全て同神。上記の記事に詳細)

*大物主神(饒速日命・十種神宝)、天照大神、豊受大神、山幸彦。豊玉彦豊玉姫、他。
*浦島太郎の伝承にもなる。

☆湿地帯となった所で、稲を栽培できるようになる(騒乱鎮まる)
*国を造ったという大国主の神の名の所以。

 

彼らは神話に出るほぼすべての神です。
*饒速日命は天照大神、住吉神、大物主神、大国主神、他。
*御炊屋姫は豊受大神、弁財天、市杵島姫命、宗像大神、他。

彼女は宗像神(北部九州の神)でもあり、彼は住吉神。
住吉神の后は神功皇后であり、神話では北部九州で出会っている。

宗像神でもある御炊屋姫が神功皇后です。

その実、彼らは大和で出会って、共に北部九州へと移っていたのです。

 

ここからは、住吉神と神功皇后の物語。

*****************************************

 

< 大和からの移動 >

☆異類退治の為、いくつかの地域へ移動
(「気比神宮 ~神功皇后と応神天皇の伝承地~」)

☆北部九州へ移動し、異類を退治。
「祓いの神」の所以。(住吉神と瀬織津姫)

(「二つの伝承 8 ~五十猛命と甕依姫~」)
(「波折神社」)」他

’次回、この間の事を少し詳しく。

異類退治の伝承の中に、甕依姫の名があり。
これが、卑弥呼(ヒミカ)に繋がる。


☆高良大社や儺の国(那珂川)で国を治める。
☆神功皇后が亡くなり、高良山の麓の「祇園山古墳」へ埋葬。

(「祇園の神 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳」)

☆饒速日命(住吉神)後に大和へ?
三輪山の神とされる。

以上、ここまで分かる時系列です。

 

*******************************************

彼らに関する場所から邪馬台国へ。

魏志倭人伝の奴国。
儺国(鬼を祓って、いない国)=神の国=やまと(邪馬台国)

 な国もやまと国も同じ意味で、同じ国。

 

彼らの治めた「儺国」が神話の元になっている。
このことから「魏志倭人伝の奴国」の統治者が彼らであり、「卑弥呼」がその一人である神功皇后(御炊屋姫)であることが分かる。

(神話の元になるくらいだから、彼らの国以外に大きな国はない)

 

儺国は那珂川。
*物部の子孫が残した「儺の国の星」の本には、那珂川に古来から伝えられてきた星の名や伝承があり、神話、習慣、祭り、言葉の由緒を解くことができる。

つまりがこの国が大元。

☆那珂川には住吉の元宮、現人神社がある。
(「 現人神社」)

(住吉は饒速日命)

彼らは祓いの神。
住吉神が生まれた場所(治めた場所?)としてここがモデルとなり、神話が作られた。

 

「神話の地」

岩戸、伊邪那岐の禊祓い、天孫の降臨の地である底津岩根。
(「神話の郷 ~高天原と神話の地~」)

神話の「真の道」「天の岩戸」「クシフル岳(櫛布留岳)」。
(「結びの山 10 ~脊振山~」)
(「結びの山 14 ~天孫降臨 前編~」)

 

*笠沙の岬のカサは、貝が口を開けたような湾、サは葦(湿地帯に生える草の総称)の古語。
葦津ヶ浦と呼ばれた筥崎宮の地のこと。

上の記事の14にある「真の道」の先にある。
神話に登場する名は、古語や当時の状況を知らないと解けないものがある。
(そのままの名で今に伝わっていないものがある)

 

神話の「黄泉の大岩」。
(「結びの山 終章 14 ~黄泉の大岩・くなどの神」)アメブロの記事

(他にもあるけど、この回はここまでに)

祓いの神の伝承に甕依姫があり、神功皇后と同神と分かる。
次回、祓いの神に関わる場所から彼女へ。

*前回も書きましたが、「奴国」の後の表記はでたらめです。
「な国」と「やまと国」(同じ神の国の意味)が別にあるように伝えています。

政治的に重要な地であったからです。

 

「儺国」は神話の元ともなる地でした。
饒速日命である住吉神の元宮「現人神社」もあります。

それはその当時、彼らがその国を治めていたことを示しています。

祇園山古墳の被葬者は「祇園の神」である神功皇后、彼女が「卑弥呼(ひみか)」です。

 

 

( つづく )

 

 

*1 神功皇后陵。

奈良には平城駅の側に神功皇后陵がある。
現在、五社神古墳。

側に住んでいたので、ここが神功皇后陵ではないとも言えない。
ここも登美の地にある。

 

 

*2 倭国騒乱(魏志倭人伝の倭国騒乱)
もしかしたら、騒乱は異類”人ではないもの”によることかも
自分には、人同士の戦いの記憶がない。

 

*3饒速日命、大和へ
*饒速日が異類を退治する→騒乱が鎮まる、か?

実際、北部九州には住吉神(饒速日命)と神功皇后(御炊屋姫)の異類退治の伝承がある。
彼らが”人でないもの”と対峙していたのは確か。

だとすれば、魏志倭人伝の「倭国騒乱」はそれにあたるのかも。
彼らが退治したから「騒乱」がおさまったと考えられる。

 

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください

2022年8月14日 (日)

立山三山周回 2 ~立山三山~別山~雷鳥沢

立山三山周回、二日目。

一ノ越山荘を7時にスタートして、再び雄山(おやま)へ。

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室堂が見えます。
モヤの中から上宮が現れました。

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人がこんなに小さい。

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皆でおお~っと感嘆の声をあげました。
神々しいとはまさにこのこと。

神秘的でした。

神様に会いに。
そんな雰囲気がありました。

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上宮。

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ここからの景色も最高!

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雪渓。

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立山三山の一つ、大汝山へ。

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雄山から25分ほどで大汝山(おおなんじやま)。
ここまで狭い岩場だったので、荷物はすぐ下にデポしました。

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荷物のとこまで戻ると、ゼッケンをつけた人が走ってきます。
なんと!
TJAR(トランスジャパンアルプスレース)!


富山県の早月川河口を出発して山々を繋ぎ、静岡の大浜海岸まで縦断する鉄人レースです。
総距離415キロ!
累積標高差27000m!
それを8日以内に駆け抜けます。

この方、望月さん!
周りにいた皆で応援、拍手!

望月さんは4位でゴールなさって、記録は5日間18時間37分。
凄すぎです!

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ハイテンションなまま立山三山の一つ、冨士ノ折立。

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大荷物を抱えた方が。
この方は前にレースに出てらした方野さん。
2回連続(だったか、2回出るとだったか)で出られないらしく、NHKの臨時スタッフとして撮影機材他を運んでるそう。
なんと40キロ。
凄すぎです。
足元見えないじゃないですか~!

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ツェルトや食料などすべて背負ってます。

山小屋での購入禁止、商店、コンビニなどではOKとのこと。
メットは劔に登られてきたからですね。
早月川河口~早月尾根~劔岳~別山~
と来られたようです。

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真砂岳山頂。
別山へ向かいます。
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この稜線にときめきますね~!

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雷鳥沢方面。
遠く地獄谷が見えます。

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別山(べっさん)山頂。
真砂岳から1時間ほど。
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別山は剱岳の遥拝所でもあります。

あこがれ剱岳!
ここまで見せてくれました。
剱人になりた~い!
ここから別山北峰へ。
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別山から往復30分ほどで、別山北峰。
この後、剱御前小屋へ下りていきます。

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剱御前小屋。
ここから雷鳥沢へ。
雷鳥沢からここまでのルートは、剱へ行く人達が使うルートでもあります。
剱沢のテン場にテン泊も。
いいなあ。

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雷鳥沢に下りてきました。

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雷鳥沢のテン場。 

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宿から見た上宮。

夕日に染まってます。
あんなとこによく建てましたね。
人間って凄いわあ。
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次の日、室堂へ向かいました。

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みくりが池と立山の山々。
次にここへ来るときは、剱への単独行ですね!
剱沢にテン泊して行きたいな~。

ありがとう~!立山!
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今回の記録。
ゆっくり目に歩きました。

2022年8月12日 (金)

立山三山周回 1 ~雄山上宮参拝~

アメブロで知り合った愛知の行者さんと、立山に一緒に行くことになりました。

行程は、

一日目、室堂~一ノ越~雄山~一ノ越山荘泊
二日目、一ノ越~立山三山(雄山、大汝山、冨士の折立)~別山~剱御前小屋~雷鳥沢~雷鳥沢ヒュッテ泊
三日目、室堂へ

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室堂のチングルマ。

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玉殿へ。

立山を開山した佐伯少年が、ここへ熊を追い込んだところ、阿弥陀如来と姿を変え、
「白鷹も熊も、すべてはお前に私の思いを託すため。この尊い山に多くの人が信仰をささげられるよう、お前は僧になってこの山を開きなさい」
と告げたそうです。

立山黒部アルペンルートの「立山の昔話」より
https://www.alpen-route.com/enjoy_navi/legend/legend_vol1.html

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一ノ越へ。

鞍部になる一ノ越までは、石畳の道が続きます。

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道中にある祓堂。

昔、立山に登る人はここで御祓いしました。

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一ノ越到着。

室堂からここまで1時間くらい。

一緒に行ったMさん。

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一ノ越山荘。

今日宿泊するので、荷物はデポさせてもらって、雄山に向かいます。
当初、一日目は浄土山を巡って一ノ越へ出る予定でしたが、次の日の予報があまりよくなかったので、天気がいいうちに上宮を参拝しようということになりました。

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ガレ場だらけ。

登りは赤いペイントの通り、下りは黄色いペイントの通りに。
しっかり印があるので迷うことはないです。

なんとー。
小学校へ入る前の子達も親と登ってます。

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一ノ越から1時間くらいで頂上へ。

左にあるのは社務所。
念願のTシャツとお守りも購入!

他にコーヒーなどもあります。

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上宮!
雲の上ですね。

鳥居をくぐったところで、700円お収めすると上宮前でお祓いしてくださいます。

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上宮。

御祭神、伊邪那岐神、天手力雄神。

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本来の頂上はこの岩だとか。

社を建てるため、周りのに石を敷きつめたそう。

山頂標識は右端(切れてる)

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貰いもの写真。

前日まで雨予報だったのが嘘みたいです。
全体的に薄曇りでしたが、山頂だけぽっかりと晴れてて奇跡みたいでした。

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一等三角点「雄山」。

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ワイドで撮ってくれました。

雲海~!

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なんとここで彩雲。

嬉しかったですね。
立山の神様ありがと~!

ここで一ノ越へ下ります。

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明日は、この先へ。

 

立山とは、三つの山の総称です。

頑張った人だけがたどり着ける上宮。
歩ける足があるならば、そこへ行きたい。

そこにあるもの、感じるものは全て神からの贈り物。

 

( つづく )

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