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神結び 

2023年6月 3日 (土)

饒速日命と神功皇后 2 ~大国主神の正体~

続きです。

☆→饒速日命と神功皇后 1 ~神功古道~

「土地の人が羽白熊鷲に苦しめられていた」

それをうかがい知ることができるものがあった。
この辺りに数多ある大国主神の社。


<大国主の社>
大己貴神社の向かいにある公園の案内板には、その理由を、

「大国主神は羽白熊鷲であり、地元にいた豪族。神功皇后に倒されたために、彼をしのんで社があるのでは」とあった。

初めてそれを見た時、違和感があったのだ。

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であり、それが歓迎されたために、大国主神の社があるのでは?

 

ならば、「羽白熊鷲」は、歓迎される者ではなかったということだ。


*****************

< 大国主神の社 >

朝倉にある大国主神を祀るいくつかの社から、かの神の正体に迫る。

 

*1 弥永の大己貴神社
ご祭神 大己貴神社(大国主神)、天照大神、春日大明神。

*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社
ご祭神 大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神。

 

上記の二社について。

一緒に祀られる神は、同神と后。
例外として、後の時代に功績などから合祀される者。

 

上記の六柱の神はすべて同神、饒速日命。 

 ☆神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神・月日の神~



< 老松神社 >

かつて大国主神を祀っていた社から、繋がる。

*3 下渕の老松神社
もともと大国主を祀っていて、後に、菅原神、神功皇后、吉祥女と変わっていく。

この社は、大己貴神社から秋月へと向かう道にある。
神功皇后軍が陣を張った「御府の森」とされていた。

「福岡県神社誌」より。

 

福岡の老松神社には特徴があった。
大国主神か、菅原道真公が共に祀られているか、そのどちらかなのだ。

同じ名の神社には、大抵、同じ神が祀られる。
違いがあるなら、彼の別名を祀っている。

 

桂川の老松神社の御祭神は、大国主神、大物主神、事代主神、菅原道真。

始めの三柱は同じ神、饒速日命。

道真公と饒速日命。
実は深い繋がりがあった。

無実の罪を背負い、太宰府に飛ばされた道真公。
その罪をはらされることを願った場所が天拝山であり、彼が拝した神は高良神である饒速日命だ。

 

そこには荒穂神社があり、基山の荒穂神社の神とほとんど同じ神が祀られていた。
そこから、彼が高良神であり、五十猛命である饒速日命だと分かった。

(詳細は上の記事)

*4 荒穂神社の御祭神は、瓊々杵尊、八幡大神、五十猛大神、春日大神、住吉大神。
宝満大神、香椎大神。

*1 と *2の社に祀られる神の名がある。

 

「天拝山の神」というと、上記の荒穂の神(饒速日命)と菅原道真公を意味する。
饒速日命は大国主神。

 

☆道真公の願いにより「祟りを成した神」がかの神であるということ。
現に現人神と言うと住吉神と北野の神(道真公)を意味する。

住吉と「祟りを成した神」は同神であったということだ。

では、*3 の下渕の老松神社の道真公は、大国主神であり、饒速日命を示すことが分かる。

 

< 神功皇后 >

 

*4 の荒穂神社には、宝満大神、香椎大神の名もある。
香椎大神は、神功皇后。
宝満大神は、神功皇后と玉依姫(と八幡神)。

 (☆→宝満宮竈門神社 ~神功皇后の鬼退治 ①~) アメブロの記事

玉依姫は、筑紫神社に祀られていた。
筑紫神である、白日別と共に。

 (☆→ 二つの伝承 4 ~筑紫神社・ちくしの起源~)

白日別(筑紫神)は高良の神である饒速日命。
故に、共に祀られる玉依姫は、神功皇后である御炊屋姫。

これが宗像神であり、豊日別。

(筑後国風土記に、甕依姫とあるのが彼女)

☆→筑紫島の四つの面 2 ~白日別の神と豊日別の神~

 

宝満宮竈門神社に祀られる玉依姫も、神功皇后であった。

ここでも「同じ社に祀られる神は同じ」という法則が成り立つ。

では、

下渕の老松神社には、神功皇后が祀られているので、彼の名を隠蔽するために「同じ天拝の神である道真公」と置き換えられたと考えられる。

*彼女の名と、饒速日命の別名は、祀られていない社が多い。
伝承上、神功皇后として祀る必要がある時は、時代を変えたり、邂逅という形をとっていた。

それは、大国主神は彼女に繋がりやすいからでは?

 

大国主神の后は、多紀理姫=(宗像三神は同神なので)市杵島姫命。
彼女は宗像神であり、御炊屋姫でもあった。

饒速日命の后。 

(☆→神の系譜 豊受大神 篇 1 ~御炊屋姫~)

 

神功皇后は宇佐神宮に、宗像大神と共に祀られている。

 

< 美奈宜神社の神 >

では、答え合わせのような社を一つ紹介。

*5 荷原(いないばる)の美奈宜(みなぎ)神社
天照大神・住吉大神・春日大神・神功皇后・武内宿禰。

*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社のご祭神は、大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神であった。
同じ名の社の神は同神。

天照大神・住吉大神・春日大神・大国主神・スサノオ命・事代主神・武内宿禰は同神。

 

共に祀られている神功皇后は、彼の后であった御炊屋姫。
彼女と共に在ったという武内宿禰は、饒速日命。

*神話などの神はほとんど彼らに集約される。

同神であるからこそ、繋がることが数多あるのだ。

 

******************

 

この辺りの大国主神も、饒速日命。
神功皇后と共に羽白熊鷲退治をした、高良神(住吉神)。

では、最初感じた違和感は、これの事であったと分かる。

大国主神は羽白熊鷲を倒した方であるから、大国主神の社がある。

 

その羽白熊鷲を倒したのは、神功皇后。

ならば、大国主神と神功皇后が共の退治していた。

大国主神は饒速日命であり、高良神。

 それは、高良玉垂宮神秘書(高良大社の伝承)に記されていた、

「神功皇后と共に、羽白熊鷲を退治した高良神(住吉神)」の記述が真実であることの証にもなる。

 

あの神秘書は、最も明らかに事実を伝えていた。

(記事中の社などは、後に掲載します)

 

宝満山の二柱は彼らであり、筑紫の悪神、羽白熊鷲を退治した神。
福岡一の霊山には、この土地の守護者を祀っている。

熱狂的なファンが多い宝満山。

 

登る人は必ず上宮に拝する。
その祈りは、この土地を守る力になっていると感じている。

朝倉の大国主神を祀る神社も同じなのだ。

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

                                       

2023年5月30日 (火)

饒速日命と神功皇后 1 ~神功古道~

神功古道とは、神功皇后が秋月の羽白熊鷲を討つために進軍した道。

Screenshot_202305300755442
                                                       
「神功古道]
筑前砥上~勝山・陣ノ内・畑島~森山峠~栗田~弥永

(以下、要約)

香椎宮から進軍し、栗田の(現在の)松峡神社(まつおじんじゃ)へ。
そこで陣を整え、熊鷲軍との決戦に臨む。

決戦地は「層曽岐野(そそぎの)」(新町・高畑付近か)。

*香椎宮→松峡(栗田)→弥永→秋月→層曽岐野で熊鷲討つ
→砥上で武器を砥ぐ(新羅へ向かう為)

砥上神社付近の伝承は、新羅へ進軍する為とある。
砥上神社がある場所は、中津屋(なかつや)。

熊鷲軍を滅ぼした後、新羅へ出発する準備の為に、「中ツ宿」なりと逗留したことから。
砥上(とかみ)の名は、池で武器を砥がせたことから。

 

<羽白熊鷲と対峙した神>

羽白熊鷲は、伝承では空を飛ぶ羽を持ち、人をさらったと記されている。
伝承によって名を変えていたが、すべて同じもの。

神功皇后が対峙した「羽白熊鷲」。
高良の伝承の「イルヰ(異類)」。
筑紫神社、荒穂神社、筑後国風土記の「命ツクシ神」。 

  (☆→二つの伝承 4 ~ちくし神・福岡県筑紫野市~)

 

それらは、「シタクラツクシ坂」であった、冷水峠で重なる。

故に、退治した者も同神。

 (☆→二つの伝承 7 ~冷水峠~)

 

高良神=住吉神=筑紫神=白日別=筑紫の国魂(高良大社の神)(*1)
神功皇后=甕依姫=玉依姫=宝満神(*2 *3)

 

また、羽白熊鷲は少なくとも、
古処山の北

 (☆→射手引神社 1 ~神功皇后と高良神の熊襲退治~)

秋月周辺

冷水峠(シタクラツクシ坂)に出没していた。

一体ではなかったのだ。

 

<高良神と神功皇后>

上記の伝承が同じ。

高良神(住吉神)が神功皇后と行動を共にし、イルヰ(羽白熊鷲)と対峙していたことを意味する。
実際、高良の伝承には、それが記されてあった。

さらに、高良神は物部の祖神、饒速日である。
三種の神器をもたらしたのは、高良神だ。

☆→高良玉垂宮神秘書 2 ~高良神は物部の祖神~)アメブロの記事

☆→高良玉垂宮神秘書 4 ~三種の神器と神紋~

 

では、

彼は、饒速日命。*1
彼女は御炊屋姫。

大和で出会い、共に筑紫に移動、その後の名が神功皇后であり、宗像神。*2

 

*楯崎神社 には、 大己貴神と宗像姫が、異類と戦った伝承がある。
 (☆→祓いの神 7 ~楯崎神社*大己貴神は饒速日命~)
 

饒速日命は大己貴神であり、彼女は宗像姫。
すべて、(おそらく意図的に)名を変えられているだけ。

(ここでは、神功皇后の名で続ける)

 

いつも彼女の傍らには、彼がいたはず。
伝承の中では、住吉神、武内宿禰と名を変えていた。

                                            *


神功皇后は、冷水峠の側の大根地山で、羽白熊鷲を鎮める為に神々を祀っている。
では、上の案内板の内容は少し変わってくる。

 

****

 

香椎宮から進軍。

☆1 大根地山に向かい、山頂で神々を降ろす。
側の冷水峠(シタクラツクシ坂)の命尽くし神(羽白熊鷲)を退治。

そこから南~東へ。

 

☆2 砥上岳の麓の日吉池で剣を砥ぐ。
砥上岳で神事となるだろう。

*****

 

☆1 大根地山での神事は、羽白熊鷲との戦いの為。
麓の冷水峠にそれがいたからこそ、大根地山で神事をしたのだ。

 

☆2 砥石岳へ
砥上は冷水峠から約7キロ、1時間半程。

彼らはすでに冷水峠で、熊鷲と戦っている。

砥上岳の麓の池で武器を砥いだのは、これから向かう秋月の羽白熊鷲との戦いの為。
そう考える方が自然だ。

 

砥上岳にはみそぎの原(はら)がある。
山頂で神事をするためにみそぎをしていた。

神の力を得て、秋月へ進軍という流れになるだろう。


                    *

<祀られた神>

彼女は何を祀ったのか。

砥上岳山頂には、神功皇后が祀ったという、武甕槌神の祠がある。
弥永の大己貴神社には、大己貴神。

二柱とも、饒速日命。
神秘書では神功皇后と共にあり、夫婦であったという住吉神(高良神)、その人だ。

 

では、彼女が祀ったのは彼ではない。

彼女は、おそらく「(原始の?)神」を祀り、名を変えた饒速日命を祀ったのは、後の世に奈良から移動してきた人達。(そのまた後で名を変えられた可能性も)

 

大己貴神社、及び大神山は、奈良の大神神社の後に造られたもの。
後の世の人は、故郷の神の伝承があったこの地に、故郷の神を祀ったのだ。


神の移動・勧請が起こる理由の一つになる。

 

< 集まる民 >

大己貴神社の伝承には、
「新羅進軍の時、神功皇后が兵が集まらないので社を建て神に祈った」とある。
もともと香椎の宮にいたのならば、新羅との戦いの準備を、わざわざこの辺りでする必要がないのではないか。

 

しかも、「今から秋月へ」向かうのだ。
ここから5キロほどしか離れていない。

ならば、「熊鷲軍に苦しめられていた土地の人が、皇后軍に加わった」

というのが真実では。

                                                 *

筑紫には二千以上の神功皇后の伝承があるとされる。
しかし、大和にはわずか。

応神天皇の義弟たちを誅したのみ。

筑紫であれだけ登っている山にも、大和では一つも登っていない。


それは、「高良」の伝承の通りに、神功皇后が大和に戻らなかったことを示唆しているだ。

 

( つづく )

 

 




*1 饒速日命と同神。
安曇磯良神、天照、大物主神、大己貴神、大国主神、鹿島神(武甕槌神)、春日神、他。

(下記は、一部)
*住吉大社  天火明命(饒速日命)を祖神とする一族が祀る。住吉神=天火明命=饒速日命

 (☆→住吉大社 ~饒速日命と天照と二つの珠~)

 

*鹿島神宮  物部氏が代々、神官を務める。物部の祖神=饒速日命

*高良大社  古来は、物部の領地であり、祖神(饒速日命)を祀る。

 (☆→神の系譜 2 ~伊勢の神は磯良神・日月の神~)

 

*籠神社   天火明命と豊受大神を祀る。

*伊勢の神は、籠神社の月神を呼び寄せた。

→伊勢の神=天火明命と豊受大神(市杵島姫命)=天照と豊受大神(宗像大神)          

 

*高良神は、安曇磯良神、住吉、鹿島、春日と同神。

*三輪の神は大物主神であり、大国主神、天照。

 

 

*2 御炊屋姫は市杵島姫命(宗像大神)であり、豊受大神、弁財天、神功皇后など、同神。

 (☆→神の系譜*豊受大神 編 5 ~女神・天照~ )

 

 

*3 宝満神(宝満宮竈門神社)の神は玉依姫、神功皇后、八幡大神。

玉依姫も神功皇后。

筑紫神社にも玉依姫が祀られている。

白日別である高良神と共に、イルヰと戦った神功皇后、その人。

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。




2023年5月 6日 (土)

神の系譜*豊受大神 篇 5 ~女神・天照~

続きです。

☆→神の系譜*豊受大神 編 4 ~祓いの神・瀬織津姫~

神功皇后は、豊受大神、瀬織津姫、市杵島姫命(宗像大神)、御炊屋姫。

後の為政者により、女神天照とされたのも、彼女。


1< 女神・天照の名>

女神・天照には別名があった。

撞賢木厳御霊天疎向津姫(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめ)。
意味は、
*神との境をつき(斎き)、響かせる御魂
*天(日の神)では無く、神に向かい合っている者

その名はあくまでも(日の)神ではなく、神に仕えるもの。


厳御霊から、厳島の神である市杵島姫命(宗像大神)。
また、向津(神と向かい合うもの)は、神の妻を意味する。


これらから、女神天照は市杵島姫命であり、宗像大神だ。

またこの名、神功皇后が香椎宮にて神がかりした時に伝えて来た名だという。
彼女は同神であるので、二柱の関わりを表している。

☆→神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~

 

2<御炊屋姫と瀬織津姫の名> 

「儺の国の星」より。
物部の子孫である真鍋大覚氏による、那珂川に伝わる古来の星の名を集めた本。
そこに「炊屋星(かしきやぼし)」についてあった。

織姫=炊屋(かしきや)。
織女の名から、女王、后妃、巫人をも表す名に繋がる。

御炊屋姫の名は、織姫をも意味していた。
(瀬は住吉三神が海の神(水の神)であるから、対をなす瀬織津姫。)

☆→御炊屋姫と瀬織津姫の名の意味 ~「儺の国の星」の炊屋星~

 

前回の祓いの神である、住吉神と瀬織津姫に繋がる。


*******************************************

 

1 女神天照の名は、厳島の神、市杵島姫命(宗像大神)を意味する。
2 炊屋(かしきや)は、織姫=瀬織津姫を意味し、女王、后妃、巫人をも表す名に繋がる。

☆→神の系譜*豊受大神 篇 1)より

3  御炊(みかしぎ)は、御膳津神(みかつかみ)であり、豊受大神、宇迦之御霊を意味する。

4  御炊屋姫は、弁財天、市杵島姫命(豊受大神)。

☆→神の系譜*豊受大神 篇 2
☆→神の系譜*豊受大神 篇 3)より
5  高良神(住吉神)の后は神功皇后であり、豊姫、弁財天、市杵島姫命と同神。

6  筑紫の伝承から、甕依姫とも同じ。

7  弁財天から天河弁財天=内宮の女神=瀬織津姫

(☆→御炊屋姫を追って  11 ~広瀬と弁財天と女神の天照~) 

 

以上から、

神功皇后=御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=宗像大神=瀬織津姫=甕依姫

 

< 豊玉姫 >

豊姫は、豊玉姫でもあった。

筑紫には、豊姫が海神から干珠満珠をもらい受けるという「磯羅舞」が伝わる。
*これは山幸彦海幸彦や浦島太郎などの元の話。

☆→八大龍王と弁財天 2 ~神功皇后伝承~)アメブロの記事

 

Shikaumi04_20230516174901

(志賀海神社)
その伝承の舞台、志賀海神社は龍宮という。
龍宮とは龍神のおわす所=志賀神(高良神・住吉神)が龍神。

高良神は住吉神であり安曇磯良神であり、饒速日命。
海神(龍神)は彼自身。

☆→祇園の神 6 ~龍神*安曇磯良神~

 

彼が饒速日命であるから、干珠満珠は彼が所有していた十種神宝の生玉死返玉のこと。

(以下、詳細)
☆→神の系譜 4 ~月読神の十種神宝~

また、それは高良玉垂宮神秘書より、三種の神器の一つと分かった。
☆→高良玉垂宮神秘書 4 ~三種の神器と神紋~)アメブロの記事*後にUPします。

 

高良神が月神とされるのは、海の水の満ち引きを操るからであり、彼らの治水工事をも表す。

その工事の一つ、奈良の古代湖の水を引いたのは、三輪の神である大物主神(饒速日命)。
亀石の伝承から、彼に繋がり、同神の名の中に天照、豊玉彦の名があった。

それと対をなす豊玉姫の名も。

彼女が、筑紫の「磯羅舞」の豊姫であり、高良神の后であった神功皇后。

(詳細は以下のシリーズ)
☆→古代*奈良湖と裂田溝 1 ~亀石の伝承~

また、奈良湖の水を引いたことにより、大和騒乱が鎮まったと考えられることから、3世紀頃のことと推定される。

更に、高良山の麓の祇園山古墳の造営は3世紀半ば。
大社の一族により守られ、また高良神は祇園神であるので、その后である。

卑弥呼の時代であった。

もしかすると、「卑弥呼が人前に姿を現さなかった」のは、彼女はその後大和にいなかったからかもしれない。
彼女は宗像大神。

もしかすると、「卑弥呼が人前に姿を現さなかった」のは、彼女はその後大和にいなかったからかもしれない。
彼女は宗像大神。

 

饒速日命と共に、筑紫へと移動しているのだから。
(例え、何度か戻っていたとしても)

筑紫ではあんなに登ってる山に、大和では一つも登っていないのだ。

山の上に神がおられる。
そう感じたら、登り続けるはず。

 

< 月神 >

 

籠神社には、天照国照彦火明命(饒速日命)と市杵島姫命が並ぶ絵馬がある。
その絵馬が全ての答えに繋がる。

伊勢の下宮の神は、籠神社から来た月神。
伊勢の神(天照)が独り身だと寂しいからと呼んだとされる。

しかし、下宮の神は豊受大神であり、彼女は月神ではない。
後の時代に天照の入れ替わりが起こっており、それを示唆しているだ。

Screenshot_202305161745112

導き絵馬(籠神社のHP より)
豊受大神を祀る眞名井神社の創始神話がかかれた絵馬。

 

籠神社の神は、彦火明命(天照国照彦火明命)。

相殿に、豊受大神、天照大神、海神(わたつみのかみ)、天水分神(あめのみくまりのかみ)

彼は、海神、志賀神、住吉神、天照でもあった。
(日と月と海の神)

籠神社の「月神」は饒速日命自身。
彼である高良神は月神と呼ばれる。

 

つまり、伊勢の神は、籠神社の彦火明命である饒速日命。

伊勢は古来、磯宮で磯神(=石上)。
高良神は安曇磯良神であり、同神なのだ。

豊受大神は市杵島姫命である宗像大神であった。

 

その宗像姫は北部九州の神。
筑紫の伝承には、大己貴神と宗像神が共に異類を退治するものがある。

大己貴神が大物主神であり、饒速日命。
異類退治が「祓い」であり、ゆえに彼らは祓いの神、住吉神と瀬織津姫でもあるのだ。

☆→祓いの神  9  ~波折神社*瀬織津姫と住吉神~ )

彼女は饒速日命と共に北部九州へと移動した、御炊屋姫、名を変えた神功皇后。
祇園山古墳は3世紀の中頃に造営。
彼女が「卑弥呼」でもあるのだ。

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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。

小分けなので分かりやすいかもです爆  笑

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2023年4月25日 (火)

神の系譜*豊受大神 篇 4 ~祓いの神・瀬織津姫~

続きです。


*今までのまとめ。

神の系譜*豊受大神 篇 3

☆高良大社の旧豊比咩神社 前編後編から、

高良神(住吉神)と共に祀られる豊比咩(以下、豊姫)は、弁財天であり、市杵島姫命だと分かった。
弁財天、市杵島姫命は、御炊屋姫。

☆神の系譜*豊受大神 1より)

 

彼女は、高良玉垂宮神秘書(以下、神秘書)の「高良神(住吉神)と夫婦」だという神功皇后。
(夫婦は共に祀られる)

では、

豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=御炊屋姫=神功皇后

 

さらに、☆神の系譜*豊受大神 篇 1から、

御炊屋姫の名は、御膳津(みけつかみ)である、豊受大神を意味する。

豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=御炊屋姫=神功皇后=豊受大神

となる。

☆神の系譜*豊受大神 篇 2から、彼女が卑弥呼にも繋がった。

 

一方、高良大社の高良神は住吉神。

彼は饒速日命。
高良の地は、古来物部氏の領地であり、祖神を祀る宮であった。
(以下のシリーズ参照のこと)

☆→神の系譜 1 ~新嘗祭と天照と饒速日と住吉神~

高良神(住吉神)が饒速日命であり、天照大神。
神功皇后は、御炊屋姫であり、豊受大神であった。

 

< 豊国の姫 >


神秘書では、高良神は神功皇后と共に行動していた。
彼は住吉神であり、祓いの神。

その所以は、熊襲を退治していたことによるもの。
筑紫では、羽白熊鷲、イルヰ(異類)、命尽くし神と呼ばれる。

高良神、神功皇后、熊襲は、それぞれ、
白日別、豊日別、建日別。

それを示す神話の「筑紫島の四つの面」は、北部九州の事。
当時の海面標高は今の4~5mほど。(*1 下記にて注)
これを念頭におけば、謎が解ける。

Tikushijima01
(左は海面上昇シュミレーションシステム より
右はGoogle map より)


3が建日別。(右の地図)

建日別は熊襲の地と神話には記される。
熊襲である羽白熊襲の本拠地は3の古処山の麓にある。

 

それと対峙していたのが、高良神である住吉神と神功皇后。

4の高良大社の地が、白日別(筑紫の御霊)
(筑紫の御霊は高良神。筑後国一之宮の神)

3には宗像大社があり、そこが豊日別。
神功皇后は、市杵島姫命であり、宗像大神。
豊姫、豊受大神でもある。

今の豊前豊後は後の区分。
おそらく宇佐神宮ができてからのもの。

「もともと」の豊国(豊姫の国)はここであったのだ。
(詳しくは、下記シリーズ)
☆→筑紫島四つの面 1 ~高良神は白日別~


残るは、1の建日向豊久士比泥別(たてひむかとよくしひねわけ)。

その地こそ、彼らの国。
豊は豊姫である神功皇后、御炊屋姫、豊受大神。
久士は櫛、櫛玉饒速日命を示し、高良神、住吉神。

 

「奴国」である、儺国。
そこには那珂川があり、住吉神の元宮、「現人神社」がある。
神話の元は、この国にあった。

この地の地形、土地の名から神話は生まれている。
☆→筑紫島四つの面 4 ~建日向豊久比泥別~

 

「奴国(儺国)」とは、魏志倭人伝に登場する国。
女王国という「邪馬台国」はその先にあるかのように記されているが、当時の最大の統治国はこの地。
(*2 追記)

「邪馬台国」も「奴国(儺国)」であり、卑弥呼は神功皇后のことである。
☆祇園山古墳の被葬者は彼女。

☆→祇園の神 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

 

< 瀬織津姫 >

住吉は祓いの神だが、瀬織津姫も祓いの神とされる。

志賀大神、住吉神、瀬織津姫は、神功皇后の三韓征伐の凱旋の折りに邂逅していた。
(☆→祓いの神 9 波折神社*瀬織津姫と住吉神)

しかし、住吉神は志賀神と同神。
彼は神功皇后と夫婦であり、共にイルヰ(熊襲)を退治している。
ならば、住吉神とともにある瀬織津姫は神功皇后。

このように伝承は、少しづつ形を変え(意図的か)られているのだ。

 

祓いの神。
住吉神と瀬織津姫も彼らであり、その名は異類を退治していたことが所以。
神功皇后は、豊受大神、瀬織津姫、市杵島姫命(宗像大神)、御炊屋姫。
後の為政者により、女神天照とされたのも、彼女。


( つづく )

 

 

*1 標高4~5m。
当時から現在までの堆積物などもあり、一概にこの標高とは言えない。

目安として、このような形だったのでは。
後に「儺の国の星」にも関わってくる。

 

*2 邪馬台国

魏志倭人伝の邪馬台国は、場所をぼかしてあると思われる。
奴国以降、特定できないように。
実際の当時の卑弥呼の「女王国」は奴国。

 



*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

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2023年4月18日 (火)

高良大社の旧豊比咩神社* ~豊姫と神功皇后 後編~

前回の続き。

高良大社の本殿に、高良神と共に祀られる豊比咩(以降、豊姫)。
合祀される前の豊比咩神社には弁天池があった。

小山にあった社の主が、弁財天であると示唆している。

 

その弁財天は市杵島姫命(宗像姫)。
御炊屋姫であり、その名は豊受大神、稲荷神(宇迦之御魂)を表す。

彼女は饒速日命の后。

高良の神である住吉神は、饒速日命であるので必然となる。

 

高良の伝承では、高良神(住吉神)と神功皇后は夫婦とあった。
本殿に共に祀られている豊姫こそ御炊屋姫であり、神功皇后だ。

 

豊姫=弁財天=市杵島姫命(宗像神)=豊受大神=御炊屋姫=神功皇后

高良神=住吉神=饒速日命。

 

< 高良大社の二柱 >

伝承には二柱は夫婦。

(大阪住吉大社の伝承でも二柱は夫婦。)

神秘書には、二柱が共に高良山で暮らしたことが記されている。
参道の階段を上がる途中に、二柱の痕跡があった。

Screenshot_202304171529522

背くらべ石。

神功皇后が三韓征伐の折りに、戦勝占った。
このすぐ側に、

Screenshot_202304171529562

馬蹄石。

高良の神を乗せた馬が足跡をつけたと言われる石。

 

< 馬蹄石 >

 

寄り添うようにある、二つの伝承石。

これらは、「その伝えの通り」ではないことは明白だ。

この社の神の縁を語るものであり、二柱が縁ある者であることを示唆している。

 

宝満山にも「馬蹄石」があった。
Screenshot_202304171530002
(宝満山の馬蹄石)
玉依姫が乗った馬が付けたとされているが、宝満山の玉依姫は神功皇后。
宝満宮竈門神社の御祭神は、玉依姫と共に神功皇后(と、八幡神)。(*1)

Screenshot_202304171530032

(宝満山*上宮)

だが、その山中にある伝承はすべて彼女のもの。
かの山の神は、彼女であることを物語っている。

☆→宝満宮竈門神社 ~神功皇后の鬼退治 ➁~)アメブロの記事

 

宝満山と高良さんは筑紫を代表する霊山であり、共に神が住まうと人々に愛されてきたお山。
二つの山の神は同じなのだ。

では、高良山と宝満山にある「馬蹄石」は、偶然ではないことが分かる。
境内(山)にある謂れのある物は、すべて御祭神にまつわるものであると言える。
そこに無意味にあるわけではなく、彼らへと繋げる為のもの。

 

高良山の参道には、社があった。

Screenshot_202304171530082(伊勢天照御祖神社)

高良大社の参道にある摂社。
高良神が饒速日命であり、天照であるからここにあるのだ。

Screenshot_202304171530112

久留米市内にある伊勢天照御祖神社(大石神社)。

彼が天照国照彦天火明命(饒速日命)の神名で祀られている。

Screenshot_202304171530152

高良大社の伊勢天照御祖神社とこちらの神社は、同じ名であり同じ神を祀るもの。

高良の神は饒速日命であると、高良大社にある「伊勢天照御祖神社」は告げている。

社に配祀の神は夫婦神と同神である。
(この場合、高良神と天照=伊勢天照御祖神社の饒速日命)

☆→二つの伝承 8 ~五十猛神と甕依姫~


< 神との縁 >

*境内(山)にある謂れのある物は、すべて御祭神にまつわるもの。

では、もう一度、前回の旧豊比咩神社の周辺の地図。

Screenshot_202304171530182

   (地図はYAMAP)

☆4 下社(祇園さん)
☆3 祇園山古墳(卑弥呼の墓比定地)
☆1 旧豊比売神社社地。

☆高良神が手を洗ったという伝承。

山中にあった、

☆馬蹄石
☆背比べ石
☆伊勢天照御祖神社

(厳島神社は他にもある)

 

☆ 2の横にある鳥居マークの高木神社。

高木神も彼です。(*2 下記にて)

 

これらすべては、高良神に繋がるものであるのだ。
高良神は住吉神である饒速日命。
共に祀られる豊姫は、神功皇后である御炊屋姫。

 

そこへたどり着いたのは、高良神(住吉神)と神功皇后が夫婦だという、神秘書の記述があったから。

かの書は真実を告げていた。

すべての糸が一つの元へ。
それは真実であるからだ。


          *

 

彼女は、豊受大神でもあった。
豊国の姫とは、彼女の事。

今の豊前豊後の神。
それが神功皇后でもあった。



次回、この続き。

*****************

今は誰も祈ることのない神聖であったはずの地。
社の跡は、何も建てられられないと聞く。

 

でももしかすると、これは彼女が望んだことなのかも。
今は高良大社の本殿の中に、彼と共に祀られている。

 

( つづく )

 



*1 宝満山の玉依姫
玉依の名は、神の魂の依り代のこと。

「神武天皇の母」ではない。
(神武天皇も饒速日命と同神。玉依姫が母とは、彼女との「縁」を表している。

*2 高良大社の高木の神と英彦山の神
高良の神が高木の神を追い出したとされるが、英彦山(元々、饒速日命と宗像三神)と同じく(天忍穂耳神に譲った)、彼の別名であった。

追い出した、名を変えたは、同神を表す。

 

そもそも、日本のほとんどの神は彼らから派生していた。

(あらゆる神は彼らに繋がる)

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

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2023年4月 6日 (木)

高良大社の旧豊比咩神社* ~豊姫と神功皇后 前編~

続き 

☆→神の系譜*豊受大神 篇 3 ~高良大社の豊姫*豊受大神~

 

高良大社の旧豊比咩神社の社地を探索。
周りをぐるっと一周してみる。

高良大社の本殿には高良神と共に豊比咩神が合祀される。
元々は高良山の麓にあり、後に合祀されたとのこと。

その場所へ。

 

目的地は下の地図の1になる。

青い線の中は、ほぼ私有地なので入れない。

Screenshot_202304060458412

(地図1*1の星印が旧豊比売神社の地
*地図はYAMAP)
2の数字の辺りが下の橋。

Screenshot_202304060458452

(写真1*橋)


2の橋に立ち、1を見たところ。

左に見える小山(1の場所)にかつて、豊比咩神社があったのだ。

Screenshot_202304060458512
(写真*2 案内板)

案内板。

御手洗橋の名の起こりについて記されてある。

池の南東の玉垣は、高良の神がここで御手を洗って山に登られた、といういわれのある井戸の名残り ここにも高良の神が関わっていた。

このような一つ一つのいわれが、 この場所(の神)との「縁」を物語るのだ。

この橋の右側の小さな島の上にあるのが、厳島神社。
御祭神は市杵島姫命(弁財天)。

Screenshot_202304060458552(写真*3 厳島神社の島)

厳島神社は、この小さな島の中。

Screenshot_202304060458592(写真*4  厳島神社の祠)

祠が見える。
島の上にあるが、写真1の橋は、向こう側(奥)に導いる。
それが写真1の小山。
 橋の奥にある白い車の先がこの場所。

Screenshot_202304060459022(写真*5  旧  豊比咩神社の参道)

フェンスがあり、参道の石段が残されていた。

これがかつての豊比咩神社への道。
(地図1の2の数字の右下辺り)

この先は私有地なので、様子を伺い知ることは出来ない。

ぐるっと一周してくる。
地図1のS(スタート)位置から上の線を左へ。

4が高良大社の下社。
別名、祇園さん。

Screenshot_202304060459082

(写真*6  高良大社の下社・祇園さん)


高良神である饒速日命は、須佐之男命(祇園の神)でもあった。

故に、ここが祇園さん。

☆→祇園の神 9 ~高良大社の祇園の神~

ここから、高速の高架下を潜り、祇園山古墳へ。

Screenshot_202304060459112(写真*7   祇園山古墳の案内板)

時代は3世紀頃とされ、殉葬者60人以上。
卑弥呼の墓の比定地とされている。

彼女が卑弥呼でもあるので、ここがそうなのだ。
また神功皇后の眠る地でもある。

☆→祇園山古墳 10 ~卑弥呼の墓*祇園山古墳~

Screenshot_202304060459162(写真*8   祇園山古墳  石棺)

 

祇園山古墳の上。
石棺は草に埋もれていた。

遠く脊振が見える。
長めのいい場所を占地といい、位の高いものが眠るということ。
彼女が高良の神の后であるから、かの神の山の麓に眠るのだ。

しかも「祇園山」と言う名。

神功皇后も祇園の神の一柱。

☆→祇園の神 2 ~祇園の神は住吉神(安曇磯良神)~

Screenshot_202304060459202 (写真*9   旧豊比咩神社周辺  池)

さらにぐるっと回って。

地図1の3から1へ進むと、左手に池が見えた。
地図1の南(下)にある池。

段差があり繋がってはないですが、地図では左右にあるよう。
(左手は私有地で柵がある)

Screenshot_202304060459282

(写真*10   旧  豊比咩神社  跡地)


1を過ぎ、道路に交差した地点から、1の小山を見上げたところ。

 

この奥に旧豊比咩神社があった。
この旧社地を囲み点在する池と橋。

これらは弁天池。

(奈良の廣瀬大社のようにぐるっと囲ってなくとも意味を成すよう)

高良大社に高良神と共に祀られる豊姫は、弁財天であり、市杵島姫命であるということを示す。

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどの無断使用はご遠慮ください。

 

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2023年3月26日 (日)

神の系譜*豊受大神 篇 2 ~神功皇后と卑弥呼~ 

 前回の続きです。

 

饒速日命の后、御炊屋姫は弁財天であり、市杵島姫命。
その名は豊受大神、稲荷神(宇迦之御魂神)を意味します。

市杵島姫命は、宗像神であり、北部九州の神。
では、大和で出会った彼らは、後に北部九州へと移動しています。

 

筑紫へと。

そこからが、神功皇后と住吉神しての物語。
その伝承の先に彼女と「卑弥呼」が顕れます。

 

 

<高良玉垂宮神秘書>

御炊屋姫は神功皇后。
時代を違えると思われた二人を繋ぐ答えが、高良の伝承にあります。

Koura_20230326155001
(高良大社)

*高良の神は住吉神。
*住吉神は神功皇后と夫婦。
*共にイルヰ(異類)を退治。
*「高良神は物部の姓。違えば当山滅す」の記述。
*かの社の地は古来、物部氏の領地であった。
=祭神、高良神は物部の祖神の饒速日命。

高良神=住吉神=饒速日命

 

☆神の系譜 1 ~

☆神の鉾 2(高良玉垂宮神秘書)

☆神の鉾 5 (月神の二つの珠と十珠神宝)

 

神功皇后と住吉神が夫婦。
住吉神は饒速日命。

饒速日命と夫婦であるのは、御炊屋姫。
では、彼女が神功皇后。

 

彼が住吉の神ならば、矛盾していません。
大阪住吉大社の伝承にも、住吉神と神功皇后が夫婦とあり、共に祀られています。

神話には「神功皇后の三韓征伐の折に、船の舳先に現れ玉体を守った」などしかない彼等の繋がり。

しかし、彼らを祀る各地の社に行った時、それだけでは無いように感じていました。

 

彼らは共に生きていた。
腑に落ちました。

 

筑紫には彼らの伝承が数多ありました。
高良垂宮神秘書による、高良神と神功皇后の伝承の「イルヰ(異類)」退治。

羽白熊鷲(熊襲)とも記されてあります。

 

彼らはそれと対峙していました。
「祓いの神」とされた理由です。


筑紫の伝承から、彼らに繋がります。

 

*****

 

< 冷水峠 >

*筑紫の伝承の舞台はすべて冷水峠であり、同じ話。
彼らは同神である。☆1~5

Hiyamizu05_20230326155001

(右端、大根地山の麓の青丸5が冷水峠。
地図はGoogle map)


☆1 荒穂神社(上記地図 1の基山の麓)
御祭神 鴨大神、八幡大神、宝満大神、春日大明神、住吉大明神、五十猛命。←すべて同神

命尽くし神という荒ぶる神(鬼)を退治したのが五十猛命。
(退治したのは)基山の東。

(☆→ 二つの伝承 2 (荒穂神社))

*社には荒穂神(五十猛命)が高良神であることを示唆する石がある。

Screenshot_202303261602042
 (荒穂神社)

 

☆2 筑紫神社(上記地図の2)
御祭神 筑紫神(筑紫国魂)、玉依姫 他。
筑紫神は、「命尽くし神」と言う悪神。

筑前筑後の境の「シタクラツクシ坂」(命尽くし神がいた地)

(☆→ 二つの伝承 4 (筑紫神社))

 

1と2の伝承から、「命尽くし神(筑紫の由来)」は悪神であり、退治したのは五十猛命。

「筑紫神」は筑紫国魂である、筑後国一ノ宮の高良大社の高良神(白日別)。
→2の筑紫神社の「筑紫神」は、退治した者が退治されたものの名になっている。(*1)

☆→ 祓いの神 5 鬼神*艮金神))アメブロです!

では、退治した者は、筑紫神である高良神であり、これが五十猛命。

筑紫国魂=白日別=高良神(住吉神)=五十猛命=饒速日命

 

☆3 筑後国風土記

筑前・筑後の国境の険しい峠。

荒ぶる神「命尽くし神」が筑紫神(荒ぶる神)。
甕依姫祭司、それを鎮める。

☆4 古事類苑

筑後国風土記の命尽くし神は、シタクラツクシ坂にいた。

☆→ 二つの伝承 7 ~冷水峠~

 

3、4の伝承は、1、2の伝承と同じ場所であり、同じ話。
では、甕依姫(みかよりひめ)は高良神(五十猛命)と共に「命尽くし神」を退治したことになる。

 

*これらすべての舞台の、

筑前筑後の境の険しい「シタクラツクシ坂」

基山の東

それが示すのは、冷水峠(上記地図の5の青丸)。

 

そこは長崎街道の難所と言われていました。
すべての条件が当てはまる唯一の地です。

Screenshot_202303261602092
(今の冷水峠*古代はもっと
険しい場所を通ったはず)

そこにあるのが大根地山。
神功皇后の伝承があります。

 

☆5 大根地神社(大根地山)(上記地図の5)

御祭神 天照大神 他 天神七代地神五代
摂社に、須佐之男命、大市姫命(*2)

 

神功皇后が羽白熊鷲征伐の時
大根地山に神を降ろす。(神功皇后が山頂で神楽を舞い、神を降ろす)

その霊験により、(神が)熊襲を鎮めた。

(☆→ 二つの伝承 5 ~大根地山 登山 (1)*大根地神社)

 

Screenshot_202303261602142
(大根地神社)

上記の伝承と同じ地であり、高良の伝承の羽白熊鷲は命尽くし神。
では、高良神と共に「命尽くし神」を退治した、甕依姫は神功皇后ということになります。

 

 高良神(住吉神)は、神功皇后と共にイルヰ(衣類)を退治したという、高良の伝承と一致する。

 

****

 

高良玉垂宮神秘書には、高良神は住吉神とありました。

彼は饒速日命です。

高良神=住吉神=五十猛命=筑紫神(筑紫国魂)=白日別=饒速日命

 

また、上記の神社に祀られる神はすべて同神です。

(☆→ 神の系譜 5 ~祓いの神*住吉神~)

 

彼の后の御炊屋姫は、前回より、豊受大神、宗像神(市杵島姫命、弁財天)。

神功皇后=甕依姫=御炊屋姫=豊受大神=宗像神=市杵島姫命=弁財天

 

高良神(住吉神)と神功皇后が夫婦。

彼らが饒速日命と御炊屋姫であるので一致します。

 

 

饒速日命と共に北部九州へ。

そこから先の二柱は、住吉神と神功皇后と名に変わっているのです。

否、変えられているのです。

 

***

 

< ひみか >

 

甕依姫のみかよりひめ、御炊屋姫(みかしや・みかしやき)姫。

甕・みかには、神の供物を入れる器の意味があり、転じて巫女を意味します。

共通する「みか」の字。

神の名は一字で、その神を表す場合があります。*3

 

 

饒速日命は天照であり、日の神。

日の神の甕で、ひみか。

 

彼女の本来の名は、「ひみか」。

 

これが魏志倭人伝の「卑弥呼(ひみか)」の正体です。

 

以上、詳細はこの記事。

(☆→ 二つの伝承 8 天照大神と豊受大神(五十猛命と甕依姫)

 

 

( つづく )

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

*****************************

*1 退治した者が退治されもの者の名になる。

*2 大根地神社の須佐之男命と大市姫
彼らは饒速日命と御炊屋姫と同神であるので、大根地山に祀られる。

☆祇園の神 7 (神話の中の須佐之男命)

 

*3   神の名は、一字でその神を表す。

例えとして、

高良神は安曇磯羅神(あんとんいそらしん)=いそかみ(磯神)=石上(いそのかみ)=五十猛=伊勢は磯宮(祀るのは磯神・いそのかみ)

☆神の系譜 3 ~天照は磯神・いそのかみ~)

 

 

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2023年3月21日 (火)

神の系譜*豊受大神 篇 1 ~御炊屋姫~

以前、饒速日命についてまとめました。
彼は天照大神であり、住吉神

福岡(筑紫)では、筑後国一之宮の高良神です。

☆→神の系譜 1 ~新嘗祭と天照大神と饒速日命と住吉神~

彼の后は、御炊屋姫(みかしきや、みかしや姫)。

彼女が豊受大神であり、神功皇后。
今回は、彼女について、この時点で分かったことをまとめます。


< 弁財天 >

「彼女」を解く鍵は弁財天でした。

Screenshot_202303211629582

(天山 上宮の弁天さま)

その弁財天は市杵島姫命と習合されています。
市杵島姫命は宗像神。

三女神とされますが、住吉三神と同じく一柱。

では、弁財天である者が市杵島姫命であり、宗像大神となります。


< 弁天池と市杵島姫命 >

弁財天は市杵島姫命。
その社の多くは、池の中に島を造り、社を建てます。

Screenshot_202303211630012

(狭井神社の市杵島姫命神社)

市杵島姫命の名は、斎き島(いつきしま)であり、島の神を斎く(まつる)者。
島は古語で、星と同義語(「儺の国の星」より)。

つまり、星の神を祀る者を意味するのです。


故に、弁財天は市杵島姫命であり、「星の神を祀る者」。
「弁天池」はその象徴であるので、多くの社がその形をなしています。

これも「鍵」の一つです。

 

***

☆御炊屋姫は弁財天で、市杵島姫命である。*1 *2 *3

櫛玉比女命=御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命


*1 櫛玉比女命神社(奈良)
御祭神 櫛玉比女命。

彼女は饒速日命の后。
弁財天と言う地名にあり、弁天さんと呼ばれる。

御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命

☆→御炊屋姫を追って 1 ~櫛玉比女命神社~)

 

*2 村屋坐彌冨津比賣神社(奈良)

摂社の物部神社の御祭神 御炊屋姫 弁財天と呼ばれる(社が弁天池にあるから)

ここの本殿の御祭神は、大国主神と美穂津姫。
物部氏が代々神官をされていることから、彼らも物部の祖神。

(祖神は、饒速日命と御炊屋姫)。

御炊屋姫=弁財天=美穂津姫

大神神社の摂社である=同神。
大物主神=大国主神=饒速日命

(☆→御炊屋姫を追って 7 ~村屋坐彌冨津比賣神社~)

 

*3 狭井神社(さいじんじゃ)の市杵島姫命神社。

大神神社の摂社(奈良)
御祭神 市杵島姫命(弁財天)
弁天池の中にある。

市杵島姫命=弁財天

大神神社(大物主神)と市杵島姫命との関係を示唆
(饒速日命と御炊屋姫)

 

☆御炊屋姫の名は、御膳神であり豊受大神、稲荷神(宇迦之御魂神)を意味する。

御炊屋姫=御膳神=豊受大神=稲荷神


*4 御炊社(みかしぎしゃ)
大神神社の摂社(奈良) 御祭神 御膳神(みけつかみ)  

御膳神は、豊受大神、稲荷神(宇迦之御魂神)のこと。

 

Screenshot_202303211630092

(大神神社の御炊社)

 

御炊(みかしぎ)の名から、御炊屋姫の名が豊受大神を表すことが分かる。

(☆→御炊屋姫を追って 9 ~大神神社の御炊社の豊受大神~)

 

☆豊受大神(稲荷神)を祀る廣瀬大社、豊受大神は廣瀬の神である。*5

 廣瀬の神は、弁財天であり、市杵島姫命。(佐賀天山)*6

豊受大神=廣瀬の神==弁財天=市杵島姫命 

 

*5 廣瀬大社(奈良)
御祭神 豊受大神(御膳神) 社の周りは弁天池のよう。(*下記にて)

廣瀬神=豊受大神=弁財天

御膳神(みけつかみ)は御家津神。
熊野大社の神でもある。

☆御炊屋姫を追って 10 ~分御霊*廣瀬大社と豊受大神


*6 天山周辺の天山神社の三社他。(佐賀)

御祭神 市杵島姫命(弁財天)

下社の一つが廣瀬神社。
周辺には、天川の地名。

奈良の廣瀬神社との一致。

廣瀬の神=豊受大神=市杵島姫命=弁財天

また、天川の地名により、奈良の天川の天河弁財天神社との関係を示唆

☆→御炊屋姫を追って 3 ~天河弁財天の元宮 1

Screenshot_202303211630142

(天山山頂)

****

天河弁財天神社の神は、内宮の女神。*7

弁財天=瀬織津姫=豊受大神=女神の天照

*7 天河弁財天神社(奈良)

御祭神 弁財天(市杵島姫命)
伊勢神宮内宮の女神を勧請してきた。

内宮の神は、天照(女神)であり、豊受大神である。

=荒祭宮の瀬織津姫。

弁財天=天照(女神)=豊受大神=瀬織津姫

(☆御炊屋姫を追って 4 ~天山と天河弁財天神社~2)

 

これらをまとめると、

御炊屋姫=弁財天=市杵島姫命=御膳神=豊受大神=稲荷神=廣瀬神=伊勢内宮の神=女神の天照、豊受大神、瀬織津姫

 

御炊屋姫は弁財天と呼ばれ、
その名は豊受大神を意味し、
豊受大神である廣瀬の神から、天山、天川(佐賀)の弁財天に繋がり、
(奈良)天河神社から、弁財天が伊勢の内宮の神、豊受大神(女神の天照)へと繋がりました。
(女神天照=豊受大神については後に)


さらに、御炊屋姫は饒速日命の后。
彼は男神の天照大神でした。
その后が豊受大神ということになります。

大神神社の大物主は饒速日命であり、大国主神であることも分かっています。
そこから、

摂社、末社は同じ神であること。
夫婦は共に祀られる。(すべてではない)

ということも見えてきます。


* 5の廣瀬大社の豊受大神は弁財天(市杵島姫命)でありました。

では社の周りが、「弁天池のよう」だったのは、それを表していたことになります。

*****

饒速日命が天照大神。
その后、御炊屋姫が豊受大神であり、市杵島姫命。

市杵島姫命は宗像神でありました。

北部九州の神です。

 

では。
大和で出会った彼ら。

その後、北部九州、筑紫へと移動したことになります。

 

(つづく)

 

 *6 以外は奈良。

 

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

 

 

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今更ながら始めました。
古代や神のこと、少しずつつぶやきます。
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2023年2月 7日 (火)

祓いの神 10 終章 ~結界~

続きです。

☆→祓いの神 9 波折神社*瀬織津姫と住吉神

 

彼らのいた筑紫には結界がありました。

筑紫三山を起点とした結界。

(「結びの山 その7 ~線上~」)

飯盛山、若杉山、基山です。

Screenshot_202302071253452

まるで海へと向かう形のような。
その海側のライン。
(当時の海岸線です)

飯盛山と若杉山を結んだ線のちょうど真ん中に、神社があります。

☆→結びの山 終章 その21 ~黄泉の大岩・くなどの神~)アメブロの記事*1

 

「熊野道祖神社」

そこは塩原。

塩を作っていたという標高5mの当時の海岸線です。

Screenshot_202302071253492

 

御祭神は、イザナギ神、久邪斗(くなど)神。
八街(やちまた)比古神、八街比売神。
(八街の神は、猿田彦神=饒速日命)


くなどの神は、又の名を塞其黄泉大神(塞にいます黄泉大神)。
イザナギが、黄泉とこの世の境に置いたという大岩を象徴しているという神。

黄泉との境にあり、黄泉の者が来ないようにしているのです。

 

この神社は、「境内の木を学校を作るために伐採しようとしたとき、何人もけが人が出て切ることを止めた」と言われてます。(昭和の話)
場所を移すことを良しとしない、この場所にあってこその社。

 

また、上の図のオレンジ色のラインは、記紀にある「真の道」です。

☆→結びの山 その14 ~天孫降臨 前編~

 

この国は韓国に向かい、笠沙の岬まで真の道が通じていて、
 朝日のよく差す国、夕陽の照る国である。それでここはとてもよい国である」

(Wikipedia 「天孫降臨」より)

*「真の道」を創り上げている各神社は、上の記事へ。

*「笠沙」の解説あり。


「真の道」は、これを強化するためのものではないか。
神の力で後ろから押さえているかのよう。

 

この場所は、くなどの岩。
「黄泉の国」との境です。

 

まるで、海から来る「モノ」を防ぐ道返之岩(ちがえしのいわ)。
道返之神は、まさに岐那戸神(くなどのかみ)です。

「熊野道祖神社」の場所は、特殊な場所にありました。
筑紫三山が作る結界の、海に面した方のラインの真ん中

「真の道」と交わる場所

 

神の守り。

 

これは人に対しては効果ありません。

でも、今でも機能しているのです。

 

<力場>

 

アメブロの下記の記事に天澤さんがコメントをくださいました。

 (「結びの山   その10 ~線上~」 )


(この線の真ん中の塩原という所が)
熱く感じる。

外側からの何かに向け
「踏ん張っている」ように見えるので
力場みたいなものが在るのかも知れません

 

自分も気になっていたその場所、調べたら上の神社があったのでした。

動かしてはいけない社の位置。

未だに作用している力場。

 

筑紫三山の結界は、「彼ら」が作った物です。
故に彼らが祀られているのです。

 

三山の神

☆飯盛山(飯盛神社)

伊邪那美命。
宝満神(玉依比女命、神功皇后)
八幡大神。

 

☆若杉山(太祖宮)
伊弉諾神

天照皇大神 志賀大神 住吉大神
八幡大神 聖母大神 宝満大神

 

☆基山(荒穂神社)
瓊々杵尊
鴨大神 八幡大神 宝満大神 春日大明神 住吉大明神 五十猛命

 

☆大己貴命=饒速日命=高良神=住吉大神=志賀大神=天照大神=鴨大神=八幡大神=五十猛命

☆宗像大神=市杵島姫命=御炊屋姫(櫛玉姫)=瀬織津大神(瀬織津姫)=神功皇后=豊受大神=宝満大神=聖母大神=玉依姫

 

すべて同じ神です。

彼らが対峙していたのは、イルヰでした。

ならば、その結界はそれに作用する。

 

イルヰ、異類は人ではなかったのです。

 

また、「祓いの神」

これらの出来事が神話の

「伊邪那岐神が伊邪那美神を求めて黄泉へ行く話」と

「伊邪那岐神の禊(祓い)」になったのです。

海に面したラインの起点。

そこには彼ら以外の、伊邪那美神と伊邪那岐神も祀られていました。

 

それは後に。

「祓いの神」の回、終わりです。

 

 

 

☆飯盛山
(「結びの山 その4 ~飯盛山登山(上宮)~」)

(「結びの山 その5 ~筑紫三山~」)

☆若杉山

(「結びの山 その6 ~太祖神社*対の社~」)アメブロの記事*1

(「結びの山 その8 ~若杉山② 太祖宮 上宮~」)アメブロの記事*1

☆基山

(「二つの伝承 1 基山のライン」)

 

 

***************************************

 

*1 アメブロにてココログの記事を転載しているのですが、その際に加筆したものも多いのです。

今の情報から以前の記事を見て気づいたこと(結びついたこと)や、アメブロでのコメントから繋がったことなど。

そちらは後にココログにも掲載します。

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。




2023年2月 2日 (木)

祓いの神 9 波折神社*瀬織津姫と住吉神

続きです。

 

その後、波折神社へ

福岡県福津市津屋崎
楯崎神社がある渡半島から車で5分。

ここには、瀬織津姫と住吉大神の伝承がありました。

Screenshot_202302020756022

ご祭神は、瀬織津大神、住吉大神、志賀大神。

Screenshot_202302020756052

 

神功皇后の新羅を遠征して凱陣した時、この三神が当浦渡村鼓島に現れた。
皇后はこの浦の岡分、河原崎の宮之本という地字に神垣を造り祭祀した。

 

後に漁民が嵐に遭った時、三神が現れ助けた。
鼓島に漂着した後、再び三神現れ飲食を与え給う。

 (上記の縁起より要約)

Screenshot_202302020756122

 

瀬織津姫と住吉大神の組み合わせは、他には無いんじゃないでしょうか。
しかし、彼らの素性を最も的確に表してます。

 祓いの神です。

 

Screenshot_202302020756123

(鼓島)

この波折神社の伝承では、
神功皇后が三韓征伐して凱旋した折に、鼓島で三神に逢ったとありました。

三神は、瀬織津大神、住吉大神、志賀大神です。
神功皇后は、彼らと邂逅していました。

楯崎神社の伝承では、大己貴命と宗像大神。
彼らが夷の類と戦った。

戦いの場所は、楯崎神社がある地~鼓島です。

後に、神功皇后が三韓征伐の折りに楯崎神社の地に船で着きます。

これらに高良大社の高良玉垂宮神秘書の伝承と今まで分かったことを重ねますと、すべてが繋がっていきます。

 

< 楯崎神社 >

大己貴命宗像大神
夷の類と戦う

戦った場所は楯崎神社~鼓島(名称が残っている)

後に神功皇后
三韓征伐の折り(戦う前)に山に登り、助力を祈願

場所は楯崎神社の地

 

< 波折神社 >

瀬織津姫住吉大神、志賀大神

神功皇后

三神と邂逅したのは、三韓征伐の凱旋の折り(戦って勝って帰ってきた後)

邂逅した場所は鼓島

 

< 高良大社(高良玉垂宮神秘書) >

高良神(安曇磯良神)神功皇后

高良神は住吉神であり、志賀大神と同神(他のは省略)
高良神と神功皇后は夫婦。

二柱は、共に各地でイルヰと戦う。

 

Screenshot_202302020756212

(最接近した時に望遠で撮った鼓島)


彼らは、同神です。

大己貴命=饒速日命=高良神=住吉大神=志賀大神=天照大神

宗像大神=市杵島姫命=御炊屋姫=瀬織津大神(瀬織津姫)=神功皇后=豊受大神

 

☆→神*総まとめ)アメブロの記事

 

☆神功皇后は饒速日命の后、御炊屋姫。
彼女は瀬織津姫でもありました。

 

楯崎神社と波折神社と高良大社の神は同じ。

では、各神社の伝承の元は同じです。

 

戦った「夷の類」とは、高良大社の伝承の「イルヰ」。

こんなに近いのに違うようにみえる伝承。
神の名も違います。

これは作為的なものでは。

 

だけど、分かれば確実に繋がる。

いつか分かるようにとの意図さえみえます。

 

< 祓いの神 >

住吉神、瀬織津姫は、祓いの神四柱の中にあります。
他の二柱も、名を替えた彼らかもしれません。

「祓いの神」とは、まさしく彼らが戦った「夷の類」「イルヰ」を退治したことに他ならないのです。
ならば神功皇后の伝承にある、「三韓」はイルヰ。

 

そうすると、記紀の記述が分かります。
神功皇后が香椎宮で神がかった時の神の言葉。

「内陸にいる(熊襲)羽白熊鷲を倒す前に、新羅を攻めろ。新羅には金銀がある」
一見、全く繋がりがないようなこの言葉。

それに引っかかっていたのです。
神が金銀を求めるか。

ですが、「三韓」と記載されてるものが実はイルヰなら。

内陸の「羽白熊鷲(イルヰ)」を倒すより前に、北の海からくるイルヰを倒せ

ではないのか。

 

*でも実際はどっちを先に退治したのか分かりません。
内陸の熊襲を退治したのが先ならば、

もしかしたら、内側の「イルヰ」が外の「イルヰ」を呼ぶのかな。

 

異類。
それは人ではありません。
何故なら各地にある神事が物語っています。

 

( つづく )

Screenshot_202302020756292

(鼓島)


二枚目の写真を見ても5mあるか微妙。
当時も海から出ていたのかな。

触ってみたい。

チャンスは年に二日ほど!
最大ここまで潮が引くらしい。

今度は反対から回ってみようか~。

(この後、鼓島に近づきました。その記事は後程)

 

*記事内の考察や写真、イラストなどは管理人に著作権がありますので、無断使用はご遠慮ください。

続きです。

 

より以前の記事一覧