饒速日命と神功皇后 2 ~大国主神の正体~
続きです。
「土地の人が羽白熊鷲に苦しめられていた」
それをうかがい知ることができるものがあった。
この辺りに数多ある大国主神の社。
<大国主の社>
大己貴神社の向かいにある公園の案内板には、その理由を、
「大国主神は羽白熊鷲であり、地元にいた豪族。神功皇后に倒されたために、彼をしのんで社があるのでは」とあった。
初めてそれを見た時、違和感があったのだ。
大国主神は羽白熊鷲を倒した方であり、それが歓迎されたために、大国主神の社があるのでは?
ならば、「羽白熊鷲」は、歓迎される者ではなかったということだ。
*****************
< 大国主神の社 >
朝倉にある大国主神を祀るいくつかの社から、かの神の正体に迫る。
*1 弥永の大己貴神社
ご祭神 大己貴神社(大国主神)、天照大神、春日大明神。
*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社
ご祭神 大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神。
上記の二社について。
一緒に祀られる神は、同神と后。
例外として、後の時代に功績などから合祀される者。
上記の六柱の神はすべて同神、饒速日命。
< 老松神社 >
かつて大国主神を祀っていた社から、繋がる。
*3 下渕の老松神社
もともと大国主を祀っていて、後に、菅原神、神功皇后、吉祥女と変わっていく。
この社は、大己貴神社から秋月へと向かう道にある。
神功皇后軍が陣を張った「御府の森」とされていた。
「福岡県神社誌」より。
福岡の老松神社には特徴があった。
大国主神か、菅原道真公が共に祀られているか、そのどちらかなのだ。
同じ名の神社には、大抵、同じ神が祀られる。
違いがあるなら、彼の別名を祀っている。
桂川の老松神社の御祭神は、大国主神、大物主神、事代主神、菅原道真。
始めの三柱は同じ神、饒速日命。
道真公と饒速日命。
実は深い繋がりがあった。
無実の罪を背負い、太宰府に飛ばされた道真公。
その罪をはらされることを願った場所が天拝山であり、彼が拝した神は高良神である饒速日命だ。
そこには荒穂神社があり、基山の荒穂神社の神とほとんど同じ神が祀られていた。
そこから、彼が高良神であり、五十猛命である饒速日命だと分かった。
(詳細は上の記事)
*4 荒穂神社の御祭神は、瓊々杵尊、八幡大神、五十猛大神、春日大神、住吉大神。
宝満大神、香椎大神。
*1 と *2の社に祀られる神の名がある。
「天拝山の神」というと、上記の荒穂の神(饒速日命)と菅原道真公を意味する。
饒速日命は大国主神。
☆道真公の願いにより「祟りを成した神」がかの神であるということ。
現に現人神と言うと住吉神と北野の神(道真公)を意味する。
住吉と「祟りを成した神」は同神であったということだ。
では、*3 の下渕の老松神社の道真公は、大国主神であり、饒速日命を示すことが分かる。
< 神功皇后 >
*4 の荒穂神社には、宝満大神、香椎大神の名もある。
香椎大神は、神功皇后。
宝満大神は、神功皇后と玉依姫(と八幡神)。
(☆→宝満宮竈門神社 ~神功皇后の鬼退治 ①~) アメブロの記事
玉依姫は、筑紫神社に祀られていた。
筑紫神である、白日別と共に。
白日別(筑紫神)は高良の神である饒速日命。
故に、共に祀られる玉依姫は、神功皇后である御炊屋姫。
これが宗像神であり、豊日別。
(筑後国風土記に、甕依姫とあるのが彼女)
宝満宮竈門神社に祀られる玉依姫も、神功皇后であった。
ここでも「同じ社に祀られる神は同じ」という法則が成り立つ。
では、
下渕の老松神社には、神功皇后が祀られているので、彼の名を隠蔽するために「同じ天拝の神である道真公」と置き換えられたと考えられる。
*彼女の名と、饒速日命の別名は、祀られていない社が多い。
伝承上、神功皇后として祀る必要がある時は、時代を変えたり、邂逅という形をとっていた。
それは、大国主神は彼女に繋がりやすいからでは?
大国主神の后は、多紀理姫=(宗像三神は同神なので)市杵島姫命。
彼女は宗像神であり、御炊屋姫でもあった。
饒速日命の后。
(☆→神の系譜 豊受大神 篇 1 ~御炊屋姫~)
神功皇后は宇佐神宮に、宗像大神と共に祀られている。
< 美奈宜神社の神 >
では、答え合わせのような社を一つ紹介。
*5 荷原(いないばる)の美奈宜(みなぎ)神社
天照大神・住吉大神・春日大神・神功皇后・武内宿禰。
*2 林田の美奈宜(みなぎ)神社のご祭神は、大国主神・スサノオ命・事代主(ことしろぬし)神であった。
同じ名の社の神は同神。
天照大神・住吉大神・春日大神・大国主神・スサノオ命・事代主神・武内宿禰は同神。
共に祀られている神功皇后は、彼の后であった御炊屋姫。
彼女と共に在ったという武内宿禰は、饒速日命。
*神話などの神はほとんど彼らに集約される。
同神であるからこそ、繋がることが数多あるのだ。
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この辺りの大国主神も、饒速日命。
神功皇后と共に羽白熊鷲退治をした、高良神(住吉神)。
では、最初感じた違和感は、これの事であったと分かる。
大国主神は羽白熊鷲を倒した方であるから、大国主神の社がある。
その羽白熊鷲を倒したのは、神功皇后。
ならば、大国主神と神功皇后が共の退治していた。
大国主神は饒速日命であり、高良神。
それは、高良玉垂宮神秘書(高良大社の伝承)に記されていた、
「神功皇后と共に、羽白熊鷲を退治した高良神(住吉神)」の記述が真実であることの証にもなる。
あの神秘書は、最も明らかに事実を伝えていた。
(記事中の社などは、後に掲載します)
宝満山の二柱は彼らであり、筑紫の悪神、羽白熊鷲を退治した神。
福岡一の霊山には、この土地の守護者を祀っている。
熱狂的なファンが多い宝満山。
登る人は必ず上宮に拝する。
その祈りは、この土地を守る力になっていると感じている。
朝倉の大国主神を祀る神社も同じなのだ。
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